1-15 守ってきたもの
爽やかな鳥の鳴き声が聞こえる。カーテンの隙間から差す光に眠気を溶かされて、ぼんやりと目を開けた。
広い天井、大きな窓。
そうか、今日はディカルドの家の方だったと、納得して身じろぎをする。
そして、ゴロンところがった先で間近に視界に飛び込んできたものに、私の息は止まった。
スヤスヤと眠る、ちょっとあどけない顔。すこしぐちゃぐちゃになった小麦色の髪の毛。頭の下にある、しっかりとした硬さの、でも温かい腕。
朝、ベッドの中。私はディカルドの腕の中にいた。
「……き、昨日から、ずっと……?」
そう、どうしても心細くて。色んなことが頭の中でグチャグチャで、怖くて。
柄にもなく、甘えてしまった。
多分、ディカルドにもそれが分かってたんだろう。ディカルドは、黙って優しく、一緒に寝てくれた。
そう、子供の時みたいに。
「……ん」
私が身じろいだせいか、ディカルドがうっすらと目を開けた。ぼんやりとした赤銅色の目と視線が合う。
「…………んん……」
眩しそうに目を細めたディカルドは、ぐっと目を閉じながら、私を胸の中にしっかりと抱き込んだ。
次いで、何かがおでこにチュッと触れる。
その感触に、ボッと頬が熱くなった。
こ、これは、もしかして……もしか、しなくても………
お、おはようのチューというやつでは!??
「………っは!??」
突然、ガバァ!とディカルドが起き上がった。目をまんまるにして私を見下ろしている。
私は恐る恐るディカルドに声をかけた。
「お、おはよう…………」
「…………おはよう…………」
そう言うと、ディカルドは顔を覆ってしまった。
もしかして、寝起きの私の顔が酷すぎたのだろうか。申し訳ない気持ちになりながら、私もムクリと起き上がる。
「あの……昨日はありがとうございました」
「……眠れたかよ」
「はい、かなり……その、うで、大丈夫?」
「……何が?」
「し、痺れてない?」
「……あれぐらいで痺れるかよ」
ディカルドはワシャワシャと頭を掻くと、ちらりと私の方を見た。そして、少し眉をひそめて、私の頬に触れた。
「ちょっとは腫れは引いたか」
「あ、うん!もう全然痛くないよ」
その言葉を聞いて、ディカルドはホッとしたような顔をした。心配……してくれていたんだろうか。心が少し温かくなって、思わず笑みを浮かべる。
「クソチビが、心配かけさせやがって」
「っちょっと!せっかくだし、もうちょっと優しくしてよ!」
「金取るからな」
「鬼!悪魔!狂犬!ナマイキ猿!!」
「ナマイキなのはお前だ」
通常営業のやり取りに戻ってきて、なんだか安心する。ちょっとムカつくけど。
私はディカルドの乱れた髪の毛を観察しながら、そういえば、とニヤッと笑った。
「さっき寝ぼけてたでしょ」
「……だから何だよ」
「ふふ、さっき私のおでこに、おはようのチューしてたよ」
その一言に、ディカルドはぐっと押し黙った。私は得意気ににやりと笑った表情をキープしたままディカルドの顔を覗き込んだ。
「案外、素は甘えん坊なおこちゃまだったりしてね?」
「……は?」
「実は元々はぬいぐるみとか抱っこして寝てたりして」
「…………」
何だかディカルドが疲れたような表情になった。あれ、何か、いじり方が間違っただろうか……?
でもまぁいいかと、私は満足げに頷いた。
「とにかく、おかげでいい夫婦関係が築けている気がするわ。おこちゃまだとしても、ちゃんと新婚感も出てるって言われたし。ありがとう、ディカルド」
そう快く御礼申し上げると、ディカルドは、はぁ、とため息を吐いてから、私のことをちらりと見た。
「おこちゃまはお前だろ」
「えっ何でよ!」
「普通の新婚はな、」
そう言うと、ディカルドは私の頭をぐっと抱き寄せた。
寝起きの、でも綺麗な顔が近づいて、柔らかい唇がちゅ、と自分の唇に押し当てられる。
「――普通は、こっちだろ」
息がかかる程の間近でつぶやかれた声は、囁くように少し小さい声で、何だか甘く響いた。
朝の、すっかり目覚めてしまった私の頭は、今の状態を完璧に処理してしまって。普段とは違う、ディカルドの思ったよりも柔らかい表情が、朝日に照らされて、しっかりと見えて。
私は一気に体温が上がるのを感じた。
「っき!着替えてきます!」
そう言うと、適当なワンピースをひっつかんで、浴室に備え付けられた脱衣所に飛び込んだ。
バクバクと飛び跳ねる心臓を落ち着かせるように深呼吸をする。
「び、びっくり、した……」
ずるずると脱衣所の床にしゃがみ込む。
「なんだこれ……」
胸がバクバクと高鳴ったまま、全然落ち着かない。
着替えて寝室に戻ると、ディカルドも着替え終わっていた。朝日の中、ちらりとディカルドに視線を送るけど。なんとなく目線を合わせられなくて、顔を背ける。
「……飯食べれるか?」
「う、うん……頂きます……」
私達は絶妙な空気の中、食堂へ向かった。
時々、ディカルドの視線を感じるけど。
でも、何故か視線を合わせることが出来なかった。
「姉さん!!」
「あれ!?レックス!?」
食堂の前。慌てたようにレックスが私に飛びついてきた。びっくりして受け止める。
「っちょっと!どうしたの!?」
「どうしたのじゃないから!っその……その顔、殴られたの……?」
そういえば。朝のバタバタで自分の顔の事なんて忘れてたけど、殴られたんだった。
「うん、でももう大丈夫だよ!腫れも引いたしあんまり痛くないから……」
「…………」
レックスはその私の返答には反応せず、ギリ、と両手を握りしめた。
そのレックスの肩に、ディカルドがぽん、と手を乗せた。
「奴はもう牢屋の中だ」
「……ありがとう、ございました……」
俯いたまま、そう答えるレックスの声が、想像以上に重い響きをまとっていて。
心配をかけたことに、そして辛い事実を知らせてしまったことに、心に鉛が入ったように沈んだ。
「レックス」
ディカルドの低い声が、俯いたままのレックスの背中にそっと響く。
「お前にはお前の、できることがある」
その言葉に、レックスは何かに気が付いたようにディカルドを見た。
「お前、もう数ヶ月したら爵位継げるんだろ?」
「……はい」
「こいつが安心できるように、そっちを頑張るのがお前の仕事だ」
「……っ、はい」
ディカルドが、ぐしゃっとレックスの頭を撫でた。
レックスが、ぐいっと顔を手で拭った。もしかして、泣いてるんだろうか。
あの、馬車の事故の後。泣きじゃくっていたレックスの顔を思い出す。
そう、だから。私がちゃんとしなきゃって思ったんだ。
そう、だから、今回も。私が、ちゃんとしなきゃ。
そう思って、レックスに声をかける。
「レックス、」
「姉さん」
慰めようと思って近寄ったのに、レックスは意外にも、意志の強い表情で顔を上げた。
「もう、こんな風に姉さんに手を出させたりしないから」
「っえ!?あ、私!?」
「他に何があるんだよ……あ、爵位か」
「そ、そうよ!ガストンさんはそれを狙って……」
「大丈夫、もうあの家潰すから」
「え!??」
突然怖いことを言い始めたレックスをギョッとして眺める。レックスは淡々とした表情で私を見返した。
「何、まさか情けをかけたいとか言わないよね?」
「い、いや……そうじゃなくて、レックスがそんなことしなくても……」
「あのね」
レックスは疲れたようにはぁ、とため息を吐いた。
「姉さん、いつまで俺のこと小さい弟だと思ってんの」
「え!?いやだってまだ成人前……」
「ほんと、姉さんその成人ってのに拘るよね。あと数ヶ月だよ?いきなり立派な大人になるわけじゃないんだから」
そう苦笑するレックスが、随分大人に見えてびっくりする。
いつの間に、こんなに大きくなったんだろう。
レックスは、しょうがないなという表情で、でも優しげに笑った。
「大丈夫、ちゃんと幸せな大人になるよ。あとちょっとだから」
その言葉に、不意に、あの日の言葉が重なった。
――――アニエス……レックスを、お願いね。二人とも、幸せな大人になるのよ……
あの時のお母様の声が頭に響いた。
ちゃんと、私が育てるよ。レックスが、幸せに大人になれるように、ちゃんと一緒に頑張るよ。あの日、私はそうお母様に誓った。
レックスは、あとちょっとで、大人になる。
大丈夫、ちゃんと幸せに、大人になる。
そう実感して、ずっと張り詰めてきた緊張の糸が、緩んだ気がした。
「っふ、姉さん、泣き顔ブサイク」
「う、うぅ〜〜〜」
私の頭を茶化すように撫でるレックスは、いつの間にか私より背が高くなっていた。
私は、お母様との約束を、果たせただろうか。
その日の朝、私はいつの間にか包まれていたサンドイッチを持たされて、自分の家に帰った。
レックスは終始、泣いてばかりの私を笑って呆れていたけれど。二人で食べたサンドイッチは、いつもより妙に美味しかった。
だから、気が付かなかった。
この日、私は最後まで、ディカルドと目を合わせることは無かった。
読んでいただいてありがとうございました!
弟は立派に育ってくれたみたいです!
「アニエスよかったねぇ!!」と一緒に喜んでくださった心の綺麗な神読者様も、
「待て待てディカルドどうした!?」とハラハラしちゃった二人の行き先が気になるあなたも
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