22:何か大事なことを見落としていますか?
威勢よく呼び込みをする青年に、しつこく値引きをするおばさま。異国から来た旅人。
多くの人で賑わうミレッタの朝市では、美味しそうな果物やパンを売る店から怪しげな骨董品を売る店まで、さまざまな露店が所狭しと立ち並んでいた。
「わぁ……、すごい。ミレッタの朝市はこんなに賑やかなのですね!」
「ミレッタは2年前から私の管轄なんだ。たまにお忍びで視察に来るんだけど、どうだい?素敵な街だろう?」
「はい。すごく素敵です」
活気あふれる賑やかな雰囲気に心が躍る。
クロエは物珍しそうに辺りを見渡しながら、人混みをかき分けて進むシャルロットについて行った。
「ここだよ。ここの果物は新鮮で美味しいんだ」
シャルロットはとある果物屋で立ち止まり、店頭にディスプレイされた色とりどりの果物の中からリンゴを一つ選ぶと、ちょっぴりふくよかな体型の女性にそれを渡した。
「おや、また来たのかい?いつもありがとね」
「おばちゃんのりんご、美味しいからな」
「はは、ありがとう。カットしておくかい?」
「ああ、頼むよ」
シャルロットは慣れた様子で銅貨を店主に渡し、カットされたリンゴを受け取った。
使い捨ての容器に入れられたリンゴはウサギの形にカットされており、クロエは思わず「わぁ!可愛い!」と声に出して喜んでしまった。
「ハハッ!お連れのお嬢さんは箱入りかい?さっきから見るもの全てが新鮮って顔をしている」
「可愛いだろう?妹なんだ。病気がちであまり外に出たことがなくてね。今日は体調が良いから連れてきたんだ」
「そうかい、そうかい。それは大変だね」
シャルロットの嘘に同情した店主は、茶色い紙袋に2つほどリンゴを詰めて彼女に渡した。
「これはおまけだよ」
「え、いいの?」
「ああ、構わないさ。形が悪いやつだからどうせ売れ残るだろうし、もらっておくれ」
「ありがとう!助かるよ!」
「あ、ありがとうございます」
クロエはシャルロットに促させるまま、お礼を言った。
すると店主は優しげに微笑み、「どういたしまして」と返した。
二人はそのまましばらく、果物屋のすぐ横のベンチ(と言っても木箱を二つ並べただけのお粗末なものだが)に座ってうさぎリンゴを頬張った。
咀嚼するたびにシャキシャキと音が鳴る。甘くてみずみずしい新鮮なリンゴに、クロエの頬は緩みっぱなしだ。
シャルロットはそんな彼女の頭を「可愛いやつめ」と豪快に撫でた。
「そういえば、おばさんってシルヴェスター領の人だっけ?」
リンゴを食べ終えたシャルロットは、不意に店主に尋ねた。
クロエは唐突な話題の変更に驚いてむせ返る。うっかりリンゴを丸呑みするところだった。
店主は心配そうに水を一杯、クロエに渡した。
「しっかり噛んで食べなよ?」
「は、はい……」
「それで?何の話だっけ?」
「だから、おばさんはシルヴェスター領の人だよねって」
「そうだった。そうだった。……そうだね。確かに私はシルヴェスターの人間だよ。でも、それがどうかしたのかい?」
「いや、最近領主一家の後継者が変わったって聞いたからさ」
「ああ、ライル様だね。嫡男だったオスカー様が結婚式の当日にメイドと駆け落ちしたから、代わりに弟のライル様が若奥様となるクロエ様と結婚して、ついでに後継者にもなったんだよ。噂では、オスカー様の逃亡は兄の婚約者に横恋慕するライル様が仕組んだって言われてるけど、真偽は不明だ」
「うわ。メイドと駆け落ちって、最悪……。それ本当?」
「メイドと駆け落ちってのは本当らしいよ。私の友達の友達がシルヴェスターのお屋敷で働いているんだけど、その子が言ってたって」
「その新しい後継者のライル様って人は大丈夫なのか?あんまり良い噂聞かない人だろう?」
「まあねぇ、確かに良い噂は聞かないねぇ。新聞にも色々と書かれていたし」
「今後のこととか、不安じゃないの?」
「そりゃあ不安がないわけじゃないけど、でも代替わりはまだ先だろうし、……それに若奥様はとても素晴らしい人だと聞いているから、あまり不安はないかな」
店主は荷物の中から、とある新聞記事を取り出し、それを二人に見せた。
そこにはクロエ・ロレーヌに期待する内容の記事が書かれていた。
「ロレーヌ家のお姫様はとても優秀なお方らしくてね。揺るがない信念をお持ちの、芯の強い女性らしい。王女殿下も信頼なさっているのだとか」
「へぇ、そうなんだ」
「結婚式も急に新郎が変わったってのに、気丈に振る舞って堂々となさっていたそうだ。普通なら泣き崩れるところだろうに、立派だよ」
「おばさんは若奥様を見たことがあるの?」
「収穫祭の時に遠目にね」
「どうだった?」
「すごくお綺麗な方だったよ。スピーチも心に刺さるものだったし、何よりもあの凛とした眼差しは信頼できる人だと思えたね」
「そっか」
「夫がポンコツでも手綱を握る妻がしっかりしていたら、家は案外なんとかなるものだ。だからきっと、大丈夫。なるようになるさ」
店主はそう言って柔らかく微笑んだ。
(……もっと評判が悪いと思っていたのに)
結婚式で新郎に逃げられた哀れな女はそこにはおらず。むしろ、不測の事態にも動じる事なく堂々と対処してみせた強い女像が、店主の中には出来上がっていた。
その後、果物屋を後にしたシャルロットはいろんな店にクロエを連れて行った。そして行く先々でクロエの評判を尋ねた。
もちろん、たまに嫌味なことを言う人もいたが、そんなものはごく僅か。基本的には皆、果物屋の店主と同じ意見だった。
意図的に流されたとしか思えないクロエの良い噂と、それを引き立てるかのようなライルの悪評。
ふと、ライルのプライベートな情報まで載せていた新聞記事のことを思い出したクロエは、ようやく朝市に連れてこられた理由を察した。
「シャルロット様。もしかして、私は何か大事な事を見落としていますか?」
噴水前のベンチで、串焼きを頬張るシャルロットにクロエは尋ねた。
シャルロットは大きな口で串焼きを平らげると、指についたタレをペロリと舐めた。
「さあ、どうだろう。ただ、ライル・シルヴェスターをこき下ろした記事を書いた新聞社は、借金で首が回らなくなっていたはずなのに、彼のゴシップを取り扱ってからは何故か羽ぶりが良いらしい」
「……」
「そして君に好意的な記事を書いた新聞社の社長は、ライルがよく通う娼館の馴染み客だそうだ」
「……馴染み客。どうしてそんなことを知っているのですか?」
「ここは私の国だからね。私の元に入ってこない情報などないよ」
「はは……、さすがですね」
「社交界の君への評判も概ね悪くない。下級貴族から徐々に噂が広まっているからかな。君の悪口を吹聴している奴なんて、敵対派閥の人間くらいだろう。きっと春になったら噂に尾鰭がついて、君は夜会に出るたびに同情ではなく、尊敬の眼差しを向けられることになる」
「……そう、ですか」
「新聞社に寄ってみるか?すぐ近くなんだが」
「……はい」
おそらく、オスカーの駆け落ちを事前に知っていたライルは、それによってクロエの評判が落ちぬよう予め準備しておいたのだろう。
クロエは串焼きを手に握ったまま、小さく頷いた。
「じゃあ行こう。アポは取ってある」
「準備が良いですね」
「先回りして行動するのはレディのエスコートでは基本中の基本だよ。ほら、さっさと食べてしまって」
「シャルロット様だってレディですけどね」
「あと……、君にひとつ、助言しておこう」
「助言、ですか?」
「ああ」
シャルロットはベンチから立ち上がるとクロエの前に立ち、彼女を見下ろした。
そして頬についた串焼きのタレをそっと拭ってやると、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「たとえ、あいつが君の名誉のためと称して何を工作していようと、それは君を傷つけていい免罪符にはならない。そこはちゃんと覚えておきたまえ」
「はい……」
クロエはまた、小さく頷く。
不安げにこちらを見上げるクロエに、シャルロットは「大丈夫だよ」と優しく頭を撫でた。




