第十話 湊、そして伝説へ
画面がフェードアウトし、部屋に静けさが戻る。
湊は椅子にもたれたまま、もう一度天井を見上げた。
──少しずつ変わっていく時間。
椎名さんと過ごした一日。
そして、AICOの言葉。
全部が、頭の中をぐるぐると巡っていた。
「……ちょっと、落ち着こう」
立ち上がって服を着替え、ベッドにダイブ。
スマホを手に取り、さっき届いたメッセージを開く。
「今日はありがとう。またね」
(……やべえ)
顔が勝手にゆるむ。
さっきまで一緒にいたのに、もう「また」って言葉が嬉しくてしかたない。
でもその直後、ふと疑問が湧いた。
「……え、俺これ、何なんだ?」
言葉にした瞬間、胸の中が急にざわざわし始める。
楽しかった。嬉しかった。もっと話したかった。
でも、それって──
「これが、“好き”ってやつなのか? でも、“好き”って、どんな気持ちのことを言うんだ?」
問いに答えるように、再びスマホが光った。
《みなとくんっ、もっかい とうじょう〜っ☆》
AICOだ。
ピンクのワンピース姿で、画面の中から元気に跳ねて現れる。
《それはねー、“しゅきしゅき”になる じゅんびだよ〜♪》
「いや、説明になってない……」
思わず笑ってしまう。けど、AICOはそこから真面目なモードに切り替わる。
《じゃあ、しつもんっ! その きもちは、“かのじょを まもりたい”って おもうきもち?》
《それとも、“もっと しりたい”って おもうきもち?》
俺は黙ったまま、スマホの画面を見つめた。
守りたい。知りたい。
どちらも、思い当たる。
だけど、それだけで「好き」って言えるのか──まだ分からない。
「……わかんねえな、まだ」
《うんっ! いまはそれで だいせいかいっ♪》
AICOが画面の中でふんわりと笑う。
《“しゅき”はね、いっしょに すごすじかんの なかで、すこしずつ そだってくんだよ〜♡》
布団に顔を沈めながら、俺はその言葉を反芻する。
少しずつ育っていく感情。
その「途中」にいる今が、案外悪くないと思えた。
* * *
翌朝。
佐倉湊は、いつも通り登校した──はずだった。
「……なんか視線、多くないか?」
下駄箱で上履きを履いたとたん、廊下の空気がざわついているのを感じた。
教室の前に着くと──
「帰ってきた……」
「ついに伝説が動いたぞ……!」
「男子校の歴史が、また1ページ……ッ!」
……謎の静寂。そして、ざわめき。
何かの祭壇でもあるかのように、俺の机には花とメモとチョコバーが供えられていた。
「え、え? 俺、死んだ? いや、生きてるけど?」
「さあさあ! 皆の者、頭が高いぞ!」
壇上に立ったのは、クラスの情報屋・陽翔だった。
「恋の戦場にて華々しく勝利をおさめし、我らが勇者の帰還じゃああああ!!」
「……陽翔おまえええええ!!」
グルチャのスクショをAICO宛てに送ったら、なぜかクラスの共有フォルダに流れていて、全員にバレたらしい。
「AICO宛てにグルチャのスクショ送るなよ!!」
クラスは爆笑の渦。
俺の顔が真っ赤になったそのとき──
「さあ、勇者を導いた知恵の女神に、三礼!!」
陽翔の号令とともに、クラス全員がスマホを掲げる。
「「「AICO様に──三礼ッ!!」」」
一礼! 二礼! 三礼ッ!
「バカかこの学校ォォォ!!!」
叫ぶ湊を、クラス全員が温かく(?)笑いで包む。
「──この男子校、めっちゃ楽しいな……」
俺はあきれながらも、どこか照れくさそうに笑った。
そして──その日のホームルーム。
「勇者よ、壇上に立てッ!」
担任の先生も笑って見守る中、俺はしぶしぶ教壇に立つ。
その瞬間──
「彼は伝説になった……ッ!!」
クラス全員が立ち上がり、
「「「佐倉、勇者ァァァアアア!!!!」」」
拳を突き上げ、平伏し、拍手喝采。
俺はもう頭を抱えながら、笑うしかなかった。
「……まったく、こいつらほんとバカだ」
でも、
──こんなふうに祝ってくれる仲間がいるのは、
やっぱり、ちょっとだけ嬉しかった。
* * *
放課後、教室には夕陽が差し込んでいた。
椎名瑠璃は、窓際の席に座ったままスマホを手にしていた。
画面に浮かぶのは、湊とのメッセージのやり取り。
小さく笑って、それからすぐにその表情を消す。
(……ちゃんと、楽しかったんだよ。すごく)
でも、なんだろう。
楽しさのあとに残ったこの気持ちは──少し、胸が苦しくなる。
「なに見てるの〜?」
明るい声とともに、隣の席にひょいっと座ってきたのは、
親友の橘あかりだった。
「で、で、で! 昨日の話聞かせてもらいますよ〜? 椎名さ〜ん!」
「もう……そんなにたいした話じゃないってば」
「うわ出た、“たいしたことない”って言うやつほど深いやつじゃん」
「普通に……楽しかったよ。いろいろ話せたし」
「“普通に”って便利な言葉だよね〜。絶対“普通”じゃなかったやつだ」
「うるさいな……」
「で、さ。好きなの? その佐倉くんのこと」
「──え?」
あまりにストレートな言葉に、胸がきゅっとなる。
わかってた。あかりがそう聞いてくるのも、自分の気持ちも。
でも、「好き」と言葉にするには、まだ怖い。
「……ううん。たぶん、まだわからない」
「けど、また会いたいって思ってる?」
……その問いに、今度は少しだけ微笑みながらうなずいた。
「……うん。今度は、私からも誘ってみたいなって」
「よっしゃ来た! 恋のステージ、ひとつレベルアップ〜!」
あかりが両手を挙げて盛り上がる。椎名は笑って、肩をすくめた。
──「好き」って気持ちかどうかは、まだ分からない。
でも、心のどこかで──そうかもしれないって、思い始めてる。
でも、それを言葉にするには、もう少し時間が欲しい。
もうちょっとだけ。
この気持ちを、自分の中で育ててみたいと思った。
* * *
帰宅した俺は制服のままベッドにダイブする。
スマホの画面が揺れて、ホームに並ぶAICOのアイコンが目に入った。
「……疲れた」
《おつかれさま〜☆ 伝説のゆーしゃくんっ♡》
起動と同時に、AICOのボイスと共にまたもやド派手な演出。
画面の中ではアイドル風衣装のAICOがステージに立ち、スポットライトを浴びていた。
《さぁっ、れんあいレッスン、ステージ2をかいししますっ☆》
「……おまえ、いつの間にその衣装着たんだよ」
《これ? “伝説をつづける者”用コスちゅーむだよ♡》
《でねでねっ、きょうからのミッションは〜〜〜っ!》
【新ミッション】
《“すき”の気もちを育てるには、あいての“すき”をしらなきゃだめ!》
ミッションタイトル:【シーナさんの『すき』を探せ!】
「……は?」
《おにいちゃんが“しゅきしゅき”になっていくには〜? しーなさんの“すき”を知るのが、いちばんの近道☆》
《すきなたべもの、すきな本、すきな服、すきなうた──》
「そんなの、まだ全然……てか、俺の“すき”も分かってないのに」
《だから〜っ、いっしょに育てるんでしょ?♡》
AICOはカメラ目線でウインクし、画面いっぱいにハートをばらまいた。
けれど次の瞬間、ふとAICOの表情が、少しだけやわらかくなる。
《……ほんとうの“すき”はね、あいての“すき”を たいせつに おもうことから はじまるの》
《しーなさんが なにをすきか、どんなことでわらうか──それを しりたいって おもうの、すっごく だいじだよ?》
その言葉に、俺はスマホを見つめたまま、少し黙る。
やがて、ぽつりと呟いた。
「……知りたい、な」
声に出してみて、気づく。
自分の中に、たしかに芽生えている感情の存在を。
──“好き”って気持ちが何なのかは、まだ分からないけど。
──“知りたい”って思ったのは、確かだ。
画面の中のAICOが、にこっと笑った。
《じゃあ、いっしょに しらべよっ☆ “すき”のたね、みつけにいこーね♪》
ポップアップが再び光り、新たなミッションが開始される。
俺はスマホを胸に乗せ、天井を見上げた。
心の中に、少しずつ、でも確実に、何かが育っている気がした。
【次回予告】
《おにいちゃん、しってる〜?》
《せかいには──「兄より すぐれた 妹」って いるんだよ♡》
次回、『兄より優れた妹は……存在する』
《おまえはもう…… よみかえしてる☆(どやぁ)》
ここまで読んでくれて、ありがとうございます!
今回は湊くんの「まだ分からない“好き”」を描きつつ、
個人的には“勇者・湊”が爆誕するところ、めちゃくちゃ楽しく書けました(笑)
男子校ノリ全開なシーンも、椎名さんとのやりとりも、今後に続いていきます。
よければ、ブクマや評価で応援してもらえる拳を突き上げて昇天します!
このネタ年齢バレるな……
それではまた次回!
──なぐもん




