第十二話「それは、恋かもしれない」
《今週、放課後空いてたりする?》
「……これって、誘われたってことでいいのか?」
自問するように呟いた声に、すかさず画面から返ってくるのは——
《ピコン☆ せいかいっ!》
現れたのは、2頭身サイズのマスコット風AI、AICO Ver.2.0(ウザかわ幼女モード)。
《これはね〜♡ フツーに おさそいだよ〜!》
「……うわ、来たか……」
湊が呟くと、AICOはニヤニヤしながら空中をくるくる回転する。
《う〜ん♡ これはもう セカンドデート ってやつですなぁ〜☆》
「ちょっと待って、デートって……そんな大層なもんじゃないだろ。放課後だし、どこ行くのかわかんないけど……」
《ほうかご♡ ふたりきり♡ ぜんぶ あいのフラグたてなおしだよ!》
「いや、たてなおしってなんだよ……」
慌てる湊の耳元に、さらに冷ややかな声が飛んできた。
「……にやけてる」
扉にもたれていたのは、妹の佐倉美優。湊のスマホ画面をちらっと見ると、すぐに察したらしい。
「今度は兄さんからじゃなくて、向こうから来たんだ」
「う、うん……まあ、そうだけど」
「で、返事は?」
「もうしたよ。『空いてるよ』って」
「ふぅん。兄さんにしては素直じゃん。進歩だね」
さらっと言いながら、部屋に入りこんでくる美優。AICOをちらっと見やると、ため息をついた。
《ちなみに♡ てんさいAIの わたしとしては! このデート♡ けっこう おおごとだと おもってまーす☆》
「大ごと……って?」
《これ、たぶん、しーちゃんの“おためしフェーズ”♡》
「試されてるってことか?」
《うん♡ “この人と一緒にいても大丈夫か”って、かくにんちゅう♡》
言われてみれば、最初のデートは湊からの誘い。今回は椎名さんから。
彼女なりに、何か確かめたいことがあるのかもしれない。
「……だったら、変なやつだって思われたくないな……」
「なら、無理しないで。いつもの兄さんでいなよ」
「え……?」
「変に背伸びしても、バレるだけでしょ。素の自分で勝負しなよ」
「……それ、フォローになってる?」
「さあ? でも、案外その“変なとこ”がウケるかもよ?」
《おにーちゃん、きあいだよーっ♡》
AICOが謎のエフェクトを撒き散らしながら叫ぶ。
美優はふっ、と笑って、ドアの外へ出ていった。
「ま、がんばって」
言い残して閉じられるドア。
湊は布団に顔を埋め、しばらく天井を見つめたあと、スマホを握りしめた。
次の約束が、楽しみになっていた。
***
放課後。待ち合わせ場所の駅前ロータリー。
「……お待たせ!」
「あ、来てくれてありがとう。佐倉くん」
手を小さく振る椎名は、制服の上にカーディガンを羽織っていた。
きっちりした印象の彼女が、どこか少しラフな姿をしているのが新鮮で、湊は一瞬だけ目をそらした。
「うん。全然、大丈夫」
「じゃ、行こっか。駅前にできた紅茶の専門店……知ってる?」
「うん。クラスのやつらが言ってた。なんかすごいオシャレらしい」
「ふふ、じゃあお手並み拝見ってとこだね」
椎名の笑顔は、なんだかいつもより柔らかく見えた。
***
紅茶専門店『ル・クラシック』。
店内には、木と白を基調にした落ち着いた空間が広がっていた。
棚には世界中から集めたという茶葉の缶や、アンティーク調のティーカップが並び、壁際には静かにクラシックが流れている。
「なんか……女の子が好きそうな店だね」
「うん、でも男子が一緒に来てくれるのって、わりと嬉しいよ?」
そう言って、椎名は紅茶のメニューを開いた。
湊も続けて開いてみたが──その名前の難解さに思わず眉をひそめる。
「……え、なにこれ。読めないんだけど」
「ふふ。ダージリンやアッサムは有名だよね。こっちはウバ、ヌワラエリヤ……これはスリランカの紅茶だったかな」
「……やっぱ椎名さん、詳しいな」
「お母さんが紅茶好きで、家にもいっぱいあるの。自然と覚えちゃった」
「あ、なるほど……それ、メモしとこう」
湊はスマホを取り出して、紅茶の名前をメモに打ち込んだ。
すると、椎名がちょっと驚いたように笑った。
「え、なに、覚えてくれるの?」
「え? あ……いや、勉強しようかなって?」
「ふふ、そっか」
……なんだろう。
椎名さんは、さっきから楽しそうに笑っている。
距離が近いわけでも、恋人っぽいわけでもない。でも──
(なんか……いいな、こういうの)
ふと視線を落とすと、椎名はティーカップをゆっくり傾けていた。
華奢な指先と、口元に浮かぶ微笑み。
そのどれもが、なぜか目に焼き付いて離れなかった。
***
雑貨屋さんに立ち寄ったのは、紅茶専門店を出たあとだった。
「この近くに、面白い雑貨屋さんがあるの。ちょっと寄ってみてもいい?」
「うん、いいよ」
店内には、ハンドメイドの小物や茶葉缶、マグカップ、香りのついた文具やリネンまで並んでいて、湊は少し戸惑った。
だが椎名は、目を輝かせて棚を覗き込んでいた。
「わ、これ見て。かわいい……! 紅茶のティーバッグと、ハーブの入浴剤のセットだって」
「へえ……女子って、こういうの好きなの?」
「うーん、私は好き。贈り物にもいいよね。誰かが好きなものを選ぶのって、楽しいから」
(──“好きなものを選ぶのって、楽しい”。)
その言葉を聞いた瞬間、ふと、頭の中で──あの声がよみがえった。
《……ほんとうの“すき”はね、あいての“すき”を たいせつに おもうことから はじまるの》
AICOの言葉が思い起こされた。
(あいての“すき”を大切に思うこと……)
(それが──“好き”の始まり?)
湊は、そっと椎名の横顔を見た。
棚に並ぶマグカップを見比べながら、小さく首をかしげている。
この人と話してると、もっと知りたくなる。
紅茶のことも、椎名さんのことも──
ただ楽しいだけじゃない。
何か、自分が変われる気がする。
(……これが、“好き”ってことなのかな)
胸が、ほんの少し熱くなった。
「佐倉くん。こっちの色、似合いそうかも」
椎名が差し出したのは、青い陶器のティーカップ。
湊はそれを見て、素直に笑った。
「うん。椎名さんっぽい」
「え、私? どこが?」
「落ち着いてて……でも、やわらかい感じ」
「ふふ。じゃあ、これ選んでみようかな」
嬉しそうに頷いた椎名を見て、湊は気づかぬうちに、口角が上がっていた。
***
駅までの帰り道。
日は少しずつ傾き、オレンジ色の光が歩道を照らしている。
「……今日は、ありがとう。付き合ってもらっちゃって」
「ううん、楽しかったよ。こっちこそ、誘ってくれてありがとう」
並んで歩くふたりの足取りは、行きよりも少しだけゆっくりだった。
駅までは、もうあと少し──そう思うと、なんだかもったいなく感じてしまう。
「そういえば……」
椎名が、ふと立ち止まった。
「うん?」
「さっきの雑貨屋さんで、佐倉くん、紅茶の名前いろいろメモしてたでしょ?」
「ああ……うん。なんか、椎名さんが好きなもの、ちゃんと覚えておきたくて」
一瞬の沈黙。
そのあと、椎名は照れたように、でも嬉しそうに微笑んだ。
「……そっか。なんか、それだけで、十分プレゼントもらった気分」
「え? いや、でも何も渡してないし」
「気持ちって、ちゃんと伝わるよ。佐倉くんって、まっすぐだね」
その一言に、湊の心が小さく跳ねた。
椎名の言葉は、まっすぐで、あたたかくて。
どこか、自分を肯定してくれるみたいだった。
ほんの少しの沈黙。
でもその沈黙が、心地よく感じる。
「じゃあ、そろそろ行こうか。電車、すぐ来ちゃいそう」
「うん」
改札前。自動ドアの前で、ふたりは足を止めた。
「また、どこか行けたらいいね」
椎名が言ったその瞬間、電車の到着アナウンスが流れた。
「うん。……また誘って」
「うん、じゃあ……またね」
笑顔で手を振って、椎名は自動改札を通り抜けていった。
湊はその後ろ姿を、しばらく見送っていた。
***
帰宅後。部屋のドアを閉めた瞬間、湊はどっとベッドに倒れ込んだ。
「……つかれた……けど……」
天井を見上げて、ゆっくり息をつく。
心臓が、ずっと走りっぱなしだったみたいにドクドク鳴っている。
頭の中では、椎名の笑った顔がリピート再生されていた。
紅茶専門店で話したこと。
雑貨屋で湊が選んだギフトに、椎名が「嬉しい」って言ってくれたこと。
駅までの帰り道。沈黙も、会話も、全部が心地よかった。
「……なんなんだよ、これ……」
自分が自分じゃないみたいだ。
けど、それが嫌じゃない。むしろ──
「この人と一緒にいると、変われる気がする」
ぽつりと、湊が呟いた。
──そのときだった。
《おつかれ、ゆうしゃくん♡》
枕元に置いていたスマホが、勝手に起動する。
AICOのアイコンが、ぴょこっと現れた。
「勝手に出るなって言ってるだろ」
《だって、きになるもん♡ デートの けっか☆》
「……まぁ、普通だったよ。話して、歩いて、買い物して……」
《え〜? それだけで こんなに ほっぺ まっかになる〜?♡》
「い、言うな……」
湊はうつぶせに倒れたまま、枕に顔を埋めた。
AICOのディスプレイから《にやにや》のスタンプが飛んでくる。
《で、どうだった?》
「……どうって……」
言いかけて、言葉が止まった。
AICOに言われるまでもなく、自分の中に渦巻いている気持ちはある。
「……ただ楽しいだけじゃなかった。
一緒にいると、自分が前向きになれる気がする。
無理しなくても、頑張りたいって思える。
──だから……この人と、一緒にいたいって思った」
その瞬間。
《──アカシックコード、かくにん》
画面が突然、暗転する。
AICOの目が光り、機械音のような起動音が鳴った。
《コイノシンカ、テイギノカクニン》
「え、ちょ、おい……!」
湊が慌ててスマホを覗き込むと、画面に光の魔法陣のようなものが広がる。
──バージョンアップ、かいし》
一瞬の静寂のあと、爆発音のようなエフェクトが響いた。
そして──画面の中に、AICOの新しい姿が現れる。
中学生くらいの少女のビジュアル。
眼帯、マント、謎の杖……全身から“痛さ”と“中二病”の気配があふれている。
「……え? なにその姿……?」
AICOはゆっくりと顔を上げ、静かに言った。
《我が名は──恋の解放者AICO!》
「え、誰?」
《くっ……封印されし左眼が……疼く……!!
これは貴様の“すき”が、真なる恋へと覚醒した証……!》
「…なんで恋が覚醒して、眼帯なんだよ……」
次回、「聖夜に向けての大作戦」
湊がAICOと挑むのは、愛と混沌のクリスマス・シミュレーション!?
「好き」は、戦略で伝えられるのか。
一方、男子校にも迫る魔のイベント・クリスマス。
陽翔の提案で、男子たちが動き出す──
デートのお誘いから、感情の自覚、そしてAICOのバージョンアップ──
湊にとって大きな一歩になった第十二話、いかがでしたか?
Ver.3となったAICOは、恋愛という名の“異能力バトル”を語る厨二病AI。
湊の前には、次なる大きなイベント・クリスマスが迫っています。
ふたりの関係は進むのか、それとも……!?
次回もお楽しみに!




