1-8 やっぱり必要新婚らしさ
「あーーっもう!面倒くさい!!」
普段通りに徒歩で、しかもオーギュスティン家じゃなくてウォーカー家の自宅に帰り、そこから再び出勤したのを誰かに目撃されたのだろう。翌日、今度はもっと多くのお嬢様方から、「もう不仲ですの?」「やはり情けをかけてもらったのでは」「愛人に推薦してくださいませ」なんていう声を掛けられまくり、夕方には疲労困憊だった。
「ほんと、なんなのよもう……そんなにディカルドがいいなら、直接ディカルドに言えばいいのよ」
夕暮れの王宮からの帰り道を、トボトボと歩く。そんな私の心とは裏腹に、空は夕暮れのオレンジと夕闇の藍色が混ざって美しい色合いを描き、精霊たちが気持ちよさそうにその混ざり合う色合いの空を泳いでいた。
『ふふ、お疲れだねアニエス』
「リップル……これどのぐらい続くのかな?」
『うーん、そうね。やっぱりラブラブ感をもうちょっと出して、みんなを諦めさせたほうがいいんじゃない?そうしたらレックスも納得するだろうし』
痛いところを刺されて足が止まる。そうなのだ。昨夜も案の定、「ほんとうに愛されてるの?」と弟に疑いの目をかけられる始末。やっつけの偽装結婚で、さっそく粗が出始めたのは否めない。
若干それっぽいように演技をしてみたが、怪訝な顔をされただけで全く意味はなかった。それはそうだ、これまでの人生で恋愛対象として愛されたことなんてなかったし、自分の色恋沙汰すら考えたこともなかったのだから。
「困った……」
途方に暮れてボソリとつぶやくと、リップルが可笑しそうに笑って私の肩にとまった。
『今夜はまたディカルドと一緒なんだから、今度こそ新婚夫婦らしくイチャイチャしたらいいのよ』
「いやいや……さすがに悪いでしょ」
私達は偽装結婚。それを忘れてはいけないと、リップルに伝える。
『そう?多分受け入れてくれると思うよ。利害も一致してるでしょ。とりあえずダメ元で提案してみなよ。お嬢様方の攻撃と弟からの疑いの目をかけられ続けるよりはマシだと思うけど』
「それは……そうかもしれない、けど」
仕方がない。私は悩みに悩みぬき……遅番で帰宅した夫であるディカルドに、夫婦の寝室で声をかけた。
「お願いがあるんだけど」
「何」
「夫婦らしくイチャイチャしよう」
ガチャンとディカルドが水差しとコップを落としてしまった。変なタイミングで提案してしまって申し訳ないと思いつつ、再び口を開く。
「あのね、みんなに新婚のイチャイチャ感が足りないって言われて」
「……誰だそんなこと言った下世話な奴は」
「金髪に巻き毛のお嬢様と、あと何人かのお嬢様方と……それとリップルと、レックス」
「…………」
水差しとコップを拾うディカルドは、もう一度コップを転がしながら、再びそれを定位置に戻した。それから無言でタオルで床を拭いた。なんだかやたらと手際が悪いけど、今日は剣の訓練かなにかが大変で疲れているのだろうか。
その静かな背中を眺める。……やっぱり迷惑かもしれない。後ろめたさなのか、ちくりと胸を痛めつつ、再びその背中に語りかける。
「ダメかな……その……減るもんじゃないと思うんだけど…………」
「……失うもんがあるだろ」
「そう……?別に、キスもハグも、子供の頃お父様とお母様といっぱいしたし……夫婦のイチャイチャっていうのも、ある意味みんな経験済みだと……思うんだけど………」
イマイチ自信のないままそう言うと、ディカルドは一瞬固まったのち、はぁぁと頭を抱えてしまった。
「……お前が何も分かってないのがよく分かった」
「なにそれ!分かってるわよ!」
「ちょっと黙れクソチビ」
ディカルドは頭をワシャワシャと掻くと、少し考える仕草をしてから私の方を探るように見た。
「で……具体的にどうするつもりだったんだよ、お前は」
「え?だから……その……普通の夫婦みたいに……チューとかハグとかすればいいんじゃないのかな?」
「……………」
ディカルドは暫し黙った後、再び深いため息を吐きながら片手で顔を覆ってしまった。何か、間違っているのだろうか。
少し考える。正直夫婦のイチャイチャの詳細はよく分かっていない。多分、ディカルドのことだから、これは何も分かってねぇおこちゃまのクソチビがっていうリアクションなんだろう。
ここは妻として大人の女性であることもPRしたほうがいいかもしれない。そう思って熟考に熟考を重ね、再び口を開いた。
「ごめん、一つ抜けてたわ……頻度も大事よね」
「……は?」
ディカルドにとっては盲点だったようで、少し得意げに続きを話す。
「一日置きにはここに来るわけだし、その度にイチャイチャすることにしたらどうかな?ほら、例えばいってらっしゃいのチューとかするでしょう?普通の夫婦を考えたらできれば毎日がいいのかもしれないけど、それは努力目標っていうことでどう……?」
少し古風だが、毎日のいってらっしゃいのチューといえば、歴史的には夫婦の鉄板だろう。それに倣った内容のつもりだ。これで具体策の内容としてはバッチリだろう。
そう思いながらディカルドの様子を見たら、今度は頭を両手で抱えてしまった。しまった、まだ何かおかしかったらしい。全くわからず私も心の中で頭を抱える。
何か、何かおかしい……?
そこで、はっとした。そう、ディカルドは、『面倒な女は嫌だ』と言っていた。どうしよう、必要なこととはいえ、もしかしたらこれも面倒な範囲に入るのかもしれない。実際に作業としては増えてしまうのだから。
そんな事実に思い当たって、慌ててフォローを入れる。
「偽装結婚だし、そんなことしたくないっていうのはわかるよ。時間が取られるものね。でも……やっぱり、ある程度夫婦っぽい雰囲気は必要なのかなって」
ランプの明かりだけがゆらゆらと照らす暗い寝室に、自分の少し悲し気な声が響く。なぜ私はこんなにお願いをしているのだろうか。なんだかちょっと情けなくなってきた。
「だから……もしすごく面倒とか、嫌だったりしなかったら……どうかなって…………」
ぼそぼそと言葉を紡ぐ。面倒な女。ちょっとショックだ。
私が、もう少し魅力があるゆるふわな女の子や大人っぽい美女だったら、ディカルドもその気になったのだろうか。
なんだかそんな思いがふつふつと心の底から湧き上がってきて、俯いてぎゅっと寝巻のスカートを握りしめた。
「……こんなのとするの、ディカルドは、嫌かもしれないけど」
そうだ。よく考えたら、迷惑の上塗りでしかないかもしれない。ディカルドは、面倒な女は嫌だと言っていた。私はそれがないから良いと判断したのだとしたら、これは立派な契約違反になるだろう。そんな考えにたどり着いて、やっぱり言わなきゃよかったかもしれないと、後悔が湧き上がる。
だめだ、やっぱり、迷惑でしかないのだろう。そう思って、ぐっと目を瞑って、口を開いた。
「……ごめん、やっぱり、面倒くさい、よね……や、やっぱりなし……」
そうポツリとつぶやいた時、何か温かいものが頬に触れて、びっくりして顔を上げた。
ランプの光が照らす暗がりの寝室の中。頬にはディカルドの手。思ったより間近にディカルドの顔があって、目を見開く。
「お前こそ、いいのかよ」
その低い声は、思ったより優し気で。でも、同時に心配するような色が濃く滲んでいた。
「いいのかって……?」
「……初めてじゃねぇの?」
その言葉にきょとんとする。
そうか、そういうことか。確かにそういわれてみれば、世で言うファーストキスになるだろう。
でもさ、と思って、ディカルドを見上げる。
「そうだけど、もう結婚してるし、こだわる必要ある……?」
「……一応女としてはそういうの大切にするもんなんじゃねぇの」
「すごい、ディカルドもそういう気遣いできるんだ」
「しばくぞお前」
眉を顰めるディカルドがおかしくて、その表情を見上げて笑う。
「ディカルドこそ嫌なんじゃないの?」
「俺はいい」
「自分には無頓着なのね」
「……お前だって、震えてただろ」
突然、何の話だろう。一応考えてみたけど全く分からず、首をかしげる。
「……式の時だよ」
式の時。そういわれてみればと思い返す。確かに、大混乱してて、固まって……まさか、震えていたんだろうか。びっくりして、慌ててその時を思い返す。
だから、ディカルドは、あんな顔して……
「っもしかして、だからほっぺに!?」
「……そうだよ」
「うそ!ごめん!!」
まさか、そんな優しさを発揮してくれていたなんて。まったく気づかず、自己嫌悪に陥る。何を気を使わせているんだ、情けない。気合を入れろアニエスと、心の中で己を叱咤する。
「申し訳ございませんでした!気にせず好きになさってください!!」
「バカじゃねぇの……嫌々するもんじゃねぇし」
そういうとディカルドは頬に添えていた手を放し、そっぽを向いてしまった。違う、そうじゃないとフォローの言葉を探す。
「い、嫌じゃないのよ!あの時はただ……」
そう、嫌ではなかった。むしろそんな風には一切思わなかった。どちらかというと……
「ディカルドと、その、チューするんだって思ったら、なんか頭真っ白になって……」
そう、知ってたけど。知ってたけど、まさかディカルドとそんなことをするなんて、実感が湧かなくて。
「だから、ちょっと混乱して、いっぱいいっぱいになって、もう任せようと思って、必死で目を閉じて……」
そうだった。黙ってたらいいって言われたから、ディカルドに任せようと思って。
でも、されたのが、頬だったから。口じゃなくて。だから、私は……
「でも、口じゃなかったから、なんでだろうって、ちょっと残念だった」
そう、だから。
「嫌だったり怖かったりしたから、震えてたんじゃないよ。その、緊張、したから、だよ。だから……だい、じょうぶ」
言い切った。部屋中を沈黙が支配する。
これが正解かわからなかった。でも、私なりに、誠心誠意、嫌ではなかった事を伝えたつもりだ。
どうだろうか。妙に静まり返る空気の中、静かに息を吸う。
どうしよう、思っていたより息が震えていた。ディカルドが言った通りだった。慣れないことをするからだ……と悔しい気持ちになった時。今度は両頬に、ディカルドの硬い、でもあったかい手が触れた。
「――後悔すんなよ」
「なにを――――っ」
目の前いっぱいに、ディカルドの綺麗なまつげが見えて。ふわふわとあったかいものが、私の唇に優しく触れていた。
少しして離れたディカルドは、ポカンと見上げる私を、少し切なそうな、でも何か熱の籠もった表情でじっと見つめた。
赤銅色の目が、ランプの灯りに照らされてユラユラ揺れている。
「……目は、閉じろ」
「っは、はい!」
ぎゅっと目を閉じて、震える手でディカルドの着ていた夜着にしがみつく。何かに縋っていないと、どうにかなりそうで、怖かった。
「……落ち着け」
手が背中と頭の後ろに回って、震える私の身体を優しく抱きしめる。ぽんぽんとあやすように私を撫でるその手に、少し震えが収まった。
想像以上に硬いディカルドの腕の中は、思ったよりも優しくてあったかくて、安心できる場所だった。
なんだか心地よくなってきて、そのままぎゅっと抱きつく。
「……だから無理すんなって言っただろ」
「………無理してない」
「そうかよ」
ディカルドは私の頭の上で、はぁぁと息を吐き出した。
「逃げるなら今だぞ」
「逃げません」
「いいんだな?」
そう念押しするディカルドの声は、何故か切羽詰まっているような響きだった。
「……もう知らねぇからな」
何を?という言葉は、次いで降ってきた口付けに全部飲み込まれた。なんども優しく触れるそれに、目を閉じているからか、余計にクラクラしてくる。
ディカルドが、私に、キスしてる。
もう、だめだ……といっぱいいっぱいになってぐらついてきたところで、ふわりと身体が浮いた。
「わっ!?」
ディカルドに横抱きにされている。まさか、ディカルドが、私をこんな女の子みたいに扱うなんて……!?そしてどこへ連れて行くの!?
アワアワと混乱した私を、ディカルドはそっとベッドへと下ろした。
「あ、あの、ディカルド……!?」
暗がりの中、ディカルドを見上げる。
ディカルドは、今まで見たことのないような、なんだか色気のある表情をしていた。そのいつもと違う表情から視線を外せなくて、ゴクリとつばを飲み込む。
「……クソチビ」
「…………っは!?」
「さっさと寝ろ」
「ぶっ!?」
バサァ!と顔面にシーツがかかる。
「ちょっと!?」
「うるせぇ。やる事はやった。おやすみ」
そう言うと、ディカルドは私に背中を向けて布団をかぶると、そのまま寝てしまった。
読んでいただいてありがとうございました!
さあ!来ましたよ!イチャイチャタイム!!!
「いやぁぁぁぁぁ(*ノェノ)」と身悶えて下さった素敵な読者様も、
「ディカルド大丈夫!?これ続いたら死ぬんじゃない!?」と哀れな幼馴染みを心配して下さった優しい読者様も(多分ヤバいです)、
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