1-20 テラスと夕焼け
「っはー!楽しかった!!」
夕暮れのオーギュスティン家のテラス。王都の情緒ある街並みが夕焼け色に染まり、空の茜色と水色と群青が混ざり合って、流れる雲が輝いている。
ドレスを発注し、新しいワンピースを着せてもらった後。私達は異国の料理屋へ行き、顔より大きな薄いパンとドロリとしたスパイシーな謎のスープを食べた。最近話題の料理とかで、とても美味しかったのだけど。ディカルドは激辛に挑戦してすごく辛そうだった。
「よくあれ全部食べたね」
「完全に舐めてたわ」
「っふふ、お腹大丈夫?」
「あれぐらいじゃ……やられねぇ……」
「ほんとかな〜?」
テラスの手すりによりかかり、食後のお茶をすする。ちょっと行儀悪いけど、夕暮れの空と街を眺めながらのお茶は、最高の味がした。
今日は本当に楽しかった。激辛ランチの後は、ブラブラと街を散策しながら近くにあった王都植物園へ行った。十年に一度しか咲かない珍しい花が咲いたとかで、かなり賑わっていた。そして、二十分ほど並んでやっとその珍しい花を見れたのだが。
「っふふ、ディカルドのあの貴重な花を見たときのコメント、面白かったな」
巨大な肉厚の葉から伸びた大きな花は、まるで槍のように天井近くまで伸び、その先の葉っぱに赤い縁がついたような……至極地味な花を咲かせていた。
「『どこが花だよ』って凄むんだもん。花相手に怒るとか狂犬過ぎるでしょ」
「あんだけ待って、やっと見れたのがあの花だか葉っぱだかわからんキモい植物だろ。仕方ねぇ」
「周りの人、何人か頷いてたよ」
「ほらな」
得意げなディカルドが面白くて笑う。私も大概ご機嫌過ぎるかもしれない。
遊び切って帰って来た後は、天気もいいしとオーギュスティン家のテラスでディナーを食べることにした。お義父様とお義母様は今日は遠慮しておくわと言って来てくれなかったのだけど。私とディカルドの二人でのんびり食べる晩御飯は、何故かいつもより、とても美味しかった。
私はウキウキとした気持ちのまま、同じようにテラスの手すりにもたれかかるディカルドに声をかけた。
「また行きたいね」
「……そうだな」
同意の声が聞こえたけれど。なんとなく、思っていた声のトーンより控えめな雰囲気で。私はちょっといじけた気持ちでディカルドを睨んだ。
「なんか微妙に行きたくなさそうなんですけど?」
「……行きたいに決まってんだろ」
その返答の声が、何故か重さのある雰囲気を伴っていて。私は不思議に思ってディカルドの顔を覗き込んだ。
「ディカルド……?」
ディカルドの表情は、なんとなく寂しげで。私は何か胸騒ぎを覚えながら、ディカルドの動きを見守った。
ディカルドは、ポケットから、そっと封筒を取り出して私に差し出した。
「……招待状だ」
そういえば忘れていた。当初の目的を思い出しながら、その上質な夜会の招待状を受け取る。
封筒の開け口に手をかけた時。何となく、嫌な予感がした。でも、見ないわけにもいかない。
思い切って封を開けて中に入っていた二つ折りのカードを開く。
ディカルドと私の名前が連名で書かれた招待状には、美しい文字で夜会が開催される旨が書かれていた。場所は、王宮。招待者は――――
「第二王子……アレクシス……」
一気に身体が冷えた気がした。上手く息が吸えない。私は震える手で封筒を握りしめながら、顔を上げた。
ディカルドは真面目な表情で、私の方を見ていた。
「――実際の夜会の主催は教会だ」
「っ……」
バサリと招待状が手から落ちる。ディカルドは、招待状を拾い上げて再びポケットにしまうと、冷たく震える私の手を、そっと取った。
「……聖水晶の予言が変わった。未婚の文字が消えて――新しい聖女候補の名簿の上位に、アニエスの名前が載っている」
ガラガラと、私を守っていたものが、崩れ落ちた気がした。聖女候補の名簿に、自分の名前が。
ひたひたと、不気味なほど静かな大聖堂が近づいてくるような恐怖を感じて、身体がどんどん冷たくなっていく。
「大丈夫だ」
ギュッとディカルドが私の手を握った。青い顔でディカルドの顔を見上げる。
ディカルドは、強い、でも優しさのある赤銅色の瞳で、私をしっかりと見つめた。
「簡単にはアニエスを渡さない――奪われても必ず取り返す」
その低く響く声に、ほんの少し緊張が解けて、は、と息を吐く。気が付かないうちに、息を止めていた。
ディカルドは心配そうな表情で私の様子を窺ってから、テラスの二人がけのベンチに私をそっと座らせた。そのままディカルドも隣に座り、再び私の手をしっかりと握った。
そんなディカルドに、かすかに震える唇で問いかける。
「でも、どうやって逃げ切るの……?聖水晶に触ったら、すぐに愛し子だってわかっちゃうんだよ?」
「作戦は二段階だ」
ディカルドは、私の手をしっかりと握ったまま、話し始めた。
「まずは、なんとかして聖水晶を触らないように全力を尽くす。多分参加者全員に聖水晶を触らせようとしてくるだろうから、なにか理由をつけて触らないようにするか、触ったように見せかける。でも――逃げ切れない可能性も高い」
「……うん」
ディカルドは、そこまで話すと少し黙った。握った私の手を見つめて指で少し撫でてから、また顔を上げる。
「――もし、アニエスが聖水晶を触って、聖水晶が光り輝いたら、教会はアニエスをすぐに囲い込んで、大聖堂に連れて行くと思う。その場合は……俺は教会をまるごとぶっ潰す」
「うん……はぁ!??」
待って、まるごとぶっ潰す!?突然の凄まじい宣言に、まさかと思ってディカルドを凝視した。でも、ディカルドはふざけた顔をしていなかった。
「ほ、本気……?」
「本気だ。まだ十分とは言えないが、教会を潰せる見込みはある。それに、味方も引き入れた」
「味方……?」
「第二王子だ」
その言葉に息を呑む。第二王子アレクシス=エランティーヌ。金髪に碧眼の、見目麗しい第二王子だ。まさか、聖女の婚約者となる王子を仲間に引き入れるなんて。
「よ、よくそんな大物と……」
「聖女の婚約者となる王子は、政の中では飾り物になる。アレクは、それを望んでいない。王家は教会への中立派もいるが、反教会派がほとんどだ。アレクも、権力が強すぎる教会は解体したいと思っている」
第二王子をアレクと呼ぶディカルドが、とても遠い存在に感じた。オーギュスティン家とウォーカー家……ディカルドと私の力の違いがはっきりと見えた気がした。
真新しいスカートをギュッと握る。本来は、分不相応な関係だ。それなのに、ディカルドはここまで私のために動いてくれていた。
「ありがとう……そこまで、してくれて」
「……別に、お前のためだけじゃない」
そう言ったディカルドは、少し苦しい表情をした。
ほんの少し、重い沈黙が流れる。
「教会は、これでもまだ得体の知れない所が多い。特に、大司教の弱みが握れていない。だから、俺とアレクが動いただけじゃ、簡単に倒しきれないかもしれない」
手がギュッと握られて。ほのかにディカルドの手に震えを感じて、はっとしてディカルドの顔を見上げる。
ディカルドは、静かな硬い表情で私を見下ろした。
「――暫く大聖堂に囚われて、俺と離縁して第二王子と婚約せざるを得ないかもしれない。でも、必ず助けるから、諦めるなよ」
時が、一瞬止まったような気がした。
「なに、言ってるの……?」
「……だから、必ず助けるって」
「大聖堂から助け出された後、私はどうなるの?」
「…………アレクと約束したから、」
「嫌よ!!!」
ディカルドの言葉に被せるように叫び、ガタンと立ち上がってディカルドを睨みつける。
悲しくて、辛くて、胸が張り裂けそうで。
目の前が、涙でぼやけていく。
「王子と結婚なんてしたくない」
「っ、だから、」
「私はディカルドじゃないと嫌だ!」
ぼやけた視界の向こうで、ディカルドが驚いた表情で私を見上げているのがわかる。
なんていう我儘。これは単なる偽装結婚なのに。そんなの分かっているのに、でも溢れだす気持ちが止まらなかった。
面倒な女。もう、そうなってしまったのかもしれない。でも、それでもいい。
この気持ちを、この関係を、何も伝えずにこのまま壊す事なんてできなかった。
「教会に連れ去られても、大聖堂に閉じ込められても、私はここに必ず帰ってくる」
涙をぐっと拭う。
悲しくて、体がバラバラになりそうだ。でも。
まだ、諦めるな。まだ、私はディカルドに、何も伝えられていない。
負けるな、まだ、負けるな。震える両手をギュッと握りしめて、ディカルドを強く見つめた。
「私は、ディカルドの妻以外になる気はないから。――ディカルドしか、好きじゃない」
ぶわりと涙がせり上がってきて、視界がぼやけてよく見えない。届かなくて、全部なくなってしまいそうで、答えて欲しくて。子供のように叫びたかった。
「ディカルドが、好きなの。ディカルドじゃないと、嫌」
ぼろぼろと涙を流して、涙声を絞り出す。
本当に嫌だ。我儘を言って、こんなふうに泣いて。きっとまたガキだって言われる。でも。
伝えずにはいられなかった。
「アニエス、」
「やだ!!」
私を説得しようと立ち上がったディカルドが、私の肩にそっと手をのせた。そんな説得には絶対乗らないと、その手を振りほどく。
「王子と結婚するぐらいなら、大聖堂の窓でも壁でもぶち破って、屋根とか木とか伝って帰ってくるから!!!」
「いや、だから、」
「むしろ私が教会をぶっ潰して帰ってくるわ!!そんな後ろ暗い場所なら、中に入ったら証拠なんて集め放題でしょう!?」
「アニエス、」
「迫られたら股間蹴り上げて逃げるし!」
「こか……お前な!」
呆れたような声になってきたディカルドを、涙目で睨みつける。
でも、睨み切れなくて。ディカルドと離れることの悲しみに耐えきれなくて。
堪らず、弱々しい涙声になる。
「……ディカルドの妻でいられないなら、一生結婚なんてしない」
「……っ」
何か言葉を言い淀んだディカルドは、片手で顔を覆って、はぁぁ、と息を吐き出した。
やっぱり、面倒な女だと思われたのかもしれない。
あまりにも悲しくて、また涙で何も見えなくなって。我儘を言って困らせてしまったことが、じわじわと自分を罪悪感の中に沈めていくようだった。
これは、偽装結婚なのだ。
そんなの、最初から分かっていたのに。
空気が鉛のように重たくなったように俯いて、ぽたぽたと涙を流した。
こんなに、ディカルドの事、好きだったんだな。
今更遅いのかもしれないけど。そう後悔が押し寄せてきて、余計に涙が溢れる。
ごめんね、ディカルド。我儘言って。
分かったよ。そう言わなきゃいけないって、分かっているのに。震える唇が、その言葉をどうしても吐き出せない。
「――どうしても離縁しなきゃいけない状況になったとしても、諦めるつもりなんてなかった」
そう、頭の上から声がした。
よく意味がわからず、ぽたぽたと涙を流し続けながらその声を聞く。
「アレクにも、もしそうなったとしても、絶対に手を出すなよって……状況が整ったら必ず俺の所に返せって、誓約書まで書かせた。それが、アレクとした約束だ」
第二王子に誓約書?そんなことしちゃっていいのと、僅かに残っていた理性がぴょこりと顔を出した。
手を出すな……?
「大聖堂に囚われても、離縁しなきゃいけなくなっても、王子と婚約しなきゃいけなくなっても、俺はアニエスを諦める気は無い。……最悪、お前を連れて国外逃亡する」
オーギュスティン家の跡取りが国外逃亡!?事の重大さに驚いて顔を上げると、すぐ近くにディカルドの顔があった。
そっと頬に手がのって、涙を拭かれて。
しっかりと見えたディカルドの顔は、すごく真剣で。赤銅色の瞳が、燃え上がりそうなほどの熱を湛えていた。
「俺がお前のこと諦めるわけねぇだろ」
その言葉が、一度に全部飲み込めなくて。間近にあるディカルドの顔を見つめ返す。
「面倒な女は、嫌だって……」
「お前は面倒じゃない」
即答したディカルドは、なんだか優しいような、何かを企んでいるような顔でニヤリと笑った。
「お前以外の女は全部面倒だけど、お前は何してても面倒じゃない。そうじゃなかったら、即決で結婚なんてするわけねぇだろ。――最初から、お前を誰にも渡したくなくて、結婚したんだから」
驚いて、目を丸くしてディカルドを見上げる。
ディカルドは、いたずらが成功したような、嬉しそうな顔で笑うと、息がかかるほど間近に顔を寄せて、熱の籠もった瞳で私を見つめた。
「――必ず、取り戻すから。だから、俺の所に戻ってきてくれるか」
コクリと頷くと、ディカルドは嬉しそうに笑って、コツンと私のおでこに自分の額をくっつけた。
「愛してる、アニエス。お前の夫は俺だけだ」
甘く、でもはっきりと響く低い声に、堪らずギュッとディカルドの服を握った。
ディカルドの、ふ、というかすかに笑う息遣いが聞こえて、急に恥ずかしくなってきて身もだえる。
「穴に入りたい……」
「許すわけねぇだろ」
そう言うと、ディカルドは額を離して私の目をじっと覗き込んだ。
「目、そらすなよ」
赤銅色の熱い瞳が、じっと私を見ている。
「もう一回言え、アニエス」
「な、何を……?」
「……俺をどう思ってるか」
そんな恥ずかしいこと、と思ったけど。ディカルドの甘くて熱い視線に絡み取られて、ふわふわと浮いたような気持ちに、恥ずかしさなんてどうでもいいような気がしてきて。
私は溶けてしまいそうな気持ちになりながら、そっと唇を動かした。
「好き、ディカルド」
思った以上に、弱々しい声が出て。絶対にからかわれるんじゃないかと思ったけど。
間近に見えるディカルドの顔も、私と同じようにとろけそうな、でも真剣な甘い表情をしていた。
「俺も好き」
そう囁いたディカルドは、嬉しそうにほんのりと笑うと、幸せそうに、優しく私に口付けた。
読んでいただいてありがとうございました!
作者は感無量です。
「おめでとうぅぅぅぅ!!!」と心の中で拍手喝采してくれた素敵な神読者様も、
「ぜっったいに逃げ切れよぉぉぉぉ!!!」と二人を引き裂こうとする迫りくる危機に最大警戒中のあなたも、
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