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20/26

20:ご機嫌よう、シャルロット様(1)

 

 好きだよ。

 大好き。

 愛してる。


 結婚してからずっと、顔を合わせるたびに口説いてきた。

 軽い口調とは裏腹に視線は熱を帯び、ねっとりと絡みつくように重たくて。

 目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。ライルの好意に疑う余地などなかった。

 だから、ソフィアとの関係を疑ったのは多分、彼の言う通り嫉妬だったのだろう。違うと強く否定したが、あれは間違いなく嫉妬だった。

 疑う余地のないことさえ疑ってしまう醜い感情。


 それが表に出てしまう程度には、絆されていた。


 オスカーにつけられた傷が思っていたよりもすぐに塞がったのは、間違いなくライルのおかげだった。

 彼の真っ直ぐな好意が、クロエの心にポッカリと開いた穴を埋めてくれた。


 だから昨日、オスカーに対しては怒りしか湧かなかったのに、ライルに対しては怒りよりも悲しみが優ったのだ。


 彼の好意は今も疑う余地はない。 


 だがもう、それを真正面から素直に受け取ることはできないだろう。



 

 ***



 昨日はあの後すぐに寝た。湯浴みもせずに寝た。

 泥のように眠った。

 きっと頭を使いすぎたのだ。目が覚めた時には翌日の夕方だった。


「何か召し上がってください」


 昨日の夜から何も食べていない主人を心配してか、ソフィアは食べやすくカットしたフルーツやサンドイッチ、スコーンにお菓子など、様々な種類の食べ物をテーブルに用意した。

 そしてそれに合う紅茶……、ではなく、蜂蜜入りのホットミルクを彼女のお気に入りのマグカップに入れて一緒にテーブルに並べた。

 

「さあ、お嬢様。こちらへ」


 ソフィアはクロエの肩にガウンをかけ、席に案内した。

 テーブルの上に置かれたホットミルクに、クロエの頬は少し緩む。


「だから、もう子どもじゃないってば」


 そう言いながらも、クロエは子どものように両手でマグカップを覆うようにして持ち、口をつけた。

 ほんのりと甘い、優しい味だ。クロエの心はじんわりと温かくなった。


「やっぱりソフィアの作るホットミルクは絶品ね」

「もう、お嬢様ったら。ただミルクを温めて蜂蜜を少し垂らしただけですよ。誰が作っても同じですわ」

「違うわよ。ソフィアのミルクには愛情がたっぷりこもっているもの。だからこんなにも甘くて優しいの。他の誰にも、この味は再現できないわ」

「お嬢様……」

 

 にっこりと、幼い笑顔でこちらを見上げるクロエに、ソフィアは急に胸が痛くなった。

 これは罪悪感だ。

 こんなにも信頼してくれている人に、自分は隠し事をしている。それがとてつもなく大きな罪のように思えてきたのだ。

 事実を後に知るか先に知るかの差でしかないのに、もしあの時、ライルの脅しに屈さずに彼を糾弾して洗いざらい罪を吐かせて、それをすぐクロエに報告できていたら、何か変わっていたのではないか。そう思えてならない。

 

「あの……」


 ソフィアは反射的に懺悔しようとした。

 けれどやはり言うべきではないと、すぐに言葉を飲み込んだ。

 謝ったところで、何も変わらないからだ。

 身勝手に謝罪されてもクロエは許すしかない。ならばこの謝罪はもう、自分の心を軽くしたいだけのただの自己満足でしかない。

 罪の意識に懊悩するのはソフィアの自業自得であって、クロエには関係のないこと。

 ソフィアはニコッと笑って、「サンドイッチは美味しいですか?」と尋ねた。


「それ、私が作ったんです」

「ああ、なるほど。どうりで卵がボソボソしているはずだわ」


 ソフィアは料理があまり得意ではない。

 クロエは意地が悪そうに、ニッと口角を上げた。

 

「もう!お嬢様ったら、意地悪ですこと」

「大丈夫よ、ソフィア。気にすることないわ。料理はセンスだからね」

「それはつまり、才能ないから諦めろということですか?」

「お料理が得意な旦那様をもらうことね」

「まあ、ひどい!厨房を爆発させたことがあるお嬢様にだけは言われたくありませんわ!」

「あら、私はいいのよ。だってお嬢様だから。料理できなくとも困らないもの」

「くうー!これだからお貴族様は!」

 

 ソフィアはわざとらしく地団駄を踏む。クロエはそれを「埃が立つからやめなさい」と軽くあしらう。

 ひと通りそんな茶番を繰り広げた後、二人は顔を見合わせて笑った。

 やっぱり、ソフィアといると楽しい。

 クロエはひとしきり笑ったあと、彼女に向かいに座るよう促した。

 

「さあ、ソフィアも一緒に食べましょ?」

「そんな、いけませんわ。私はあくまでも使用人ですから」

「まあ、白々しい。そのつもりで持ってきたくせに」

「あ、バレていましたか?」

「ふふっ。バレバレよ」


 明らかに二人分の量を用意しておいて、何を言うか。

 クロエはソフィアの額を軽くこづいた。

 そして慈愛に満ちた眼差しで、微笑んだ。


「どうしたの?ソフィア」

「……え?」

「何かあったの?もしかして、ライルのこと?」

「どうして……」

「あなたの顔を見ていたらわかるわ」

「お嬢様……」

「別に、話したくないのならそれでも構わないの。でも、話して楽になることもあると思うわよ?」


 クロエは卵がボソボソのサンドイッチを一つ、皿に取り分け、それをソフィアに渡した。

 ソフィアは彼女の優しい微笑みに、うっかり話してしまいそうになる。

  

 本当に聡い人だ。さぞ生き難いだろう。


 ソフィアは胸が苦しくなった。

 意外とはっきりとモノを言う性格だから気づかれ難いが、クロエは昔からかなり繊細で敏感な人だ。

 気がつかなくていいことにも気がついてしまい、お人好しだからそれを放ってはおけない。

 いろんなことがわかってしまうから、いろんな人に気を遣って、いろんなことを考えてしまう。

 だから、きっと今もずっとライル・シルヴェスターとの関係をどうするべきなのかを悩んでいる。

 自分の意思だけで離婚を決めてしまっても良いのか、この離婚の影響はどの程度なのか、領民への配慮はどうすべきなのかを考えて、悩んでいる。

 それなのに、その合間にも不肖の侍女の悩みまで聞いてくれようとしている。 

 ソフィアはそんな優しい彼女に、これ以上心労をかけたくはなかった。だから、シュンと肩を落として申し訳なさそうにつぶやいた。


「実は昨日ライル様にお叱りを受けたんです。偶然だったんですけど、この間コンサバトリーの前で盗み聞きをしたような形になってしまって。侍女の品格は主人の品格だから気をつけろって。で、でも報告していなかったので……。その、ごめんなさい」


 ソフィアは自分が主人の婚家でお叱りを受けたことを、怒られると思って報告していなかったと白状した。

 嘘は言っていない。ただ全部を話していないだけ。

 たったそれだけなのに、まるで全ての真実を話しているように聞こえるのだから、不思議なものだ。

 クロエは「なんだ、そんなことか」と安堵したように小さく息を吐いた。


「それなら、ライルから聞いているわ。だから別に気にしなくていいのに」

「いえ、こういうことは自分から報告しませんと」

「じゃあ、次から報告してくれる?」

「はい、申し訳ありません」

「いいわよ、別に。本当に謝るほどのことじゃないから。でも、そうね。申し訳ないと思うのなら、ひとつ意見を聞かせてくれないかしら」

「意見、ですか?」

「ええ」


 クロエはすぅっと軽く息を吸い、小さく吐き出す。

 そして困ったように眉尻を下げた。


「ソフィアは、ライルのことをどう思う?」

「どう、とは?」

「離婚、するべきだと思う?」

「お嬢様……」


 ソフィアはとても驚いた。クロエはこんな大事な決断を他人に委ねる人ではないからだ。

 そんな彼女が侍女の自分に相談してくるなど、よほど悩んでいる証拠。ソフィアは一緒に悩んで、一緒に解決策を見つけ出してやりたいと思った。

 けれど残念なことに、この件に関してのソフィアの意見は一つしかなかった。


「すみません、お嬢様。これは私の願望でしかないのですが、私の意見は離婚一択です」


 ソフィアははっきりと、クロエの碧い瞳を見据えて言い切った。

 もっと曖昧な答えが返ってくると思っていたクロエは目を丸くする。


「理由を、聞いても?」

「理由?そんなもの、一つしかありません。あの方の元ではお嬢様が幸せになれないからです」


 だってそうだろう。あんな、混乱に乗じて想い人を手に入れるようと画策する不誠実な男がクロエを幸せにできるとは思えない。

 好きだからって何をして良いわけじゃない。


「お嬢様、あなたは被害者です。もし離婚して何か問題が怒ったとしても責任を取るべきはシルヴェスター家であって、お嬢様ではありません。お嬢様はただご自身のためだけに決断すれば良いのです」


 ソフィアは前のめりになりながら、そう強く訴えた。離婚してシルヴェスター家がどうなろうと、それはクロエの知ったところではないはずだ。


「お嬢様ならきっと、すぐに新しい出会いがあります。すぐに素敵な男性と巡り会えます。だって、私のお嬢様は世界一素敵な女性ですもの!」

「ソフィア……。そうよね。そう、よね……」


 ソフィアの言葉にクロエは小さく頷く。

 だが、彼女の表情はどこか納得していないようにも見えた。


「離婚、する方がいいわよね……」

「何か、引っかかることでもあるのですか?」

「わ、わからない……」

「お嬢様、良ければシャルロット王女殿下に助言を乞うのはどうでしょう?」

「……シャルロット様に?」

「殿下ならきっと、有益なヒントをくださいます」


 良き友であり、そしてよき師でもある第一王女シャルロット。

 今までもそうだったように今回も、彼女は何かヒントをくれるだろうか。


「すぐにレターセットをご用意しますね」

「うん。お願い」

「かしこまりました!」


 ソフィアはニコッと笑って、サンドイッチを頬張ると、すぐにレターセットを探しに席を立った。

 クロエはそんな彼女に、薔薇の便箋が良いと注文をつけた。


「シャルロット様は薔薇がお好きだから」


 クロエは昔、王宮のバラ園をシャルロットと二人で散策したことを思い出し、クスッと笑った。

 そしてふと、彼女の言葉を思い出した。



 ーーー愛は育むもの。けれど、恋は落ちるもの。



(私は今、落ちているのだろうか……)


 

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