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16: とりあえず、……いいかしら?(1)

 頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。

 つまりはどういう事?

 理解が追いつかない。


「どういう事?説明してよ……」

「……」

「ねえ、ライル!」


 クロエは逃げて何も答えないライルの胸ぐらを掴んだ。

 だがその時、ノックもなしに勢いよく部屋の扉が開いた。


「クロエ!!」


 血相を欠いて部屋に飛び込んできたのは、オスカーと公爵夫妻だった。

 ベッドの上で向かい合うライルとクロエを見たオスカーは、ギリっと奥歯を噛み締めた。

 そして、ツカツカと二人に近づき、


 思い切り、ライルを殴った。


 バキッという音と共に、ライルはベッドから転げ落ちる。


「貴様!クロエに何をした!?」

「ちょ……!?オスカー!?」

「クロエ!!大丈夫?何もされていない?」

「何もって……、お義母さま?」


 オスカーと一緒に入って来た公爵夫人は、慌ててクロエを抱きしめ、自分が着ていたカーディガンを彼女に着させた。

 

「大丈夫。もう大丈夫よ、クロエ」

「あの、これは一体……」

「実はね……」

「ライル、貴様!爵位のために僕を陥れ、クロエを奪おうとするなんて!この恥知らずがっ!!」


 オスカーはベッドから落ちたライルに馬乗りになって、もう二発殴った。

 品行方正で穏やかな紳士だった彼が、顔を真っ赤にして口汚く怒鳴り散らしている。

 公爵夫妻はそれを止めようともしないし、ライルは何故か抵抗する事なく、大人しく殴られている。


(何がどうなっているの?)


 困惑するクロエは、公爵夫人の静止を振り切り、咄嗟にオスカーの腕に飛びついた。

 そして、「もうやめて」と叫ぶ。

 その時、ふと、オペラのヒロイン(オフィーリア)の姿が思い浮かんだ。

 そういえば、今日のオペラでこんなシーンがあった気がする。

 そう思うと、混乱する心とは裏腹に、どうしてだか頭の中はスッと冴えた。


「やめて、オスカー。お願いよ」


 いくらひ弱なオスカーでも、一応は男だ。こんな風に力一杯殴られ続ければ、ライルだって無事では済まない。


「暴力では何も解決しないわ」


 クロエは赤くなったオスカーの右手を優しく摩った。

 それは、興奮した彼を落ち着かせるためであったが、オスカーはかすかに頬を染め、


 同時に、ライルは憎悪に満ちた眼差しを兄に向けた。


「……して」

「え……?」

「どうしてそんな奴がいいんだ!?」

「ラ、ライル?」

「そいつは長男だから優遇されているだけで、実際は何一つ俺に勝てない。勉強も剣技も馬術も射撃も、全部俺の方が上手くできる。そいつは、弟に勝ちを譲ってもらわなきゃ体裁を保てないような、そんな情けない男なんだよ!」

「だまれ、ライル!」

「何が王子様だ。先に生まれただけのくせに!自分一人では何も出来ないくせに!」


 長年しまい込んでいた感情が爆発したみたいに、ライルの口は止まらない。

 彼の闇は思っていた以上に深かったようだ。しかし、それも当たり前と言えば当たり前のこと。

 だって彼は、ライル・シルヴェスターはずっと、兄オスカーを立てるために抑圧されて来たのだから。

 

 クロエはライルに近づき、彼の口をそっと手で塞いだ。


「落ち着いて、ライル。私はさっき、暴力では何も解決しないと言ったけれど、それは暴言も同じよ。声を荒げて感情に任せて言葉を吐き出しても、なんの解決にもならない。だから、どうか落ち着いて。そして…………、お願いだから、誰かこの状況を説明して。誰でも良いから全部、順を追って説明してください」


 先ほどから、クロエだけが何一つ状況を把握できていない。

 クロエはライルの口を塞いだまま、部屋を見渡した。

 公爵夫人は申し訳なさそうに顔を伏せ、公爵は眉間に皺を寄せている。その表情から、彼らも全てを把握しているわけではないことが察せられた。


 だからクロエはオスカーに視線を向けた。


 するとオスカーは怒りでギュッと握り締めていた拳を開き、クロエの前に両膝をついた。

 そして彼女の柔らかな白銀の髪を優しく撫で、「僕が説明するよ」と言った。

 その顔は、先ほどまでの野蛮な彼ではなく、クロエが好きだった王子様な彼だった。



 ***



 出会った当初のクロエ・ロレーヌはとても可愛らしい女の子だった。

 艶やかな長い白銀の髪に、こぼれ落ちそうなほどに大きな碧の瞳。はっきりとした目鼻立ちにぷっくりとした愛らしい唇。

 そして、快活で天真爛漫な性格。

 まさに、物語の世界から飛び出して来たお姫様のようだった。

 オスカーはそんな彼女が好きだった。

 ひと言可愛いと言えば、俯いてはにかむ姿は実にいじらしく、少し微笑みかけてやれば、花が開くような笑顔を見せ、少し頭を撫でてやれば、潤んだ瞳でこちらを見上げながら、一瞬にして頬を赤らめる。

 そんな揺るがない信頼と愛情を自分だけに向ける彼女が、好きだった。

 

 それなのに、ある日を境にクロエは変わり始めた。


 クロエは公爵夫人の薦めで、女傑として有名なシャルロット王女殿下の侍女となったのだ。

 あの潔癖で高慢で、可愛げなど皆無な王女様の真似事をし始めたクロエは変わった。

 

「君はあの頃から、僕に対して素っ気なくなった。感情を隠すようになった。僕は前みたいに、全身で僕に好意を向けてくれる君が好きだったのに……」

 

 オスカーはそう言って、悲しそうに遠くを見つめた。


(……え?オスカーって、私のこと好きだったの?)


 クロエの知る限り、オスカーがそんな素ぶりをしたことは一度たりともなかった。確かに可愛いとは言われたが、好きだと言われたことは一度もない。

 だからオスカーに好かれていたなんて思いもしなかった。

 クロエは、この時点でもうだいぶ頭が混乱していた。理解が追いついていない。

 だが、彼の理解不能な話はこんなものでは終わらなかった。


「僕はね、君がもう、僕のことなんて好きじゃなくなったんだと思うと辛かったんだ。もしこのまま結婚したら愛のない夫婦になってしまんじゃないかと不安だった」

「……そっ……か……」

「でも、そんな不安を抱えたまま出席した夜会でのことだ。君も覚えているかな?僕たちは足を挫いてしまった令嬢を助けたことがあっただろう?」

「そういえば、そんなことがあったわね……?」

「あの時、医務室まで連れて行くため、彼女を横抱きにした僕を見た君は不貞腐れたように口を尖らせたんだ」


 それはほんの一瞬の出来事だった。だがクロエは確かに、嫉妬の感情を表に出した。

 オスカーは彼女のその表情に歓喜した。まだ、彼女の心が自分にあるのだと確信できたからだ。


「だから、今から半年前くらいかな。ライルに相談したんだ。もっとクロエにヤキモチを妬いてほしいんだけど、どうしたら良いかなって。娼館に入り浸っているコイツなら、女の気持ちがわかるかもしれないと思ってね」


 そうしたらライルは面倒くさそうに、『特定のメイドと親しくすれば良いのでは』と言った。

 だから、オスカーはその助言通りに一人のメイドを特別に気にかけるようになった。それが共に駆け落ちした(くだん)のメイドだ。

 クロエの前でメイドに構うと、クロエはほんの少しだけ不機嫌そうに顔を歪める。それは紛れもない嫉妬だった。

 オスカーはその表情で彼女の愛を確かめ、安心していた。

 

「僕たちはそうして、言葉にしなくても互いに愛を確かめ合えるようになっていた」

「はぁ……」

「けれど、結婚式の3日前になってあのメイドが急にとんでもないことを言い出したんだ」

「とんでもない、こと?」

「ああ。僕の子を身籠った、とね」


 結婚式3日前の夜。ライルに連れられてオスカーの寝室までやって来たあのメイドは、泣きながら妊娠を告白した。そして図々しくも、オスカーと結婚したいとまで言い出したのだ。

 混乱するオスカー。初心で純真な彼女がまさか、公爵夫人になりたいなんて言い出すとは思わなかった。

 彼女なら、もし仮に妊娠していたとしても、オスカーの将来を思って静かに姿をくらませてくれると思っていたのに。

 オスカーは裏切られた気分だった。


「僕はどうすれば良いのか迷った。するとライルは僕にこうアドバイスしたんだ」

 

 『堕胎は禁忌だ。絶対に選べない。だが、兄さんの血を引いた子をクロエ以外の女が産むのも問題だ。だから結婚式前に一度、二人一緒に姿をくらませろ。そうすれば式は中止になる。俺は兄さんが行方不明になっている間に、平民の彼女を公爵夫人として迎えいれられるよう、両親や親族をどうにか丸め込むから』


 と。もしクロエとの結婚を諦めるなら手を貸してやると言うライルに、オスカーは仕方なく頷き、家を出た。


「でも、それは全部嘘だったんだ」


 姿をくらませてしばらくすると、メイドが妊娠していなかったことが発覚した。どうやら、彼女が酒を飲むところを見てしまったらしい。

 オスカーは彼女を問いただした。

 すると彼女は、『ライル様に、妊娠したと言えばオスカーは君を選ばざるを得ないとアドバイスされたから、つい嘘を言ってしまった』と言うではないか。


 ーーー計られた!


 オスカーはこの時、初めて自分が弟に出し抜かれたことに気がついた。


「挙句、新聞では後継者がライルに変更さて、ライルは君と結婚したと書かれているし……!」


 オスカーは悔しそうにギリッと奥歯を鳴らした。

 ライルは自分から次期公爵の地位だけでなく、クロエまでも奪ったのだと、彼は叫ぶ。

  

「だから僕は急いで帰ってきたんだ」

「……なる、ほど?」

「聞けばあの日、両親は結婚式の延期を検討していたそうじゃないか。それをライルが言葉巧みに説得して、新郎を入れ替えるという前代未聞な形で強行することとなったんだ。わかるかい?クロエ。コイツは君に拒否権を与えず、強制的に君を手に入れたんだ。僕を陥れ、君が失恋したと勘違いをしている隙に、僕から君を奪い取ったんだ。このシルヴェスター家の後継者となるために!」


 オスカーは蔑みの目でライルを見下ろし、彼を指差した。

 まるで罪人を咎めるかのように。


「なるほど…………?」


 興奮しているように、肩で息をするオスカー。そんな彼を鋭い目つきで睨みつけるライル。

 相変わらず申し訳なさそうに俯く公爵夫人と、オスカーと同じような目を次男に向けるシルヴェスター公爵。

 クロエはあたりを見渡し、ふむふむと首を立てに振った。


「……ああ、ダメだわ。ごめんなさい」


 最初から、順を追って説明してもらったはずなのに、どうしてだろうか。理解できない。

 オスカーの常識が、クロエの中にある常識とは大きくかけ離れているからだろうか。理解できない。


 ヤキモチ妬かせたくて、って何?

 その延長でメイドの一人を妊娠させたってこと?

 しかも、本当は妊娠したメイドが未婚のシングルマザーになるのが理想だったけど、それが叶いそうにないから、弟のアドバイスを間に受けて、婚約者を捨てて泣く泣く逃亡したと?

 だけど、その妊娠が虚言だったことが判明したから、こうして当たり前みたいに被害者面をしてノコノコと戻って来たと?

 


 だめだ。やっぱり、何ひとつ理解できない。

 








 

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