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1:泣くかと思ったのに(1)

 秋。黄褐色に光るススキの花穂が畦道を彩る頃。

 伯爵令嬢クロエ・ロレーヌは5年の婚約期間を経て、名門シルヴェスター公爵家に嫁いだ。


 愛しい彼の、()()妻としてーーー。




 *




 時を遡ること、5年前。

 当時13歳だったクロエは、隣の領地を治めるシルヴェスター公爵家の嫡男、オスカーと婚約した。

 彼は叔父である国王と同じエメラルドの瞳をした、大変美しい青年だった。

 クロエは一目見た瞬間、恋に落ちた。

 だって、絵本に出てくる王子様そのものだったから。


 オスカーはクロエに会うと、いつも『君は本当にかわいいね』と言って、彼女の白銀の髪を優しく撫でた。きっと、4つも年下のクロエのことを妹のように思っていたのだろう。

 クロエはオスカーのその、自分よりもひと回り大きな手が好きだった。優しい眼差しが好きだった。自分をお姫様扱いしてくれる紳士的な振る舞いが好きだった。

 大人で、教養があって、落ち着いていて、頼りになる。彼はまさに理想の王子様だった。

 クロエはそんなオスカーに見合う女性になりたくて、必死に勉強した。彼の隣に立っても恥ずかしくないように、清廉で高潔で完璧な淑女になろうと努力した。一時期は王子様の隣に立つに相応しいお姫様になるために、王宮に行儀見習いとして上がり、本物のお姫様を間近で見て勉強したりもした。

 そしてその結果、次期公爵夫人として相応しい教養とスキルと身につけた彼女は、王女殿下の覚えもめでたい完璧な淑女へと成長した。



 それなのに……。



「どうしてこうなったのかしら」


 夕焼け空に舞うトンボ。重そうに頭を垂らした黄金色の稲穂。クロエは乗り心地の良い馬車の車窓から見える秋の田園風景を眺めながら、深くため息をついた。

 そして静かに目を閉じ、今朝の悪夢を思い出す。


 シンプルだが品のある純白のドレスに身を包み、涙が止まらない父に手を引かれて歩いたバージンロード。

 聞こえてくるのは、こんな時にでも揺るがない音色を奏でる聖歌隊の歌声と、参列者の困惑と嘲笑が入り混じったまばらな拍手。


「挙句、指輪交換では全然指輪が入らないし」


 クロエの人生最大の晴れ舞台は、とても名家同士の結婚式とは思えぬほどにグダグダなまま終わった。

 

「……仕方がないだろう。全部兄さんに合わせて用意していたんだから」


 向かいに座るオスカーの弟ライルは、不機嫌そうに脚を組み、同じく窓の外を眺めた。

 彼の左手の薬指には、根元まで入り切っていない指輪がキラリと光る。それはクロエの左手の薬指にハマっている指輪と同じデザインのものだった。


 つまり、そういうこと。

 

 クロエの婚約者オスカーは、結婚式に来なかったのだ。


「ねえ、ライル。オスカーはどこへ行ってしまったのかしら」


 首都で行われる結婚式のため、オスカーは公爵家のタウンハウスに、クロエは叔母の家にそれぞれ泊まっていた。

 そして結婚式当日の朝、準備を済ませたクロエは先に教会に到着し、控え室でオスカーを待っていた。

 しかし、到着予定時刻を過ぎてもシルヴェスター公爵家の人間は誰も来なかった。

 もうすぐ式が始まるのに、嫌な予感がする。クロエの不安は時計の針が進むごとに募る一方だった。

 そんな中、ようやくやってきた公爵夫妻は真っ青な顔で頭を下げ、こう言ったのだ。


 ーーーオスカーがメイドと駆け落ちした。だから代わりに弟のライルと結婚して欲しい。


 クロエの頭は一瞬にして真っ白になった。

 確かにこの結婚は所詮、政略結婚。家同士の契約だ。クロエの相手がオスカーである必要はなく、シルヴェスター公爵家の誰かであれば問題はない。

 けれど、5年だ。約5年もの間、婚約者として共に過ごした男の弟と結婚など、どう考えてもあり得ない。

 きっと、このスキャンダルは明日の朝にはタブロイド紙の一面を飾り、クロエは新郎に逃げられた哀れな女として社交界の笑い物になることだろう。

 クロエの母はショックのあまりに貧血を起こし、父は拳を振るわせながら、公爵相手に『ふざけるな』と叫んだ。こんな侮辱、許されて良いはずがないと。


 両家の親族や教会の職員、準備のために家から連れてきた使用人にまで広がる動揺。

 罵倒する言葉が止まらない父に、医務室に運ばれる母。

 格下の父から罵倒に、ただ申し訳ないと謝るばかりのシルヴェスター公爵。

 クロエの足元に縋るようにしながら、涙を流して謝罪する公爵夫人。


 状況はカオスだ。収拾がつかない。

 だんだんと頭が冴えてきたクロエは静かに目を閉じた。

 そして、自分に言い聞かせる。淑女たるもの、この程度のことで動揺してはいけない、と。

 

 ーーーわかりました。ライルと結婚します。


 背筋を伸ばして顎を引き、ゆっくりと深呼吸をしたクロエは、吐き出した息と共に私情を捨てた。

 本当は泣き叫びたかったが、そんなことをしたところで何の意味もない。今すべきことは参列者を待たせないことだ。

 そう言うクロエに、父は複雑な表情を浮かべた。対する公爵夫妻は申し訳ないと言いながらも、どこか安堵した様子だった。

 急遽夫となることが決まったライルは、怒り狂うことも泣き喚くこともせず、ただ淡々と事実を受け止めて決断を下したクロエに悲痛な表情を向ける。

 だが、クロエの意志は揺るがない。クロエはその場にいた全員の目をしっかりと見渡し、こくりと小さく頷いた。


 そこからは早かった。

 教会と参列者に新郎の変更を伝え、オスカーの衣装をライルが着れるように簡単に手直した。

 これだけの騒動があったのに、予定より30分ほどの遅れで式がスタート出来たのは、クロエの聞き分けが良かったおかげだろう。公爵夫妻はクロエに深く感謝した。


 

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