恋する私の夢物語
六月十三日、金曜日。私は夢を見た。
それは、あまりにも現実的で、とても信じ難い夢だった。
世間では、こういうのを『悪夢』と呼ぶのだろう。
そして私も、それを『悪夢』と名付けることにした。
四月十日、木曜日、高校に入学して二年が経った。
私『坂石 圓』は、一目惚れをした。
相手は、高校の生徒会長を務める。始業式のこの日に、体育館の舞台に立った。
相手の話の内容は一言一句と覚えていない。というよりも、耳が言葉を拾わなかった。
それもそのはず、相手は、校内で最も美人と呼ばれる三年の先輩『和泉 トア』だ。
そう言われるだけあって、女の私でも惚れさせられるくらい。そんな中、舞台に立つ先輩を見ようとするも、まるで太陽を直視しようとしても、眩く直視出来ないくらい輝かしい。
そんな相手に惚れた時点で、悪夢は始まっていたのだろう。
四月の二十八日、月曜日。
私は先輩に告白することを決意。
授業を全て終わらせ、下校の時間がやってきた。
さっそく先輩を呼び出した。
場所は言わなくてもわかるくらい定番、校舎裏だった。
そして、一言一句が先輩に届くような声で
「和泉トア先輩のことが……大好きです!!!!!!!!!」
そして十秒ほど沈黙が場を支配した後、先輩はニコリと微笑み「……それで?」と口にした。
「……あ…………え、と……つ、付き合ってください……!!!!!!!!!」
予想外の言葉に戸惑いながらも、私は忘れてしまっていた一言を放った。
「はい♪ こちらこそ♪」
返ってきた言葉は期待していたものだった。
私はその言葉を求めていた。まさにそのもの。
「……え、やったぁー!!」
期待していたとは言えど、やはり緊張をしていたせいか、即座にその言葉を理解できなかった。
が、これで私と先輩は恋人、カップルだ。俗にはこれを「百合カップル」というのだろうか。
これで私は幸せ、けれど先輩はどうなんだろう。
恐らく、先輩は私の事は何も知らない。
全くもって無名の後輩女子に、告白されて「はい」と言う人はこの世にほとんど居ないだろう。
しかしその時の私は、そんな疑問を浮かべることもなく、幸せホルモンというもの達に脳を支配されていたのだろう。
それからというもの、私は先輩と幸せな日々を過ごしていた。
どんなことをして、なんて、今は振り返りたくもない。きっと振り返ると私は吐くだろう。言葉も胃液も血も涙も、全て。
そしてやってきた六月十三日、金曜日。
ある地域では恐れられることもある日だったりするらしいが、私には関係無かった。
今日も今日とて私は、先輩と一緒に高校生活を謳歌していた。
私の身体は先輩が居ないと成り立たない。
「先輩なしでは生きられない」と、日々思っている。
いつも通り先輩と昼食をとり、いつも通り授業を受けた。そして、いつも通り先輩と途中まで下校する、けれど今日は雨が降っていた。
「……雨、ですね」
天気予報とは真逆の空。私は傘を持ってきていなかった。
「ですね。……けど、今日も一緒に帰れそうですね♪」
そう言って、先輩はカバンから折りたたみ傘を取り出した。傘をさした先輩の右隣にお邪魔する。
それから、いつも通りの道を歩き、いつも先輩と別れる交差点が見えてきた。
雨はまだ止みそうにない、しかし傘は一つ。どちらかが濡れて帰るか、家まで送る必要があった。
「先輩、ここまでで大丈夫です! 私の家、もうすぐなんで」
わざわざ先輩に家の前まで来てもらうのも、傘を借りて帰るのも申し訳ない。そんなことをするなら、ずぶ濡れで帰るほうがマシだ。
「そうですか……それでは、はい♪」
先輩は、私に傘を差し出す。
「……え、いや、いいですよ! その傘は先輩のなんですから、先輩がさして帰ってくださいよ!」
「いいえ、そういうわけにはいきません。先輩として、圓さんの彼女として、あなたを雨に晒して帰らせるなどできません」
私を見つめる眼は真剣だった。私が、先輩をおもうように、先輩は私をおもっていたのかもしれない。
これは、トア先輩なりの愛情表現なのかもしれない。
そう思って、私は「……ありがとうございます」と傘を手にした。
「それでは、また来週♪」
そう言い捨て、打たれながら走って帰る先輩を、雨のカーテンで消えるまで見つめていた。
家に帰り、部屋に戻る。しばらく経って窓を見ると雨は止んでいた。
「……傘、返しに行こうかな」
そうと決まればすぐ行こう。傘を手にして、玄関へ移動し、靴を履き、ドアを開ける。一度だけお邪魔したことのある先輩の家を目指して、水溜りだらけの道を歩く。
歩くこと十分程度、田んぼが一面に広がる中、ぽつん、と一軒家が建っている。
そう、ここが先輩の家、「和泉家」だった。
玄関前まで移動し、インターホンを押す。
「……」
しかし、反応がない。
もう一回。
「…………」
またも反応がない。
また一回、二回、三回……。
何度押しても反応がない。
「……すいませーん! トア先輩はいませんかー!」
そう声を上げても、うんともすんとも返ってこない。
妙に思い、私はぎゅっとドアノブを握った。回すと、ドアは開いた。鍵は開いていた。
「お、お邪魔しまぁす……」
変に小声で言いながら、和泉家に足を踏み入れる。これは立派な不法侵入というものだろう。けれど、そんな事は言ってられない。もし先輩の身になにかったらとおもうと、居ても立っても居られなかった。
「……」
電気は点いてなく暗い、ぱっと見たところ、誰も居ないように見えた。が、玄関に先輩の濡れた靴だけはきれいに整えられて置いてあった。
つまり、先輩はこの家にいる。
そう確信した私は、先輩の部屋へと続く階段を昇る。
たどり着いたのは、廊下と部屋を仕切る一枚のドアの前。
「……せんぱ〜い?」
やはり小声で言ってみるも返事は来ない。
「し、失礼しま〜す……」
ドアノブを下げて、扉を押す。
ゆっくりと戸を開けると、ベッドで眠っている先輩が目に入った。
「な、なんだ……。先輩、眠っていただけなんですね」
ほっと胸を撫で下ろした。
「……こんなこと言うのはあれだけど、ちょっと散らかってるなぁ〜」
前来たときとは大きく違う点は、部屋がかなり散らかっていることだった。
テーブルにはジュースの空き缶やペットボトル、その他衣類などが部屋中に。
「……よし、傘は返したし、私は帰ろうかな」
折りたたみ傘とメッセージを、テーブルに置いて私は帰宅することにした。
最後に、寝ている先輩の枕元へ体を動かす。
「それじゃあ、先輩、また来週♪」
先輩の耳元に、そう告げて帰ろうとした。
だが、私はある臭いに意識を持っていかれた。
「……! なにこの臭い?!」
先輩の顔付近から異臭がした。思わず鼻をつまんでしまった。
「汗」や「雨」の臭いじゃない。まるで居酒屋のような臭い。
この臭いがなんなのか、考え進めると、あるものを思い出した。
『アルコール消毒』
最近は見かけることが少なくなってきたもの、『アルコール消毒』。
一定の期間に、嫌と言うほど手にかけたもの。まさにアレの臭いだ。
それを思い出した私は、絶対にあってほしくないことが脳裏によぎった。
「…………飲酒……?」
思わず口からこぼしてしまう。
「………………い、いや……そ、そんな、先輩が、まさか……」
私、『坂石 圓』を含め、先輩『和泉 トア』は現役の高校生。
つまり未成年。この国では、高校生の飲酒は法律違反。
もし本当なら、先輩は高校から退学処分をくだされるのだろう……。
そんなことはあってはならない、あってほしくない……。
「……き、きっと気の所為だよ」
自分を騙すように言葉を放つ。
そして、決定的な証拠となるものを、私は思い出した。
「!! ……この空き缶って…………!!」
てっきりジュースの空き缶だと思っていたもの、そう思いたかったものを手にした。その後私は、和泉家を静かに退出した。
結果は、『和泉 トア』は未成年飲酒をしていた。
和泉家の敷地から出てすぐに、私は全速力で走る。泣きながら雄叫びを上げた。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
今にも吐きそうな喉をぐっと締め、ただひたすら走った。
きっともう会えない、会いたくもない……と思ってしまうもう一人の自分がいる。
先輩の彼女として、このことを先生や大人に報告するべきなのか。
それとも、見て見ぬふりをして、今まで通りに日々を過ごすか……。
私は…………わたしは………………。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
今にも吐血しそうだった。
もし、私が先輩の家に行かなければ。
もし、先輩に一目惚れしなかったら。
もし、このことを知らなければ。
もし、今日が夢ならば、きっと、私の人生の中で見た、最もひどい『悪夢』になるだろう。
ずっと先輩と居られるなら、『悪夢』でよかった、『悪夢』がよかった。
これから、私はこの葛藤と共に日々を過ごすのだ。
まだ先輩を救えるのなら、私は命もろとも捧げるだろう。
先輩の彼女として、飲酒をやめさせるべきなのだろうか。そんなこと、できるだろうか。
一体、これから私は、どんな顔で先輩に会うのだろう。