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16/38

1-16 距離

 追加でお休みを頂いて、一日中自分の部屋でゴロゴロした私は、すっかり元気になって昨日からまた王宮で働いていた。


 薬師課へ行くとみんなに心配され驚かれ、ほっぺに薬を塗りたくられ安静にしろと言われた。結局昨日はひたすら椅子に座ったままの事務仕事をさせられたのだけど。


 今日も同じ事になりそうだったので、どうかいつも通り仕事をさせてほしいと懇願した。座ったままの事務仕事には向かない……そう実感しながら、いつもどおり薬草園や調薬室で仕事をこなす。


 夕方になり、少し早めに仕事を終えた。いつもは婚活に精を出している先輩方が私の仕事を奪って行ってしまったから、残業するほど仕事が残っていなかった。


 まぁ、せっかくだし甘えちゃおう。ウキウキと部屋を出る。夕方の空には流れるような雲が浮かび、綿毛を傘にした精霊たちがふわふわと遊んでいた。


 気持ちいいな。そう思いながら王宮の廊下を歩く。


 まだディカルドはお仕事終わって無さそうだし、一人で帰ったほうがいいかな、と馬車の方へ向かう。が、廊下の向こう側から、ディカルドがこちらに歩いてきているのが見えた。


 そうか、今日はディカルドも朝早かったから、終わるのも早いんだ。そう納得しながら、足を進めたけど。


 遠目に見えるディカルドの姿に、いつもと違うあの甘さのあるあの顔が重なって。


 足がピタリと止まった。


 ――――どうし、よう……


 昨日の夜もそうだった。目を合わせようとすると、その視線にドキリとしてしまって目が合わせられない。


 とにかく、やたら恥ずかしいという気持ちが湧き上がってきて、昨日の夜も全然目を合わせられず、逃げるように布団に潜り込んでしまった。


 一体私はどうしてしまったんだろう。


「……おい」


 その声にハッとして顔をあげると、ディカルドはもう目の前にいた。


「なにしてんだ」


「っそ!その、ちょっと考え事しててっ……」


 見上げると、夕日に照らされた心配そうなディカルドの顔。


 やっぱり目を合わせられなくて、視線を外す。


「ば、馬車行こう、馬車」


 そう言うとディカルドの顔を見ないまま、スタスタと歩き出した。


 私の足元を石の精霊がチョロチョロと歩きながら、困ったような顔で私を見上げている。


 分かってる。本当に困った。どうしていいか分からない。


 気まずい雰囲気の中、私達は無言で馬車に乗った。


 乗り降りで差し出されるディカルドの手が、妙に自分のものと違う感触がして、ソワソワとしてしまう。


 門の前。そう、夫婦のイチャイチャタイムだ。


 私はなんだか緊張してしまって、ぎゅっと目を閉じた。


「…………無理すんな」


 そうディカルドの静かな声が聞こえて目を開ける。


「――――おやすみ」


 その声に顔を上げると、ディカルドはもう背を向けて歩き去っていた。




「うわっ」


 夜。リビングでボーッとしていたら、レックスが私の間近で驚いたように叫んだ。


「ちょ……何してんの!?暗がりに黙って座んなよ!化け物かと思った!」


 そういえばランプをつけるのを忘れていた。ぼんやりと驚いた表情のレックスを見る。


「え……なにその顔。肉にされる前の豚みたいな顔になってるけど」


「そこは捨てられた子犬にしてよ……」


 しゅんとして俯く。元気がでない。


 私は、どうしたら良かったんだろうか。


 精霊たちが、わらわらと私の周りに寄ってきていて、心配そうに私の顔を覗き込んだり、笑わせようと変なことをして気を引こうとしている。


「何……喧嘩でもしたの?」


「喧嘩……じゃないけど……」


 レックスの問いにボソボソと答える。喧嘩じゃないと思うけど。あれは何と言う状態なのだろうか。


 自分の行動を振り返る。目を逸らす。会話が続かない。よそよそしい。


 堪らず自分の顔を覆った。傷つけて当然だ。


 自己嫌悪で心が重くなる。


「……よくわかんないけど、謝ってきたら?」


「…………何て言って?」


「知らないけど。こういうのは早いほうがいいじゃん」


 得意げに分かったようなことを言うレックスを恨めしく見上げる。


「何だよ。俺だって一応恋人ぐらいいるし」


「……え!???」


「いや驚きすぎでしょ。ほんと姉さん俺のこと小さな弟だと思い過ぎなんだって」


 ため息を吐いたレックスは、私が座る古びたソファーの隣にドサッと座った。


「早く行ってきなよ。義兄さんのことだから、狂犬らしく剣振り回して荒れてるか、屍のようになってるかどっちかだと思うよ」


「何それ……」


「何それって……姉さんってほんとバカだよね」


 レックスは呆れたように私を見た。レックスの表情にお父様の面影が暗がりに浮かび上がっていて、少し不思議な気持ちになる。


「でも、良かったよ。正直、姉さんは人にも自分にも疎いから。そんだけヘコめるぐらい、ちゃんと義兄さんのこと好きなんだね」


「……は!???」


「いや、なんで驚くの。夫婦でしょ」


 レックスの言葉を処理しきれなくて頭を抱える。


「っえ、え!?ヘコむと好きなの!?」


「いやだから……ちょっとのことで一喜一憂するぐらい、大事な存在ってことだろ」


 弟に何言わせてんだよと少し恥ずかしそうにしたレックスは、混乱する私をもう一度観察するように見た。


「……姉さんってさ、貧乏貴族とか分不相応とか罵られても一切気にしないじゃん」


「普通に鬱陶しいよ?」


「…………普通のご令嬢は傷ついてヘコむもんだよ」


「えぇ!?」


 そうなのか。ちょっかいを出してくるお嬢様方が面倒だとは思ったけど、ヘコむなんてことはなかった。困惑しつつ、レックスに続きを促す。


「だから……義兄さんのことで一喜一憂してる姉さん見てたら、ほんとに好きなんだろうなって」


 レックスはそう言うと、お父様そっくりの笑顔で、私を見下ろした。


「ほら、こじれる前に帰りなよ」


「……帰る?」


「姉さんち、今はもうあっちでしょ?」


 その言葉に、目が覚めるようだった。


 偽装結婚。それを提案してくれて、乗っかって。なんとかそれっぽく振る舞って。私達は新婚の夫婦を装った。


 でも、それは偽物で。私の気持ちは、まだ半分以上、この家にあって。一日置きにディカルドの家に「行って」、次の日には自分の家に「帰った」。


 馬車の送り迎えをしてくれて、傷付けられそうになったら助けに来てくれて。恥ずかしくて仕方がないキスもハグも、行動に移してくれたのは、全部ディカルドだった。


 私は自分から、夫婦として、ディカルドに歩み寄ることが出来ていたのだろうか。


「――――帰る」


「うん、そうしな」


 レックスにバンっと背中を叩かれて立ち上がる。それから、弾かれたように家を飛び出した。


 満月が明るく照らす古びたエントランスには、盛り上がった精霊たちが飛んだりはねたりしながら私の行き先に向かって一緒に駆けていく。


 そう、ちゃんと向き合わないと、後悔する。


 だって、多分、私は――――本当に、ディカルドの事が、好きなんだろう。


 ドキドキと胸が弾む。


 私のこんな気持ちをディカルドが知ってしまったら、ディカルドはなんと言うだろうか。


 面倒な女。そう言われるかもしれない。だけど。


 このままでいたら駄目だ。それだけは確信が持てた。


「おかえりなさいませ奥様」


「わあっ!?」


 暗がりから突然執事のキュリオスさんが現れて跳び上がった。


「ふふ、驚かせてすみません。一応敷地外は警備しろと言われておりまして……ささ、ぼっちゃまは今は寝室ですよ?」


「あ、ありがとうございます……」


 キュリオスさんは嬉しそうな顔で私を先導した。


「いやー、助かりました。少し前までいつものように柱を切り刻んでいたんですけどね?気分が乗らなかったのか、早々に寝室に閉じこもってしまいまして。荒ぶってるのが通常のぼっちゃまがしおらしいと、気持ち悪くて気持ち悪くて……」


「しおらしい……?」


 全く想像がつかなくてキュリオスさんに首を傾げる。キュリオスさんは、えぇそうですよ、とにこやかに笑った。


「あんなにぼっちゃまを一喜一憂させて振り回せるのは、後にも先にも、奥様ぐらいでしょうねぇ。ぼっちゃまは、分かりにくいですけど……奥様が思っている以上に、奥様を大切になさってますから」


 そう言うと、キュリオスさんはトントンっと小気味よく寝室のドアを叩いた。


「ぼっちゃまー!入りますよー!」


「……来んなって言ったろ」


 寝室の中からくぐもった声が聞こえる。


「出てきたほうが良いですよー!」


「消えろ」


「暴言も吐かないほうがいいですよー!なんたって今ここに奥さ「っせぇな!来んなっていっただ……ろ……」


 苛ついたような声で勢いよく扉が空いて、ディカルドが出てきたのだけど。目の前にいる私を見て、固まってしまった。


 なんて言っていいか分からず、怒らせてしまったことの後ろめたさも相まって、不安な気持ちでディカルドを見上げる。


 キュリオスさんはコホンと改まった態度で咳払いをした。


「奥様がいらっしゃいました」


「……ど、うした?」


「……さて、どうしたんでしょうね?」


 そういえばとキュリオスさんは首を傾げたが、ポンッと手を打ってまたにこやかに笑った。


「まぁ、別に奥様のお家はここですし。一日置きの行き来も適当でいいじゃないですか。今日ここにお泊りでも何の問題もないですよね?って言うことで、さぁさぁお入りください。そしてぼっちゃまの機嫌を直してください奥様」


 そしてキュリオスさんは私とディカルドをぎゅうぎゅうと部屋に押し入れると、開放感満載のいい笑顔でドアノブに手をかけた。


「おやすみなさいませー!」


 バタンと扉が閉まる。


 私とディカルドの間に、びっくりするほどの静けさが訪れた。部屋の中はランプもついていなくて、カーテンの隙間から差し込む月の明かりだけが、ぼんやりと部屋の家具のシルエットを浮かび上がらせていた。


「……今日、あっちの家の日だろ」


 ボソリとディカルドの低い声が響く。その声が、なんとなく寂しそうで。


 ――やっぱり、傷付けてしまった。


 それが、嫌でも分かった。


 ぎゅ、と手を握って、なんとか言葉を絞り出す。


「き、今日は、こっちにいようかなって…………か、帰って、きたの」


 緊張で、声が震える。こんな、ちょっとの事なのに。恐る恐るディカルドの方を見ると、ディカルドはちらりと私の表情を見た後、顔を逸した。


「別に、無理に来る必要は無い。もう、表向きは……夫婦として認識されてるだろ」


 その言葉に、壁を感じて。空いてしまった距離に、妙に胸が傷んだ。


「……ディカルド、」


「お前に無理させてまで、近付きたい訳じゃない」


 そう言うディカルドの背中が、遠く感じて。私はそれを見て、息が苦しくなって、は、と浅い呼吸をした。


 ――――この壁を、作らせたのは、私だ。


 冷たい空気が、私達の間を流れる。


 ――――私は、このままで、いいの?


 そう、私がディカルドを選んだのは。聖女になりたくないから、王子と結婚したくないから、だけじゃなくて。


 ディカルドと、結婚することを選んだのは。


 ディカルドと一緒なら、きっと楽しいと、そう思ったからだ。


「……送らせるから、もう帰っ――」


 ドンッと体当たりをして冷たい壁をぶち壊すように、ディカルドの背中に飛び付いた。


 想像以上に硬いディカルドの背中はびくともしなくて。大きい背中から、私の小さな腕をなんとかぎゅっと回す。


 ドキドキと高鳴る心臓が、口から出そうで苦しい。でも。


 今、この壁を壊すのは、私だ。



「き、来たくてきたの!」


 ディカルドの背中に顔を埋めながら、少しくぐもった声で叫ぶ。


 一瞬固まったようなディカルドは、何回か息をしてから、ボソリと口を開いた。


「……だから、無理しなくてい――」


「無理してない!!」


 すかさず否定する。


 私はなんて言葉足らずなんだろう。そう自己嫌悪しながら、次の言葉を探している間に、ディカルドが再び口を開いた。


「……無理、してるだろ!あんな……あんな風に目逸されるぐらいなら、何もしない方がいい」


 尻すぼみになっていくディカルドの声が、想像以上に辛そうな響きで。やっぱり、傷付けてしまった。私は堪らずディカルドの服をぎゅっと握った。


「……ごめんなさい」


「…………謝らなくていい」


「嫌だ!!」


 全然壊れてくれない壁を攻撃するように、強くディカルドの背中に抱きつく。


 ドクドクと、どちらのものかも分からない心臓の音が響いて聞こえる。


 もう、いい。


 言葉を選ぶ場合じゃない。


 私はそう心に決めて、ディカルドの背中に向かって叫んだ。



「は、恥ずかしかったの!!!」



 しーんという、変な静けさが部屋を支配する。もう、どうにでもなれと、私はディカルドの背中に顔を埋め強く抱きついたまま、叫ぶようにまくし立てた。


「ディ、ディカルドの、顔見ると!は、恥ずかしくなっちゃって」


 そう、もう、顔が熱くて堪らなかった。


「ディカルド、なんか優しいし、どうしていいか、分かんなくなって……」


 今も、すごく恥ずかしい。でも、でも。この冷たい壁が二人の間にある方が、恥ずかしさよりもずっと嫌だった。


「嫌じゃ、ないの。嬉しいん、だけど。なんか、目、合わせられなくて………」


 正直、今でもディカルドと視線を合わせられるのか自信がない。だけど、冷たい壁が嫌なのなら、ちゃんとディカルドと向き合わないと。そう、覚悟を決めた。


「もう、あんな風に避けたり、目そらしたりしないから……ごめんね、ディカルド」


 また、静けさが部屋に満ちる。


 どうしよう、伝わらなかったのだろうか。


 不安に思って、身動ぎして、ディカルドを見上げた時だった。


 ぐっと腕を掴まれて、よろけて。しっかりした腕に支えられたのを感じて顔を上げる。


 月明かりの中、ぼんやりと息のかかる距離で浮かび上がったディカルドの顔。それは、とても綺麗で、ゆらゆらと揺れる瞳が月明かりを捉えたような、熱の籠もった表情をしていた。


 目が、逸らせない。


 私は時が止まったように、その瞳を見返した。


「――――アニエス、」


 そっと頬にディカルドの手が触れる。


「約束、したからな」


 その低く掠れた声が、月明かりの部屋に、甘く響く。


「――もう、目そらすなよ」


 そして、ゆっくりと顔が近づいて。


 私は唇に触れるディカルドの柔らかさに包まれながら、冷たかった壁が溶けてなくなったのを感じていた。


読んでいただいてありがとうございました!

アニエスちゃん!ついに自覚しました!!

「キャー!!もっとくっつけ!!」とイケイケモードになったあなたも、

「私も目そらすなって言われたい」と妄想がはかどったあなたも、

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また遊びに来てください!

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