1-11 真意(sideディカルド)
ついに来たディカルド視点です
ドゴドゴォと音を立て、ぶった切った太い木の柱の上半分が地面に落ちる。
もうだいぶ夜も更けてきた。これ以上は音を出さない訓練のほうが良いかもしれない。辺りはすでに静まり返り、薄く流れる雲の間から明るい月がぼんやりと覗いている。俺は息を整えながら、汗を拭った。
「ぼっちゃん……剣技の上達は宜しいのですが、そろそろオーギュスティン家の一冬分の薪ぐらい、柱の残骸が出てますけど」
暗がりから出てきた執事服姿のキュリオスは、呆れたように積み上げられた木の柱の残骸を見上げた。
「じゃあ薪として売れ」
「いやこの大貴族が薪売るとか謎すぎるでしょう……ていうか、どうせ昨日もほとんど眠れなかったんでしょ?今日は奥様とご一緒じゃないんだし、ちゃんと休んでくださいよ」
「うるせぇ。この後ちゃんと休む」
「お願いしますよ?ほんと、みんなが寝静まった真夜中にブンブン剣を振り回す男とか、かなり怖いですからね?そんな眠れなくなるぐらいモンモンとするなら、偽装結婚とかバカなことせずにさっさとすきっっとおぉぉおおっ!?ちょっと!丸腰の男に切りつけないでくださいよ!?」
俺の剣を慌てたフリをしながら余裕で避けたキュリオスを睨みつけた。
「てめぇが丸腰だったことなんてねぇだろ」
「あれ、そうでしたっけ?」
ニヤニヤと笑うキュリオスを一瞥してから剣を鞘に納め、ため息をつきながらタオルで汗を拭く。確かに、そろそろ寝支度を始めたほうがいいだろう。いまいち心の落ち着きが取り戻しきれないのは……もう諦めよう。
そんな俺の様子をニヤニヤと見つめたキュリオスは、ポンポンと乱れた服を整えた。チャリ、と微かに音がしたから、あの下に暗器でも仕込んでるんだろう。
食えない俺の側近は、コホンと咳払いをすると改まった態度で口を開いた。
「とりあえずご報告です。先日からのぼっちゃんの奮闘により、不仲な政略結婚夫婦の烙印は鳴りを潜め、本日よりアニエス様は『狂犬を手懐けたチビっ子』として新たな時の人となっております。良かったですね、ご自分でフォローできて。結婚初日から恥ずかしがって奥様から逃げたせいで愛されない妻の烙印を押されかけてましたからね」
「……………」
「あ、褒めてますよ?いゃあすごい進歩ですよ。あんな最低男から、まさか今日バイバイのチューなんてしちゃぁぁぁ!?ちょっと!だから切りつけないで下さい!」
「……死ね」
「酷いなぁうちの主人は」
相変わらずニヤニヤとしている口の減らないキュリオスをうんざりしながら眺め、深いため息を吐いた。
「で?次は大聖堂を調べりゃいいんですか?」
「それは俺らが調べても何も分からないだろ」
精霊がいない不気味さがあるという大聖堂。国一の豪華さを誇るあの場所が、そんな怪しさがあるとは感じられなかったが。
他の違和感は、十分にある。
「――教会への寄附金額と特産品出荷金額、領主の参拝頻度と……特殊な人物や売買の履歴、過去の聖女の精霊への祈りの頻度とタイミング、王家と聖女の面会頻度……それから大司教の周囲を調べろ。可能なら20年前の前聖女がいた時代もだ」
「うへぇ、そんな昔の?分かるかなぁ」
「寄附金額の裏帳簿ぐらいはあるだろ。出荷額と聖女の動きは公的書類でもあるはずだから、得意そうなやつを使ってもいい。でも勘付かれるなよ」
「はいはい、お任せくださいぼっちゃま」
そう言うと、キュリオスはサッと消えた。あれであいつはこの家の優秀な影だ。
オーギュスティン家は表向きは騎士や商会経営で目立っているが、裏では代々諜報活動に長けてきた歴史のある一族だ。特に今は母親である強すぎる女主人に注目が集まりがちだが――結局一番影響力を持っているのは情報網を張り巡らせた優男の当主の父親の方だ。
恐らく、既に父親はアニエスの事も何か掴んでいるだろう。聖女の事か、偽装結婚のことか……それでも何も言ってこないということは、俺に任されているのか、面白がっているのか。多分後者だろう。ああ見えて、父親は性格が悪い。きっと裏でニヤニヤして楽しんでいるはずだ。
なんとなく疲れた気持ちを引きずりながら、庭園の中にある鍛錬所を後にする。ふと、視界に庭園管理用の小屋が目に入った。
そう、全ては数日前、あの小屋から始まった。楽しそうな精霊たちに囲まれたアニエスを見て、アニエスが間違いなく愛し子である事は分かった。
ただ、驚くほど神々しい精霊に囲まれたその姿に、急にアニエスが遠い存在に思えて。次いでポツリとアニエスが言った、聖女になりたくないという、辛そうな声。そして、そこに続いた『第二王子と結婚』という言葉に、俺の頭は真っ白になった。
なんで、アニエスが。
そんな、急に。
明らかにあの時の俺はおかしかっただろう。やっと頭が働き始めた時には、完全に必死だった。
聖女になりたくない。王子とも結婚したくない。
なら、俺と結婚してしまえば、全部解決する。
そう結論を出したのは、半分以上は俺のエゴだった。
急ごしらえの式の中。美しく着飾ったアニエスが、誓いのキスを前に震えた時。本当にこれで良かったのかと、自分の手中に入れてしまったことを後ろめたく思った。
それでも、やっぱりそれ以外の選択肢はあり得なくて。
絶対に、無理に手を出さない。アニエスが、俺がいいと、俺を好きだと言うまでは。それを神に誓うように頬に口付けた。
そう、固く誓った。
それなのに。
それなのに、何なんだ!!!
ガン!と木の幹に拳を振り下ろす。ドサドサといくつか果実が落ちてきて、一つ頭に当たってゴンッと音を立てた。
でも、全く冷静になれなかった。
あのクソチビが、俺の気も知らないで。
夫婦のイチャイチャがあれだけなわけ無いだろうが!!!
俺が、どれだけ我慢してんのか、分かってんのか!!!!!
拾った果実を手で粉々に粉砕する。
本当に、あいつは昔から突拍子もない事をする。ヘドロだらけの池に飛び込んで溺れていたタヌキを助けたり、特別な焼き芋がしたいとか言って鬱蒼とした山の中に山芋を取りに行ったり、木のてっぺんに住んでいる虫が見たいといって巨大な木に登り始めたり、素晴らしい発見だとか言って毒蛇を捕まえて酒に漬け始めたり……
狂犬と言われるほどの荒っぽく粗雑な俺が振り回されるのは、いつだってアニエスの突拍子もない行動だった。驚いてハラハラして追いかけて怒って……そして最後まで付き合った後の無邪気な笑顔に、どうしても惹かれてしまって。
だから、今回も、そんな風に無邪気に笑われて終わる気がしていたのに。
抱きしめてキスした後のアニエスは、誰にも見せたくないぐらい、ふにゃふにゃで可愛い顔をしていた。
……そんな子と、二人っきりのベッドの中で、俺にどう眠れってんだ。
はぁぁぁと長いため息を吐く。
俺の神への誓いはどれくらい守れるだろうか。既にかなり怪しい。今日だって別れ難くて……門前で口付けてしまった。一日置きでいいって言っていたのに、いきなり過ぎる。
小屋の向こうに見えるアニエスの屋敷を仰ぎ見た。小ぶりなその屋敷は古いもののちゃんと手入れがされていて、アニエスがここまでちゃんと家を維持してきたことが分かるようだった。
――――数年前。馬車の事故でアニエスの両親が二人共亡くなってしまってから、アニエスは少し変わった。突拍子もないガキからちょっと変わり者の女になり、ふざける代わりにオカンのようになった。そしてさっさと王宮薬師の試験に合格すると、父親と同じように淡々と王宮で働き始めた。
あの小さな身体で、毎日をなんでもないように飄々と生きているから、みんな気が付かないが。別にアニエスは鋼の心を持っているわけでもなければ、いつも平気なわけじゃない。
一生懸命だから、実は周りのことばっかり考えているから、自分の気持ちに疎いのだ。家が没落しないように、弟が無事に学園に通い成人になれるように、戦略的に仕事と家のバランスが取りやすい薬師の仕事を選び、日々を切り盛りしている。
小柄なあの身体のどこから、あんな強さが生まれるんだろう。俺はそんなアニエスの様子を、少し遠目で、時々ちょっかいを出しながらずっと見てきた。助けようと思えば、もっと助けられた。オーギュスティン家は、アニエスの家よりも、ずっと強い権力と、資金もある。
でも、それをしなかったのは、アニエスがそれを望まないと分かっていたから。あいつは、余計な施しや情けなんて受け取らないだろう。できたのは、見守ること。それから、アニエスが寂しくないように、バカみたいなちょっかいを出すぐらいだった。
だから、助けて欲しいと言われた時。心細そうに、聖女になりたくないと呟いた時。ほとんど見たことのない、アニエスの本気の助けを求める声に――やっと、俺がアニエスに、何かしてあげられると思った。
今日のあの様子は、恐らく強い拒絶反応だ。原理は分からないが、多分精霊の愛し子であるアニエスの中の何かが、大聖堂を拒絶している。
これまでこの国で崇められてきた、聖女信仰。その裏に何かある。俺の直感が、そう警鐘を鳴らしている。
「……絶対に、くれてなんてやらねぇ」
アニエスが望まないなら。――偽装だとしても、俺が隣にいてもいいと言うのなら。教会だろうが、王子だろうが、絶対にアニエスは渡さない。
そう、なんたって――誰が何と言おうと、俺は今、アニエスの夫なのだから。
月明かりの静まり返った空気の中、屋敷に向かって歩く。俺はひんやりした夜中の風に吹かれながら、アニエスを守り切るための算段を黙々と計算し始めた。
読んでいただいてありがとうございました!
ディカルド視点、いかがでしたか?
「めっちゃアニエスのこと好きじゃん!!」とニヤついたあなたも、
「アニエス、頑張ってきたんだね(´;ω;`)」と涙してくださった優しいあなたも、
いいねブクマご評価ご感想なんでもいいので応援していただけると嬉しいです!
また遊びに来てください!




