呪いで醜くなった皇子が「君を愛することはない」と遠ざけようとしてきます ~【魔女の子】だと婚約破棄された私ですが、追放された異国では歓迎されて幸せになるようです~
『貴様は魔女の子だ。汚れた血を引く女なのだ』
王女として生まれたセシリアは、物心付いた頃から兄であるベルークにそう言い聞かされてきた。
魔女、それは呪いの力を操る世界の敵である。そんな魔女を先代国王が愛人にしていたという噂と紐づけて、セシリアを忌み子として印象付けたのだ。
だが疑惑を払拭しようにも、真実を知る両親は病に倒れてもういない。婚約者のレイスにも裏切られ、すべてを失ったセシリアだが、彼女の髪には希望が宿っていた。
(私の髪が黄金に……)
先日までは黒だった髪色が急に変化したのは、先祖返りが起きたからだ。王族の始祖は龍である。その血がセシリアの外見を変化させたのだ。
セシリアの脳裏に、兄のベルークの声が蘇る。
『王国の始祖である龍の血を引く俺は偉大な存在だ! 魔女の子の貴様と違ってな!』
何度も繰り返された罵倒だが、実はセシリアの方が王族の血を色濃く引いていると知れば、兄はどのような顔をするだろうか。そして約束された玉座が危ういと知れば、どのような反応を見せるだろうか。
(王国は代々、長男が国王になりますが、先祖返りをした場合は、女性であっても優先的に王位を継ぐことになっていますからね)
きっと兄は慌てふためくだろう。
それだけではない。セシリアを捨てた婚約者のレイスもまた辛い立場に追いやられる。きっと彼は泣いて慈悲を請うだろう。
王宮でセシリアを馬鹿にしてきた者たちも同じだ。手首がねじ切れないか心配になるほどの掌返しが待っていることだろう。
(私の人生が変わる……)
龍の力に目覚めたセシリアは新たな人生の幕開けを予感するのだった。
●●●
「喜べ、貴様の嫁ぎ先が決まったぞ」
兄のベルークがそう宣言する一方で、セシリアは眉をしかめていた。
(いきなりパーティに呼び出されたかと思えば、こんな馬鹿げた用件だとは思いませんでしたね)
高い天井の広間ではシャンデリアが温かな光を放ち、等間隔に配置された丸いテーブルには豪華な料理や果実酒が並んでいる。
給仕たちは軽やかに動き、空いたグラスや皿を片付けながら新たな料理を追加していく。音楽隊が奏でる軽やかな旋律が響き、客たちの賑やかな声と混ざり合って、場を華やかにしていた。
「ほら、笑えよ。貴様の門出を祝うために開催されたパーティだぞ」
「お兄様が何を言っているのか理解できないのですが……」
「『魔女の子』は頭も悪いか。なら仕方ない。特別に教えてやる。貴様は帝国の第一皇子と縁談を結ぶことになったのだ。これは決定事項である」
拒否権はないと言わんばかりの口振りに同意するように、ベルークの臣下たちも大きく頷く。セシリアの心情を気にもかけないのは、魔女の血を引く忌み子として軽く見ているからだ。
「知っての通り、帝国とは一触即発の危険な状態だ。現在の王国の力ではまだ帝国には勝てん。戦争をするにしても俺が正式な玉座を得て、国をまとめてからの話になる」
セシリアの父親である先代国王は流行り病で亡くなっている。本来ならすぐにでも国を統治する次世代の王が必要だが、その後継者であるベルークは成人を迎えていない。
そのため現在の玉座は空席であり、公爵や大臣たちが合議制で国家を運営していた。
戦争となれば、非常事態に素早い判断が求められる。リーダー不在の状況では勝ち目がないというのがベルークの判断だったが、セシリアは心の中で否定的な見解を抱いていた。
(お兄様が王になっても帝国に勝てるはずがありません……)
帝国は軍事力、経済力共に王国より遥かに上だ。その差を覆すほどの能力がベルークにあるとは思えなかったからだ。
「当分の間は帝国と友好的な関係を維持しなければならない。そこで、貴様には和平のための架け橋となってもらう」
「理不尽な要求ですね……」
「貴様も王族なのだ。これくらいは我慢しろ!」
「ですが、帝国と揉めたのはお兄様が田舎者だと馬鹿にされて、向こうの貴族を斬ったのが原因ではありませんか!」
「次期国王の俺が馬鹿にされたのだぞ。許せるわけがなかろう!」
「王族なのですから我慢しろと、お兄様が口にしたばかりですよ」
「う、うるさい、うるさい!」
「それにお忘れですか? 私には婚約者がいるのですよ」
セシリアには将来を誓いあったレイスという名の婚約者がいた。彼はベルークにとっても友人であり、その存在を知らないはずがない。
だがベルークは口元を歪めると、鈴を鳴らす。その音を待っていたかのように、広間の扉が開けられて、レイスが足を踏み入れる。
輝きを放つ黒髪を背に流す彼は、鋭い灰色の瞳をセシリアへと向ける。整った顔立ちには冷ややかな威厳が漂い、洗練された貴族の風格が滲んでいた。
「レイスを呼んだのは他でもない。婚約破棄の件だ」
「話は聞いています、ベルーク殿下。私は国のために婚約破棄に同意しましょう」
事前に示し合わせていたのか、特に反対することもなく、レイスは婚約破棄を受け入れる。その事実がセシリアに衝撃を与えた。
「あなたが呪いで苦しんでいた時、ずっと尽くしてきたは私ですよ! その私を切り捨てるのですか?」
「俺は看病を頼んだ覚えはない」
「それはそうかもしれませんが……でも、あなたの看病を私が頑張ったからこそ、呪いが完治したのですよ!」
レイスは幼少の頃から魔女が引き起こすとされる呪いに苦しめられてきた。病室で寝たきりだった彼を根気良く看病してきたのがセシリアだった。
毎日の食事作りから始まり、汗を拭いてあげ、着替えの補助もした。
さらにセシリアは世界で唯一人の回復魔術の使い手だった。全身から魔力を絞り出し、呪いに打ち勝つための生命力を与え続けた。その結果、レイスは呪いから解放されたのだ。
だが恩を仇で返すようにレイスは整った口元を歪める。
「ふん、貴様の少ない魔力量が呪いの治癒に貢献したとは思えんがな」
「ではなぜ治ったのですか?」
「それはもちろん俺の生命力によるものだ」
「呆れましたね……ここまで恩知らずとは思いませんでした」
「うるさいっ、無礼者め!」
レイスは怒りを顕にして大声で叫ぶと、勢いよくセシリアの肩を押す。バランスを崩した彼女が床に倒れると、彼は冷酷な笑みを浮かべながら葡萄酒のグラスを手に取った。
「戯言は酔ってから口にしろ」
低く響く声と共に、レイスはグラスの中身を容赦なくセシリアの頭上に注ぐ。葡萄酒がセシリアの漆黒の髪を伝い、冷たく濡らして滴り落ちる。その様子を見下ろしながら、レイスの笑みは嗜虐的なものへと変わっていった。
「おい、レイス。セシリアは俺の妹だぞ」
「失礼いたしました、ベルーク殿下」
咎められたと感じたレイスは頭を下げる。だがベルークは「勘違いするな」と、悪魔のような声で笑う。
「咎めるつもりはない。妹の躾は兄の役目でもある。それを伝えたかったのだ」
ベルークもグラスを手にすると、同じように葡萄酒をセシリアに浴びせる。二人の悪魔が嘲笑を深めると、それに釣られるように客人たちも「魔女の子は無様だ」と陰口を叩く。
だがセシリアの心は折れない。鋭い眼差しで二人を見据えると、拳を強く握りしめた。
(この屈辱は絶対に忘れません……)
この時の彼女はまだ知らなかった。やがて、この場にいる誰もが、セシリアの前に平伏すということを。
●●●
王宮を追放されたセシリアは帝国に向かう馬車の中で揺られていた。心地よいリズムに体を預けながら、窓の外に目を向けると景色が次第に移り変わっていく。
街並みの賑わいは徐々に薄れ、風に揺れる木々へと変化していく。国境を超えたのだと実感する中、セシリアは現実を忘れるために目を閉じた。
(私はこれからどうなるのでしょうか……)
王国と帝国は絶対的な力の差がある。その帝国が格下の国からワザワザ花嫁を求めたのだ。
それには必ず理由があるはずで、真っ先に浮かんだのは人質としての役割だ。兄のベルークは過激な思想の持ち主だ。無益な戦争を起こさせないための抑止力としての縁談だとしたら納得できた。
(せめて皇子がどのような人か分かれば不安も減るのですが……)
嫁ぎ先の皇子は、式典の際にも人前に姿を現わさない人物として知られていた。そのためどのような性格や容姿をしているのか謎に包まれており、それがセシリアの不安をより一層掻き立てていた。
やがて馬車の揺れが穏やかになり、窓の外に広がる景色が少しずつ変化していく。
石畳の道沿いには活気に満ちた城下町が広がり、商店の喧騒や子供たちの笑い声が届く。
馬車が進むにつれ、城の高い塔が視界に現れ、威厳ある姿を見せ始める。城門をくぐると、整然と並ぶ衛兵たちが敬礼し、荘厳な雰囲気に包まれていった。
停まった馬車から降りると、迎えの侍従たちが礼儀正しく一礼する。
「どうぞこちらへ」
そう案内されながら、広々とした廊下を進み、ついに玉座の間へと通された。
金と赤を基調とした豪華な装飾が施された広間の中央には、玉座に腰掛ける皇帝の姿があった。
彫りが深く大柄な彼は、その場の空気が重く感じられるほどの威厳を放つ。だがセシリアと目が合うと、まるで花が咲いたかのように優しい笑みを浮かべた。
「遠くから苦労をかけたな」
「い、いえ、皇帝陛下」
「私の前だからと緊張することはない。これから義理の娘になるのだから我らは家族だ。家臣にも敬意を払うように命じてあるから安心するといい」
皇帝の言葉は真実なのだろう。田舎者だと笑われる覚悟をしていたが、皆がセシリアに礼を尽くしている。王国にいた頃の方が遥かに馬鹿にされていたほどだ。
「あ、あの、皇帝陛下、なぜ私をこれほどに歓待していただけるのでしょうか?」
単なる人質であれば、粗雑に扱っても役目は果たせる。セシリアを迎え入れた理由があるはずだ。
その問いを受けて、皇帝は立ち上がると、ただ一言だけ「付いてきて欲しい」と口にする。
セシリアは無言で長い廊下を進み、静けさが支配する一角にたどり着く。厚い扉の先には大きな寝台が置かれ、全身を包帯で巻かれた人物が横たわっていた。眠っているのか、寝息の音だけが室内に響いていた。
「こちらの方はいったい?」
「クリフ……私の大切な一人息子だ。十年ほど前から呪いに苦しめられている」
「…………」
セシリアは驚きで黙り込む。帝国に嫁ぐことになった理由を察したからだ。
「陛下が私に望むことは……」
「皇子を治して欲しい。それだけだ」
セシリアには回復魔術で婚約者のレイスを呪いから解放した実績がある。その噂を聞きつけたからこそ、彼女を帝国に招いたのだと知る。
「症状を見てもよろしいでしょうか?」
「もちろんだとも」
セシリアはそっと寝台に近づくと、横たわるクリフの腕に手を伸ばす。慎重に包帯を解くと、傷ついた皮膚が少しずつ露になっていく。
(まるで炎に焼かれたような症状ですね……)
黒ずんだ部分に血の赤が入り混じっている。思わず目を背けたくなるほどに酷い状態だった。
「私の息子は治せそうか?」
「いえ、これは……レイス様の時とは症状が違いすぎます。彼はここまで強い呪いではありませんでしたから……それにレイス様には時間がありました。子供の頃からの長年の治療ができましたから……」
「では今からだと救えないと?」
「正直、見込みは薄いです」
「そうか……だがクリフは私に残された唯一の息子だ。無理を承知で治療をお願いしたい」
この世界で最高の権力者が頭を下げる。セシリアは無理という言葉を喉の奥に引っ込めると、虚勢を表情に滲ませる。
「クリフ様は私の夫でもありますから。努力してみます」
セシリアの返答に皇帝は笑みを返す。王国に帰る場所はない。自分のためにも完治させてみせると、彼女は心の中で意気込むのだった。
●●●
皇帝が部屋から去った後、眠るクリフの隣でセシリアは回復魔術を使い続けていた。既に開始してから三時間が経過しているが、一向に治る気配はない。
だがセシリアは諦めない。魔力切れ寸前まで自分を追い込み、失いそうになる意識を何とか耐えながらも治療を続けていた。
「……ぅ……」
治療のおかげか、やがてクリフが目を覚ます。上半身だけ起き上がると、セシリアの顔を真っ直ぐに見つめるが、その瞳には疑問が浮かんでいた。
「……君は?」
「セシリアと申します。クリフ様の結婚相手として王国から嫁いでまいりました」
事情を聞かされていなかったのか、クリフは驚きで目を見開く。セシリアは知っている限りの事情をすべて伝えると頭を下げる。
「すまない、私のせいで迷惑をかけた。婚姻を撤回するように私の方から父上を説得してみるよ」
「いえ、迷惑なんかでは……」
婚姻が解消され、王国に帰ることになっても幸せな未来がやってくるとは思えない。だが彼は『迷惑ではない』という言葉が信じられないからか鋭い目を向ける。
「私は君を愛するつもりはない。王国に帰ってくれ!」
「本心ではありませんよね?」
「な、なぜそう思う?」
「クリフ様は嘘が下手ですから。その言葉を伝えるなら、迷惑をかけたと謝罪するよりも先でないと意味がありませんよ」
第一声がセシリアを気遣う言葉だったのだ。今更、冷たい態度を取られても、それが演技だと分かってしまう。
「失敗だったな……そうだ、なら帝国の貴族を紹介しよう。それならば私と結婚せずに済む」
「……クリフ様はそれほどに私と結ばれるのが嫌ですか?」
「違う! そうじゃない!」
「ならどうして……」
「私は呪いに蝕まれ、人とは思えないほどに醜悪な外見だ。こんな私と結ばれる君が哀れでな……」
自嘲するような乾いた笑みを零すクリフ。そんな彼の手をセシリアは優しげに握る。
「気になりませんよ。だって私も同じですから」
「同じ?」
「実は私も魔女の子として蔑まれ、王宮内でも腫れ物扱いされてきました。だからクリフ様の気持ちが理解できるのです」
「セシリア……」
「一緒に治療を頑張りましょうね」
「……っ……すまない……」
セシリアが微笑むと、クリフは静かに呟く。室内が穏やかな空気に包まれていく中、彼の肩は僅かに震え、目尻には小さな涙の粒が光っていた。
(悪い人ではなさそうですね)
セシリアは心の中で呟きながら、ゆっくりと治療を再開する。両手をかざすと、温かな光が指先から広がり、クリフに降り注ぐ。すると表情が穏やかなものへと変わっていく。
「回復魔術とは凄いものだね……」
「もしかして効果がありましたか?」
「呪いそのものは消えないが、痛みが引いている」
「それなら私の頑張りにも意味がありましたね……でも、いずれは完治させたいものです」
「完治か……何か手があれば良いが……」
「そういえば、クリフ様が呪いに侵されたのは十年前ですよね。その頃にキッカケとなるような出来事はなかったのですか?」
呪いは魔女が引き起こすとされているが、その真偽は不明であり、原因も分かっていない。
もしかしたら過去の出来事から治療の役に立つヒントが得られるかもしれない。そう考えて訊ねると、クリフは記憶を辿るように遠くを見つめた。
「確か、呪いに苦しめられるようになったのは、王国との親睦パーティの直後だったはずだ……そこで君の兄、ベルークとも初めて出会ったんだ」
「お兄様はどうでしたか?」
「自信家、いや、傲慢と呼ぶべきかもしれない。なにせ初対面にも関わらず、将来、世界の覇者になるのは自分だと一方的に宣戦布告されたからね」
「お兄様ならやりかねませんね」
ベルークのプライドの高さは子供の頃からだ。自分よりも立場が上の者が許せない人間性は成長しても変わることなく現在に引き継がれている。
「セシリアも苦労したようだね」
「まったくです」
セシリアは穏やかな笑みを零す。少し話をしただけだが、いつの間にか彼女はクリフに心を許すようになっていた。
「セシリアのような素敵な人は初めてだよ」
「私以外に縁談の話はなかったのですか?」
「あるにはあった。だが全員、逃げていった。君だけが離れずに残る決断をしてくれたんだ」
「クリフ様……」
「だから呪いを解けなかったとしても、セシリアを恨んだりはしない。私の人生はもう君のものだ。朽ち果てる瞬間まで、一途に愛し、尽くすことを誓うよ」
その言葉にセシリアの口元が自然と綻ぶ。自分の存在が初めて認められたような感覚を覚え、彼を救いたいと強く願うのだった。
●●●
帝国に嫁いでから数ヶ月が過ぎた。二人の信頼は深まり、治療も進んだ。その結果、クリフは杖を使えば自力で歩けるまでに回復していた。
だが呪いの完治にはまだ遠く、時折、彼の顔が苦痛に歪み、口から血を吐くこともあった。
体力が回復しても呪いの進行そのものが止まっていないのだ。セシリアの胸には焦燥が募るようになっていた。
そんなある日、セシリアは皇帝に執務室に来るようにと呼び出された。
完治に至らない現状を責められるのかもしれない。不安を抱きながら、執務室の扉を開けると、機能美に溢れた空間が出迎えてくれる。
執務椅子に腰掛ける皇帝は、セシリアの入室に対して顔を上げる。凛々しい表情に僅かな笑みが浮かんでいた。
「忙しいところを呼び出してすまないな」
「いえ、皇帝陛下のご用命に勝るものはありませんから」
「用命と呼べるほどの用事ではない。ただ一言、感謝を伝えたくてな」
皇帝は頭を下げる。そこには心からの謝意が含まれていた。
「最近、クリフとよく話をするのだ。何気ない雑談を重ねるだけだが、セシリアの話題になると、とても楽しそうに笑うのだよ」
「クリフ様が……」
「そうだ、つい先日もな、クリフはこう言ったのだ。『セシリアと共に生きるために、長生きをしたい』と――私は嬉しかった。絶望して、何度も死にたいと呻いていた息子が、未来に希望を抱いてくれたのだからな。親として、これ以上の喜びはない。だから礼を伝えさせて欲しい」
『ありがとう』と、簡潔な言葉を続ける。それは皇帝としてではなく、父親としての感謝だった。
「だからな、ささやかな褒美ではあるが、もし息子が呪いで亡くなったとしても、その先については保証しよう。皇女として迎え入れ、大切にすると誓う」
「陛下……その褒美は不要です」
「皇女になるのは嫌か?」
「そういうわけではありません」
「ではなぜ?」
「私がクリフ様を死なせたりはしないからです」
数ヶ月の関係ではあるが、セシリアはクリフに愛情を抱くようになっていた。彼を失いたくない気持ちは、皇帝にも負けない自信があった。
「そうか……息子は死なないか……」
「はい、私が治療しますから」
「では引き続き息子を頼む」
皇帝が満足そうに微笑むのを見届け、セシリアは深く一礼すると静かに執務室を後にした。
その足でそのままクリフの部屋へ向かい、扉を開ける。出迎えてくれた彼は、包帯に覆われているため表情が読み取れないが、それでも穏やかな瞳から歓迎する意思を感じ取れた。
「今日も来てくれたんだね」
「クリフ様を治療するのが今の私の生き甲斐ですから」
クリフが横になっている寝台の傍に腰掛けると、さっそく回復魔術を発動させる。淡い光が包帯の上から注がれていくが、呪いは頑なにその力を拒み、効果は一向に現れない。
(それでも諦めるわけにはいきません!)
セシリアは心の中で意気込みながら、再び魔術に力を込める。額に汗が浮かび、呼吸が荒くなっていくが、治療を止めようとはしなかった。
「セシリア、無理をしないでくれ。君が私のために苦しむ姿を見たくないんだ」
「無理なんてしていません。私は私自身の決意で、あなたを救うと決めたのですから!」
その言葉と共に、回復魔術の光が一層強く輝き始める。クリフの全身を包み込む光はこれまでと明らかに違っていた。治療を終えたセシリアは静かに息を吐くと、期待で腕を震わせながらも、慎重な手つきで腕の包帯に手を伸ばす。
「包帯を外しますね」
徐々に包帯を解いていくと、その下から現れたのは白磁のような滑らかな肌だった。呪いの痕跡は完全に消え去っていた。
「治っている……治っていますよ、クリフ様!」
「本当だ……君の治療のおかげだよ、セシリア!」
クリフは感極まった表情で、そっとセシリアの手を握る。二人を包み込む暖かな空気は、困難を乗り越えた彼らを祝福しているかのようだった。
だがそんな一時の中で、クリフは異変に気づく。
「セシリア、その髪……」
「私の髪がどうかしましたか?」
「色が変わっている……」
セシリアは突然の指摘にきょとんとしながら、自分の髪に手を伸ばす。そこにあったのは以前の黒髪ではなく、黄金を溶かしたような金髪だった。
さらに異変はそれだけではない。セシリアの全身から溢れ出す魔力が、目に見えるほどに増加していたのだ。
「君の体に何か異変が起きているのかもしれない……調べてもらった方が……」
「では後ほど、お願いするとしましょう」
「だが……」
「髪色が変化しただけですから。それに今は何よりも優先すべきことがあります」
「……腕以外の呪いが治っているかの確認だね?」
「はい、特にクリフ様は顔の呪いが強かったですから。治療が上手くいったかを知るためにも包帯を外さなければなりません」
「そうだね……外してみよう……」
クリフは顔に巻かれた包帯に手を伸ばすと、一つずつ解いていく。その手は慎重かつ穏やかだった。
やがて、最後の包帯を外し終え、クリフの顔が完全に露わになる。
「綺麗……」
セシリアが思わずそう口にしてしまうほどに、クリフの顔立ちは整っていた。
銀色に輝く髪と、深い青の瞳に加え、透明感のある肌は呪われていた頃とは違う。窓から差し込む陽光を受けて、神々しい雰囲気を放っていた。
「これが私の顔……」
鏡に映る自分の顔を眺めながら、クリフはそっと頬に手を触れる。その指先に感じる感触はみずみずしい弾力のある肌だった。
「ありがとう、セシリア……本当にありがとう……」
クリフは震える声でそう呟くと、静かにセシリアを抱き寄せる。彼女もその求めに応えるように、彼の背に手を回した。抱き合う二人の目には、努力が報われたことを喜び合うように、涙が輝くのだった。
●●●
図書室の扉を開けると、静寂とともに膨大な蔵書がセシリアを出迎えてくれる。
高くそびえる書棚が幾重にも並び、その中には歴史書や魔術書などが収められている。室内にはほんのりとインクと紙の香りが漂い、柔らかな陽光が降り注いでいた。
その中央に設置された机の前には、クリフが腰掛けていた。
一冊の分厚い本を真剣な表情で捲っている。銀髪が光を受けて輝き、青い瞳が知識を吸収するように文字を追いかけている。
セシリアがそっと近づくと、クリフは気配に気づいて顔を上げる。穏やかな微笑みが口元に浮かぶ。
「この部屋は私たちの貸し切りだ。音を出しても大丈夫だよ」
クリフの声が静寂の中に響いて、穏やかな心地を残す。
セシリアはふと、彼が読んでいた書物のタイトルを目にする。そこには『龍と王国の歴史』と記されていた。
「何か分かりましたか?」
「色々とね。セシリアの変化はやはり先祖返りの影響だね」
王家の始祖である龍の血に目覚めたからこそ、セシリアは膨大な魔力を得た。その結果、魔女の呪いを打ち消すほどの回復魔術を扱えるようになったのだ。
「書物だけでなく、帝国の調査団にも改めて君の出自について調べてもらった。これがその報告書だ」
セシリアは紙の束を受け取ると、内容に目を通していく。そこには彼女が過去に調べても発見できなかった情報が多く含まれていた。
「帝国の調査団は優秀なのですね」
「世界一の調査能力だと自負しているよ。だからこそ信頼できる。君は魔女の血を引いていない。なにせ先代国王は婿養子だからね。母親が王家の血筋であるなら、『魔女の子』であるはずがないんだ」
「それを知れて安心しました……でも、だからこそ疑問ですね。どうして私が『魔女の子』だと嘘の噂が流れたのでしょうか……」
「先代国王に魔女の愛人がいたのは真実のようだからね。その話と紐づけた……でもいったい誰が……」
「最初に私を『魔女の子』だと言い始めたのはお兄様でした」
「彼か……ならもしかして……」
「何か分かったのですか?」
「まだ確証はないけどね。調べてみれば、呪いの真相が得られるかもしれない」
クリフは期待に目を輝かせる。この時の彼の判断がセシリアの運命を大きく変えていくのだった。
●●●
クリフの呪いが完治してから数十日が過ぎた頃、帝国の壮麗な大広間には各国から招待された重鎮たちが一堂に会していた。煌びやかなシャンデリアが天井で輝き、華やかな装飾が施された空間には、格式高い貴族や大臣たちが並んでいる。
帝国の次期皇帝であるクリフが、十年ぶりに公の場に姿を現すという知らせは、各国に大きな波紋を呼び、この場にも緊張感を漂わせていた。
やがて扉が開き、ファンファーレが響き渡る。現れたのは銀髪を後ろに流し、深い青の衣装に身を包んだクリフだった。
彼の姿は堂々としており、大広間にいた者たちから一斉に拍手が巻き起こる。その様子を、招待客として参加していたベルークとレイスは息をのんで眺めていた。
「呪いから復活したという噂は本当だったようだな」
ベルークが震える声で呟く。彼の目は驚愕で見開かれ、その手は無意識に握りしめられていた。
「俺にとって好ましい状況ではないな」
「帝国に跡継ぎの不安があることは、ベルーク殿下にとってチャンスでしたからね」
もしベルークが世界を統治するなら、帝国は最大の敵になる。その際、もし後継者がいなければ、権力争いで内乱を起こさせることもできたが、クリフが健在であればそうもいかない。
「ですが、どうして呪いが解けたのでしょうか……」
「分からん」
ベルークの脳裏に、数ヶ月前に嫁いだセシリアの顔が過る。だがすぐに首を振って、その思考を振り払った。
(あいつの魔力で呪いを治療できるはずがない……)
ベルークが考え事をしていると、クリフは壇上に立っていた。
会場全体が静まり返り、無数の視線がクリフに集中する。彼は一度深く息をつき、静かながらもよく通る声で語り始めた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。最初に、これまで私が公の場に姿を現さなかった理由についてお話ししたいと思います」
会場に緊張が走る。クリフの瞳には、過去の苦しみを思い返すような陰りが宿っていた。
「私は長い間、呪いに苦しんでいました。その症状は酷く、一人で起き上がれないほどの重症でした……しかし、一人の女性が私を支えてくれたのです。私が今ここに立っていられるのは彼女のおかげです」
その言葉に会場の反応が期待の色を帯びる。彼が何を言おうとしているのか、招待客たちが察したからだ。
「紹介しましょう。王国から私に嫁いできてくれた、運命の人、セシリアです」
ざわめきに包まれる中、会場の扉が開かれると、セシリアが姿を現す。気品ある歩みで広間を進み、黄金の髪が柔らかな光を受けて輝いている。
その神々しくも堂々とした佇まいに、招待客たちは息をのむ。だがベルークとレイスだけは戸惑いを隠しきれずにいた。
「あれは……セシリアなのか?」
「ですが、ベルーク殿下。髪色が……」
かつての黒髪は影を潜め、魔力量も増大している。嫌な予感を覚えていると、セシリアが壇上に立ち、クリフの隣に並んだ。
「皆様もお気づきでしょう。セシリアの黄金の髪と膨大な魔力を。彼女は龍の血に目覚めたのです。王国は本来なら長男が玉座を継ぎますが、先祖返りが起きた場合は特例が適用され、長男よりも優先されます。どうか王国の次期国王、セシリアに拍手を」
クリフの言葉が静かに響く。会場内は静まり返り、その後、ゆっくりと拍手が起こり始めた。しかし、その瞬間、静寂を切り裂くような声が鳴る。
「ちょっと待て!」
拍手の音が途切れ、視線が一斉にベルークへと向かう。そこには怒りに震える彼の姿があった。
「王国の次期国王は俺だ。勝手に名乗られては迷惑だ!」
「久しぶりだね、ベルーク。話があるなら壇上に上がってきなよ」
「上等だ……」
挑発とも取れる言葉に、ベルークは拳を握りしめたまま、威圧的な足取りで壇上にあがる。彼はクリフと正面から向き合うと、セシリアを指さして叫んだ。
「セシリアは『魔女の子』だ。龍の血を引いているわけがない。その髪も染めただけに決まっている」
「髪は細工できるかもね。なら魔力量はどうだい? 数ヶ月で私の呪いを解くほどの回復魔術が使えるようになった理由を説明できるのかな?」
「うぐっ……それは……」
ベルークは言葉を詰まらせて、視線を泳がせる。反論できずにうめき声をあげていると、壇上にもう一人の影が登ってくる。
「騙されてはいけません、ベルーク殿下。呪いが解けたのはセシリアの回復魔術とは関係ありません」
「レイス……」
「現に私も自己治癒力で完治に至りました。それこそが証拠です」
レイスは不敵な表情で反論する。だがクリフは首を横に振った。
「君はセシリアの元婚約者だね。話は聞いているよ。彼女に治療してもらったんだよね」
「クリフ皇子は勘違いをしています。治療といっても、セシリアの回復魔術は私に効いていませんでしたから」
「なぜ効いていないと言い切れるんだい?」
「それは……」
「魔女の呪いは強力だ。歴史上、多くの英雄たちが命を落としてきた実例がある。そんな中、君が助かった理由を本当に自己治癒力によるものだと考えているのだとしたら、自信過剰じゃないかな?」
「うぐ……っ……」
回復魔術はセシリアだけが使える特別な能力だ。その恩恵を受けていたと考えたほうが筋は通る。クリフの説明に招待客たちは静かに頷いた。
「お、俺は認めないぞ。妹のセシリアに従って生きるくらいなら死んだほうがマシだからな」
「ベルーク。君に従属は求めてないよ。これから投獄されるからね」
「……どういうことだ?」
「君はセシリアを『魔女の子』と呼んだ。そこに引っかかりを覚えてね。君の出自を調べさせてもらった」
「な、なんだとっ……」
「確かに、先代国王には魔女の愛人がいた。そして子供がいたことも事実だ。だけどセシリアが王家の血筋である以上、その子供は別の人物……君なんだろう、ベルーク」
「――――ッ」
図星を突かれたのか、ベルークは後退る。額には汗が浮かんでいた。
「君は最低な男だ。自分が『魔女の子』だと隠すために、セシリアにその汚名を押し付けたんだからね」
「ば、馬鹿馬鹿しい。証拠はあるのか!」
「あるよ。帝国の調査団は一流だからね。魔女の生まれ故郷を調べさせたところ、子供の名前はベルークという少年だったと村人から証言を得ている。そして君は魔女の力を引き継ぎ、呪いの力で邪魔な私を排除しようとしたんだ」
「あ、ありえない。もし俺が呪いの力を操れたとしたら、レイスを呪うはずがないからな」
レイスはクリフほどに症状は重くないが、呪いに苦しめられていたのは事実だ。魔女の力を使える犯人がベルークだとすると、レイスを狙う動機がない。
だがセシリアは知っていた。彼の醜悪な人間性ならば友人を裏切ることもありえると。足を一歩、踏み出すと、鋭い視線を兄に向ける。
「お兄様、あなたがレイス様を狙ったのは実験台にするためですね」
「な、何を馬鹿な……」
「馬鹿げてなどいません。あなたは呪いでどのような症状が起きるのかを確認するために身近な友人のレイス様を狙ったんです」
友人なら見舞いのために様子を伺いに訪れても不自然ではない。呪いを引き起こした犯人だと疑われるのを避けるために、彼はレイスを利用したのだ。
「さて、ここまで証拠が揃ったんだ。これ以上、釈明が続かないようであれば捕らえるけど、どうする?」
「うぐっ……お、俺は……この世界の王になるんだ!」
最後の抵抗とも言える叫び声を上げたベルークは、拳を握りしめて、クリフに向かって殴りかかる。
会場の招待客が息を呑む中、クリフは冷静そのものだった。飛びかかるベルークの動きを見極め、素早くその拳を掴み取る。
「……終わりだ」
低く響く声と共に、クリフはベルークを制圧する。力強く腕をひねり、勢いを利用して地面に押さえつけた。その動きは無駄がなく、洗練されていた。
「うっ……ぐあっ!」
「呪いは完治した私は、君に負けるほど弱くはないよ」
クリフに制圧されたベルークは必死に顔を歪めて反抗しようとするが、力と気迫の差を前にして、それ以上抵抗を続けることはできなかった。
「この男を連れて行け」
ベルークは衛兵に引き渡され、広間を後にする。彼の泣き声が響き渡る中、呆然と眺めていたレイスがセシリアの足元に縋る。
「セシリア、いえ、セシリア様。私はクリフ殿下に騙されていたんです。どうかご容赦ください」
もしセシリアが王位を継げば、王宮の支配者は彼女となる。つまりはレイスの生殺与奪を握る存在となるのだ。
その前に何とか関係を修復しようと、レイスは媚を売るような笑みを浮かべる。だがセシリアは騙されない。首を横に振る。
「私はあなたの顔を見たくありません。二度と私の前に現れないでください」
「セシリア様……私は……」
必死に請うが、セシリアが許しを与えることはない。無理だと悟ったレイスは大人しく広間を立ち去る。肩を落としながら歩く彼の背中はこれからの不遇な未来を象徴しているかのようだった。
(きっと大変な毎日が待っているでしょうね)
自分の組織のトップが、手酷い別れ方をした婚約者になるのだ。王宮での居心地は最悪になるだろう。
「これですべてが解決だね」
「クリフ様に助けられたおかげです」
「セシリアが私を救ってくれた恩と比べれば、たいしたことはしていないさ」
クリフの視線は優しさに溢れ、その言葉にはセシリアへの揺るぎない信頼と深い愛情が込められている。
セシリアはその言葉に胸が温かくなるのを感じながらも、ずっと気になっていたことを切り出す決意をする。
「……クリフ様は、本当に私でよろしいのですか?」
「どういう意味だい?」
「呪いが解けた今なら、きっと縁談の話もたくさん舞い込んでくるはずです。私より素敵な人はたくさんいるはずですから……」
クリフはセシリアの言葉を聞くと、一瞬驚いたように目を見開き、すぐに柔らかく微笑む。その瞳には揺るぎない誓いが宿っていた。
「セシリア。私は約束を守るタイプなんだ。呪いが解けたからといって、誓いを破ったりはしない。私の人生は死ぬまで、君だけのものだよ」
「ありがとうございます……クリフ様」
クリフは満足そうに微笑むと、セシリアを優しく抱き寄せる。
その後、セシリアは溺れるような愛に包まれながら幸せな日々を過ごす。クリフの変わらぬ愛情はセシリアを満たし続け、彼女もまた彼に応え続けた。呪いの苦しみを乗り越えた先には、温かなハッピーエンドが待っていたのだった。
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