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3:冗談なんかじゃない

 秋宵の月光が辺りを照らす中、薄着のままテラスに出たクロエは夜空を見上げながらを気がついてしまった。こういう時に一人になるのは良くないということを。

 考えないようにしようと思っても意味がない。脳はずっと、休むことなく余計なことを考える。

 あの時、もっとああしていれば、こうしていれば……。そんな、どうしようもない事ばかりが浮かんでは消えていく。

 

「……ソフィアに一緒にいてって言えば良かった」


 実家から連れてきた侍女のソフィアは、クロエを心配してもう少し一緒にいようかと提案してくれていた。だがクロエは意地を張り、大丈夫だと彼女の優しさを突き放した。

 幼い頃からずっと一緒で、歳の離れた姉のように感じている彼女にさえ、クロエはもう素直になれない。あんな風に心配してくれる人に対しても強がって弱みを見せることができない。


「こんなだから、オスカーも逃げたのね」


 可愛げがない。それは社交界でも良く言われたことだ。

 女性からは憧れの視線を向けられる完璧な淑女は、どうやら男のウケが悪いらしい。

 完璧すぎるが故に隙がないクロエを男性たちは陰でそう言って嘲笑っていた。

 

「……そういえば、陰口を言われているところに出くわしたことがあったっけ」


 流れる星を見上げながら、過去を反芻する。

 確かあれは王宮で開かれた夜会でのこと。熱った体を冷やそうとオスカーと一緒に外を散歩した時だ。

 酒に酔った青年たちが人気のないガゼボで、女性に点数をつけながら理想の結婚相手について語っている場面に出くわした。

 最低だと思ったが、ここで反論しに行っても良いことはない。そう判断したクロエはすぐに踵を返して会場に戻ろうとした。

 しかしオスカーはクロエに『少し待っていて』と言うと、彼らの元へと行き、クロエに対する発言を撤回するように求めた。

 

「その後は、喧嘩になっちゃって……。ふふっ。オスカーったらボロボロになってたっけ?」


 あの時の光景は今でも鮮明に覚えている。

 婚約者の名誉を傷つけられて怒ったオスカーは勇敢にも3人の青年に立ち向かい、そして見事に敗れた。当たり前だ、品行方正は彼は喧嘩なんてしたことがないのだから。

 きっと普通の令嬢ならここで、情けない男と失望するのだろう。

 けれど、クロエは違った。ボロボロになりながら『撤回させられなかった』と申し訳なさそうな顔をして帰ってきた彼を、彼女はますます好きになった。

 

「私はそんな優しいあなたが好きだったわ」


 夜空を見上げ、未練がましく愛を囁く。

 一筋の雫がクロエの頬を伝い、ポツリと落ちる。

 

「あれ……?どうして……」


 生暖かい雫が手の甲に落ちたところで、クロエはようやく自分が泣いていることに気がついた。

 涙は一度自覚するともうダメで、そこから彼女は堰を切ったように泣いた。

 テラスに蹲り、声も上げずにただ静かに泣いていた。

 

 どのくらいそうしていただろう。

 気がつくと、クロエの体はすっかり冷えていた。

 寒い。泣きすぎて頭が痛い。目が痛い。クロエは悴む手で体をさすりながら、鼻を啜った。

 そして、目を閉じて大きく深呼吸をした。気持ちを落ち着かせるためだ。

 何度かゆっくりと呼吸をしたのち、彼女は「うん、大丈夫」と独り言を呟き、部屋へと戻った。

 

 すると、そこにはなぜかライルがいた。

 

「……なんで、いるの?」


 部屋の扉の前で、腕を組みながらジッとこちらを見つめるライルに、クロエは激しく動揺した。

 一体いつからそこにいたのだろう。

 どうして気がつかなかったのだろう。

 誰かが入ってきたことにも気づかないくらい泣いていたということか。

 そう思うと、とても恥ずかしい。


「今日、初夜だから。一応な」

「そ、そっか……。そうね。そうよね。初夜、だものね……」


 結婚とは初夜を共にすることで真に成立する。つまり、どんな事情があろうと夫婦は結婚式当日の夜には必ず同衾せねばならないのだ。

 クロエは無意識にギュッと自分の肩を抱いた。

 まるで自分の身を守ろうとしているかのようなその仕草に、ライルの胸は痛む。


「別に……、今日は一緒に寝るだけだ」


 何もしない。だから安心しろ。

 言外にそう言われたような気がして、こわばったクロエの表情は少しだけ緩んだ。

 そんな彼女の些細な変化に、彼の胸はさらに痛む。

 

「声をかけてくれればよかったのに」

「……俺の存在に気づくと君は泣くのをやめるだろう?」


 本当は上着をかけてやりたかったけど、我慢していた。ライルはそう言ってクロエに近づくと、自分のガウンを彼女の肩にかけた。

 そしてそっと顔に触れ、目尻に残った涙を指で拭った。

 

「体が冷えている」

「ありがとう……」

「温かい飲み物を用意させているから、少し待ってろ」

 

 ライルはさりげないエスコートでクロエをソファに移動させると、部屋の扉の外で飲み物を受け取った。


「とりあえず、これを飲め」


 ライルがクロエに渡したのは蜂蜜入りのホットミルクだった。

 それは幼少期、怖い夢を見て眠れなくなった時にいつもソフィアが作ってくてれいたものだ。

 カップからじんわりと伝わる懐かしい温もりに、クロエは自然と頬が緩む。


「ソフィアったら。私はもう子どもじゃないのに」

「彼女にとっての君は、いつまでも可愛いお嬢様なんだよ」

「そっか……」

「だから、もっと甘えてもいいんだよ。クロエ」

「……」

「一人で泣くな。せめて、俺やソフィアにはちゃんと甘えてほしい」


 ライルはクロエの前に跪くと、彼女の冷え切った手を優しく握った。

 自分を見上げる彼の視線がひどく優しくて、クロエの涙腺はまた緩む。


「やめてよ。今は優しくしないで。本当に泣きそうだから」

「泣けばいいじゃないか」

「ダメよ。簡単に涙を見せるのは淑女じゃないわ」

「それは外での話だろう。家族に……、夫に涙を見せてもなんの問題もない」

「……そうかもしれないけれど、でもやっぱりダメよ」

「どうして?」

「だってそんな、あなたの前で自分だけが辛いみたいに泣くなんてできないわよ」


 不本意な結婚を強いられたのはライルも同じだ。

 好きでもない女との結婚なんて、それだけでも嫌なのに、よりにもよってその相手が兄の元婚約者だなんて。

 彼はきっと、生涯そのことを揶揄されるだろう。

 それなのに、自分だけが辛いかのように彼の前で泣くなんて、クロエにはできない。

 クロエはライルの手をそっと拒絶すると、ニコッと微笑んだ。それは精一杯の強がりの笑みだった。


「クロエ……」

「というか、ライル。あなただって今日は朝から一言も文句も言わずに我慢しているじゃない」

「俺は別に。……我慢なんてしていない」

「嘘つき。いいのよ?あなたも文句の一つや二つ言ったって。だってその権利があるんだもの」

「ないよ、文句なんて。あるわけないだろう」

「あら、どうして?」

「だって、俺は君と結婚できてよかったと思っているから」

「ふふっ。ありがとう、ライル。でも本当に、もう気を遣わないで?」

「違う、気を遣っているんじゃない」


 ライルは跪いたまま、真剣な眼差しでクロエを見上げた。

 開きっぱなしの大きな窓から吹き込む冷たい夜風が、クロエの白銀の髪を揺らす。

 その瞬間、間違いなく部屋の空気が変わった。


「……ラ、ライル?」

「俺は君と結婚できたこと、生涯神に感謝すると思う」

「どうしたの……?ねえ……」

「だって、俺は君のことが好きだから」

「………………え?」

「クロエ。俺はね、本当はずっとずっと昔から、君のことが好きだったんだ」


 突然の告白に、先ほどまで溢れ出そうだったクロエの涙は一瞬にして引っ込んだ。

 この男は一体何を言っているのだろうか。クロエは理解が追いつかない。


「……何を言っているのよ。それこそ嘘じゃない」


 普段は顔を合わせる度に渋面を向けてくるくせに。

 口を開けば軽口を叩いてわざと怒らせてくるくせに。

 それなのに、こんな突然。好きだなんて。

 そんなことあり得ない。ある訳がない。クロエは激しく動揺した。

 

「こんな時にそんな冗談はどうかと思うわ」

「冗談なんかじゃない」

 

 ライルは再びクロエの手を握った。今度は強く、決して離さないという意思を持って。

 その力の強さにクロエは咄嗟に離れようとするが、彼がそれを許さない。

 黄金の瞳が暗闇の中で獰猛に光る。クロエは耳を塞ぎたくなった。


「冗談なんかじゃないよ、クロエ」

「は、離して」

「クロエ、俺は……」

「やだ」

「俺は君が好きだ。ずっと、今までもこれからも大好きだ」

「やだってば……」

「愛している、クロエ。俺は生涯、ただ()()()を愛してる。この気持ちに嘘はひとつもないよ」


 真夜中の重々しい静寂の中、火傷するくらいの熱を帯びた声が鼓膜を揺らす。

 ああ、聞きたくなかった。

 そのセリフを言って欲しかったのは、あなたではないのに。



 

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