第四十話 声は届かない。でも、聞こえてしまった
土曜日、午後三時半。
球技大会の片付けも終わり、生徒たちは帰り支度を始めていた。
校舎裏のグラウンド脇。
忘れられたバレーボールを探しに来た碧純は、体育倉庫の前で立ち止まった。
なぜなら、中から――“明花の声”が、聞こえたから。
「……わたしだったら、君を選んでた。ずっと、最初から」
(……え?)
耳を疑った。
けれど、次の一言で、それが“夢”でも“想像”でもないと、理解した。
「真壁くん、気づいてる?
わたし、本当は――誰よりも早く、君のこと“好き”になってたんだよ」
その瞬間、碧純の視界が、
白く、霞んだ。
太陽の眩しさでもなく、目に入った汗でもなく。
ただただ、胸の奥が、ギュッと縮まったせいだった。
(……知ってたよ。明花さんが“特別”なの、ずっとわかってた)
(でも、聞きたくなかった。……聞いたら、終わっちゃうって、思ってたのに)
小さな音を立てて、
碧純はその場にしゃがみ込んだ。
グラウンドの土の匂いと、乾いた草の感触。
そして、自分の身体から立ち上る汗のにおいが、鼻をついた。
夏とは違う、秋の汗。
冷えかけた皮膚から、まだほんのりとシャツにこもった体臭が滲んでいた。
その匂いすら、今は――惨めに感じた。
(私、こんなに近くにいるのに……なんで、選ばれないの?)
(“妹”だから? それとも……)
「“妹だから”って、もう甘えないって決めたのに……っ」
小さく、声が漏れた。
誰もいない場所で、涙だけが彼女の返事をしていた。
そのあと。
倉庫の扉が開く音。
碧純は気づかれないように、物陰へ身を寄せた。
出てきたのは、真壁基氏と如月明花。
二人とも、何も言わず、並んで歩いていった。
明花の肩には、うっすらと汗が滲んでいた。
その汗の匂いと、ジャージの生地のすれる音が、
妙に、近くて、遠かった。
(……帰ろう)
碧純は、顔を上げた。
涙は、もう乾いていた。
でも、心の奥のざらつきだけが、なぜかまだ取れなかった。
その夜。
自室でシャワーを浴びたあと、
碧純は髪を乾かしながら、独りごとのように呟いた。
「……“好き”って、
何回言えば、届くの?」
風呂上がりの微かなシャンプーの匂い。
それすらも、どこか無力に感じた。
一方そのころ。
主人公・真壁基氏のスマホには、ふたつの通知が届いていた。
【碧純】
「ねぇ、お兄ちゃん。ちょっとだけ、明日時間くれる?」
【明花】
「今日はありがとう。……次は、“ちゃんとした答え”を聞かせてね?」
そして、画面の下に浮かぶ未読メッセージ。
【暁月ひより】
「私はまだ、終わってないよ。――“観察”じゃなくて、“競争”だから」
(つづく)




