第三十五話 この手、どこまで届いてたの?
水曜日の昼休み。
購買前の廊下に、ちょっとした“人だかり”ができていた。
だけど、教室の一番奥――
図書委員スペースの隣にある、窓辺のベンチは、静まり返っていた。
そこに座っていたのは、
碧純と、暁月ひより。
ふたりきり。
昼食も取らずに、ただ視線を交差させていた。
「……やっぱり、あのとき屋上で会ってたんだよね」
先に口を開いたのは、碧純だった。
「別に、責めたりしない。
ただ、気になってた。“あの子、誰だろう”って。
お兄ちゃんを見てる目が、私と同じだったから」
ひよりは、ゆっくりと目を伏せる。
そして、まるで決意を飲み込むように、呟いた。
「……見てた。ずっと、見てた。
あなたが笑うときも、怒るときも、悲しそうなときも、
ぜんぶ、“あの人の”隣にいたから」
「……観察?」
「ううん。“願ってた”だけ。
いつか私にも、同じ目線をくれる日が来るって――信じてた」
碧純は一瞬だけ目を細めた。
けれどその声は、驚くほど冷静だった。
「……じゃあ、どうして“証拠”なんて出そうとしたの?」
「証拠……?」
「写真。私とお兄ちゃんが屋上で手を握ってたときの」
ひよりの肩が、ほんの少しだけ震えた。
「それって、ただの“恋”じゃないよ。
“正そう”としてるんでしょ? 私たちの関係を」
「……正さなきゃ、壊れるよ。君たちは、もう“兄妹”じゃない。
その手、“届きすぎてる”んだよ」
碧純は、息を呑んだ。
だが、すぐに顔を上げ、しっかりとひよりを見返した。
「……届いてるよ。
私の手は、ちゃんと、お兄ちゃんに届いてる」
「それが間違いでも?」
「たとえ間違いだとしても、私は――それを、愛したい」
沈黙が落ちる。
ふたりの間に風が吹き抜け、
カーテンがふわりと舞った。
その中で、ひよりの目がゆっくりと揺れた。
「……私じゃ、ダメなの?」
「……ううん。ダメじゃない。
あなたの想いは、すごく、まっすぐだと思う」
「じゃあ――なんで、彼はこっちを見ないの?」
「……知らないよ。でも――」
碧純は、ふっと笑った。
「でも、見せてみせる。
“わたしの手”が、どれだけ遠くから伸ばしてきたか。
あなたが見てきた分だけ、私も、触れてきたんだから」
チャイムが鳴った。
ふたりは同時に立ち上がる。
でも、どちらも背を向けなかった。
最後に、ひよりが小さく呟いた。
「……10月20日。忘れないで。
“記録の終わり”って、決めてるから」
放課後。
俺は何も知らないまま、屋上で空を見ていた。
けれど、その下では、確実にヒロインたちの心が動き始めていた。
(つづく)




