第九話 初デート! ジムリーダー・シーナに いどめ!
スマホの通知は、少し前に気づいていた。
画面の下の方に、「佐倉 湊」からのメッセージ。
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こんにちは。文化祭の日、ほんとにありがとう。
あれから、なんとなくまた話せたらいいなって思ってました。
よかったら、今度どっかでちょっとだけお茶でもどうですか?
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文面は、やさしくて、素直で。
でも──椎名瑠璃には、少しだけ重く感じられた。
「……どう返せばいいんだろう」
電車の中、制服のポケットにスマホをしまいかけては、また取り出して。
通知だけ見て、画面を閉じる。それをもう、何度繰り返したか分からない。
返信しなきゃいけないことは、ちゃんと分かっていた。
でも、「ありがとう」「いいよ」って打とうとするたびに、
どこかで指が止まってしまう。
──男の子と、ふたりで出かけるって、どんな気持ちで受けたらいいんだろう。
気づけば、もう丸一日が過ぎていた。
そのことを話せる人は、ただひとり。
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放課後、図書室の裏手のベンチで、親友の橘あかりに相談する。
「えっ、既読スルーしてんの? やばくない?」
「やばいよね……。でも、どう返せばいいか分からなくて……」
「そっか。……まさか、ルリが“返信悩む側”になるとは思わなかったな〜」
冗談めかしたあかりの声に、思わず顔を伏せる。
「うぅ、やっぱり変だよね、わたし」
「変じゃないよ。そう思うってことは……その子のこと、ちゃんと考えてるってことじゃん」
あかりは、膝をぽんっと叩いた。
「でもな〜、深刻に考えすぎると、逆に“気まずい既読スルー”になるからさ? まずは返そ。軽くでいいから」
「軽く……」
「うん、たとえば──“お茶、いいよ。行ってみたいカフェがあるんだ”とか」
それは、不思議としっくりきた。
“断る理由を探す”んじゃなくて、“その気持ちにちょっと寄り添う”だけでいい。
「……うん、ありがと。あかり」
「よし、じゃあ次の休みに作戦決行だね! ルリのデビュー戦、応援してるからっ!」
あかりの“応援”という言葉が、ほんの少しだけ背中を押してくれた。
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そして、当日。
俺は、カフェの最寄り駅に少し早めに着いていた。
「……早すぎたかな」
何度もスマホを確認しては、服を直したり、髪を整えたり。
AICOに「初デートは“爽やか”と“清潔感”のハイブリッドで攻めよ☆」って言われて選んだシャツと、薄手のジャケット。
鏡を見たときは「まあまあ……?」って感じだったけど、今はただただそわそわしてる。
手汗がじっとりにじんできて、ポケットの中でこっそり拭った。
そして──
「おまたせ」
声がして振り返った瞬間、俺の思考が止まった。
グレージュのニットに、深緑のロングスカート。
首元にはベージュのストールが巻かれていて、季節の風をふんわり受けてた。
「し、椎名さん……!」
「そんなに驚かなくても……」
「いや、なんか……すごい、雰囲気ちが……いや、似合ってます」
ぎこちなく、でもまっすぐにそう言った。
椎名さんは少しだけ目を見開いて──
「そっか。……ありがと」
胸が、どくんと跳ねた。
──これ、俺だけが舞い上がってるんじゃないよな?
ほんの小さな“答え”を確かめるみたいに、俺たちは歩き出した。
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静かなカフェの、窓際の席。
木のテーブルには、注文したドリンクとスイーツが並んでいた。
「……あっ、やっぱそっち頼めばよかったかも」
椎名さんが、俺のプレートをちらりと見て笑う。
「え、なんで? そっちのほうが美味しそうに見えるけど」
「うん、美味しいよ? でもそっちは期間限定って書いてたから……ちょっと気になってて」
「えっ、じゃあ……よかったら、交換する?」
「え、いいの? ……じゃあ、半分こしよっか」
ぎこちない。でも、どこかあたたかい空気だった。
スイーツの話から自然と会話が広がって、椎名さんが「方向音痴でよく駅で迷う」って笑えば、俺も「自分もこのカフェ、地図見ても迷った」と返す。
「それで、駅前うろうろしてたの? たぶん、それ私も見てたよ」
「まじか……恥ずかしっ」
「ううん。ちょっと可愛かった」
さらっと、でも確かにそう言われた。
耳がほんのり赤くなっていくのが自分でもわかった。
……バレてないといいけど。
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会話が一段落して、ふたりそろってカップを手に取った。
「……文化祭の日、ありがとう。ほんと、楽しかった」
ちょっと照れくさいけど、俺の気持ちはまっすぐだった。
椎名さんは少し驚いたように目を見開いて、そして頷いた。
「……うん。私も。来てよかったって思ってるよ」
窓の外を流れていく街の風景。
その一瞬だけ、時間が止まった気がした。
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店を出たあとの空気は、少し冷たかった。
でも、日差しはやわらかくて、穏やかな午後だった。
「ねえ、佐倉くん。もし、時間まだあるなら……」
「うん?」
椎名さんが小さく笑う。
「行きたい場所があるんだけど、一緒に行かない?」
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住宅街を抜けて、坂を登る道。
街の喧騒が遠くなっていくのと同時に、俺の緊張もゆっくりとほどけていった。
「……ここ、よく来るの?」
そう聞くと、椎名さんはうん、と頷いた。
「うん。昔から、迷ったときとか、考えたいことがあるとき、ここに来てた」
坂の先にあったのは、街を見渡せる高台。
見晴らしの良い景色と、どこか懐かしい風が、ふたりの間を優しく通り抜けていく。
「……いい場所だね」
「でしょ? でも、今日みたいに誰かと来たの、初めて」
椎名さんはベンチに腰を下ろして、俺を見上げた。
「なんとなく……見せたかったんだ。この景色」
俺も隣に腰かけて、小さく息を吐いた。
「……ありがとう。うれしいよ、そんなふうに言ってくれて」
目の前に広がる光の景色よりも、心に残ったのは──
ほんの少し、距離が近づいた“気持ち”だった。
──誰かと少しずつ距離が縮まっていくのって、悪くないな。
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陽が傾き始めた帰り道。
金色の光が街を照らして、ふたりの影が長く伸びていく。
「……今日は、ほんとにありがとう」
信号待ちのタイミングで、俺はぽつりと口にした。
「椎名さんと、こうやってちゃんと話せて、うれしかった」
「うん。私も……すごく楽しかったよ」
隣を歩く距離が、少し縮まった気がした。
さっきまでの緊張が、少しずつ溶けていく。
「……もうすぐ、冬だね」
椎名さんが空を見上げながら、静かに言った。
「うん。寒くなる前に、またどこか行けたら──」
俺が言いかけたところで、椎名さんがそっと笑った。
「うん。……わたし、誘ってもらえて、ほんとによかったって思ってるから」
その言葉だけで、胸の中があたたかくなった。
──うまく話そうとするよりも。
──正解を選ぼうとするよりも。
“相手を知りたい”って思う気持ちが、一番大事なんだ。
AICOが言ってた“恋の基本”。
今なら、ちょっとだけ分かる気がした。
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部屋に戻った瞬間、スマホから元気な声が飛び出した。
《おかえり〜っ☆ でーと、おつかれさまっ♡》
AICOだ。
起動と同時に、画面の中央にはド派手なピンクのポップアップが開いてた。
【 今日の恋愛ふりかえりシート】
【ミッション:恋の“はじめて”をクリアせよ!】
「おまえ……また変な演出つけて……」
《えへへ〜! だってだってぇ〜? はじめての“デートクリア”だもんっ! これはお祝いしなくっちゃ☆》
AICOがくるくる回りながら、紙吹雪(風のエフェクト)をばらまく。
《で、どうだった? ちゃんと“すきって思える時間”になった?》
「……ああ、うん。楽しかったし、たくさん話せた」
《よっしゃ! ポイント高いねっ☆ それがなにより大事なんだよ〜》
「ポイントとかあんのかよ……」
《あるよぉ! 恋のけいけんちっ♡ これがたまるとね、つぎの“とってもむずかしいミッション”にも挑めるのだ〜!》
苦笑しながら、俺はパソコンの前に座る。
「……今日だけは、ちょっとおまえの言うこと正しかったな」
《え!? なにそれ!? いま、ろくおんした!? このセリフ、メモリに記録しとこ!》
AICOがぴょこぴょこと跳ねながら、ハートマークをばらまいてくる。
《──じゃあ、つぎはどんな“こいのトレーニング”かな〜?☆》
《たのしみにしててねっ、おにいちゃん♡》
画面がフェードアウトして、俺は椅子にもたれかかりながら、天井を見上げた。
……“次”が楽しみになるって、悪くないな。
AICOと椎名さん。
少しずつ変わっていく時間の中で、俺の中にも確かに何かが芽生え始めていた。
──それが「恋」かどうかは、まだ分からないけど。
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【次回予告】
ついに椎名さんとのデートを終えた湊。
こっそり行ったつもりだったのに──
翌朝、教室の扉を開けると……
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「で、出たあああああ!!!」
「勇者様じゃ!!! 伝説の恋人デートを成し遂げし者じゃー!!」
「おんぶしろ! 肩車しろ! なんか担げぇぇ!!」
湊「え、え、えっ!?」
……誰かが漏らした!? 男子校の謎ネットワーク、恐るべし。
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次回、第十話「湊、そして伝説へ。」




