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17:とりあえず、……いいかしら?(2)

 オスカーの話は要約すると、


 ・婚約者にヤキモチを妬かせたくてメイドにちょっかい出してたら、うっかり浮気してしまった。

 ・そしたら浮気相手が妊娠して、仕方なくクロエとの結婚は諦めて逃亡。

 ・しかし、蓋を開けてみれば浮気相手は妊娠しておらず、おまけに逃亡中に自分が家に戻れるように手配してくれるはずだった弟には立場を奪われた。

 

 ということらしい。


「………なるほど?」


 要約してみてもやはり、クロエには理解できなかった。


「オスカー、ごめんなさいね。私、あまり頭が良くないみたい。貴方の話がちっとも理解できなくて……」

「……え?」

「でもそうね。淑女らしくないとは思うのだけれど、とりあえず……、いいかしら?」


 クロエは困ったように微笑んで膝立ちになると、シルヴェスター兄弟の方へと体を向け、大きく手を振り翳した。

 そしてその手を、逃げる一瞬の隙さえ与えず、躊躇なく振り下ろす。

 

 バチンッ。

 

 平手打ちの大きな音が静かな室内に鳴り響く。

 赤くなった頬を抑えたのは、目を丸くしたオスカーだった。

 

「ど、どうして……?」


 まさか自分が打たれるとは思ってもいなかった、という顔をするオスカー。

 どうしてそんな顔ができるのだろうか。クロエは、やっぱり理解できないなと思った。


(どうしてと聞きたいのはこっちよ)


 あんなにも恋焦がれた人なのに、どうしてこんなにも理解できないのだろう。

 どうしてこんなにも気持ち悪いと思ってしまうのだろう。

 そもそも、クロエが恋した王子様は本当にコイツだったのだろうか。何だか、それすらも怪しく思えてくる。


「あの、クロエ。痛いんだけど……」

「ごめんなさい。私、混乱していて……」

「う、うん……?」

「でも貴方の頬を叩いたら少しだけスッキリしたわ。ありがとう」

「そっか……?」

「それでね?オスカー。とりあえず確認したいのだけれど……。貴方はその……、浮気をしていたという事で合っているかしら?」


 妊娠したと嘘をつかれても、心当たりがなければ普通は信じない。つまりオスカーは、少なくとも一度はそのメイドと体の関係を持ったことがあるということ。おそらく、避妊もしていなかったのだろう。


「それなのに、さも当然のように被害者面をして堂々と、『全部、弟が全部悪いんだ!』と語っているということで…….、合ってる?」

「そ、それは……」


 あまりに純粋な眼差しで首を傾げるクロエ。まるで、見たこともない未知の生き物でも見るかのような目で自分を見つめる彼女に、オスカーは慌てて弁明した。


「そ、それは悪かった。でも、結婚したら関係を断つつもりだったんだ!」

「そんなことを言われても、どうしてその言葉が真実だと信じられるの?」

「え……?」

「『え……?』じゃなくてね?どうして私が貴方の言葉を疑いもせずに信じると思っているのか、と聞いているのよ」

「だ、だって……」

「だって、何?もし私が何も知らずにオスカーと結婚していたら、正妻の私より先に愛人が子どもを産むなんていう、とんでもない自体になっていた可能性だってあったわけでしょう?」

「そんなことはあり得ない!僕は結婚したら君だけを愛するつもりで……!」

「うーん。それも、どうかしら?貴方って、浮気した挙句に避妊すらもしない節操なしだし……」

「いや、だからそれは……」

「貴方と結婚していたら、きっと私は愛人に妻の座を乗っ取られる哀れな女になっていたでしょうね」

 

 正妻より先に愛人が子どもを産んだ家は、どこも悲惨な末路を辿っている。

 愛人と正妻で毒物を持ち出した泥沼の殺し合いに発展したり、戦いに敗れた正妻が夫の目の前で焼身自殺をはかったり、愛人が正妻の立場を乗っ取ったり、正妻が愛人の子を殺害したり……。

 クロエは家庭教師から、何度もそんな話を聞かされた。

 今考えると、あの家庭教師は子どもに何てことを吹き込んでいたのだろうと思う。多分、彼女は家庭教師に向いていないかった。

 

「ねえ、オスカー。確かに私は、多少の浮気は許せと教わってきたわ。でもね、愛人に子ができたとなると話は別よ?」


 貴婦人が夫の浮気を許容するのは、夫が節度を守って遊ぶことが前提だ。

 絶対に子を成さず、家門に迷惑をかけず、火遊び程度に留めておけるのなら許してやるというだけの話。

 子を成せば、それは前述のようにただの浮気ではなくなる。

 

「だから男の人は皆、娼館に通うのだけれど……。紳士の社交場で習わなかったのかしら?」


 こういう話は社交場で年長者から聞いて知るものだが、きっとオスカーは都合の良いことだけを耳に入れていたのだろう。

 クロエは呆然とするオスカーの目の前にしゃがみ込み、彼の赤く腫れた頬に優しく触れた。

 そして、何故かもう一発、同じところを叩いた。気持ち、一度目よりも重く。


「だから、なんで叩くんだ!?痛いんだけど!?」

「ああ、ごめんなさい。何だか叩きたくなってしまって、つい……」

「つい!?」

「まあまあ、そう怒らないで?私には貴方を叩く権利があるはずでしょう?……ねえ?お義母様?」


 クロエはくるりと振り返り、公爵夫妻を見据えた。

 先ほどから大事な息子の頬を二度も叩いているのに、口を離さむことも止めることもしない彼らがどんな顔をしているのか気になったのだ。


 「ああ、なるほど」

 

 夫妻の顔を見た瞬間、クロエは心底落胆した。

 なぜなら、彼らの揺れる瞳はオスカーのそれととてもよく似ていたからだ。


「お義父様、お義母様。お二人はオスカーの話を聞いても、悪いのはライルだとお考えなのですね。オスカーが何をしたのかも理解せず、ただ兄を出し抜いた弟が悪い、と。だからオスカーを公爵家に戻し、私と再婚させて全てを元の状態に戻そうと、そうお考えなのですね?」


 クロエの質問に夫妻は押し黙る。

 無言は肯定。図星だったようだ。

 クロエはわざとらしく「はぁー」と言いながら、感情を抑えこむように息を吐いた。


 ーーー流石に付き合っていられない。


「オスカーを再び後継者に据えたいのならば、どうぞご自由になさってください」

「ク、クロエ……」

「ですが、私は降ります。私はこの男とは結婚しません」


 背筋をピンと伸ばして立ち上がり、顎を引き、しっかりと前を見据えて宣言したクロエ。

 そんな彼女に公爵夫人は慌てて、近づいて来た。


「クロエ、お願い。どうか、そんなことを言わないで?あなただって、ロレーヌ家とシルヴェスター家の結婚は簡単に破棄できるものではないと知っているでしょう?」


 あなたに出ていかれたら困るのよ、と公爵夫人は縋るようにクロエの肘を掴んだ。

 だが、クロエはそれをサッと躱して拒絶する。

 夫人はその仕草に驚いたように目を丸くした。

 きっと、クロエは自分のことを慕っているとでも思っていたのだろう。

 確かに、クロエは夫人をそれなりに慕ってはいた。だがそれは()()()の話だ。

 今はもう軽蔑の対象でしかない。


「ごめんなさい、お義母様。けれど、どうか許してください。だって私、この家で子どもを産むなんて怖くて出来そうもないのです」

「……え?」

「想像してみてください。男尊女卑の社会で運良く男に生まれた次男(ライル)ですら、この扱いなのですよ?長男しか認めないシルヴェスター家ではきっと、女の子どもは次男よりも立場がないのでしょうね。子どもの性別なんて選べないのに……。こんなの、絶対に悲劇しか生まないわ。確信を持って言い切れる」

「……そ、それは」

「お義母様。私は、自分の子には平穏で幸せな人生を歩んでほしいのです」


 それは切実で、けれど当たり前の願いだった。

 夫妻はクロエの言葉に何も言い返すことができず、黙り込む。


(……私、そんなに難しいことを言ったかしら)


 比較的、平和な家庭で生きてきたクロエには、彼らの心情を推し量ることは少し難しい。

 だが、おそらく後悔しているのだろうと思う。

 クソみたいな長男優先の慣習に囚われ、大事にすべきもの見失っていたことにようやく気がついて、今更後悔しているのだ。

 きっと、そう。むしろ、そうであって欲しい。

 クロエは公爵夫人の手を両手で包み込むように優しく握ると、とても穏やかに微笑んで退室を促した。

 明日にでも出て行くから、荷物をまとめたいと言って。

 

「私は実家に帰ります。そして自分の名誉のために、このことは父に話します」

「そ、それは困るわ!」

「では、お義母様は結婚1ヶ月で婚家を飛び出した原因を私に求めるというのですか?」

「……そ、そんなこと」

「お義母様。貴女は私がオスカーと再婚することを望んでおられるのでしょうが、そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ません」


 クロエは再度、念を押すように強く宣言した。  

 すると、今度はオスカーがクロエの腕を掴んで縋ってきた。


「ま、待ってよ。クロエ!」

「……何?触らないで欲しいのだけれど」

「どうしてそんな事を言うんだ!?君は僕のことが好きなはずだろう!?」

「好きだったわよ。貴方が帰ってくるまではね」


 そう、確かに好きだった。ずっと一途に思っていた。

 けれど今ではもう、この恋が初めから、ただの思い込みだったのかも知れないと思い始めている。


「いっそ戻ってこなければ良かったのに」


 そうしたらオスカーは一生、クロエの王子様のままでいられたかも知れないのに。

 こんな下衆な話を聞かされるくらいなら、『オスカーは初めから私のことなど好きではなかった。彼は真実の愛を見つけたから駆け落ちした』と思っていたかった。その方がまだ救いがあった。


「憧れた王子様がとんだクズ野郎だったなんて。二度、裏切られた気分だわ」

「だって!それは、ライルが!」

「はあ……。まだわからないようだから、一応言っておくけれど、ライルが貴方を謀ったことと貴方が浮気したことは別の問題よ」

「なっ……!?」

「まったく、()()とか、()()()とかばっかり。まるで子どものようだわ」


 クロエは煩わしそうにオスカーの腕を振り払った。

 そしてふと、気づいてしまった。

 できれば気付きたくなかったことに、気がついてしまった。


「ああ、そうか。だから貴方は無垢なお姫様が好きなのね」


 よく考えたら、駆け落ちしたメイドも、昔のクロエと同様にまだあどけなさが残る女性だった。

 きっと純真で無垢で、未成熟な女性がオスカーの好みなのだろう。


 そんな女なら彼でも、支配しやすいから。


「なんか、わかっちゃったかも」

「……な、何を?」

「結婚式からひと月も経つのに、今になって突然現れた理由よ」


 新聞記事を読んでいたら、クロエとライルの結婚など翌々日には知れたはず。それなのに、オスカーはひと月も経ってから戻ってきた。そのことを踏まえると自ずと答えは見えてくる。


「大方、二人で暮らすようになってからメイドの子が変わってしまったのね」


 何も出来ない男を抱えて、一から生活基盤を作るのは苦労しただろう。

 家事に仕事にと忙しなく働く彼女の横で、優雅に紅茶を飲むオスカーの姿がありありと目に浮かぶ。

 そんな生活の中、彼女は強くならざるを得なかった。


「いつしか彼女は強くなり、貴族だったオスカーにまで文句を言えるようになった。オスカーはそんな彼女を煩わしく思うようになって……。逃げて来たってところかしら?」


 クロエは小馬鹿にしたように鼻で笑う。

 すると、オスカーは顔を真っ赤にして逃げていないと否定した。


「逃げたわけではないのなら、彼女のところに戻ったら?」

「ぼ、僕は公爵家の後継者だ!!平民の暮らしなんてできるわけ……」

「いや、後継者はライルだ」

「………ほえ?」


 それまで沈黙を貫いていたシルヴェスター公爵は、声を荒げるオスカーの言葉を遮るように口を開いた。

 父の言葉が理解できないのか、オスカーは素っ頓狂な声を出してしまった。


「と、父さん?何を言って……」

「私は、私たちは間違えていたんだ。考え方も、子どもの育て方も何もかも。ずっと……」

「い、意味わからないよ。どういうこと?」

「オスカー、お前が普通に生活できるだけの援助はする。だから二度と、シルヴェスターの名を名乗らないでくれ」

「……え……、い、いやだよ!父さん!」

「すまないな、オスカー。でも全部クロエのいう通りだ。結婚式で家門の顔に泥を塗ったのはお前なのにな」


 弟は兄を出し抜いてはいけない。そんなクソみたいな慣習が体に染み付いているせいか、判断力がなくなっていた。

 ライルが自分を出し抜かなければこうはならなかった、と言うオスカーの言葉を間に受けてしまった。

 そんなわけないのに。あの地獄の結婚式を招いたのはオスカーと、そして彼の育て方を間違えた自分自身のせいだというのに。

 それなのに、無意識に責任の全てをライルに押し付けようとした。 


「ライル……、すまなかった」


 公爵はライルに深々と頭を下げた。

 それが今回の件に対するものなのか、それとも今までのことに対するものなのか、クロエにはわからない。

 ただ、ライルはコクリと小さく頷いてその謝罪を受け取った。 


「クロエも、すまなかった。実家に帰るかどうかは君の判断に任せるよ。私は君がどんな判断を下そうと、それを尊重する。もちろん、君が結婚を白紙に戻したいのなら、その時は我が家の有責で世間に公表しよう」

「ご配慮、ありがとうございます。……しばらく時間をいただけますか?」

「もちろんだ」


 公爵は申し訳なさそうに深々と頭を下げた。

 ようやく、正気を取り戻したようでクロエは安堵した。


「いやだ!いやだよ、クロエ!」

「……」

「僕が愛しているのは君だけだから!本当だから!」

「こら、うるさい!大人しくせんか!」


 ただ一人正気を取り戻していないのは、この間もずっと『やだやだ』と駄々を捏ねているオスカーだけ。

 クロエは、父に両脇を抱えられながら連行される彼の前に立つと、仕方がないなと呆れたように肩をすくめて、



 とりあえず、往復でビンタした。









 


 

 


 


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