第三十七話 この想い
夕焼けが差し込む椿ヶ丘の校門前で、俺はポケットに手を突っ込んだまま、立ち尽くしていた。
スマホの画面には、たった今送ったメッセージが残っている。
「今、校門の前にいる」
文字にしてみたら、思ったより軽く見えた。でも、内心では心臓がバカみたいにドクドクしている。
寒いからじゃない。これから言うことを考えると、指先が微かに震える。
カツ、カツ……と、靴音が聞こえた。
顔を上げると、瑠璃さんが駆け足気味で近づいてくるのが見えた。制服の上にベージュのロングコート。揺れる黒髪に、思わず見惚れそうになる。
「……ごめん、待たせた?」
少し息を切らした声で、椎名さんが俺の前に立った。
「ううん、俺が急に呼び出したし」
そう答えると、周りからヒソヒソと声が聞こえてきた。制服姿の女生徒たちが、ちらちらとこっちを見ながら通り過ぎていく。
「誰あれ……?」「男子校じゃない?」「椎名さんと……?」
無理もない。男子校の制服を着た俺が、放課後の椿ヶ丘女子学園に立ってるんだから。
でも、そんな声はもうどうでもよかった。ただ――目の前の彼女に、ちゃんと向き合いたかった。
「……今日は、どうしたの?」
椎名さんが首をかしげて聞いてくる。
どこか不安そうで、でも少しだけ、期待するような目をしていた。
俺は、ゆっくりと息を吸って。
「話したいことがあるんだ。ちゃんと……全部」
そう言った。
俺と瑠璃さんは、街が見渡せる二人の大事な場所、高台のベンチに並んで座った。
日は傾きかけてて、空気はまだ冷たい。白くなる息を見ながら、どう切り出そうか考えていた。
俺が校門で待ってるって送ったとき、椎名さんは少し慌てた様子で来た。
けど今は落ち着いていて、手すりの向こうの夕空をぼんやり見ている。
「……椎名さん」
そう呼ぶと、瑠璃さんは小さく首を傾けてこっちを見た。
「文化祭のときさ。道を聞かれて、びっくりしたんだ。……綺麗な人が突然話しかけてきたって」
瑠璃さんが、少しだけ目を見開く。
「え?」
「それで思ったんだ。話してみたいなって。この人のこと知りたいなって……でも、うちは男子校で、女子と話す機会なんてほとんどなくてさ」
言いながら、苦笑がこぼれる。
「陽翔に相談しても“ラブコメはじまった”とか言われるし、要はアホすぎてアテにならなくて……純は……まぁ、癒し担当ってことで」
瑠璃さんがふふっと笑う。嬉しいような、恥ずかしいような、くすぐったい気持ち。
「それで……恋愛相談にのってくれるAIアプリを見つけたんだ。“AICO”っていうやつでさ」
椎名さんの表情が、すっと引き締まる。
「……AI?」
「うん。最初は軽い気持ちだった。恋とか、どうしたらいいかわかんなくて。誰かに聞いてほしかったんだと思う。そしたら、AICOがすげー的確にアドバイスくれて……それで、だんだん頼るようになって」
自分でも情けないなって思うけど、それが本当のことだった。
「椎名さんのこともAICOが調べてくれて、実は椿ヶ丘の文化祭に行く前から名前も知ってたんだ」
でも――。
「でもさ。これからは、AIじゃなくて、俺の言葉で伝えたいって思った。AICOのサポートが終わるって知って……気づいたんだ。俺、自分でちゃんと向き合わなきゃって」
瑠璃さんは何も言わず、俺の方を見ていた。
その視線を、俺もちゃんと受け止める。
「椎名さんのこと、本気で好きだから。だから、ずっと隠してたことも、今日ちゃんと伝えたかった」
沈黙が数秒続いて――椎名さんが、そっと笑った。
「……“私のこと”を知ってたんだね」
少しだけ責めるようにも聞こえたけど、その声は優しかった。
「でも、それだけ悩んでくれてたんだってわかった。真剣に考えてくれてたんだね」
「……うん」
「ちょっと、AICOって子に嫉妬しちゃうかも」
「そ、それは……うん、ごめん」
「ふふ。話してくれて、ありがとう」
そう言ってくれた椎名さんの笑顔が、どこか柔らかくて、少しだけ切なかった。
息が白く曇る。
夕暮れの光が、椿ヶ丘の校門をやわらかく照らしていた。
誰もいない思い出が詰まった高台に俺と、椎名さんの二人だけ。
彼女は少しだけ俺の方を見て、それから目を伏せた。
「……湊くんがね、AICOを使ってたって聞いたとき、ちょっと驚いたよ。ううん……驚いたっていうより、少し寂しかったのかも」
その言葉に、心臓がギュッと締めつけられる。
「でも、ちゃんと自分の言葉で伝えてくれたの、嬉しかった。……勇気、出したんだよね?」
「……うん。めちゃくちゃ、怖かったけど」
俺は真っ直ぐ彼女を見た。もう目を逸らさなかった。逃げたくなかった。
椎名さんも、今度は目をそらさずにいてくれる。
その視線の奥に――優しさがあった。
「……私も、好きだよ。湊くんのこと」
一瞬、時間が止まった気がした。
頭の中が真っ白になって、心臓の鼓動だけがドクンと響く。
「ほ、ほんとに……?」
思わず聞き返してしまった俺に、椎名さんは少しだけ恥ずかしそうに笑ってうなずいた。
「ほんと。……何度も助けてもらって、何度もドキドキして、気づいたら……好きになってた」
もう何も言えなかった。言葉が出てこなかった。
なのに顔が熱くなって、笑いそうになって、泣きそうになって――
「……あのさ、湊くん」
「……なに?」
「名前で呼ぶ練習はちゃんとしてくれた?
呼んでくれる日をずっと待ってるんだよ?」
「っ!!……瑠璃……さん」
「“さん”は、もういらないよ。“瑠璃”でいいから。……慣れてね」
その瞬間、俺の中で何かが弾けた。
「……っしゃああああああああああああ!!!!」
寒空の下、俺は思いっきりガッツポーズを決めた。
瑠璃が驚いて目を丸くしてるけど、もう止められなかった。
嬉しすぎて、全部ぶっ飛んだ。
この気持ちを伝えられたことも、想いが届いたことも。
名前を呼べるようになったことだって、全部――
「よっしゃあああああ!! よしっ、よしっ、よーーーし!!」
俺は何度も拳を握りしめた。
⸻この想いは、もう俺のものだ。
これで完結!……じゃありません(笑)
まずは、湊――よくやった!
自分の言葉で、ちゃんと伝えられた。
そして、瑠璃の優しい返事も、本当に嬉しかったですね。
ここからは、ふたりの「これから」と、
AICOとの“最後の時間”が描かれていきます。
最後まで見届けてもらえたら嬉しいです。
ではまた、次回!




