第二十五話 如月贈菓祭
──これは、恋とチョコと混沌の物語である。
遥か昔。
バレンタインという文化がこの国に伝来したとき──
陽咲男子高等学校の初代校長・一条誠十郎はこう言ったという。
「バレンタインにチョコをもらえぬ男子校こそ、不憫の極みである!!」
涙ながらに訴えたその叫びは、当時の教育委員会をも動かし、
彼は隣接する椿ヶ丘女子学園と「二月十四日の合同授業」を定めた。
その名も──
如月贈菓祭。
甘く切ない伝説の幕が、今年もまた上がろうとしていた──。
* * *
──陽咲男子校、朝のホームルーム。
「えー……今年も、“如月贈菓祭”が執り行われます」
無表情の担任の一言に、クラス中がどよめいた。
「来たぁあああああああああああ!!」
「我が青春に一片の悔いなし!!」
「その日こそ……運命の日……!」
ざわつく男子たちに向けて、スピーカーから流れ出すのは、毎年恒例の伝統放送──初代校長の式辞録音だった。
『男子たるもの──チョコひとつ貰えぬまま、卒業することなかれッ!!』
『愛とはチョコに始まり、チョコに終わる。ゆえにチョコは尊し!!』
「うおおおお校長おおおおおお!!!」
誰かが涙を流しながら叫ぶ。
教室中に立ち込めるのは、“青春”と“血糖値の期待”の匂い。
「はっきり言っておくが、あくまで“授業”だぞ」
担任は冷静だった。
だが、その後に読み上げられたプログラム内容は、もはやお祭り騒ぎ。
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【如月贈菓祭・プログラム】
1.男女代表者によるパネルディスカッション
テーマ:「義理と本命における、男女間認識格差の是正」
2.男女混合ペアによるお菓子作り実習
テーマ:「甘さの定義と表現に関する文化的考察」
※パートナーは当日抽選制。
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「もはや祭りだな」
「文化祭じゃん」
「本命チョコもらえる可能性あるの!?」
「ない」
そして、HRが終わったあとの廊下には──毎年恒例の、都市伝説が流れ始めていた。
「知ってるか? あの校長像にチョコバーを奉納すると……チョコ運が上がるんだぜ……!」
「去年それ信じて、五本も捧げてたヤツいたよな……」
「チョコはゼロだったらしい」
* * *
──昼休み。
湊は、自販機の前でジュースを買いながら、どこか浮ついた空気を感じていた。
(……別に、オレには関係ないよな)
今年も、チョコのことなんて期待してない。
イベントはイベント。浮かれる必要なんて──
《……あなたにとっては“関係ない祭り”かもしれませんが、恋愛戦線では最大級の戦火です》
「うわっ!……いきなり出てくんなよ、AICO」
《そのように“平常心”を装っておられるわりには、スマホ画面を二十二秒に一度確認していますね》
《観察ログから判断するに──どうせ“椎名瑠璃さん”からのチョコを期待しているのでしょう?》
「ち、ちがうし……! べつに、そういうんじゃ」
(……いや、でも、もしかしたら。
ほんの少しだけ……期待してるのかも、しれない)
AICOの声が、わずかにトーンを落とす。
《……人間の“期待”という感情は、最も不安定な希望のひとつです。
しかし、同時に、恋愛においては最も“前進の兆し”でもあります》
「……それって、フォロー?」
《判断はお任せします》
ぽつりと、彼女──いや、AICOの声が消える。
* * *
──放課後の屋上では、数人ずつの男子が集まり、チョコ獲得の作戦会議が自然発生的にあちこちで行われている。
「ペア抽選ってことは、確率を最大化するには“空気を読む力”がいる!」
「チョコもらうには、“義理でも嬉しい顔選手権”でアピるしかない!」
「俺、前世チョコだったかもしれん」
そんな中、屋上の一角に集うのは──湊、陽翔、要、純のいつもの四人組。
「よし……まず作戦名を決めようか」
と、妙にやる気に満ちたのは大河原要。
「えっ、作戦名いる!?」
と、ドン引きしたのは陽翔。
「いる。なぜならこれは戦争だからだ。チョコの戦。いわばショコラ・ウォーズ」
「ダサっ!? そして言うほど戦う価値ある!? どうせ義理だろ!?」
「それでも……! その“義理”すら掴めないのが男子校のリアルなんだよ!」
「名言っぽく言うのやめろや……」
その横で、純が小声でぽつり。
「……でも、あの、抽選ペアとかって、こう、知らない女子と当たったら……緊張、するよね……」
「純、おまえ絶対顔真っ赤になるやつじゃん」
陽翔がニヤニヤと肘でつつく。
「う……そ、そんなこと……」
湊はそのやりとりを黙って聞いていたが、ふと呟く。
「……みんな、本気でチョコ欲しいんだな」
「当たり前だろ!!!」
全員が即答。
「この一週間の努力と工夫と妄想が、すべて“二月十四日”に結実するのだ!」
「要、妄想はいらんだろ」
「……でも、さ。実際、チョコくれそうな女子なんて、いるのか?」
「いる」
即答したのは要だった。ドヤ顔で腕を組む。
「名も知らぬ、椿ヶ丘の乙女たちだ」
「いや、それ誰? なにそのファンタジー」
「“義理チョコを配るのが趣味”なタイプ。“手作り大量生産型”がいるって、去年先輩が言ってた」
「たまに本命っぽいラッピングで義理混ぜてくる子もいるらしいよ……」
と純。
「その“ラッピング詐欺”で俺ら男子は何度裏切られたことか……」
「はー……やっぱラブコメの主人公にならんと、チョコもらえんのかな」
と、陽翔がつぶやいたそのとき──
要がバンッと机を叩く(なぜか持参した)。
「だからこそ我々はこのチームで挑む! 名付けて──」
『義理でもいいからチョコください作戦(通称:GGC)』!!
「……語感がもう、惨めすぎる」
「……GCKじゃなくて?」
「ノンノン。GGCのほうが語感がチョコっぽくてかわいいだろ!」
「……GGC……ぎりぎりチョコ……」
「ギリギリ感、すごっ!」
「逆に好感度上がると思うんだよな……! 健気で、応援したくなる感じで」
「じゃあ、成功したらチョコくれた女子に“幸せのチョコ返し”しよう。倍返し」
「バレンタイン返礼率、高すぎ問題……!」
そんなわちゃわちゃしたやりとりの中──
湊のスマホが振動した。
ディスプレイには、椎名瑠璃の名前。
「……今年も、あのイベント、あるんだね」
そのメッセージに、湊は一瞬、黙って見つめ──
そして、小さく笑った。
(……うん、オレはオレで。伝えたいこと、伝えよう)
「おい湊、聞いてた? 俺らの作戦、GGC!」
「ごめん。ちょっと今、“本命と義理のはざま”について考えてた」
「……急に、主人公みたいなセリフやめてくんない!?」
屋上の空は、少しずつ夕陽に染まりはじめていた。
《……さて。人間たちの恋の戦争、どうなりますかね──観測、継続します》
本命チョコを渡す、それは恋する乙女にとって最大の勇気。
次回──緊急招集!勇気会議




