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1-34 腕の中に (sideディカルド)

 どれぐらい、こうしていただろう。


 深夜の寝室のテラスに、ただ一人佇む。


 美しい精霊界は、本当に夢のようだった。あっという間に醒めた夢。このテラスには何もない事は分かっていたけれど。それでもここを離れてしまったら、ついさっきまで感じていたアニエスの温もりが記憶から消え去ってしまいそうで、どうしてもこの場所を離れられなかった。


 幸せで、いて欲しい。


 その気持ちは変わらない。


 それでも、やっぱり、どうしても、この腕の中に帰ってきて欲しかった。そう思わずにはいられなかった。


 夜風がひゅうと吹くたびに、身体を冷やしていく。


 手すりに身体を預け、目を瞑る。瞼の裏に浮かぶのは、緑に覆われた美しい精霊界。そして、仄かに光る、本当に精霊のように神々しい、アニエスの姿だった。


 それでも、やっぱり柔らかな温かさは変わらなくて。丸いほっぺたも、明るい笑顔も、そのままで。思い浮かべる度に、どうしても愛おしさがこみ上げる。


 それでも。


 ――連れ帰れなかった。


 その事実は、変わらなかった。


 俺のことを覚えていなかったアニエスは、ひどく穏やかな表情をしていた。精霊に愛されたアニエスが、精霊界で暮らす。それが、酷く自然なことだと思い知らされて、強く一緒に帰ろうと言えなかった。


 汚い人間界の中で、たくさんの欲に晒される。そこに帰ってくることが本当にアニエスの幸せなのか。それは俺には分からなかった。


 選ぶのは、アニエスだ。それが、俺の答えだった。


 結局、アニエスに幸せになって欲しいという気持ちだけは変わらない。そうして身を引いてしまった自分の答えに乾いた笑いが出る。



 アニエスを、手放してしまった。


 その事実が、夜の闇が、しっとりとした孤独を運んできた。


 その重い空気に耐えきれず、手すりにのせた腕の中に顔を沈める。


 ――会いたい。


 消しても消しても湧き上がるその気持ちが、俺を絞め殺しそうだった。


 アニエスがいなくなってから、どうしようもなく俺を追い立てる乾きが、今夜はいつもよりずっと強く俺を苦しめる。


 ――ディカルド?


 夜風に乗って、微かにアニエスの声が聞こえた気がした。


 もう、願望が空耳にまでなってしまったのかもしれない。あまりの自分の情けなさに、手を握りしめる。


 会いたい、会いたい。


 この気持ちを、どこに逃せばいい?



「ディカルド……?」


 はっきりと聞こえたその声に、ハッとして顔を上げる。


 振り返るのが怖かった。でも。


 ゆっくりと振り返った、カーテンが揺れるテラスの窓。


 そこには、あの日と同じ姿の、アニエスが立っていた。


「アニ、エス……?」


 呆然とその姿を眺める。


 幻だろうかと、動き出せないまま、じっとその姿を眺め続ける。


 そんな俺に、アニエスは泣き出しそうな顔で返事をした。


「――っ、うん」


 ゆっくりと、でもしっかりと動き出したアニエスは、俺の方に一歩踏み出すと、俺にニコリと笑いかけた。


「――ただいま!」


 弾かれたように、アニエスを腕の中に閉じ込める。


 ちゃんと、温かい。ちゃんと、柔らかい。幻じゃないアニエスが、俺の腕の中にいる。


 アニエスは俺の背中に手を回し、ぎゅうぎゅうに抱きしめてきた。それは、ちゃんとアニエスという存在を、俺に実感させようとしているみたいで。俺は震える腕で、アニエスを確かめるように、しっかりと抱きしめた。


「――っ帰って、来たのか?」


「うん、ただいま」


「……俺のこと、わかる?」


「ふふ、もちろん、ちゃんとわかるよ」


 きちんと言葉が返ってくる。アニエスは、ちゃんと俺のことを覚えている。


 そんな、少し前まで当たり前だった事が奇跡のように感じて、しっかりとした現実味がないまま、アニエスを抱きしめ続けた。


「……良かったのか?」


「え?」


「こっちに、帰ってきて……良かったのか?」


「あ、当たり前じゃない!!」


 アニエスがプンプンと腕の中で怒り始めた。それすら愛おしくて、腕の中に閉じ込めたまま、その怒りを受け止める。


「どれだけ帰ってきたかったと思ってるのよ!」


「俺のこと忘れてたくせに?」


「っ、そ、それでもよ!」


 負けじと帰ってきたかったのだと主張するアニエスを、笑いながらぎゅうぎゅうに抱きしめる。


「これ、夢じゃないよな?」


「つねってあげようか」


「……痛くない」


「……むしろ大丈夫?」


 俺の頬をつまんだり伸ばしたりしているアニエスを上から見下ろす。


 本当に、帰ってきた。


 本物だ。


 まだ夢じゃないかと思う幸福に思わずぐっときて、慌ててアニエスの柔らかな髪の中に顔を埋めた。


「……ディカルド?」


「なに」


「…………泣いてるの?」


「泣いてるわけねぇだろ」


「じゃあ顔見せてよ」


「うるせぇ」


 断固拒否して誤魔化すようにアニエスをぎゅうぎゅうに抱きしめる。


 アニエスは、ふふ、と笑いながらぽんぽんと背中を叩いた。


「ほんと、ちょっと離れただけで泣いちゃうなんて、私も愛されてるわね」


「ちょっとじゃねぇ、ふざけんな」


「ほんの数日じゃない」


「3ヶ月だ、クソチビ」


 その声にアニエスはギョッとして俺を見上げた。


「っ3ヶ月!??」


「レックスは無事に爵位を継承したぞ」


「う、うそでしょう!?」


 凄まじく衝撃を受けた様子のアニエスは、髪の毛の中から復活した俺の顔をまじまじと見た。


「…………大変おまたせ致しました」


「ほんとだアホ」


「それは……ごめんなさい」


「謝って済むもんじゃねぇ」


 俺はもう一度ぎゅっとアニエスを抱きしめた。


「――一生かけて償え」


 そう言って、柔らかな身体をしっかりと自分に抱き寄せる。


「もう離れんなよ」


「っ、う、うん」


「俺のこと二度と忘れんなよ」


「わ、忘れないわよ!」


「目そらすのも禁止だ」


「……努力します」


「――アニエス」


 頬に手を添えて、アニエスの薄紫色の綺麗な瞳を見つめる。


 帰ってきた。


 本当に、帰ってきた。


 それでもまだ信じられなくて、目に焼き付けるようにアニエスを見つめる。


 柔らかな頬。温かい身体。腕の中には、確かに、アニエスがいた。


「……ディカルド」


「ん?」


「ディカルドも……もう私を離そうとしないでね」


 ポツリとそう言って俺を見上げたアニエスは、優しげな綺麗な瞳に涙を浮かべた。


 その様子に、精霊界でのことを覚えているのだと分かって、俺もぐっと涙を飲み込む。


「――もう二度としない」


「絶対だよ?」


「……絶対だ」


「忘れてても……嫌だって言っても、絶対離さないで」


「……分かった」


 キュッと俺の服を握りながら俺を見上げるアニエスに、ゆっくりと顔を近づける。


 大丈夫、もう分かった。次は、絶対に、離さない。


 そう、アニエスに誓った。


 伝えたい気持ちは沢山あった。でも、どれも言葉にできなくて。


 仄かな月明かりの中。俺は、ずっと恋い焦がれていた妻に、その存在を確かめるように、ゆっくりと口付けを落とした。


読んでいただいてありがとうございました!


ディカルドさんには思う存分抱きしめタイムを満喫してもらいました。

「ったりめぇだろこの鬼畜作者が!!」と狂犬ばりに作者をどつきたい神読者様も(ごめんなさい)、

「3ヶ月とか鬼畜過ぎる」とキレたリップルばりに痛い視線を作者に送るあなたも(ごめんなさい)、

引き続き応援してくださると嬉しい……のですがどうでしょうか……m(_ _)m

あと残り数話、アニエスとディカルドをぜひ最後まで見届けて下さい!

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