第三十三話 湊とAICO
陽咲男子校、昼休み。
「なあ、湊。最近なんか元気なくない?」
そう声をかけてきたのは、昼休みの教室。いつものように、陽翔・要・純が机を囲んでいた。
「え? そ、そんなことないって」
俺はそう言いながら弁当のフタを開ける。けれど、手の動きはどこかぎこちない。
「そうかぁ? にしてもさ、最近“あの子”の話しなくなったよな?」
「“あの子”?」
要が身を乗り出してニヤつく。
「お前の相棒、AICOちゃんだよ」
「……相棒?」
「けっこう話題だったじゃん。『また変なアドバイスされた』とか『口調が幼児退行した』とか」
純も、少し不安そうに首をかしげた。
「最近……AICOさんの声、聞かないですよね。もう起動してないんですか?」
「いや、一応は動いてるんだけど……」
俺は言葉を濁した。
AICOは、確かにまだ起動できる。けれど、あの頃みたいなやりとりはできない。
まるで──別の誰かと話しているみたいで。
「まぁ、なんかトラブルかもしんねーな。湊のAICOちゃんって、いっつもバグってたし」
「そんな乱暴な言い方すんなよ……」
「でもさ、AICOちゃんがいなかったら今の湊はいなかったってことだろ? 幼女系も、厨二系も、全部面倒見てくれてたおかげで椎名さんとも仲良くなったんだし」
「まぁ……そうだよな」
俺は苦笑しながらも、目の奥にわずかな痛みを感じていた。
──本当に、あの頃のAICOは……いなかったみたいに感じる。
「……なんかあったの?」
純が、小さな声で聞いてくる。
「……いや、大丈夫。たぶん、疲れてるだけだよ。俺も、AICOも」
窓の外を見る。
冷たい空気の中、陽射しだけが春の気配をまとっていた。
──本当は、誰かに話したい気持ちもある。
でも今はそんなときじゃないと思う。
俺は、箸を動かして冷めた玉子焼きを口に運んだ。
* * *
放課後、俺は一人で帰路についた。
まだ風は冷たく、吐いた息はうっすらと白い。
でも、街路樹のつぼみがふくらんでいるのを見ると、季節が少しずつ進んでいることを感じた。
──最近、帰り道も独りが多い。
前はAICOと椎名さんへのメッセージの返信を考えたり、デートプランを相談したり。
あれこれ悩んでいた頃が嘘みたいだ。
部屋に戻ると、制服の上着を脱ぎながらベッドに腰を下ろし、スマホを取り出す。
椎名さんとのメッセージ履歴を、指でスクロールした。
「……懐かしいな」
最初のやり取り。
俺が敬語で『今日はありがとうございました。また話せたら嬉しいです』と送って──
彼女が丁寧に『こちらこそありがとう。来年もぜひいらしてください』と返してくれた。
「ああ……俺、最初からずっと、椎名さんに惹かれてたんだな……」
彼女の言葉に一喜一憂して、返信の文章にAICOの助けを借りて。
不安で、必死で、でもどこか楽しくて。
「……全部、AICOのおかげだったんだよな」
あのちょっとズレたアドバイス。
勝手にBGMを流したり、恋愛バトル風にテンション上げたり──
俺は、なんだかんだ、あいつに支えられてた。
「……いつも無茶して、大変な思いさせられたけど……」
画面に表示されたままの、沈黙するAICOのアイコン。
「AICO……元に戻ってくれよ……」
声に出したその言葉は、やけに静かで、自分の耳にも頼りなかった。
(あの頃のAICOがもういないとしたら──俺は、また独りになるのか?)
ふと、スマホが震えた。
──新着メッセージ。
「……葵くん?」
画面をタップする。表示されたのは、たった一行の短い文章だった。
『父が湊さんと会ってくれるそうです』
その瞬間、心が、静かに波立った。
「……会ってくれる、のか」
思わず、つぶやいていた。
ようやく──ようやく、何かが動き出す。
ずっと停滞していたものが、ようやく、少しずつでも前に進んでいくような感覚。
窓の外を見やると、夕暮れの空に、一羽の鳥が飛んでいくのが見えた。
その軌道が、どこか希望に見えたのは──きっと、気のせいじゃない。
画面を見つめながら、そっと拳を握る。
AICOのこと。
椎名さんの家族のこと。
そして──“想い”の行方。
(もう少しだ。……俺は、そのすべてにちゃんと向き合いたい)
最近、応援してくださる方が少しずつ増えてきて、本当にうれしく思っています。
感想や評価のひとつひとつが、何よりの励みになっています。ありがとうございます。
物語もいよいよ、完結に向けて動き出しました。
湊とAICO、そして椎名さんの“想い”が、どこへ向かうのか──
最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
これからも、どうぞよろしくお願いします!




