1-18 後悔するのは
ウォーカー家の古いソファーの上。
私は一人、身体を硬くして座っていた。
薬草を力いっぱいすりつぶしても、たらふくケーキを食べても、庭を10周ランニングしても、どうしても落ち着かない。
もうこれは敢えて向き合った方がいいのかと、目を閉じて深呼吸し、昨夜のことを思い出した。
――もう、目そらすなよ
「ひゃぁぁぁぁ!」
堪らず顔を覆う。
まずい。これはまずい。やっぱり冷静でいられない。好きになってしまったと自覚したからだろうか。落ち着くどころかソワソワしてばかりなのだ。
そして……目を逸らさない、という約束。それは、チャレンジしているのだけど。正直、恥ずかし過ぎて死にそうになる。顔から本当に火が出そうだ。一体どうしたらいいんだろう……
結局私はウォーカー家の古いソファーの上で落ち着くことのできないまま、ひたすら挙動不審に陥っていた。
「何身悶えてるの姉さん……気持ち悪いんだけど」
レックスが嫌そうに私を観察している。恥ずかしさで暴れそうになりながら、指の間からレックスの嫌そうな顔を眺めた。
「ねぇ……最近ディカルドと目を合わせるのが本当に恥ずかしいんだけど、どうしたら克服できる?」
「なにその付き合いたてのカップルみたいな発言」
むしろそれ以前の関係である。夫と友達以上恋人未満みたいな……えっ、友達以上!?恋人未満!?これからまさか恋人に昇格したりするの?私とディカルドが!??
「うわぁぁぁぁ」
「ちょっと……何なの?義兄さん、そんなグイグイくるの?」
「グイグイ……くるかも……」
昨夜を思い出してそう答えると、レックスも顔を覆ってしまった。
「聞かなきゃよかった……身内のイチャイチャ話ほど聞いてて耐え難いものはない……」
「なんかごめん……」
顔を覆ったままため息を吐く。一体どうしてこんなことに。普通の夫婦ってどうなってるんだろうか。
そう思ったところでふと素朴な疑問が浮かんだ。
「なんでグイグイくるのかな?」
「そりゃ……義兄さんが姉さんのこと好きだからでしょ」
「っは!?」
「いやなんで驚くの……」
訝しがるレックスに、慌てたように質問を投げかける。
「っだって!ただ……私に嫌がらせしてるだけなのかなって……」
「……例えば?」
「その……目を合わせるのが恥ずかしいって言ったら、目そらすなって、逆に目合わせてきて……」
そう答えると、レックスはぐっと目を瞑って苦悶の表情をした。
「これどんな罰ゲーム?」
「やっぱりいじめられてるのかな!?」
「いや僕が姉さんにいじめられてるんだけど」
「いじめてないよ?」
「姉さん……どうやったらこんな子に育つの」
ちょっと顔を赤くしたレックスは、疲れたようにドサリとソファーに座った。
「もうさ、義兄さんにそのまま聞いたらいいよ。何でこんなことするの?って」
「えっ……そ、っか……確かに?」
そう言われてみれば、それでスッキリはするのかも?なるほどと宙を仰いで考える私を、レックスは仕方ないなぁと言う笑顔で笑って見た。
「……父さんと母さん言ってたでしょ。夫婦だって会話が大事だって。話さなきゃわかんないって」
「……言ってた」
「ね?ちゃんと義兄さんと話しな?そしてもうそっちでイチャイチャして。俺に見せつけないで」
「は、はい……」
確かに、茹でダコの気持ち悪い顔をしているという自覚はある。自己嫌悪に陥りながら、その日は自分のベッドに潜り込んだ。
慣れ親しんだ自室のベッドは、何故か冷たく感じた。何か物足りない、そんな気持ち。
ブランケットを抱きしめて目を瞑る。
心に浮かんだのは、少し硬い、腕の中の温かさ。
私は何だか眠れなくなって、目を開いた。
『ふふ、アニエスも恋する乙女になったね』
月明かりが差し込む部屋の中、サイドテーブルの水差しの上に腰掛けたリップルが、嬉しそうに頬杖をついてこちらを見ていた。
「リップル……どうしよう……」
『何が?』
「私……ディカルドのこと、好きになっちゃった」
そう言うと、リップルは可笑しそうに笑った。
『前から好きじゃない』
「え!?そ、そんな事なかったよ!?」
『他の男に興味の欠片も示さなかったのに?』
「えっ……え!?いや、別に……」
『じゃあ、どうしてディカルドにだけ自分が精霊の愛し子だって、すぐに伝えたの?』
その言葉に、愕然とする。
確かに、そうだった。他の人には――レックスにさえ、言おうと思わなかったのに。
私が、ディカルドにだけ真実を告げたのは、なぜだろう。
言いやすかったから?何とかしてくれそうだったから?
ううん、それだけじゃない。
私は、『王子と結婚したくない』って、『私が結婚したいのは王子じゃない』って、ディカルドに伝えたかった。
でも、本当に……?自分の気持ちについていけず、信じられない気持ちのままリップルを凝視する。
『大体アニエス、好きでもない人とイチャイチャする気になれる?』
「…………なら、ない?」
『ほらね』
何ということだろう。あまりの事実に頭を抱える。リップルはそんな私に、また可笑しそうに水差しの上から言葉を投げかけた。
『夫婦なんだから別に良いじゃない。むしろ喜ぶべきことでしょ?』
「でも……面倒な女だって、思われそうだよ?」
そう、ディカルドは、私が面倒な女じゃないから結婚したのだ。もはやどうしようもないけれど、面倒であることには変わりないだろう。
偽装結婚したはずなのに、利害の一致だったはずなのに。
その関係を自分から壊しそうになって、身震いする。――近くなった距離も、少し甘い笑顔も、全て偽装結婚のための……新婚らしさを出すための嘘であるはずだった。
夜の帳が下り、静まった空気の中、どんどん自信が無くなっていく。リップルはそんな私の頭にちょこんと乗っかった。
『ディカルドに、好きって言わないの?』
「っえ!?いや、だって」
『それってディカルドにとって本当に面倒って言い切れる?』
その言葉にぐっと詰まる。
面倒じゃない。その可能性も、考えていいのだろうか。
『ねぇアニエス。ディカルドだって、アニエスのこと、本当に好きなのかもしれないじゃない』
「そっ……そんなこと」
――ない。そう、言おうとして、間近で見た甘い表情が脳裏に過る。
あれは、本当に、嘘や演技なのだろうか。
リップルは、そんな私を見て、ふふふ、と綺麗な顔で笑った。
『ディカルドと向き合うことから逃げてるんでしょ、アニエス』
その声に核心を突かれたように、息が止まった。
ディカルドと、向き合う事から、逃げている。
そう、確かに、私は。ディカルドの本音と向き合うのが、怖い。
この心地よい関係が、大きく変わってしまうのが、怖い。
『人は言葉を交わさないと、気持ちを伝えられないんでしょう?』
リップルはパタパタと飛んで、今度は私の膝に乗ると、私の顔を覗き込んだ。
『――人の命は脆いわ。もしかしたら、明日はもう会話すらできなくなるかもしれない。その儚さを、アニエスは知っているはずよ』
その言葉に、もう二度と会うことができないお父様とお母様の顔がよぎる。
リップルは、冷たい手を私の手の上に乗せた。
『人は何かをした事よりも、何かをしなかった事のほうが後悔するのよ。全てが過ぎ去った後でね』
明日、ディカルドに会えなくなったら、私は何を後悔するのだろう。
「リップル……」
静かな夜の部屋に、私の声が響いた。
「私……ちゃんと言えるかな」
『ふふ、それはアニエス次第かな』
「手厳しいね」
私達はぼんやりと月明かりが照らす部屋の中で、クスクスと笑いあった。
読んでいただいてありがとうございました!
アニエスちゃん、はっきりと好きを自覚しましたね(*ノェノ)
「えっなに、アニエスが告白するの!?」とドキドキしてくださった方も、
「ディカルドの腕枕で寝たいのね?」とニヤニヤとしてくださったあなたも、
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