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1-32 月夜 (sideディカルド)

「各地の状況です。今の所思ったより大きな暴動とかは起こっていないですね」


 レオンがペラペラとメモをめくりながら軽い雰囲気で報告をする。夕方の訓練所横の執務室。騎士団にあてがわれている場所など、たいしたものも無い簡易な部屋だ。少し古びた椅子に腰掛けると、ギィ、と木が擦れる音がした。


「寧ろ事が起こってすぐに国民全体に演説したアレクシス王子の人気がヤバいです。麗しい見目に惹かれたファンももちろんいますけど、その手腕に惚れた者も多いみたいですね。もはや救世主です。もう王太子指名は確実ですね」


「そうか」


「その片腕にのし上がったご気分はいかがですか?」


 にや、と笑って俺を見るレオンを、ただ見返す。レオンは、暫しニヤリとした顔を保っていたが、少しして諦めたのか、ふぅとため息を吐いてからまたメモを捲った。


「とにかく、農産地が全滅じゃなかったのが幸いでした。一部の教会との癒着が強かった土地は酷いもんですが、その他の土地は結局収穫高2割減ぐらいです。大きな冷夏や干ばつが来たぐらいですし、一般的な国民は乗り越えてやろうという雰囲気ですね」


「寧ろヤバいのは教会側ですよぼっちゃん」


 疲れたようなキュリオスがすっと現れた。いつもぴしっとしている執事服がよれている。


「あまりにも酷い行いが一気に公にされたので、各地の教会支部が襲われてボロボロになっています。聖職者達もあっという間に霧散して、もはや誰が聖職者だったかわかりません。まぁ、地方の聖職者であれば大した悪さはしていないでしょうけど。……その反動で愛し子様への崇拝というか、お見舞いが山盛りです」


 ぺらりと渡された目録を眺める。


「皆さん好き勝手に愛し子が好きそうなイメージの物を送りつけてくるんですよ。宝石やドレスならまだいいですが……農産物や原石、山盛りの薬草や謎の種、牛や豚にかわいいヒヨコちゃん、木彫りの何かや大きな銅像、池や山の権利書まで、多種多様な贈り物が届いています。なんとかしてくださいぼっちゃん」


「……積んでおけ」


「いやもう場所が……」


「勝手に捨てられないだろ」


 そう返答すると、キュリオスはそのまま押し黙った。


 重さのある、少しの沈黙が流れる。



「……団長、ちょっと訓練付き合ってくれません?」


 突然レオンがそう申し出た。珍しいなと思って首を傾げる。


「だって最近忙しかったから、あんまり訓練してくれなかったじゃないですか。団長も身体がなまってきたんじゃないですか?ね、だから訓練しましょ」


「……今からか?」


「はい、今から。ほら、よく団長だって夜中ご自宅で訓練してますよね?」


 そう言われて、夕暮れに真っ赤に染まった訓練所の広場に出る。レオンはポンッと訓練用の木刀を投げてよこした。


「……本気でいきますよ?」


 俺の返事を聞かぬ間に、レオンは思いっきり一撃を繰り出してきた。一瞬焦りつつそれを防ぎ、距離を取る。が、レオンは再び距離を詰めて、切りかかってきた。


 カンカンッと木刀のぶつかる音がする。


「弱く、なってません!?」


「なにを、」


 ドス、と脇腹にレオンの蹴りが入った。次いで降ってきた木刀をすんでで防ぐ。


「は、腑抜けですか」


 腑抜け?なんとなくイラッとして、切り返した。パンパンッと木刀を弾き、足を払う。ぐらりとバランスを崩したレオンの木刀を弾き飛ばして、倒れたレオンの首元に木刀を突きつけた。


 勝負はあった。倒れたレオンを見下ろしながら、ふぅと息を吐く。


「――――つまんないんですよ」


 息を荒くしたレオンが、唐突にそう呟いた。


「俺の主は、悪魔みたいで、死神みたいで、悪の帝王みたいな表情をする、狂犬ヤローです。無表情の能面ヤローじゃない」


 いつものレオンからは想像がつかないほど、辛そうなその声に驚く。レオンは片手で顔を覆うと、息を整えるように、静かに言った。


「教会の解体も、後ろ暗い事実の洗い出しもした。各地の下町の状況把握や対応策の進言、騎士団で各地の支援にも行ったし、アレクシス殿下の護衛に側近みたいなことまで。……あれから三ヶ月以上、休みなく」


 そして起き上がったレオンの表情は、悲痛に歪んでいた。


「いっかい、休みましょう?それで、いつも通りの団長に戻ってくださいよ。……また前みたいに、暴言吐きながら鬼か悪魔みたいな泥臭い訓練してくださいよ」


「……別に、俺はいつもどおりだ」


「何いってんですか、どこがですか。訓練所三周してこいって、もうずっと言われて無いですよ」


 そうだっただろうか。そう言えばそうだったかもしれないと、あやふやな気持ちで振り返る。


「明日は休んでください、団長」


「……そうですね、私からもお願いします、ぼっちゃん」


 キュリオスまでそんな事を言い出した。休み……今はあまり欲しくない気持ちだけれど。そこまで言うなら、休んだほうがいいかもしれない。


 そう思い直して、家に帰った。


 ここのところ、ずっと王宮に泊まってばかりだった。慌ただしく過ぎる毎日に、ただただ埋もれていたように思う。


 以前のように、庭で軽く汗をかいて、風呂に入ってから部屋に戻る。


 欠けた月が薄暗く照らす寝室は、酷く冷えた空気が満ちていた。


 足りない。


 その気持ちを押し込めるように、ベッドの中に入って腕で視界を遮り暗闇を作る。


 ――あまーい、あまーい


 いつかのふざけた寝言を思い出して、少し可笑しくなった。幸せな、笑顔に満ちた朝。


 本当に、幸せだった。



 ――アニエスは、今、幸せにしているだろうか。



 柔らかな、小さな身体。芯のある、真っ直ぐな視線。負けずにぶつかってくる活きの良さ。


 ずっと、そんなアニエスでいられるように。見失わないように、ずっと側にいて、守りたいと思った。


 だから、本当に今、アニエスが幸せなのだとしたら。それはもしかしたら、いい事なのかもしれない。


 人に搾取されない世界。俺は、隣にはいられないようだけど。


 アニエスが、幸せなら。


 そう、自分に言い聞かせてみた。


 広い、二人用のベッド。ぎこちなく距離をあけて眠った、初めての夜。


 少しずつ、近づいてきてくれた、小さな身体。


 俺は、いつからこんなに欲張りになったんだろう。


 腕の中にアニエスがいない事が、こんなにも苦しいなんて。



 眠れずに、ベッドから抜け出してテラスへ出た。細い月がほんの少しだけ照らす庭園は、瑞々しい緑が広がっていた。


 王都中の木々や草花がボロボロに枯れていたのに、精霊の愛し子が暮らしていたこの場所は、瑞々しさを保っていた。


 少し視線をずらして隣の家を見る。美しい薬草園が、月明かりにほのかに浮かび上がっている。


 その手前に見えるのは、聖職者の聖女探しから一緒に逃げ隠れた庭園管理用の小屋。その奥に見えるのは、アニエスが木登りした木。近くには、アニエスが飛び込んだ池がある。


 俺の屋敷と、隣のアニエスの家。一緒に重ねた時の深みだけ、思い出が沢山あった。


 色濃く残るアニエスの足跡。確かにここにアニエスがいたという事実が、俺をずしりと押し潰してくる。


 揃いでつけた結婚指輪が、月明かりの中、ただ一つだけの光を静かに放っていた。



『――アニエスに会いたい?』



 突然男の声が聞こえて、慌てて振り向いた。思わずその姿に息を呑む。


 月明かりに照らされた白銀の髪が、サラサラと揺れる。優しく微笑むその顔は、恐ろしいほどに美しい。


 同い年ぐらいに見えるその男は、白いシンプルな服装だったが。直感で明らかに人とは違うと分かるほど、神々しいほどの存在感を放っていた。


「……精霊?」


『あぁ、そうだね。うん、私は精霊だ』


 にこやかに笑って俺に近づく男の足音は、一切しなかった。風に、フワフワと男の白い服が揺れる。


『アニエスは今、殆ど人間界の記憶が無い』


 その言葉に目を見開く。


 ――数日で忘れる。リップルは、確かにそう言っていた。


 それは、気持ちの問題ではなかった。精霊界がそういう場所だと、そういう事なのだろう。


 あまりの事実に、衝撃を隠しきれず、ぐっと拳を握る。


 男は、少し切ない笑顔を俺に向けながら、静かに言った。


『――アニエスが人間界に戻ってくるためには、呼び水が必要だ。君に会うことで、アニエスは人間界に戻れるかもしれない』


 その言葉に、ハッとする。


「ま、だ……戻れる、のか?」


『今ならギリギリ間に合うよ』


 その美しい男は、静かにそう言うと、俺に一歩近づき俺の顔をじっと見つめた。


『ただ、人間の君が精霊界にいられる時間はほんの一瞬だ。その間に、アニエスと話して、アニエスがここに帰って来たいという強い気持ちを呼び起こさないといけない。チャンスはこれを逃すと二度と来ない。そして、アニエスは君のことを多分覚えていない。――それでも、君にアニエスに会う覚悟があるのなら、今なら、会わせてあげられる』


 そして、男はすっと白い手を俺に伸ばした。


『アニエスが人間界に帰ることができる、最後のチャンスだ。……一緒に来るかい?』


 迷わずパシッとその手を取った。それは、ほとんど無意識で。


 男は優しく目を細めて俺を見た。瞬間、周りの景色が一気にぼやける。




 気がつくと、全く知らない場所にいた。溢れる緑。穏やかな清流が、苔生した大きな岩の間を流れ落ちていく。


 流れが緩やかになり、透明な池のようになった美しい川岸の緑の中。蔓で編まれたような椅子に、アニエスが腰掛けていた。ぼうっと、川の流れを見つめている。


「――アニエス?」


 ふ、と振り返ったアニエスは、俺の顔を見て、不思議な顔をしてからにっこりと笑った。


「こんにちは」


 ――俺のことを覚えていない。その一言で分かった。


 それでも、アニエスに会えた喜びは大きくて。俺は引き寄せられるように、アニエスに近づいた。


 アニエスは、身体のまわりが透明な七色に光っていた。人とは違うその姿に、ここが人の住まう場所ではない事を実感する。


 アニエスは、不思議そうな顔をして俺を見上げた。


「えぇと、何か用?どうしたの?」


 俺の大好きな、明るい声。


 憂いのないその表情は、とても穏やかだった。


「……今、幸せか?」


 そう問いかける。アニエスは、きょとんとした表情をした後、満面の笑みを浮かべた。


「うん、もちろん、幸せだよ」


「……そうか」


 アニエスの背後には、ふわふわと楽しそうに精霊達が踊っている。


 優しい世界。そこに、自分の影すら落ちていないことを感じて、遠い存在になってしまったアニエスをただただ見つめる。


 また不思議そうに俺を見上げたアニエスは、椅子から立ち上がって俺の顔を覗き込んだ。


「あなたはどうして泣いてるの?」


 温かい手が、俺の頬を拭う。


 思わず、そのまま抱きしめた。柔らかな身体。穏やかな温もり。アニエスの、ほっとするような優しい香り。


「好きだよ、アニエス」


 そう言って、アニエスの存在を確かめるように抱き寄せる。


 アニエスは、少し驚いたような素振りを見せた後、そっと俺の背中に手を回した。その仕草に心を満たされながら、柔らかな茶色の髪の毛に頬を寄せる。


「ずっと、好きだ」


 ほんの少しだけ身体を離して、アニエスの頬に手を添える。柔らかな丸いほっぺたは、あの頃からずっと変わらない。


 俺の、一番大切な人。


 帰ってきてくれても――このまま、帰ってこれなくても。ずっと幸せでいて欲しいと願いながら、口付けを落とす。


「……ディカルド?」


 そう俺の名を呼んでくれたアニエスに、そっと微笑む。


 ――ありがとう。


 その声は、届いたのだろうか。


 さぁ、と風が吹いて。



 暗がりのテラスにただ一人。


 なんの温もりも無くなった腕の中の空気を、細い月が照らす薄明かりの中に、そっと手放した。


読んでいただいてありがとうございました!


この回、泣きながら書きました。

「えっ……( ゜д゜)?」って呆然とした読者様も、

「は!?え?いやいやいや( ゜д゜)アニエス返せ」って作者に殺意を抱いた読者様も、

いいねご評価ブクマ……この回ではして頂かなくて大丈夫です(´;ω;`)!!

どうぞ次のお話をお読みください!!!

(数分後にアップします)

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