第二十四話 ホントのキミ
──椿ヶ丘女子学園放課後の教室。
窓から差し込む淡い光が、机の上のスマホをぼんやり照らしている。
【高台、来られる?】──湊からのメッセージは、まだ開かずに残っていた。
椎名瑠璃は、それをただ見つめていた。
けれど、画面をタップする指は、わずかに揺れていた。
(……こんなことで迷うなんて、わたしらしくない)
自分で自分を叱るように、心の中でそう呟く。
だけど──“らしさ”って、いったい何だろう。
ちゃんとしなきゃいけない。
生徒会長だから、姉だから。
……母親がいないぶん、母親の代わりにもならなきゃいけない。
誰かに頼られるような人でいなきゃいけない。
そうやって肩に背負い続けてきた“べき論”が、ずっと心の奥に残っている。
だからこそ、何度も人に“弱さ”を見せる機会を逃してきた。
何度も、本音をしまってきた。
──でも。
(佐倉くんといると、少しずつ……ほぐれていくのが、わかる)
忘れかけていた、普通の女の子みたいな笑顔。
誰かと一緒にいて、心があたたかくなる時間。
──あの日、クリスマスの日。
一緒に笑いながら、歩いた。
あの時間が、確かにそこにあった。
そんな瑠璃のそばに、静かに椅子を引いて座る影がひとつ。
「瑠璃」
隣から聞こえる声に、はっと顔を上げる。
橘あかりが、真っ直ぐな目でこちらを見ていた。
「……迷ってるなら、行っておいでよ」
「……え?」
「ほら、それ」
あかりは瑠璃のスマホを顎でさす。
「佐倉くんからでしょ? 高台……って、あの場所でしょ」
瑠璃は、答えなかった。
でも目を伏せるその仕草が、すべてを物語っていた。
あかりは少し笑って、それからぽつりと呟いた。
「ねぇ……瑠璃ってさ、ほんとすごい人だよ」
「……どうしたの?急に…」
「中学の頃からずっと。お母さんが亡くなっても、泣き言ひとつ言わなかった。
それどころか、みんなに尊敬されるような人になった。生徒会長になって、家でもしっかり者で……」
言葉を区切り、あかりはそっと続けた。
「でもね、わたし、ずっと心配してたんだよ。
瑠璃がいつか、壊れちゃうんじゃないかって。
“完璧でいなきゃいけない”って思い続けてる瑠璃が、無理してないかって」
その声は、静かだった。
だけど、芯のある優しさが、そこにはあった。
「……そんな瑠璃がさ。クリスマスの日にさ、佐倉くんとデートしてきたって聞いたとき──」
「えっ!? なんで知って……」
「見た目より、わたし察する女なんだよ。……あと、他にも証言者が数名」
くすっと笑って、あかりは続けた。
「そのときの瑠璃、ほんとに楽しそうだったんだって。すっごく自然でさ。
あ、こういうの、いいなぁって思った」
「…………」
「だから、行ってきな。行きたいって思うなら。
弱いとこも、甘えたいとこも、少しくらい見せたって、いいんだよ?」
ぽん、と肩に手が置かれた。
それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
言葉じゃなく、伝わる気持ちが、そこにはあった。
瑠璃はスマホに視線を戻す。
指が、そっと動いた。
──【うん、行く】。
たったそれだけの返信。
でも、その一言に、たくさんの決意が詰まっていた。
「……ありがとう、あかり」
「いいって。……あとでお礼にアイス奢って」
「……やっぱやめようかな」
「ダメーっ!」
ふたりの笑い声が、夕暮れの教室に小さく響いた。
背中を押された想いが、たしかに“進む力”になっていく。
──高台。
夕陽が傾き、空の色が少しずつ変わっていく。
高台に続く坂道の下に瑠璃の姿を確認した湊は決意したように言った。
「AICO作戦通りに頼むよ」
《はい。心得ております。》
湊の隣に座った瑠璃は、制服の袖をぎゅっと握っていた。
沈黙が、しばらく流れる。
やがて、湊がそっと言葉をこぼす。
「……椎名さん。この前、たまたま葵くんと会って教えてもらったんだ……お母さんのことや、お家のこととか」
「……そう」
瑠璃は目を伏せる。
「……ごめんね。迷惑掛けて……」
「……違うよ。知れてよかったって、思ってる」
その言葉に、瑠璃がわずかに目を見開いた。
「でもさ、それでも──」
湊は小さく息を吸う。
「……それだけじゃ、足りないんだ」
「え?」
「葵くんから聞いたことだけじゃ、“椎名さんのこと”全部はわからないから。……だから、教えてくれる?」
湊はまっすぐに、瑠璃を見る。
「君自身の言葉で──椎名さんのこと。ちゃんと、知りたいんだ」
「…………」
風がそっと吹いた。
瑠璃は、少しだけ瞳を伏せて、静かに口を開く。
「……母が亡くなってから、ずっと“ちゃんとしなきゃ”って思ってた。父の期待に応えようとするたびに、“強い子でいなきゃ”って、演じてたの」
「…………」
「泣きたくても、泣けなかった。葵の前では、特に。……わたしが泣いたら、あの子が壊れちゃう気がして」
「……そっか」
「家でも、学校でも……ちゃんとしてなきゃ、信頼されなきゃ、人に頼られなきゃって。気づけば、自分がどうしたいかなんて、考えられなくなってた」
瑠璃の声は震えてはいない。
でも、その奥には、ずっと押し込めていた気持ちが宿っていた。
そして、ぽつりと笑う。
「でもね……佐倉くんといると、なんか、ちゃんと“わたし”として見てくれてる気がするの。
“姉”とか“生徒会長”じゃなくて……ちゃんと、ひとりの人間として」
湊は何も言わなかった。
けれど、その視線は、まっすぐ彼女の心に向いていた。
瑠璃がぽつりと漏らす。
「……母がね、いつも言ってた。“自由に生きていいのよ”って。でも、わたし……その意味、ずっとわからなかったの。自由に生きるって、どうすればよかったのか、わからなくて……」
その言葉に、湊は静かにうなずく。
「……わかるよ、怖いよな。自由って、意外と難しい。でもさ──」
そっと、彼は言葉を継ぐ。
「きっと、お母さんは……“自分を縛らなくていいよ”って、言いたかったんじゃないかな。生徒会長だから、とか、姉だから、とかじゃなくて──椎名さん自身が“どうしたいか”を、大事にしてほしかったんだと思う」
瑠璃が、目を見開く。
湊は、続けた。
「だから、俺が代わりに言うよ」
「……え?」
「自由に生きていいんだよ、椎名さん──」
一瞬、風が通り抜けた。
目を伏せた瑠璃の瞳が、じんわりと潤んでいた。
「……うん、ありがと……佐倉くん」
その瞬間、瑠璃は耐えきれずに顔を背け、大粒の涙を頬にあふれさせた。
「……っ……わたし、ずっと……」
声にならない嗚咽が漏れる。瑠璃は小さく震えながら、そのまま崩れ落ちるように湊に抱きついた。
しばらく、ふたりの間を静かな時間が包んだ。
「ご、ごめん……変なとこ、見せちゃって……」
「変じゃないよ。オレは強さも、弱さも、涙も──ぜんぶ含めて、本当のキミを知りたい。だから、これから教えてくれる? 椎名さんのこと」
沈黙が、数秒だけ流れる。
それから──
「……湊くん」
不意に、名前を呼ばれた。
思わず顔を上げると、瑠璃が恥ずかしそうに、けれどちゃんとこちらを見ていた。
「……あのね、さっき、呼び方変えてみたくなったの」
「……あ、うん」
心臓が一気に跳ねるのを感じる。
「これからは、こっちのほうが……いいなって、思って」
「……」
湊は一瞬、言おうとして、
「……じゃあ、オレも……“る”……いや、やっぱ今はまだやめとく」
結局目を逸らしてしまった。
「……えー!どうして?」
「いや、ちょっと……れ…練習しとく──」
「……ふふっ」
肩をすくめる湊に、瑠璃がくすっと笑う。
「じゃあ、また今度ね。“呼んでくれる日”を、楽しみにしてる」
「……プレッシャーかけないでよ」
「ううん。ごほうび、にしとく」
夕暮れの風が、ふたりの距離を、そっと包んでいた。
《まさか恋愛支援AIの私が、“黙って見守る”ことが作戦だなんて……でも、あのふたりなら、きっと正解だったのですね…》
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます!
連載も気づけば二十四話目。読んでくださる方のおかげで、作品はここまで続けてこられました。
最近はランキングの順位よりも、毎日読みに来てくださる方が少しずつ増えていて、それが本当に嬉しいです。
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それでは、また次回もお楽しみに!




