第七話 湊、死す(後編)
俺は重い足取りで、家の玄関をくぐった。
いつもなら真っ先に自室へ向かうのに、今日はなぜか──まっすぐリビングへ向かっていた。
ソファにカバンを落とすように座り込む。
そのとき、キッチンの奥からひょっこり顔を出したのは、ひとつ年下の妹、**佐倉 美優**だった。
俺はソファに体を沈めた。
制服のリボンをほどく美優の姿が、どこか目に焼きついたまま離れない。
「……なんだ、兄さん? 今日は早いじゃん」
「……あぁ、美優か。お前も、珍しく早いじゃん」
「今日は生徒会の会議なかったからね」
「え、お前、生徒会……?」
「うん。椿ヶ丘の、生徒会役員。言ってなかったっけ?」
俺は思わず、まばたきをする。
「……初耳なんだけど」
「ふふ、兄さんに話しても興味ないでしょ。こっちはこっちで、地味に忙しいんだよ」
美優の視線が、ちらりと湊のスマホへ向けられる。
「……なにそれ。アプリ?」
「AICO。恋愛サポートAI……らしい」
《そぉ〜なのっ! アイコだよ! あいじょうのアイに、こいのコ!
せかいいち かわいくて かしこいAIだよ〜☆》
「は……?」
美優はあきれたようにAICOを見つめる。が、AICOのほうも負けてはいない。
《ミユちゃんってば クールビューティってやつ〜?
でも かわいさではアイコが ぜったいまけてないんだからねっ!》
「いや、私は別にかわいさ勝負してないけど」
《うぅ〜〜〜! それが いちばん手ごわいやつぅ〜!?》
美優はわずかに吹き出した。
ほんの少しだけ、口元が緩んでいる。
「……まあ、変なアプリだけど。ちょっと面白いかも」
俺は驚きながら美優とAICOを交互に見る。
「お前、そういうの嫌いじゃなかったっけ」
「……別に、かわいいものが嫌いってわけじゃないし」
《えっ えっ!? じゃあアイコのこと すきってこと〜!?
やった〜〜! これで しんせつな いもうとさんとの
なかよしミッション クリア〜☆》
「なにそれ。……まあ、いいけど」
少し沈黙があって、美優が俺の顔をじっと見つめてきた。
「で? 恋愛サポートなんて入れて、どうしたのよ」
俺は少し言いずらかったので、目をそらしながら答えた。
「……陽咲の文化祭のとき、ちょっとだけ他校の女子と話す機会があってさ。迷ってたから、案内しただけなんだけど……」
「ふーん。他校の子と」
美優はリモコンを取ってテレビをつけるが、画面に視線をやることもなく、ぽつりと返す。
「別に深い意味はなかったんだ。でも、なんか忘れられなくて……
それで、そのあと連絡先だけ……もらった」
《れんらくさきもらっちゃったのぉ〜!?
そ・れ・は! いーとーしーの予感☆》
「でも、返事こなくて。既読スルーでさ……」
「ふぅん……」
そこでようやく美優がリモコンを置き、俺のほうに視線を向けた。
「……その子、椿ヶ丘の椎名先輩?」
オレはビクッと肩を揺らす。
「なんで……」
「陽咲の文化祭の日、文化祭視察で先輩たちが外出してた。
で、さっき言ってた“迷ってた”って特徴で、だいたい予想つく」
《ミユちゃん、ちえのわIQたかめ〜!!》
「……やっぱ、お前鋭いな……」
美優は何も言わずに、ほんの数秒だけ俺の顔を見つめた。
そしてふっと目を細めて、口を開く。
「椎名会長か……兄さんには、ちょっと厳しいかもね。
あの人、恋愛にはすごく慎重だし──男の人の話なんて、一度も聞いたことないよ」
「えっ」
「でも、面白そう」
「お、応援してくれるってこと?」
「……まあ、生徒会のよしみで、ちょっとは手助けしてもいいよ。
椎名会長って、ああ見えて……けっこう、こじらせてるから」
(どぉゆう意味だ?)
* * *
──夜。
部屋の明かりを落とし、ベッドの上で横になっていた。
天井を見つめながら、何度目かのため息をつく。
美優との会話で、少しは気が紛れた気がしていた。
でも、心の底に沈んだままの不安は、やっぱり消えてくれない。
「……もう、ダメかもな」
つぶやきながら、スマホを胸の上にぽんと置いた。
画面は暗く、沈黙のまま。通知は、ない。
──と。
“ピンッ”
その静けさを破る、小さな電子音。
俺の心臓が、跳ねた。
視線をスマホに向ける。
画面に浮かぶのは──見覚えのある、あの名前。
《椎名 瑠璃》
鼓動が、いきなり早くなる。
手のひらが汗ばみ、喉が渇く。
「……っ」
深く、深く、息を吸い込む。
それから、スマホの画面にそっと指を伸ばして──
⸻
[次回予告]
湊(静かに)
「返事が欲しい。ただ、それだけなのに──沈黙は、答えより重い」
AICO(哲学モード)
《それは、こいするしゃかいふてきごうしゃ。
でもね……あいは、いつだって“かくご”をためすんだよ──》
湊(低く決意を込めて)
「“撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだ”……。
だったら俺は、この気持ちを──撃ち抜く覚悟がある」
AICO(急にいつものテンション)
《じかいっ☆ 『だんしこう、れんあいみりしゅう!こいのせんせいはAIです』──
『既読という名のギアスっ!』》
湊(苦悶)
「椎名……返事をくれ。
たとえ、それが──終わりを告げるものでも……」
(0.3秒沈黙)
湊「やっちゃったけどかっこいいな。コー○ギアス」
AICO(したり顔)
《おにいちゃん、珍しくノリノリだったねー☆》




