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異世界恋愛系

かわいいだけのバカなど今時流行らない

作者: 華月彩音

ヴィヴィエッタ・ムジカは馬鹿である。

これは、屋敷で働く使用人から王宮に鎮座する玉座まで知っている当然の事実である。

勿論、ムジカ公爵家の一人娘たるヴィヴィエッタを公然とこき下ろせる者などいないから、これはあくまで公然の秘密だ。だが、第二王子の婚約者であるというのに、一切の知識が入っていないその空っぽなおつむは隠しきれず、ムジカ家の者もこの悪評についてだけは咎めることはなかった。

それは、当のヴィヴィエッタでさえも。


「だってね、あたくしでもあれは馬鹿だと思うのよ」


と、ヴィヴィエッタは美しい所作でメレンゲクッキーを口に運んで言う。


「だって、ヴィヴィエッタったら隣の国の国花を薄汚い腐った色の花と言い捨てたんでしょ?それも、その国の官僚の前で」


ヴィヴィエッタの口で、クッキーの甘さが溶けて無くなり、代わりに紅茶の香りがいっぱいに広がった。

相変わらず腕がいいのねと自分の侍女を褒め、そんな侍女が付いてくれてる私ってば国宝〜と自賛した。


「あれは流石にないわ〜、向こうの方はお顔が真っ赤、こっちの官僚はお顔が真っ青。あれは対比的で綺麗まであったわ」


紅茶に甘さが足りないので、ヴィヴィエッタは砂糖を加えた。量はそう―角砂糖3つ程度。

ヴィヴィエッタの侍女のアリサは、そんな主の様子を見てミルクをポットのそばに置いた。

ヴィヴィエッタは、それを頼むことなく自分で紅茶に追加する。

かくして、甘いミルクティーの完成だ。


「あの時は流石にとうとう殺されるかと思ったわよね」


ヴィヴィエッタはカラカラと笑った。

主人に無駄口を叩かないを心情とするアリサは、何も言わずにチョコレートを隣に置いた。ヴィヴィエッタは、もちろんそれを口に運ぶ。どうやらお気に召したらしい。


「あー誰かあたくしに特別手当を下さらないかしら?あたくし、こーんなに頑張ってるのに」


そう言って、ヴィヴィエッタは目の前の課題の山を叩いた。

可愛らしい菓子の隣に積み上がる無骨なそれは、ヴィヴィエッタの目下一番の強敵である。もちろん、その殆どはヴィヴィエッタの少し癖のある丸文字で埋められている。


「見なさいよこの書類の山!ひぃふぅみぃって数えるのも嫌になるわよ!」


そう言ってヴィヴィエッタは、残りの書類の束から一枚採り上げた。

始まれば終わる、やるしかないが信条のヴィヴィエッタは、この山を片付け切るつもりなのだ。


「でも、そういえばあたくしこの後も予定があったわよね?」


「そうですね。六の刻から宮廷で隣国使節団の皆様と会食、その後は先日の社会学の続き、それが終わりましたら本日の業務は終了し、ご帰宅となりますね」


聞かれたので、アリサは簡潔に全ての予定を伝える。

抜け目のない主は、アリサの言葉にひとつ頷いて、にっこりと笑った。


「うん。それなら、バサノバ伯爵家からの陳述書対応もできそうね」


あと、ファンデルワールス商会との交渉もしなくてはならないわねとペンを握ったまま、ヴィヴィエッタはこてんと小首を傾げた。

アリサは手土産何がいいと思う?などと尋ねながらも、目の前の書類はどんどん片付いていく。

全て片付け終わったので、ヴィヴィエッタは立ち上がって周囲の侍女に命令を下す。


今日はこれから会食なのだ。

綺麗に着飾らなければならない。

準備お願いねと侍女を動かしつつ、ヴィヴィエッタは学校の教科書を手に取った。

ヴィヴィエッタは学生なのだから、美しくあるのと同じくらい明日の定期試験も重要なのである。


ちなみに、ヴィヴィエッタを悩ませるのは、山積みの書類だけでは無い。

先日特待生として入学したとある生徒の事もまた、考えねばならないのだ。

その生徒の名は、残念ながらヴィヴィエッタは覚えていないが、どキツイ真っピンクの髪にうるうる通り越してもはや泣き出す五秒前な瞳、そして何より周囲の男性、特に高位貴族達への素行の不良さはしっかり把握している。

市井で流行っているいわゆるシンデレラストーリーに憧れているのか、人を悪役にしつつ男を落とそうとする行動は最早感動モノだとさえ思う。


でも、男というのはそういう女の子を好むものなのかもしれない。

市井で人気トップのとある小説の最新刊で、とうとう悪の令嬢と呼ばれた女に婚約破棄という鉄槌が下った日、この学園でも事件が起こってしまった。


「あてぃし、ほんとにぃ、ほんとにぃ怖かったんですよぉ、ヴィヴィエッタさん!」


「こんなか弱い女子を虐めるとは…ヴィヴィエッタ…貴様許せん!」


「いいんですぅパトリック様ぁ!きっとぉ、あてぃしも悪かったからぁ…」


ヴィヴィエッタの前でいちゃつきながら彼女を糾弾するのは、ヴィヴィエッタの婚約者である第二王子、パトリックと、件の令嬢である。


「モニカ、大丈夫だ、無理はしなくていいからな」


「大丈夫ですぅ、あてぃし、負けないぃ!」


涙に濡れた瞳で、それでも悪女に立ち向かわんとする姿は、王子の心にジャストミートしたらしい。

余計に正義感に燃える王子の背に隠れ、例の彼女…モニカは震え声で続ける。


「確かにぃ、あてぃしもヴィヴィエッタさんの怒るようなことしちゃって悪かったと思うのぉ」


「でもぉ、それでもぉ、あてぃし階段から落とされてぇ、すっごく怖かったのぉ!」


この茶番になんだなんだと立ち止まっていた野次馬たちも、モニカの言葉に驚き…はせず、ヴィヴィエッタならやりかねんと頷き、それでもその被害者が可哀想だと、ヴィヴィエッタに非難の目を向けた。


「全く、か弱い女子生徒に対しこの所業…今までの愚劣な行動に加えこれと来たら流石に庇いきれん!この件は正式に、王家の方で処理するからな!」


小説とは違い、王子は婚約破棄まではしなかった。が、震えるモニカの方を抱きヒーローよろしく立ち去る姿に、野次馬達は敬愛の拍手を送った。


1人残されたヴィヴィエッタはと言うと、


「なんだったのかしら、今の…」


とひとりぽかん。

これには野次馬も呆れ、これだからお馬鹿なヴィヴィエッタ様はと首を振って解散していく。


ヴィヴィエッタは溜息をつき、今日のお茶菓子はとびきり甘いのにしてもらいましょうと手を打った。

ヴィヴィエッタは無二の甘いもの好きである。


それからというもの、王子とモニカは校内で人目をはばからず、いちゃつき始めた。

本来なら咎められるべきものだが、王子の婚約者は愚かなヴィヴィエッタである。

モニカは貴族籍ではないものの、流石にヴィヴィエッタより馬鹿なんてことは無いはずである。咎められることも無く、寧ろ当たり前だと受け入れられた。

貴族たちは、この隙に己が娘を婚約者にと手を回したり、何とかモニカを養子にしようとその食指を動かし始めている。


という一連の動きを、ヴィヴィエッタは把握していた。

把握して陛下にも父親にも上奏し…

その後は何もしていない。


だって、ヴィヴィエッタは馬鹿なのだから。


「でも、馬鹿でも馬鹿なりに考えるものでしょう?」


ヴィヴィエッタは片眉を上げ、カップを持ち上げる。

今日はアップルティーだ。

甘くて美味しいこの紅茶を、ヴィヴィエッタはとても気に入っている。

アリサは、お茶菓子にスコーンを出した。

相変わらず気の利く侍女である。

これまた甘いはちみつと共にそれを頂き、紅茶を飲みきって、ヴィヴィエッタは今日も立ち上がる。


今日は卒業パーティーだ。

最近流行りの物語的にはここがクライマックス。気合を入れていかなくては行けないのだ。

ヴィヴィエッタは、最近夢中になっている肥料と作物の論文を手に取って、侍女にいつもの指示を出した。


ヴィヴィエッタ・ムジカは馬鹿である。

これは、言わずと知れた常識で、社交界に集うものがみんな知っている暗黙の了解だ。

彼女の空っぽなおつむは有名で、数々の問題を引き起こしてきた。


人々は愚かな彼女がそれでも、第二王子の婚約者である理由を知らない。

誰もそこに明確な疑問を持っていないのだ。


なぜって?


ヴィヴィエッタは真実、生まれた時から選ばれた令嬢であるからだ。


「ヴィヴィエッタ・ムジカ!今宵こそ貴様との婚約を破棄する!」


卒業パーティーの真っ最中、会場のど真ん中で声を上げた王子は、モニカを腰に抱き、ヴィヴィエッタに向かって宣言した。


「ヴィヴィエッタ!貴様は次期王子妃でありながら鍛錬を怠り、常に愚かであり続けた!さらに罪のない他の令嬢を虐めたとは最早、誰も庇えぬ愚行であることは明白!」


「よって貴様に我が妃となる資格はないと判断し、婚約を破棄する!」


ようやくかと周囲も頷き、糾弾されるヴィヴィエッタの言葉をみなが待つ。

哀れで愚かな、そのヴィヴィエッタの情けない発言を。


ヴィヴィエッタは、会場中の視線を集めつつ深々とひとつカーテシーをする。

次期王子妃として叩き込まれた、その所作はどんな時より美しく優雅であった。


「恐れながら申し上げます、発言をお許しください、殿下」


「なんだ」


「婚約破棄、謹んでお受けし速やかに実行致します」


「そ、そうか、やっとわかったか!なら」


「つきましては、殿下が私に任せられました政務につきまして、幾つか長期的なものがございますので、そちらの引き継ぎをさせていただきますね」


「あ、えと」


「それから、殿下が私に覚えるよう命じられた周辺5カ国の言語と、北の狩猟民族の文化については速やかに修了して頂きますよう、お願い申し上げます」


「あっとぉ…」


「そして最後になりますが」


ヴィヴィエッタは、王子をまっすぐ見てにっこり笑う。

そして、頭を下げて悠々と続けた。


「これまでお世話になりました、これにて契約は終了です、と陛下にお伝えください」


言い切ると、ヴィヴィエッタは王子に背を向け優雅に立ち去っていく。

契約という聞きなれない単語に王子が呆然とする中、傍らでモニカは王子に説明を求め続けていた。


かくして、後に悪夢の卒業パーティーと呼ばれる夜会は終わった。

第二王子はそのままモニカと婚約し、王家の土地である北の辺境の地を与え公爵とした。

その地は、三方を山に囲まれた山深い場所で、この国に通じている以外、どの土地とも接しない陸の孤島である。

幸い、災害はあまり起こらない治めやすい土地ではあるものの、人も物も出入りしにくいため、あまり旨味はない。

そんな所を与えられるという事は実質の廃嫡であり、王太子のスペアとしての役目すら果たすに値しないと判断されたという事である。

当然、多くの貴族たちは驚き、そして訝しんだ。

今まで婚約者であるヴィヴィエッタの愚かさは語られてきたが、第二王子の失態は耳にしたことがなかったのに何故かと。

そして、一部の者たちはその真実にたどり着いたのであった。


ヴィヴィエッタ・ムジカは馬鹿である。

これは、屋敷で働く使用人から王宮に鎮座する玉座まで知っている当然の事実である。

勿論、ムジカ公爵家の一人娘たるヴィヴィエッタを公然とこき下ろせる者などいないから、これはあくまで公然の秘密だ。だが、第二王子の婚約者であるというのに、一切の知識が入っていないその空っぽなおつむは隠しきれず、ムジカ家の者もこの悪評についてだけは咎めることはなかった。

しかし、それは必ずしも正しくは無い。


真実、愚かであったのは第二王子の方である。


ヴィヴィエッタは、歳の割にませた子で、むしろ切れ者の部類であった。

対して、第二王子はその愚かさはいざ知らず、最も救えないのは、何故か絶対の自信を持っていたことである。

何が理由であったのか、この王子は自分が正しいと信じて聞かず、己の愚かさに目を向けないため更生のしようがなかったのだ。

王太子は大変賢く、理知的で公平なまさに為政者たる人物であったため、王家は第二王子の教育を早々に諦めた。

そして、その愚かさが広まらないよう、替え玉を用意する事に決めたのだ。

それが、ヴィヴィエッタである。


ヴィヴィエッタ・ムジカの悪評は、全て王子の生したやらかしである。

ヴィヴィエッタは公式の場で必ず王子の近くにいて、その愚行がどちらによるものなのか、その場にいなければ分からないようになっていた。


後世に残る歴史は、全て勝者の歴史である。

はるか昔に王家に頭を垂れ、絶対の忠誠を誓ったムジカ家は、王家の命令に背けない。

そのため、ヴィヴィエッタはずっと王子の尻拭いをさせられていたのである。


だが、元はと言えば王家と婚約という契約を交わした事に理由がある。

それを王子が破棄したのだから、それら全てが無効となるのだ。


ヴィヴィエッタの悪評こそ消えないものの、今後それが増えていくことは一切ない。

全てが終わったあと、ヴィヴィエッタは清々しい笑顔で、ヴィヴィエッタに婚約を結び直せと縋るモニカに言い捨てた。


「可愛いだけのバカなんて、今時流行らないわよ」


と。

ご覧頂きありがとうございました。

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