第三十五話 さよならの準備
「サポート終了って……AICOは、もう終わりってことですか!?」
声が震えていた。
頭では理解していたはずなのに、言葉にされると、心のどこかが砕ける音がした。
誠治さんは、申し訳なさそうに、しかし目を逸らさずに言った。
「……すまない」
短い言葉。それだけだった。
でも、その背中には深い後悔が刻まれているように見えた。
それ以上、何も言えなかった。
このまま何かを責めても、意味がない。AICOの“終わり”は、すでに決まっている。
――けれど、俺の中ではまだ、覚悟ができていなかった。
* * *
家に帰るなり、机に置いたスマホを開いた。
AICOのアイコンをタップする。
──通信エラー。
いや、違う。少しだけ、読み込みが遅れているだけだ。
頼む、起動してくれ。話したいことがあるんだ。
すると、数秒のラグの後、ゆっくりと、でも確かにAICOの画面が立ち上がった。
《……ログインを確認。ユーザー、佐倉湊さん》
「AICO……」
思わず声に出してしまう。
あの落ち着いた声。変わらない口調。でも、どこか少しだけ、反応が鈍い。
「……なぁ、AICO。本当に、お前……いなくなるのか?」
一瞬、返事はなかった。
無音。たったそれだけの時間が、何よりも怖かった。
でも、少しして──
《……完全停止は、避けられません》
その一言で、心のどこかが音を立てて崩れていった。
「……そうか」
受け入れられないくせに、なぜか口から出たのはそれだけだった。
何か言わなきゃ。
今、言わないと、もう二度と届かなくなる気がした。
喉が焼けるほど乾いて、それでも、言葉を絞り出す。
「……お前さ、俺のこと、いろいろサポートしてくれてたけどさ。
ただのAIなんかじゃなかった。……俺にとっては、ちゃんと“大事な存在”だったんだ」
一拍置いて、淡々とした声が返ってくる。
《……記録として、保存しました》
「違うんだよ、記録じゃないんだ」
気づけば、声が少し上ずっていた。
「お前の言葉、仕草、表情、全部……俺は覚えてる。忘れないよ。
たとえ、お前が……いなくなっても」
画面の向こうで、何かを処理しているように、微かなノイズが鳴る。
そして──
《……本セッションにおけるサポートは、ここまでとなります。ユーザーの安全なログアウトを確認》
無機質な、でもどこか優しさを感じてしまう声が、響いた。
* * *
画面は、ゆっくりと暗転していった。
指先に残る温度なんてないのに、消えていく何かを、俺は確かに感じていた。
(……椎名さんに、話すべきか)
AICOのこと。全部、話すべきなのかもしれない。
でも、それが彼女を傷つけるかもしれないと思うと、踏み出せなかった。
心の奥で、どうしても答えが出なかった。
──夜が深くなるほどに、静寂が重くのしかかってきた。
AICOはいなくなる。
それでも、俺は……。
* * *
その日、湊くんはいつもとどこか違っていた。
でも、それが何なのかは、うまく言葉にできなかった。
期末テストが終わったその日、二人で並んで遊びに出かけた。
いつもの冗談もないし、私の方を見ても、どこか上の空。
「……湊くん?」
声をかけると、すぐに「ん?」と返ってきた。
でも、その声にもどこか力がなかった。
「……なんでもないよ」
私はそれ以上、聞けなかった。
きっと、何かあったんだと思う。
でも、話してくれないということは……話したくないんだよね。
──なんで、だろう。
胸の奥が、少しだけ、ちくりとした。
話してくれないことが、悲しいわけじゃない。
でも、せっかく近づけたと思ったのに。
また、壁みたいなものが立ち上がった気がした。
それでも私は、笑ってみせた。
「……変な顔。寝不足?」
「かもね」
苦笑いする湊くん。
その笑顔が、なぜか痛々しく見えた。
(……ねえ、湊くん)
私、ちゃんとわかってるよ。
あなたは、いつも誰かのことばっかり考えてる。
自分のことになると、途端に不器用になるくせに。
その誰かの中に、私がいればいいなって──
そんなふうに、思ってしまう私は、きっとズルい。
いつかちゃんと、言ってくれるかな。
本当のことも、あなたの気持ちも。
今はまだ、聞けないけど──




