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1-12 変化

 一体、どうなってるんだろう。


 首を傾げながら、大釜に沸いたお湯の中に、洗った薬草をバサバサと入れていく。


 ここのところずっと、行きも帰りもディカルドに送迎してもらい、出勤している。やはり馬車を降りるときには手を差し出され、勤務先の薬師課の前まで送ってくれている。


 ディカルドが言うには、夫婦の不仲を疑われるほうがよほど面倒とのことで、それはまだ理解できるのだけど。


 でも、でも……妙に優しい気がするのだ。口の悪さは変わらないけど、なんか仕草がソフトなのだ。


 しかも。一日置きでいいといった夫婦のイチャイチャは、なんと毎日行われている。一日置きに訪れる、夫婦で眠る前と、バイバイする家の門の前。一日の終わりにチューをして、その日は締めくくられる。


 これまでを振り返って、ハッとした。


 もしかして……もしかして、ディカルドは……!


 すごく真面目に夫婦を偽装しようとしてくれているのかもしれない!!!


 そう、ああ見えてディカルドは案外真面目なのだ。利害の一致に、私からの提案。新婚らしさを出すために、身を削って頑張ってくれているのだろう。


 結構良いやつじゃん、ディカルド。


 私はご機嫌になりながら、煮え立つ大鎌をかき混ぜた。


「アニエスさん、ちょっと宜しいですか?」


「はい?なんでしょう薬師長」


 真面目な真面目な薬師長が、今日もひっつめ髪にメガネで私のところへやってきた。


「本日第三騎士団へ派遣予定だったキャサリンさんが、家の都合で急遽お休みになってしまって……しかも個別にお渡ししている薬の調薬もまだやっていなかったようで」


「えっ何時間後に派遣の予定でしたか?」


「二時間後……」


「えぇー!!!」


 リストを眺める。なんてこった。めちゃくちゃ沢山調薬があるじゃないか。


「っ急がなきゃ!今ならまだなんとか間に合います!」


「ありがとうアニエスさん!私も一緒にやります」


 キラリとメガネを光らせた薬師長は、サッと腕まくりをすると薬包紙の束を取り出した。


 そこからは怒涛の二時間だった。素早く、でも正確に。素早い私の動きに調薬室の精霊たちも飛んだりはねたり大騒ぎだ。そうして出来上がった薬を包んだ私は、ヘロヘロになりながら第三騎士団の訓練所へ向かった。


 広い訓練所には、傾きかけた太陽の光が降り注ぎ、精霊たちが楽しそうに踊っていた。


 遠目に、ディカルドが指示を出しながら訓練を進めているのが見える。狂犬と呼ばれる無愛想なディカルドだけど、第三騎士団の後輩達にはそれなりに慕われているようだ。


 そう、口と目つきは悪いけど。ディカルドは、なんだかんだ、優しいからね。


 なんとなく温かい気持ちになって、その様子を眺めた。


「あれ!アニエスさん珍しいね」


 若手のレオン君が汗を拭きながら出迎えてくれた。


「今日は臨時なんです」


「あー、そういうこと!今日確かキャサリンちゃんの日でしたもんね。あの子今日お見合いするって言ってたから」


「……急なお見合いでした?」


「いや?……あー、もしかしてドタキャンされました?」


 レオン君はなるほどー!と言って、可笑しそうに笑った。


「キャサリンちゃん、忘れっぽいからなぁ。まぁ、今はお見合いブームだからね」


「お見合いブーム?」


「そう、無愛想だけど地位も権力も申し分ない、黙ってれば綺麗な顔のオーギュスティン家の長男が電撃結婚しちゃいましたからね。その空席を狙っていたお嬢様方は諦めて次の優良物件へアプローチし始めてるってわけです」


「はぁ……」


「わぁ、さすが新婚、余裕だねアニエスさん」


 レオン君はカラカラと笑うと、可愛らしい笑顔で私の顔を覗き込んだ。


「僕達も結構ショック受けてたんですよ?アニエスさんが急に結婚しちゃうから」


「そんなに意外でした?」


「意外っていうか……うーん、意外では全く無いですけど……あの団長がどうやってプロポーズしたんだろう、っていう」


 そう言うとレオン君はニヤリと笑って私に顔を近づけた。


「……で、実際にはどうなんですか?団長って、もしかして家では――」


 その時レオン君の頭にガシリと大きな手が乗っかった。


 目線を上げると悪い顔をしてニヤリと笑ったディカルドが、レオン君の真後ろに立っていた。


「……シゴキが足りねぇみたいだな、レオン」


「うわっ団長、気配消すの止めてくださいよ!」


「これぐらい気付け。とりあえず訓練場三周。その後俺が直々に相手してやろう」


 ニヤリと笑ったディカルドを見て、レオン君は青くなって「鬼!悪魔!狂犬ヤロー!」と言いながら訓練場を周り始めた。


 はぁぁとため息を吐くディカルドの汗だくの顔を見上げる。


「すんごい汗だね」


「当たり前だ」


「これ、飲む?」


 レモンの香りがする薬草入りのハーブティーが入った水筒を取り出す。ほんのり塩も入れたから、運動中にはピッタリだ。どうかな、とディカルドの様子を窺った。


 ディカルドは一瞬止まって水筒をじっと見た後、そろそろと手を伸ばして水筒を受け取った。


「ふふ、なんでそんな恐る恐るなの?毒とか入ってないけど」


「……差し入れ、貰えると、思わなかった」


 何故かビックリしているディカルドを不思議に思う。そういえばこういう事をしたのは初めてだけど。


「大げさなのよ。ただの塩入りのハーブティーだよ?」


 変なの、と笑うと、ディカルドは茶化されて怒ったのか、私をちょっと睨むと、グビグビとハーブティーを飲んだ。


「……うまい」


「でしょ?ちゃんと調合したから」


「……………ありがとう」


「っうわ!ディカルドがお礼した!気持ち悪い」


「てめぇ」


「「「だーんちょー!!!」」」


 いつものように喧嘩になるかと思ったその時、訓練中の第三騎士団のみんなが、こっちを見てニヤニヤしながら声を張り上げた。


「「「ラ〜ブラ〜ブで〜すね〜!!!」」」


「…………ちょっとあいつら殺してくる」


 そう言うとディカルドは飲み干した水筒を私に押し付けると、訓練の輪に戻って行ってしまった。


 仲良さそうだな。私はその光景を眩しく眺めながら、その日処置すべき定期的な治療や不調への処方をテンポよく進めていった。


「お大事に〜」


 日もだいぶ傾いた頃。私はその日の処置を終え、うーんと背伸びをした。リハビリを兼ねた関節の治療に、炎症を起こした傷口の処置、ちょっとした風邪や痛めたふくらはぎの治療……今日も色々頑張った。絶好調になりますように、と願いながら、片付けを終えて鞄を持ち上げる。


 薬師課の部屋と第三騎士団の訓練所はわりと離れている。ヨイショッと鞄を持ち上げながら、訓練所を後にした。


 夜の風に乗って、小さな精霊がサラサラと踊っている。もうすぐ真っ暗になっちゃうなと、帰り支度を急ごうと思った。


「あら、貴方、ディカルドの奥様ね?」


「はい……?」


 振り返って息を呑んだ。そこに居たのは、この国の第二王女、ロアラスティーヌ様だった。慌てて頭を垂れる。


「ふふ、堅苦しいのはいいわ。ねぇ、あなた達、仲良くしているの?」


「っは、はい……お陰様で……」


 こんな返答で良かったのだろうか。こんな偉い人と話す機会なんて今までほとんど無かった。頭を下げたまま、恐る恐るロアラスティーヌ様の返答を待つ。


「そう……良かったわ。心配してたのよ、仮面夫婦だという噂があったから」


 クスクスと笑う声と共に、鈴のような綺麗な声が響く。足元で、石の精霊が心配そうに私を見上げている。大丈夫だよ、と目配せしながら、こっそり深呼吸をした。


「ご心配、ありがとうございます。ディカルドは、とても良くしてくれています」


「そう……良かったわ」


 ロアラスティーヌ様のコツ、という靴の音が響き、少し距離が縮まったのが分かった。


「ディカルドの事だから、あなたの事、見捨てられなかったのでしょうけどね」


 ふわりと空気が動いて、高貴な精油の香りがあたりに漂う。頭を下げた私の顔を覗き込むように、美しいロアラスティーヌ様の顔が視界いっぱいに広がった。


「――ディカルドの唇は柔らかかったでしょう」


 その言葉に、目を見開く。ロアラスティーヌ様は、そんな私を見て、満足そうに笑った。


「ふふ、いいのよ。私とディカルドの関係は、過去のことだから。ほら、顔を上げて?」


 ゆるゆると顔をあげると、ロアラスティーヌ様は美しい笑顔で微笑んでいた。


「ね?今が幸せなら、それでいいでしょう?」


「はい、そう思います」


 即答する。ロアラスティーヌ様は、一瞬表情を固まらせた後、私をじっと見た。


 私もロアラスティーヌ様をじっと見返す。


 ディカルドが、まさかロアラスティーヌ様とそんな関係だったなんて、驚いたけれど。まぁ、過去は過去だ。


 そんな事よりも、だ。


 人妻に夫との過去の話を持ち出すこのデリカシーの無さ。ロアラスティーヌ様は大丈夫なのだろうか。特にロアラスティーヌ様にはこの話に何のメリットもないと思うのだが、一体何がしたかったんだろう……?


 不思議に思って見返していると、ロアラスティーヌ様はワナワナと震えだした。


「――この、薬草まみれの没落貴族が!!」


「えっ――っ!?」


 気が付いた時には、飾られていた両手で抱えるほどの花瓶が、弧を描いてこちらに飛んできていた。避けられない、ヤバい、絶対痛い!と咄嗟に頭を抱えて目をギュッと瞑る。


 ガシャン!という花瓶が割れる音。ボタボタという水の滴り落ちる音。


 ――あれ、でも、痛くもないし濡れてないぞと、恐る恐る目を開けた。


 着崩した騎士団の制服。そして散らばる濡れた草花と、びしょ濡れになった小麦色の髪の毛。割れて飛び散った花瓶の破片。


 私が見たのは、代わりに花瓶の水を被ったディカルドの背中だった。


「あ……ディ、ディカルド……」


「…………」


 ロアラスティーヌ様の呼びかけに、ディカルドは何も答えない。背を向けていて、ディカルドの表情は分からない。ただ、痛いほどの沈黙と、青ざめていくロアラスティーヌ様の息遣いが聞こえるだけだった。


「わぁー!!大変だ!花瓶が割れてるぅぅ!」


 突如ワラワラと第三騎士団の皆さまが現れた。あっという間に囲まれ、ロアラスティーヌ様と私達の間に騎士団の壁ができる。


「ちょっと団長!こんな所で訓練やめてくださいよ!」


「全く筋肉バカなんだから〜ロアラスティーヌ様すいませーん、さぁさぁ送っていきますので、こちらですよ〜!」


「あ……いや……」


「ほらほら、こんな所へ抜け出したってバレると陛下に怒られますよ〜!」


「……っ」


 気がつくと、ワラワラとみんないなくなっていた。ついでに花瓶の破片もなくなっている。何だったのだろうと首を傾げながら、ディカルドの様子を見た。


「ディカルド!血!!」


 破片が飛び散ったのか、腕から血が出ていた。慌てて清潔なガーゼで傷口を押さえる。


 花瓶の水なんて、雑菌だらけだ。ちゃんと消毒しないと――――


「――――何を、言われた」


 ビックリするほど心配の滲んだ声が降ってきて、驚いてディカルドを見上げる。濡れてしまった髪の毛の間から、ディカルドの赤銅色の瞳がこちらを見ていた。


「そ、そんな大したこと言われてないよ?」


「ロアラスティーヌ様が何も言わないわけねぇだろ」


 そういうものなのだろうか。ロアラスティーヌ様のことはよく知らないが。どちらかというと、ディカルドの口から他の女性の名前が飛び出したのがなんだか嫌だった。


 そうか、つまり、ディカルドは――ロアラスティーヌ様の事をよく知っているって事だ。さっきは過去は関係ないと思ったのに、今のディカルドと結びついてしまったからか急に嫌な気持ちになってきて、ムッとした表情になってしまう。


「ディカルドがロアラスティーヌ様と恋人同士だったなんて知らなかったよ」


「っはぁぁ!??」


 ディカルドが聞いたことのないような素っ頓狂な声を上げた。


「えっ違うの!?」


「アホか!んなわけあるか!!」


「だ、だって!ロアラスティーヌ様が……ディカルドの唇は柔らかかったって言ってたよ!」


「なっ………クソっあれか!!!」


「心当たりあるんじゃん!」


「違う!あれは……」


 ディカルドは濡れた頭をワシャワシャと掻き乱すと、片手で頭を抱えながら、指を二本、私の目の前に差し出した。


「……指だ」


「…………は?」


「だから、指」


「え、そんなのに騙されたりする?」


「…………迫られて、面倒になって、目瞑らせて、ごまかした」


「き、器用だね……」


 まさか指だったとは。なんとなくロアラスティーヌ様を不憫に思った。


「…………アニエス、だけだ」


 目を逸らしながら、ディカルドがボソリと呟いた。


「え?何?」


「……だから……その……」


 ディカルドは、何か言いづらそうにした後、私の顔をちらっと見た。それから、少し迷う素振りを見せてから、そっと顔を近づけ、軽く私に口付けた。


「……これは、お前にしか、してない」


「えっ、あっ……!そ、そう!ああありがとう」


 照れたように言うディカルドに、こちらも照れてしまって何故か感謝を述べてしまった。絶妙な空気が二人の間に流れる。


「………帰るぞ」


「そ……そうだね………」


 私達はなんとも言えない空気の中、帰路についた。



 *****



「っあー!!!危なかった!!!」


 騎士団馴染みの酒場で、若い騎士たちは酒で喉を潤しながら、安堵の声を上げた。


「俺、まじで王家とオーギュスティン家の戦いが始まるかと思ったもん」


「あの黙ってロアラスティーヌ様に冷たい視線を送ってた団長の顔見た?」


「見た。俺チビるかと思った」


「戦場よりおっかなかった」


 ブルリと身体を震わせた騎士は、己を守るように体をさすった。


「あの、ロアラスティーヌ様が奥様にちょっかい出してるって報告来たときの団長、凄かったよな」


「瞬時に凄まじいスピードで走り出したもんな」


「全然追いつけなかったし……」


「べた惚れだな……」


 そう呟いた騎士に、もうひとりがニヤつきながら身を乗り出した。


「俺青ざめて終始無言のロアラスティーヌ様を送ってったからその後見てないんだけどさ。奥様と団長、あの後どうなったの?」


「あぁ……あの後ね………」


 その若者は遠い目をしながらポツリと呟いた。


「団長、奥様にチュッてしてた」


「うわあぁぁぁぁ!!」


「城で何してんすかぁぁぁ!!!」


「甘い……酒が甘い……」


「団長も……俺らと同じただの男だったのか……」


「団長、昔から明らかにアニエスさんのこと好きだったもんなぁ……」


 若者たちは顔を見合わせて笑った後、ガチャンとグラスをあわせた。


「新婚夫婦に乾杯ー!!!」


 そうして酒場が幸せな空気に包まれた頃。時を同じくして、暗がりの大聖堂の中で、数名の男たちがボソボソと話し合っていた。


「――まだ見つからないのか?」


「大変申し訳ございません……戸籍とも照合しましたが、もう殆どの未婚女性は調査済みなのですが」


「……大司教様、これはやはり……愛し子はこの国の聖女となる事を避けているのでは……」


 その言葉を受けて、上質な法衣に身を包んだ初老の男は、暫し目を瞑った。それから、再び目を開くと、側にいた似た法衣の、見目麗しい男へと声をかけた。


「ユリウス。聖水晶の予言に変わりはないか?」


「聖水晶の、予言……なるほど、お待ち下さい」


 ユリウスと呼ばれた男は、大きな聖水晶に手をかざし、何か呪文のようなものを唱えた。淡く水晶が光り、文字が浮かび上がる。


「――――少し、変わっていますね、父上。愛し子は、王都にいる乙女………『未婚』の文字が消えています」


「っはははは!」


 大司教と呼ばれた男は、愉快だと言わんばかりに大口を開けて笑った。


「なるほど、この度の聖女様はなかなか頭が働くようだ」


「しかし父上、流石に既婚者では大聖堂に入ってもらうのは難しいのでは……」


「なに、簡単なことよ」


 大司教は慈愛の表情でニコリと笑った。


「聖女様は、この国を救う精霊の愛し子。大聖堂に入っていただくことで、この国は豊かになる。夫も妻を差し出しやすいよう、国を挙げて美談となるよう整えれば良い」


 そう言うと、大司教は少し思考したのち、また口を開いた。


「――まずは貴族や権力者からだ。この場合は、全て力技では難しいだろう。綿密に美談を整えよ」


 月が陰り、蝋燭の火のみでユラユラと照らされる大聖堂には、ゾッとするほどの静けさが満ちていた。


読んでいただいてありがとうございました!


聞きましたかみなさん。そういう事するのはアニエスにだけなんだそうです。

「ぐはぁぁぁぁ」とやられちまった若手騎士団飲みにご参加頂きたい読者様も、

「いやそれどころじゃねぇだろ!未婚じゃないって奴らにバレたっぽいよ!?」と怪しい展開にハラハラしてくださった優しい読者様も、

いいねブクマご評価ご感想なんでもいいので応援していただけると嬉しいです!

また遊びに来てください!

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