ある少女の場合
死ぬ前に思い浮かんだのは、ある男の子の顔だった。
彼は、よく分からない男の子だった。
何にも興味が無さそうなのに、どこかイキイキとしている。
虚ろな目でわたしのことを見ながら、希望に満ちた目で、私じゃないどこかを見ている。
一言で言うなら、数えきれない矛盾の塊から生まれた生き物である。
と、当時の私の目には映った。
…
手術から戻ってきた彼は、人が変わったようだった。
手術で疲れているだけではないような何か、異様な違和感があった。
彼ではない何かが彼に成りすましているようで、ただ気味が悪かった。
それでも、わたしは彼のことがずっと気になっていた。
好きな食べ物は?ここから出たら何をしたい?将来の夢は?
彼はまるで、テストの答え合わせをするように淀みなく答えていった。
それは、手術の前も後も変わっていなかった。
きっと、わたしと彼とでは根本的な何かが違うのだろう。
好きな色なんて答える度に変わる。
将来の夢なんて、選択肢すら思いつかない。
彼はこれから何をして生きるのだろうか?
もし彼が別の時代に生まれたらどう生きるのだろうか?
わたしには、彼がマンモスを狩り殺す姿も、巨大な機械を自在に操る姿も容易に想像できる。
願わくは、彼の人生をずっと眺めていたかった。
…
「ねぇ。」
「何?」
「親のことは好き?僕の、じゃなくて君の。」
「…欲しいと思ったものはくれるし、嫌いじゃないかな。」
「そうか。」
何を話そうと思案し、あれこれ考えてみたが何も思い至らず、少年がまた口を開いた。
「そうか。僕は嫌いだ。」
「なんで?」
「欲しいと思ったものをくれないから。」
「…例えばどんな?」
それきり少年は何も答えなくなってしまった。
別に不機嫌になっている訳ではない。
自分で、百パーセントこれが正解だと思う答えが出なければ、黙りこくって思考の海に落ちてしまう。
そういう癖みたいなものだから気にするな、と彼は言っていた。
違う。
わたしが気にするのは、彼が黙りこくる理由なんかじゃない。
彼と話していたい。彼をもっと知りたい。
彼のことが好きなのか、ただ傲慢な独占欲を押し出してしまうだけなのか、私にはまだ区別がつかない。
ただ、彼と話せることが一番の幸せだった。
彼は、自分から質問をすることはほとんどなかった。
彼がわたしに話しかけるのは、彼が何か自分のことについて喋りたい時か、一日の終わりだけだった。
でも、その一日の終わりの、おやすみの挨拶が、わたしにはたまらなく嬉しかった。
…
「ねぇ、覚えてる?」
あの時の、手術前にした約束をふと思い出して、脈絡もなしに尋ねてみた。
彼の返答は、また少し間を置いたものだった。
「…うん。」
彼は相変わらず、こっちを見もせずに答えた。
うそつき。
…
彼の両親は、結局彼が退院するまで病室に現れなかった。
無愛想、と言うほどではないが、どこか冷たい空気を漂わせる人たちだった。
彼とこの両親が血縁関係にあると言われても、わたしは納得できなかった。
彼は、病室を出ていく時に一度だけ振り返った。
ありがとう、だったと思う。
彼が出ていく時に発した、掠れてほとんど聞こえなかった別れの言葉。
多分、彼はこんなところでさよならなんて言わない。
だからわたしも、ありがとうと言った。
彼の両親には聞こえないくらいの声で。
聞こえたら、わたしの中から彼がいなくなってしまう気がして。
…
結局、彼は手術前からあまり変わっていなかったようだ、というのが私の結論になる。
約束のクリスマスの日の夜。
無理を言って、その日だけ病院から出してもらった。
駅前の、大げさとも言えるほどライトアップされた木の下。
彼ははたして、やって来なかった。
つまりは、彼はわたしが声をかけようがかけまいが、わたしの中から出ていってしまうのだった。
彼は手術の前、確かに私との約束に首を縦に振った。
身体中に広がる痛みと寒さで思考が纏まらなくなって、わたしはなんで彼が来なかったのかをずっと考えていた。
約束を忘れたから?親に止められたから?
わたしは、前者であって欲しいとも思ったし、後者であって欲しいとも思った。
そうだ。
わたしは、
私は、彼に私のことを覚えていて欲しかったし、忘れて欲しくもあった。
面倒な女だ。
自分でもそう思う。
…
私はどうやら、年を越したらしい。
病室も個室になり、日付も分からなくなったけれど。
もう立ち上がることもままならなくなってきた。
私は、もうすぐ死ぬのだろう。
死ぬ前に思い浮かんだのは、彼の顔だった。
彼に、また前のようにおやすみと、声をかけて欲しかった。
ああ、今日はどんな日なんだろう?




