第二十七話 如月贈菓祭 開幕!
第二十七話 如月贈菓祭 開幕!
──夢を見ていた。
淡い、チョコレート色の記憶だった。
中学一年の冬。
母が病気でこの世を去った、あの年のバレンタイン。
「……母がいなくなってから、家の空気が変わった気がした」
「わたしがしっかりしなきゃ。泣いてる場合じゃない。葵まで泣かせたくないから」
そんな気持ちで毎日を乗り越えていた頃。
同じクラスの男子──名前は、今ではもう思い出せない。
けれど、彼の言葉だけは、今でも胸の奥に残っている。
「……大丈夫?」
「無理、してない?」
何気ない一言だった。
でも、それだけで、少し救われた気がした。
誰かに気づいてもらえた。それだけで、涙が出そうだった。
──その人に、バレンタインのチョコを渡そう。
勇気を出して、少しだけ前に進もう。
そんな気持ちで、不器用な手つきでチョコを作った。
「ありがとう」
手渡したときの彼の笑顔。うれしくて、胸が熱くなった。
……でも──
次の日、教室の後ろのほうで聞こえた、男子たちの会話。
「お前、椎名からチョコもらったんか?」
「だってあいつ、顔だけは超可愛いじゃん」
「ちょろかったな〜、ちょっと優しくしただけでホイホイと」
何かが、胸の奥でひび割れた。
恥ずかしくて、情けなくて、泣きたくても泣けなくて。
ああ、私、またひとりで勝手に期待して、勝手に傷ついたんだ──
それ以来、“好き”という感情から目を背けるようになった。
高校も女子校を選んだ。恋なんて、いらないと思っていた。
──それでも。
気がつけば、チョコレートを作っている自分がいた。
誰かの笑顔を思い浮かべながら、そっと手を伸ばしていた。
湊くんのことを考えながら──
(……あのときと同じになるのが怖いのに)
(どうして、わたし、また……)
──この気持ちが、“恋”かどうかは、まだよく分からない。
でも、ただの義理だなんて、もう言えない。
だからこそ、怖い。
握りしめたチョコの小箱が、少しだけ震えていた。
──陽咲男子高等学校・講堂。
時間は午前十時。
椿ヶ丘の女子たちを迎えるため、講堂は華やかな飾り付けで彩られていた。
「よっしゃあ!チョコ10個目指すぞー!」
「……お前、義理の定義わかってんのか?」
浮き足立つ男子たちの間を、リボンと紙袋が飛び交う。
ステージの横には生徒会主導の受付が設けられ、校内放送では軽快なBGMが流れていた。
「ふふふ……今年は俺、リスト作ってきたから」
「配布イベントじゃねーか、それもう」
湊はそんな教室の隅で、窓の外をぼんやり眺めていた。
「……ま、俺には関係ないし」
誰にも聞かれないように、そっと呟く。
でも、心の中では、落ち着かない気持ちがくすぶっていた。
──チョコが欲しいわけじゃない。
ただ、あの子の顔を、見たいだけ。
その胸のざわめきを誤魔化すように、AICOが声をかける。
《おはようございます、佐倉湊》
《観測開始──陽咲男子校舎、男子たちの脈拍平均:通常より+12》
《“チョコをもらう可能性”に対する期待度、過去最高値を更新中》
「朝からうるせえな、AICO……」
《私は感情を持ちませんが──今日は、あなたが少し“揺れている”ことに気づいています》
「……余計なことまで観測してんのか」
《当然です。それが私の仕事ですから》
淡々とした口調のAICOだったが、その“声の色”は、どこか穏やかだった。
そのとき、校内放送が切り替わる。
『まもなく! 椿ヶ丘女子学園の皆さんが到着します! 各班、配置についてください!』
「き、来たか……!」
「おい!お前ら、靴そろえろ!ネクタイ直せ!」
「そこ、ガム噛むなーっ!」
やがて、講堂の扉がゆっくりと開く。
そこから、椿ヶ丘の制服を着た女子たちが、列をなして入場してくる。
会場の男子たちが一斉にざわめく中──
湊の視線も、自然とその中のひとりに吸い寄せられていた。
……いた。
瑠璃だった。
制服の上に、ふわりとかけられたコート。
いつもよりほんの少しだけ髪を巻いていて、光の加減で瞳がきらめいて見えた。
周囲の友人たちと談笑しながら入ってくるその姿に、湊は思わず息をのんだ。
(……なんだ、あれ。ずるいだろ)
見慣れているはずの彼女なのに、今日の瑠璃は、まるで違う世界から来たみたいに、遠くて、綺麗で。
「佐倉、顔赤いぞ」
隣から陽翔に肩をつつかれて、湊はあわてて視線を外した。
「な、なんでもねえよ……! 気のせいだ」
……そう言いながらも、湊の胸は、さっきよりずっと早く脈を打っていた。
──そして、この日、男子校最大の“戦場”が幕を開ける。
講堂に設けられた壇上には、長机とパイプ椅子が並び、背後のスクリーンには本日のテーマが映し出されていた。
『義理と本命における、男女間認識格差の是正』
──会場がざわつくのも無理はない。
“贈菓祭”というほぼ恋愛イベントに、こんな硬派なタイトルを掲げて議論を行おうなどと提案したのは、
陽咲男子高生徒会長・紀伊真面目。通称「生真面目会長」(きまじめかいしちょう)である。
マイクを持った彼は、一礼してから開口一番、こう言った。
「男子がバレンタインにおいて、最も心を乱されるのは──“義理と本命の境界線が曖昧”であることです」
その言葉に、男子生徒たちが頷き、女子生徒たちは微妙な顔を浮かべた。
「女性の側が、“義理”であることを前提に渡したとしても、男子はそこに“希望”を見出してしまう生き物なのです」
その理路整然とした主張に、会場は「たしかに……」という空気になりかける。
しかし、対する女子側代表・佐倉美優がすかさずマイクを取った。
「それって、女子が“曖昧な気持ち”を持ってるせいにしてませんか?」
「……と言いますと?」
「“ありがとう”とか“いつも助かってる”とか……“本命”じゃなくても、そういう気持ちを伝えたくてチョコを渡す子もいるんです。
それを“期待した側が傷ついた”からって、渡した側が責められるのは、ちょっと理不尽じゃないですか?」
女子たちから拍手と歓声が上がる。
男子たちはやや押され気味──。
「なるほど。ですが、男子の側からすれば、それは“好意の芽”と受け取れる可能性がある以上、感情の誤解は不可避です」
「でも、それって“女子が悪い”って話じゃないですよね?」
バチバチと火花を散らすふたりの議論に、会場の熱も上がっていく。
──そんな空気を、感情の塊がぶち破った。
「ちょい待てやああああ!!」
マイクを奪い取るように割って入ったのは、男子代表(なぜか飛び入り)の大河原 要。
「そもそもよおっ! 男子ってのは、ちょっとした優しさで、すぐ舞い上がる生き物なんだよ!!」
「去年の贈菓祭でよぉ! チョコ手渡しで“はいっ”て微笑まれて……
その顔、一年間、脳内保存だぞ!? 俺にとっちゃ一生もんなんだよ!!」
客席「そこまで!?」
「でもな……それでも、なんか期待しちまうんだよ!
バレンタインって、そういう日なんだよ! 期待して、期待して──チョコゼロだったやつの気持ち、わかるかよ!!」
客席「わかるぅぅぅうう!!!」
要が吠えるたび、男子たちは拳を突き上げた。
女子たちは呆れつつも、少し笑っていた。
そして、司会が静かにマイクを取る。
「では、陽咲側から……最後に一人。我らが恋神こと佐倉くん、コメントをお願いします」
「えっ!?オレっ!?」
「恋神さまだ。」
「ありがたや。」
数名の男子生徒が手を合わせて神に祈りを捧げている。
湊は驚きつつも目を見開き、それからゆっくりとマイクを手に取った。
「……本命か義理かって、たしかに“わからない”ものかもしれません」
「でも……誰かの優しさに、“もしかして”って思うのは、悪いことじゃないと思うんです」
「本命じゃなかったとしても、その気持ちに“ありがとう”って返せるような……そういう男でいたい、って思います」
男子たちは静かになり、女子たちも息を呑んでいた。
──そして、ひとりの少女が、そっと立ち上がる。
瑠璃だった。
マイクを手にした彼女は、ほんの少しだけ目を伏せ、
それから前を見据えた。
「わたし……“義理”とか“本命”とか、まだよく分からないけど」
「誰かのことを考えながら、チョコを作る時間って……とても、あったかいなって思いました」
会場が、しん……と静まり返る。
「その人の笑顔を想像したり、喜んでくれるかなって思ったり……
そんなふうに誰かのことを想える気持ちは……たとえそれが“義理”でも、“恋”じゃなくても……」
「“大切”って、言っていいんじゃないかなって」
「……」
観客席の男子も女子も、なぜか顔を赤らめて、口をつぐんで──
沈黙。
──そして、どこからともなく聞こえてきた。
「……尊い……」
「椎名さん、尊い……」
「恋って……尊い……」
次々に上がる「尊いコール」。
湊は目を丸くして、瑠璃のほうを見る。
彼女は少し照れながらも、まっすぐ彼を見返していた。
──議論は、勝敗ではなく「尊さ」で幕を閉じた。
会場が拍手に包まれる中、湊の胸には、言いようのない温かさが残っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、男子校×女子校合同の一大イベント──「如月贈菓祭」の開幕編をお届けしました。
男子たちのピュアすぎる叫び。
女子たちのリアルな葛藤。
そして、瑠璃の勇気と、湊の一歩。
「義理」と「本命」の境界線なんて、きっと最初から明確には存在しなくて。
それでも、誰かのことを思って作ったチョコや言葉には、ちゃんと気持ちが詰まっていて──
その“あたたかさ”こそが、恋のはじまりなのかもしれません。
なお、次回はいよいよ「チョコの受け渡し」へ!
果たして湊と瑠璃は、ちゃんと想いを伝えられるのか?
そして、尊いだけでは終わらせない、恋の戦いが始まります。
どうぞ次回も、お楽しみに!




