21:ご機嫌よう、シャルロット様(2)
ドタバタと五月蝿い足音で目を覚ましたクロエは、カーテンを開けた。
そして、やはり手紙を送るのは今朝、日が昇ってからにしておけば良かったと少しだけ後悔した。
「やあやあ!おはよう、クロエ!良い朝だね!」
勢いよく扉が開く。
顔面蒼白の公爵夫人が止めるのも聞かずに無遠慮にクロエの寝室に押し入ってきたのは、金髪碧眼の美しいお姫様だった。
「ご機嫌よう、シャルロット様」
クロエは朝一番で押しかけてきたシャルロットに動じることなく、穏やかな笑みを浮かべて綺麗なカーテシーを披露した。
シャルロットはそんな彼女に満足気に笑みを浮かべた。
「さすが私のクロエ。所作が完璧だ」
「恐縮です。ところで、シャルロット様。今が何時かはご存じですか?」
「朝の7時だな」
「先触れがないのはいつものことですが、さすがに訪問の時間が早すぎるかと」
「君から手紙をもらったからね。嬉しくて飛んできてしまったよ」
シャルロットはワハハ、と豪快に笑う。護衛の女騎士はそんな主人に呆れ顔だ。お付きの侍女は公爵夫人や使用人たちにひたすらに頭を下げている。
才色兼備と噂の王女様が想像していた人物像と大きくかけ離れていたために混乱しているのか、使用人たちは終止唖然としていた。
そしてその中でただ一人、彼女の素を知っているソフィアだけが平然としていた。
そう、この王女。公にはおしとやかな淑女だが裏では豪傑肌な裏表の激しいお姫様なのである。
クロエはふぅ、と小さく息を吐いた。
「手紙の到着は今朝の予定だったはずですが?」
「そうだよ?だから起きてすぐに支度してきたのさ。おかげで腹ぺこだ」
シャルロットはコルセットでキツく締められた腹をポンと叩いた。
実にはしたない。彼女の教育係を務めていたこともある公爵夫人は、そんな風に育てた覚えはないと眉を顰めた。
「姫様!何度も申し上げておりますが、そのような下品な振る舞いはおやめください!」
「良いじゃないか、夫人。誰も見ていないのだから」
「使用人が見ておりますでしょう!」
「君のところの使用人は屋敷の中での話を外でベラベラと話すような、躾のなっていない子たちなのかい?」
「そんなことはありません!」
「なら、やっぱり気にすることなどないな!ここには目があってないようなものなのだから!」
「姫様!」
とんでも理屈で公爵夫人を遇らうシャルロット。状況はカオスである。
クロエは仕方がないとため息をこぼし、とりあえず公爵夫人を宥めた。すると、
「目ならここにもありますよ、姫様」
誰が呼んできたのか、険しい表情をしたシルヴェスター公爵がひょっこりと顔を出した。
シャルロットは彼の顔を見た瞬間、ピシッと背筋を正して、にっこりと淑女の微笑みを浮かべた。実に素早い変わり身である。
「ご機嫌よう、叔父様」
「姫様。いくらあなた様でも、なんの先触れもなく訪問するのは非常識です。この事は陛下に報告させていただきますからね」
「いやですわ、叔父様。わたくしは親友のピンチに駆けつけただけですのに」
口元を扇で隠し、オホホと笑うシャルロットに公爵は顔を歪ませる。眉間の皺は深くなる一方だ。
だかシャルロットはそんな叔父にも臆さない。
彼女は「そ・れ・に」と勿体ぶりながら彼に近づくと、軽く背伸びをして鼻先をツンと突いた。
「非常識、だなんて叔父様にだけは言われたくありませんわ」
自分の息子がしたことを思い出してみろとでも言いたげに、シャルロットの鋭い視線は真っ直ぐに公爵の瞳の奥を見据えた。
公爵はたまらず目を逸らす。シャルロットはそんな彼をフッと鼻で笑った。
「今日一日、クロエをお借りしますね?」
シャルロットはそう言うと、すぐにソフィア以外の人間を部屋から追い出した。
そして扉を閉めると、くるりと振り返り、悪戯っぽく舌を出した。
相変わらず、嵐みたいな人だ。彼女のその表情にクロエは思わず笑ってしまった。
「……もう、シャルロット様ったら」
「ちょっと言われただけであんなに萎縮してしまうんだ。しばらくはクロエの天下じゃないか?叔父様も叔母様も君の言うことなら何でも聞いてくれそうだぞ?」
「そんな、罪悪感に漬け込むみたいな真似はしません」
「欲がないなぁ。まあ良いそれが君の良いところなのだけれど」
「普通のことですよ」
「はいはい。それよりクロエ。お腹空かないかい?」
「そうですね。では、すぐに軽食をご用意します。ソフィア、お願い」
「かしこまりました」
「いや、食事は結構。外で食べるから」
「外、ですか?」
「ああ、外だ。今日は天気もいいし、ミレッタの朝市にでも行こう。今から行けばまだ間に合う。どうかだ?」
「ミレッタって確か、シルヴェスター領と首都の境にある港町ですよね?」
「そうだよ」
「うーん……」
首都とシルヴェスター領は隣合わせだ。海沿いの街道経由で馬車を走らせれば40分くらいで着くだろう。
クロエは、仕方がないと頷いた。
「わかりました。お供しますわ」
「ありがとう。ではソフィア、一番地味なドレスを持ってきてくれ」
「は、はい!」
ソフィアは言われるがままにドレスを用意し、クロエはすぐにそれに着替えた。
そしてあっという間にお嬢様のお忍びコーデが完成した。
「うむ。ちょうど良い地味さだな」
「その感想、あまり嬉しくはないのですが」
「この場合は褒め言葉だ」
シャルロットは着飾ったクロエをまじまじと見つめて、満足げに口角を上げた。
「では行こうか」
「はい」
「護衛も侍女も私付きの者がいるから、悪いがソフィアは留守番な」
「かしこまりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「あ、そうだ。留守番ついでにこれをアイツに届けてくれないか?」
「アイツ、ですか?」
「私の愚かな従兄弟にだよ」
シャルロットは得意げにウィンクをして、ソフィアに一通と手紙を託した。
そしてそれを、昼過ぎにライルに渡すよう告げた。