九尾の狐は瑞獣なりや
猫じゃらし様の獣人春の恋祭り企画参加作品です。
また、この物語は史実や実在の伝承を織り交ぜたフィクションです。(※あとがきに史実要素と創作要素を記載いたします)
◇
九尾の狐は瑞獣なりや。
読者の皆さんは九尾の狐をご存知であろうか?
九尾の狐というものは元来、瑞獣であったことを里見八犬伝の著者である曲亭馬琴は指摘する。
古代中国の古書「山海経」などには泰平の世に現れるめでたい瑞獣、神獣だと記されている。
その一方、よく人を食べるという矛盾したような記述もある。
【挿絵:九尾の狐 紋様図A】
九尾の狐がいかにめでたいかを如実に物語るのは、なんといっても「九」という数だ。
中国では「九」は縁起のよい数字とされる。
偶数を陰数、奇数を陽数として扱い、そのめでたい陽数で一番大きな「九」は古代より好まれた。
恋愛や友情、健康長寿につながる「九」。
であるならば、古代中国において「めでたい数の尾を有する狐」は瑞獣だとする方が自然だろう。
ところが今日よく知られる九尾の狐といえば、悪しき妖怪の代表例である。
ひとつに「九」は日本では「苦」につながる不吉な数字とされるので、忌み嫌われる数字を有するケモノならば悪しき妖獣である方が自然であった。
もうひとつ、一番に決め手となっているのは後世の伝承である玉藻の前伝説であろう。
いくつもの国を傾ける悪女として名を馳せ、やがて日本に渡ってきた九尾の狐。時の権力者を魅了して謀るものの、最後は正体を見破られて討伐されてしまい、殺生石という毒石となった。
しかし、この邪悪なる玉藻の前は古い文献には二尾の狐とあり、本来は九尾の狐ではなかった。
九尾の狐は瑞獣である。
されとて人を食らう。
このどちらとも白黒つかない曖昧さはひとつに「九」が二つに割り切れない奇数たれば、その申し子たる九尾の狐には善と悪とで計り知れない魅力があるといえる。
九尾の狐といえばなんといっても傾国の美女、蘇 妲己の伝説である。
中国三大悪女、稀代の毒婦こそ蘇 妲己だ。
【挿絵:蘇妲己】
古代中国に殷という国があった。その最後の天子、紂王を大いに惑わせ、暴虐邪智を働いたのだ。
「酒池肉林」という贅沢の限りを尽くすという言葉を遺すほどに豪勢な酒宴を連日連夜開いたり、無実の人々を残酷な処刑法で殺めたとされている。
これだけの悪政を働けば民心は離れるのは当然のことで、周の武王率いる軍勢とその軍師、太公望によって殷の王国は滅亡、妲己は退治されることになった。
ところがこの際、正体を暴かれた妲己は太公望の宝剣を受けて、三つに分かたれて飛散した。
そう、妲己に化けていた九尾の狐がいずれ蘇るにはここで完全に滅んでは話がつながらないのだ。
玉藻の前伝説においては三つに分かたれて飛散したとされる九尾の狐なれど、殷王朝滅亡の伝承や妲己のみを語る文脈では、彼女は殷王朝滅亡と共に斬首されてそれっきりだ。
つまり中国で語られる妲己の顛末を正しいとすれば九尾の狐はここでおしまい。日本での玉藻の前伝説における妲己の顛末が正しいとすれば武王と太公望は失態を隠してしまっている。
いわゆる“諸説ある”という歴史や伝承が度々直面する矛盾点だ。
この妲己という伝説の悪女については他書に譲るとして、本題は、三つに分かたれて飛散してしまったという九尾の狐の行方だ。
この後、古代インドのマガタ国において華陽夫人として九尾の狐はまた復活を遂げる。
はたまた、殷を滅ぼした周王朝に終止符を打つ無笑の悪女として九尾の狐はまたまた再登場する。
そうやって時と舞台が移ろい、あれこれと悪事を重ねた末に日本にやってきたというのだ。
ロマンのないことをいえば、これらの悪女はすべて無関係なものを結びつけ、玉藻の前の重ねてきた悪行として箔付けされ、濡れ衣を着せられているともいえる。
日本三大妖怪の一角に数えられるだけの悪名轟かせるには十分な箔付けといえるが、大妖怪九尾の狐としてはそれでよくともめでたき瑞獣九尾の狐としては迷惑千万だ。
このように九尾の狐は時の権力者だけでなく、時代ごとの語り部をも翻弄してきた。
前置きが少々、長くなってしまった。
これから語られる九尾の狐の物語、はたして彼女が瑞獣なりや? ぜひご一考いただきたい。
◇
明代の奇書「助六経」の一節に古代中国の小国「稲」《トウ》の伝承が記されている。
稲国は周王朝の南方の諸侯国であった。諸侯国とは、王の臣下のうち、その土地に封じられた有力な者が統治する国だ。日本になぞらえると大名とその領地国に近しい。
「助六経」によれば、水耕田に適した米食文化圏にあり、年間を通して雨量が多かったようだ。
周王朝の末期、つまり幽王と九尾の狐がこれから長く続いた国を滅ぼすという時代、同じ頃、稲国にある可憐な少女がいた。
名を稲妻という。
【挿絵:幼少期 稲妻A】
しかしこれは稲妻ではなく、稲国の諸侯、稲伯公の妻となったがために「稲妻」もしくは「稲伯夫人」といった記述がなされているのであろう。
稲妻の出自は不明瞭だ。
「助六経」の書き記すところによれば、まず「竹藪の麓に住まう夫妻が瑞兆をもたらす」とあり、この夫妻を探させたところ奇妙な幼い娘といっしょに暮らしていた。
この娘、夫妻の実子なのか拾い子なのかまでは記述がなかったものの、いずれにしても見るからに普通の童女ではなかった。
その七つほどの幼い娘には稲穂色の、つまり艷やかな金色の獣の耳が生え揃っていた。
後に稲妻、または稲伯夫人とされる幼い娘はあきらかなるかな、獣に憑かれていたのだ。
薄気味悪くもあるが、しかしこれは瑞兆であると占われた為に、稲妻はもしや瑞獣たる九尾の狐の化身ではないかと取り沙汰される。
当代の稲伯公はこれを面白がり、息子の側室として迎え入れるつもりで宮女に召し上げた。
明確な記述はないが、前後から察するに稲妻は九歳の頃に宮女として親元を離れている。
「助六経」には以下のようにある。
『稲妻は故郷や親元を離れることをひどく嫌がり、名誉なことだといわれても泣き止まなかった。やがて泣きはらしているうちに雷雨が訪れて、稲光が瞬いた。人々は稲妻が神通力で雷雲を呼び寄せたのではないかと恐れて、もう三日間だけ、しっかりと別れを告げる時間を与えてやった』
ここから察するに、稲妻は愛情に恵まれた暮らしぶりであったことが伺える。
【挿絵:幼少期 稲妻B】
また留意したいのは、農村において稲妻は縁起物だということである。
「稲妻」は「稲の夫」。
農作信仰のひとつに「雷光が稲を実らせる」という発想があり、経験則から豊作とのなにかしら因果関係を見出していたらしい。
「助六経」にも稲妻がわんわんと泣いたこの歳は例年になく豊作だったと記載がある。
一説に稲妻の語源こそがこの稲伯夫人だとする与太話もあるが、諸説ありと濁しておこう。
農作信仰といえば、稲荷大明神である。
この稲荷神社の神使として狐が語られるように、古今東西、稲と狐は無縁ではなかった。
米穀類を食い荒らすねずみを捕食する動物、という点が狐は農作と相性がいいのだろう。
後世の創作、しばしば演劇「雷光鞭」などでは稲妻のことを絶世の美女だったとする。
九尾の狐といえば美女であって然るべきというイメージもあるだろう。
さりとて「助六経」の記述には見目麗しいとはあるが、かといって「絶世」とまでの表現や扱いはない。なにせ狐の耳が生えている奇異なる姿、誰しもが認めるわけではなかったのだろう。
さておき、九尾の狐――稲妻は宮女として後の夫、稲伯公の側に仕えた。
士官より六年後、稲妻は晴れて稲伯公の側室として結ばれたといささか簡素に記されている。
空白の六年間に何があったかについて、ここの詳細は想像する他にない。
よってこれよりしばらくは「助六経」の記述だけではなく、後世の脚色を交えて物語っていく。
◇
「野干が夜な夜なネズミを捕まえては食べているとの噂、ご存知かしら?」
「化け狐の小娘ときたらとうとう本性を露呈したのかしら」
稲国の宮殿ではまことしやかに稲妻についての不吉な噂がささやかれていた。
ここで注釈すると、野干とは狐のこと、つまり稲妻のことである。戯曲や演劇では、まだ側室になる前の稲妻のことを野干と呼んでいる。少し侮蔑のニュアンスが含まれるだろう。
【挿絵:宮女たちの図】
ネズミはキツネの好物とされるので、実際に見聞きせずとも憶測で考えつけるような噂話だ。
稲国の宮殿務めの宮女にとって、跡継ぎの側室候補のひとりであるこの時代の野干は敵として叩き潰したいものもいれば、逆に味方にして自分の地位向上に繋げたいものもいたことだろう。
あることないこと噂話を流布することは、いつの時代も繰り返されてきたことだ。
ここでは、このネズミ騒動は実在したという説で話をすすめる。
「わたしがネズミを食べる?」
「そう宮女らは噂話をしている。どうだ野干姫、これは本当か?」
稲伯公はたずねた。
【挿絵:稲伯公 A】
稲妻は何恥じらうことなく胸を張って「はい、夜毎にネズミを食べております」と答えた。
後ろ暗いところがないという堂々とした態度に稲伯公は興味を示した。
薄気味悪い妖狐だと陰口を叩いてきた側の宮女らはそれみたことかと調子づく。
「この宮殿は手入れが行き届かず、昼間にネズミを見たところで宮女らは悲鳴をあげるばかりで自ら退治しようとする者がおりません。ネズミは穀類のみならず、書庫の大事な書物をかじる害獣です。ですので、私は宮女としてネズミ退治の仕事をしました」
「ほう、では宮女らの働きが不足であると」
「はい、そうもネズミが湧いて出るというのであれば、職務怠慢以外の何物でもございません」
「だそうだが」
稲妻の口撃に負けじと宮女の一人が訴える。
「いえ! 滅相もございません! この宮殿にネズミの群れが野放しであろうはずがありません! この野干の申しますことは真っ赤なウソにございます」
「確かに、俺はここしばらく宮殿でネズミを見かけてはいない」
「それはわたしが退治た結果にすぎません」
「なるほど。どちらの話を信じてもネズミはいないことに変わりはない」
稲妻と宮女の言い分は真っ向から食い違ってみえた。
しかし稲妻は水かけ論に応じるのではなく、今度は稲伯公に深々と頭を下げて謝った。
「じつはウソをついておりました」
「では、ネズミ退治はウソ偽りを述べていたと申すのだな? この俺に虚言を述べたと」
「はい」
稲妻は虚言を認めて平伏するので、これみよがしに宮女は罵詈雑言を投げかけた。
しかし稲妻は澄ました顔でこう言った。
「わたしが夜毎にネズミを食べているというのはウソにございました。あちらの宮女の皆様方がそうおっしゃるので、彼女らのウソがバレぬよう協力して差し上げたのです。もし、ありもしないウソを流布して殿のお手をわずらわせたとなれば、彼女たちはお叱りをまぬがれないでしょうから……」
「ほう、仕方なかったと言うのだな」
「しかし困ったことに彼女らはネズミ等いないと自ら申したのです。宮中にネズミがいないのに夜中にネズミを食べているというのは矛盾にございますれば、もはや、宮女の皆様方がいずれにしても大ウソをついていることは明々白々、かばいようもございません」
稲妻はくすくすと笑ってみせた。
その奇異なる狐耳を隠しもせず、嫌われることもいとわずにせせら笑った。
「私がネズミを食らうというのが真の話だとおっしゃるのなら、今すぐ宮中に野放しのネズミを捕まえてきてくれたら食べてご覧にいれましょう。さぁどうぞ」
宮女らは反論の術なく、小娘、いや小狐に黙らされた。
稲伯公はこの賢さをいたく気に入ると共に、噂話に関わった数名の宮女は流言飛語で稲妻を陥れようとした悪行を叱られて立場を悪くし、宮殿を去ることになったとされる。
この話において、結局ネズミを食べたか否かの真偽はあきらかにならないのである。
ネズミ食について。
この逸話ではネズミ食を糾弾しているが、アジア圏ではベトナム、中国、フィリピン、台湾などに鼠食文化が現在もある。筆者や読者に馴染みのない中国の食材文化は枚挙にいとまがなく、もしネズミを食べていたとしても、大騒ぎするほどのことでなかったのかもしれない。
もっとも、生のネズミを頭から食い散らかしていたならば別だが――。
奇書「助六経」では真実のほどは記されていない。
◇
稲妻が十の頃、稲伯公は正室と結婚している。
【挿絵:正室 秋穂姫】
正室のことは秋穂姫という名だとする後世の創作が多いものの、「助六経」には名前がない。
おそらく秋穂というのは稲国にちなんだ後付であろうが、秋のたわわに実った稲穂は言わずもがな縁起がよく、なんらかの愛称としてそう呼ばれていた可能性はある。
ともあれ、この誰某の家の娘ともしれぬ正室は結婚してすぐに稲伯公との間に長男を産む。
跡継ぎも生まれて秋穂姫の正室としての地位は揺るぎないものであった。
そうした自信もあってか、秋穂姫は傍らに宮女として実力をつけつつある稲妻を従えていた。
稲妻は実家の後ろ盾がなく、正室の座に取って代わる恐れもない。
序列として四番手、五番手くらいの側室候補だとして、二番手や三番手を牽制するにはちょうどいい手下として役立つといったところか。
それから数年後、十五の頃、稲妻は二番目の側室として稲伯公に嫁入りしている。
【挿絵:第二の側室 稲妻】
この二番目の側室、という記述があるからには一番目の側室もいたはずだというのに、なぜか一切その名が「助六経」では語られることがない。
これをして、演劇や戯曲においては一番目の側室を稲妻がいかにしてか謀殺したのではないかという脚色がつけくわえられることがしばしば見受けられる。
そのやりとりは以下のようなものとして演じられる。
「秋穂様、お呼びでしょうか」
「竹狐、そなたに相談があります。側室の冬木姫について調べてほしいのです。あの者は正室の座を狙い、わたくしを亡き者にせんと企んでいると噂する者が後を立たないのです」
「それでは、わたくしが冬木姫の悪事の尻尾を掴んで参りましょう」
「いいえ、わたくしが望むのは冬木姫には野心がなく、清廉潔白であるという証拠です。稲伯公様を共にお支えする嫁同士、疑心暗鬼を取り払い、仲良くしたいのです」
「さすがは秋穂様。わたしもかくありたいと憧れます」
このように秋穂姫は気高く、純真無垢で自信にあふれる善良な正室として演じられることが多い。
一方、ここから稲妻がいかに動いたかは千差万別に演じられる。
定番の演出は、冬木姫のことをいざ調べてみれば、本当に秋穂姫の暗殺を企んでいるということがわかってしまうというものだ。冬木姫は稲妻に裏切ってこちら側につけと誘惑する。
【挿絵:第一の正室 冬木姫】
「我らが共に秋穂姫を亡きものにすれば、そなたは第一の側室として稲伯公の寵愛を賜るであろう。どうじゃ、このまま黙々とあやつに付き従って老いさらばえるよりは面白いと思わぬか」
「そうは思いますれど、わたしは野干の姫。狡兎死して走狗煮らるという故事のありますように。事が済めば口封じを恐れずにはいられません。なにか、冬木姫様に忠誠を誓えばわたしは安泰だという約束の品を頂戴いたしたく」
「悪知恵の働くきつねぞ。だが所詮は浅知恵じゃ。そのような証拠をそなたに渡せば、事が済む前に秋穂姫に渡して取り入るもよし、事が済んでもわらわを意のままに操れる。そなたを付き従わせるのに必要なのは安寧ではない。恐怖じゃ。恋しくて泣いて別れた両親と、二度と会えなくなるやもしれぬという恐怖でどうじゃ」
「……わかりました。あなた様に忠義を誓います」
こうして両親を人質にとられてしまった稲妻は冬木姫に命じられて、秋穂姫の毒殺を企てる。
古代中国の毒は飲めばたちどころに死ぬほど強力とは考えづらく、証拠を残さず毒殺するにはじわりじわりと少量ずつ混入させるといった手法になるだろうか。
そこで稲妻は冬木姫に毒の小瓶を貰い、これを秋穂姫に供される食事にわざと明らかに異常で毒とわかってしまう量を混ぜる。そして稲伯公と秋穂姫の酒宴の席にて、これを毒味と称して自ら食べてしまうのだ。
すぐさま死ぬこともなければ、医者に診てもらえるとわかっていても、稲妻は毒に苦しみ、のたうちまわって苦しみ、寝込むことになる。
そうして苦しみ抜いた末に目覚めると稲妻は「冬木姫が毒をお入れになった」と証言する。
まさか自作自演で毒を飲むとは誰も思わない。
さらに稲妻は「わたしは野干の姫なれば、毒の匂いを辿れます」と一芝居を打ち、くんくんと鼻先を鳴らしては冬木姫の寝所にやってきて、こっそり仕込んでおいた毒の小瓶を発見する。
「濡れ衣じゃ! わらわは毒なぞ盛っておらぬ!」
そう冬木姫が訴えても、見事な稲妻の演技に誰しも騙されていた上、実際にどこかで毒薬を調達していたのだから調査が進むうちに入手していた証拠くらいは見つかってしまった。
古代中国に証拠不十分なら罰しないという理屈が通るべくもなく、こうして冬木姫は破滅した。
稲伯公と正室に忠義を示したことで、ついに稲妻は第二の側室に迎え入れられることになった。
――というのが一番人気のある脚色だ。
しかし、こうも考えられている。
秋穂姫と共謀した稲妻は、無実の冬木姫を陥れるために自作自演で毒を呑んだ、と。
あるいは正室は善良なまま、稲妻が側室の地位に成り上がるために冬木姫を陥れる場合もある。
いずれにせよ、ここで第一の側室は舞台を去るが、その結末は大きく分けて二つある。
まず瑞獣として善良な稲妻を物語るケースだ。
瑞獣の稲妻はあらかじめ父と母を匿い、冬木姫の策謀から難を逃れる。そして側室入りした婚姻の儀に両親を招待して「これまでお世話になりました。ぜひ恩返しをさせていただきたい」と王都に豪邸を建て、領主の親族として何不自由なく暮らさせたという説がとられる。
稲妻が父母に愛情を注がれて育ち、また恩に報いようとしていた点については原著に明記がある。
稲妻にとってもっとも幸せな結末は、この父母を助けることができたという結末だ。
しかし正反対の、より過酷な結末がどちらかといえば大衆に支持されている。
稲妻は父と母を救出しようという素振りを見せれば冬木姫に裏切りが露見すると考える。
そして両親を見殺しにする。
主君筋への忠義のために、はたまた己の野心のために、愛する両親を冬木姫の魔手によって殺められるとわかっていながら、冬木姫を破滅へと稲妻は追いやったのだ。
服毒から目覚めて冬木姫を陥れた数日の後、稲妻は両親が何者かによって惨死させられたと知る。
その後、別荘に幽閉されていた冬木姫もまた死体で見つかった。
それを激怒した稲妻による復讐だとしてこの章は締め括られるのだ。
以下は演劇「雷光鞭」でのやりとりである。
「わらわを裏切った罰じゃ。覚悟の上のことであろう、なにをそう憤る、稲妻や」
冬木姫はとうに死を覚悟した。今更、稲妻の手に掛かってしのうとも、結果は同じと悟っていた。
稲妻は泣きはらした目で睨む。
「わたしの父や母が何をした! 道づれならばわたしを毒牙に掛ければよかったものを!」
「そなたは妖怪変化の類ぞ。現に毒を呑んでは生きながらえて、今わらわの喉首を掻っ切ろうというもののけぞ。そなたの父母の罪なるは、稲国の宮廷に狡知邪悪の化けきつねを送り込んだことに他なるまいが、もうひとつ、そなたを生かしておく理由がある」
演劇ではこの時、雷鳴を轟かせる。
雷光瞬き、そのたびに壁面におぞましい九尾の狐の影が映し出されるという演出がなされる。
演劇前半の山場とあって観客は息を呑み、正体を露わにした稲妻に釘づけとなる。
「必ずや、そなたは秋穂姫を殺める。稲国に滅亡をもたらす。であれば、より多きを道づれにして世を嘲笑って死ぬるためにはそなたに生きていてもらわねばならぬ」
「世迷い言を!」
「では、今ここで共に死ね。己が後の災いとなることは明々白々、真に忠義があるならば、稲伯公様のために、わらわを殺してそなたも死ぬがよい。それで世は安泰じゃ」
「わたしが、災いに……」
稲妻は迷い、自分の首に爪を立てて、少しずつ、締めてみる。
雷鳴轟く中、稲妻は己がここで死ぬことをよしとするか、試してみる。
しかしとうとう死ぬことはできず、稲妻は逆に冬木姫の首を締めてはこう答える。
「ここで死んで忠義を示したとて、父や母が喜ぶものか! そなたの殺した父母に死んであの世で詫びようもない! いや、そなたは死後もわたしや稲国に仇をなす! ならば生き肝を喰らい、魂魄までをもここで噛み砕いてくれようぞ!」
「ははは、やはりそなたは邪悪な野干ぞ、それでこそ、それでこそじゃ」
冬木姫は絶命する。
そして九尾の狐の本性を露わにした稲妻が、執拗に亡骸の内臓を食らうさまが影絵で演じられる。
【挿絵:九尾の狐 紋様図B】
演劇ではまさか本当に役者の生き肝を食らうわけにもいかず、影絵の挙動だけでも限界はある。
であるからして、ここは轟く雷鳴の激しさによって、壮絶で凄惨な死体喰らいを想像させる。
舞台は暗転、翌朝になる。
様子を見にやってきた衛兵がまるで狼や熊、はたまた虎のような猛獣が暴れまわったかのような別荘の荒らされ方とあまりに無残な冬木姫の亡骸を見つける。
そして側室として何食わぬ顔して稲伯公の隣に立ち、微笑んでいる稲妻の晴れ姿で締め括られる。
その背後には得体のしれぬ、九尾の狐の影が蠢いていると観客だけに示されるのだ。
いかなる結末にせよ、これ以降、両親と第一の側室は登場しないことは共通する。
◇
十五の頃に側室入りした稲妻は、十七の頃に女児を産んでいるとされる。
生涯に渡って、稲妻は三人の子供を産むものの、稲妻はついに男児を産むことはなかった。
跡継ぎとなる男子を産ませるために側室を設ける意図からすれば、男子を埋めなかった稲妻の地位は安泰とはいえなかったが、この物語にもはや他の側室の名前は出てこない。
なぜか、稲妻はそれでも稲伯公にとても溺愛されたのだ。
その溺愛ぶりは正室であり男子に恵まれた秋穂姫をいつの間にか凌いでいたとされる。
理由のひとつに、秋穂姫の体調悪化がある。
もとより秋穂姫は稲妻よりも十二も年上、古代中国の寿命や健康事情を鑑みたい。稲妻が十五歳で側室になった時にはすでに二十七歳の秋穂姫は、少しずつ陰り、衰えつつあった。
秋穂姫は少しばかり病弱だったともあるので、稲伯公が側室を絶やさなかった理由も察せられる。
奇書「助六経」には弱っていく秋穂姫と愛でられる稲妻が対比されている。
これまた噂話として、稲妻は妖術で呪いをかけ、秋穂姫の命を吸っているというのだ。
しかし一方、稲妻はよい呪いを行って、秋穂姫を元気づけようと歌や踊りを披露したともされる。
奇書ではどちらが正しかったのか断定していない。
ここがまた稲妻という登場人物の興味深いところで、しばしば正反対の人物像で描かれる。
【挿絵:第一の正室 冬木姫】
ここでは瑞獣としての稲妻について語ろう。
「さぁ秋穂様! これよりご覧に入れますは五穀豊穣の舞にございます!」
稲妻は人を楽しませる芸事の名手であり、踊り子として名高い。稲妻伝説発祥の地では、毎年、田植えの時期には野干田楽というお祭りが開催されるほどだ。
ただし、この野干田楽というのは古くからある伝統行事ではなく、稲妻の人気にあやかろうと近年になって地元の観光協会が画策した町おこしというやつである。
こうした文脈で語られる稲妻はとても天真爛漫で元気よく心優しく献身的な、まさに天女もかくやという軽薄なほどに理想化された人物像になりがちである。
とても演劇「雷光鞭」では臓腑を貪り食っていた妖狐と同じ人物だとは思えないのである。
しかしだからといって荒唐無稽というわけでもない。
歴史は勝者が創る、という言葉がある。
とうに稲国は滅亡した国家であるために、その伝承は多くの場合、歴史の勝者に都合良いものが優先して残されている。
稲妻がいかに悪女であったかを過大に強調した伝承もあれば、町おこしのように誇大に善女であったことにしようとする輩もいるわけだ。
なお、筆者はご当地ゆるキャラの「稲こやん」のファンである。
もはや原型を留めていないきつねのまんまるとした着ぐるみがなかなかどうして愛くるしい。
【挿絵:稲こやん A】
【挿絵:稲こやん B】
九尾の狐は瑞獣である、という趣旨からいえば、みんなを幸せにする「稲こやん」はまさに瑞獣としての役割を新しいカタチで果たしているといえる。
ただし、日本のきつねうどんをそっくりそのまま真似ておいて「稲姫うどん」と称して売っているのはいかがなものか。味は普通で値段は三倍高い。
まさに狐に化かされた気分になれる観光グルメなのでぜひ食べてみてほしい。
閑話休題。
稲妻の祈祷舞いは評判高く、ついに周の幽王が「ぜひ見てみたい」と王都へ招待するに至った。
周の幽王。
殷王朝を滅ぼした武王から数えて第十二代の王にして、西周最期の王となる男。
【挿絵:周の幽王】
この暗愚なる王の傍らには九尾の狐がいたとされる。
幽王の妻、無笑の美女――幽無である。
幽無こそは傾国の美女にして破滅の女狐、蘇妲己の生まれ変わりであった。
絶世の美貌を有する幽無は、支配者たる幽王の心を虜にしてしまい、彼女に夢中になるあまりに幽王は政治を怠ってしまったとされている。
この頃、大地震が起こって水が枯れてしまった大事件が起きた際、当時の識者たちはこの自然災害を天子たる幽王の徳がなく、国が滅びる兆しだと案じた。
大災害に直面した時、統治者の人気がガタ落ちするというのはよくある話だ。
現代人たる我々の視点からみれば、大地震の発生理由をたったひとりの王様の資質に求めるのはあまりに非科学的なれど、古代中国においては学識ある発想だとされていた。
神々と政治がまだ不可分だったのである。
幽王が破滅に至る最大の原因は、本来の后を蔑ろにしてその太子を廃嫡、幽無との間に後から生まれた息子を後継者である太子としたことにある。
后の父親、申候公はこれに大いに怒り、後に大規模な反乱を起こすことになる。
幽王は女狐の色香に騙されて、国を滅ぼしてしまったのだ。
――その幽王と幽無姫に呼ばれて、稲妻は稲伯公と共に謁見することになった。
「幽王陛下が、わたしの舞をなにゆえ……?」
「幽王のお妃様、幽無姫を笑わせるためだ。絶世美人、されど笑わず。幽王がそなたを所望するのは、なんでもいいから面白いものを見せれば笑うかもしれんと手当り次第なのだ。幽無はな、稲妻、お前のような不可思議な出自を持つ女でな、まことしやかに九尾の狐、妲己の再来といわれているのだ」
王都への道すがら、牛車に揺られてふたりは語らう。
「九尾の狐、でございますか」
「ああ、破滅をもたらす美しき女狐だ」
「……わたしは瑞兆をもたらす女狐でありたいと願っております。妲己の再来ではございません」
「正室を退け、成り上がった絶世の美女。そして王を虜にしているという点ではそっくりだ」
【挿絵:稲伯公 B】
稲伯公はハハハとからかい笑う。
意地悪なことを言って困らせる稲伯公をむっとにらんで、稲妻はそっぽを向く。
「わたしは秋穂姫様を差し置いて我が子を跡継ぎにしようといった野心はございませんとも」
「そのために、三番目の娘を――男子であることを隠して女子として育てると決めたのだったか。秋穂の子に稲国を継がせる為に、俺が政道を違えぬように、か。心遣いはわかる。だが、すこしさびしくもあるこの男心がわからぬか、稲妻」
「左様な男心など、わかりませぬ」
「心から惚れた女にできることを尽くしてやりたいと願うのは純心この上ない。好きな女の笑顔が見たいという幽王陛下のお心を、俺は理解できる気がする。……それにな、前の妃様、申后というのは有力諸侯の申候公にあてがわれた女だ。義父の申候公の操り人形に尽くして何になる? 外敵、遊牧民の犬戎族と結託しているという噂もある。野心家の申候公の孫を廃嫡したのは弱りゆく周王のせめてもの抵抗なのかもしれぬ」
「周は滅びるのでしょうか」
「滅びぬ国なぞない、人がいずれ必ずや死すようにな。問題は、それが早いか遅いかだ」
稲伯公は決めかねているようだった。
周の幽王か、申侯公か、小国の統治者としてどちらに尻尾を振るかを。
どう生き延びるかを。
◇
幽王に招かれた稲妻は絢爛豪華な歓待を受け、そして待ち望まれた祈祷舞いを踊った。
それはそれは見事な舞踏であった。
狐耳の妖しき美女が羽衣を纏い、優美に舞うさまはまことに美しいものだったとされている。
しかし肝心要の、幽無姫は一度たりとも笑わなかった。
かといって退屈だとか、憤慨するでもなく、幽無姫は飽きずに最後まで舞を見届けてくれた。
「おお、見事であった稲伯夫人。五穀豊穣の舞、余は感服したぞ」
「もったいなきお言葉です、幽王様」
「幽無を笑わせることはついぞできなんだが、そのことを余は責めぬ。遠路はるばるご苦労だった」
幽王という男は暗愚であるが、根っこは賢く聡明な先代の王譲りであったとされる。
幽無という悪女によって心奪われたことで堕落したのであって、はじめから人望や才覚を持ち合わせなかったわけではない、と後世に語られている。
もし幽無と無関係に愚かな王であったとしたら、それこそ幽無が傾国の美女であるという話にはなりえないわけで、前提として彼は礼節を欠かず人徳のある王だったといえよう。
稲妻は、幽無を笑わせられなければきつく叱責されると不安な心地で身構えていたので拍子抜けしてしまった。思いの外、噂よりまともだからだ。
ただ一点、すぐに視線が最愛の女、幽無の顔を見つめてしまうということを除いては。
「こうして眺めていればわかる。幽無はちっとも笑わないが、今の表情は楽しかった時のソレだ。本当につまらない時、幽無はどこか天高くを見つめはじめてしまうのでな。一部始終をちゃんと見届けたのはそれだけで称賛に値しよう。なぁ、幽無」
「……幽王様」
幽無が言葉を発した。
その重みは王にも勝り、その慎ましくも艶やかな唇からいかなる言葉が紡がれるか一同息を飲む。
稲妻は己の美貌をよく理解して武器とする女だと描かれてきたが、さしもの幽無には引け目を感じたのではないだろうか。
【挿絵:幽無姫】
幽無姫の纏う雰囲気はまさに天仙桃源郷の霞のように静かに煌めいていた。
「舞よりわたくしをご覧になられていては、幽無は困ってしまいます」
「やや、確かにそうだ! すまん、幽無!」
「……それほどまでに幽王様のお心を独り占めする罪深さ、幽無は心苦しくもあり、けれど」
傾国の美女はささやく。
玉座に座る幽王の手に、そっと手を重ねて。
「うれしいと、欲深くも思います」
稲妻はぞっとしたことだろう。
微かに微笑もせず、ここまで妖艶に人を惹きつける魔性の女はまさに蘇妲己の生まれ変わり。
その不可思議な魅力はもはや老若男女の垣根を越えて、稲妻をも視線を釘づけにされてしまった。
「……稲伯夫人」
「は、はい」
「幽王様と稲伯公がご政務を語らうには、わたくしやあなたがそばにいては目の毒です。しばらくふたりでゆるりと飲茶でも楽しみ、お二方には少しばかりさみしがっていただくのはどうでしょう」
さみしがれ、といわれてしまった幽王と稲伯公はどちらも苦笑するしかなかった。
無笑の姫君も他人を笑わせることはあるらしい。
「じつに面白き女だと思わぬか、稲伯公。余の寵愛を一心に独り占めしておいて、余の政道を案じて残酷にもお前との小難しい話に専念しろという。これではやる気を出して仕事を早く終わらせねばならなくなった。幽無は焦らしと甘やかしが上手い。すっかり飼いならされている気分だよ」
「ふっ。陛下は本当に、お妃様がお好きでいらっしゃるようだ」
「余の生き甲斐だ。……例え、そのために国が滅ぶことになろうとも、余は悔いぬ」
「では、そうならぬよう政を尽くしましょうぞ、我が君よ」
そうして名残惜しそうに幽王の見送る中、稲妻はひとり、幽無と庭園にて飲茶の席につくことに。
あの幽無と一対一で、手の届くような近さ、真向かいに座らされるのだ。
これまで窮地を沈着冷静に凌いできた稲妻であっても、この恐怖と緊張と高揚感は未知だった。
(わけもなく心が震える……同じ、九尾の狐だから?)
幽無は美しい。
星空を眺めているとふと夜闇の果てしなさに空恐ろしくなる、そうした美しさに似ていた。
それでいて熟れた果実の甘き薫りに誘われるような、本能的な誘惑を兼ね揃えている。
たまらなく人を惹きつけるクセに、触れることをためらわせる神秘の天蓋に守られている。
この尊く素晴らしき美に触れる資格が己にはあると自負できるのは、天下を統べる周の幽王を含めてごく一握りの人間だけではないだろうか。
「……面白い。本当に、隠すでもなく、堂々と狐の耳を生やしている」
「は、はい。生来より知られた狐の耳なれば、今更に隠してもと」
「触っても?」
「はい?」
「触っても、いい?」
稲妻はぞわりと全身の毛を逆立て、狐の耳をピンと立てて驚く。しかし断る気はしなかった。
幽無のおねがいを断れる立場でもなければ、これから触ってもらえるという期待感が強すぎた。
「おいで、狐ちゃん。わたくしの隣にきて、頭をあずけてちょうだいな」
「こ、こうでしょうか」
「……甘え慣れているのね」
幽無の細くて白い指先が繊細な指遣いで、そっと稲妻の獣耳を愛撫する。
親指と人差し指でふやふやの外耳をくにくにとつまみ、中指と薬指は石琵琶のような弦楽器でも奏でるようにさすりさすりと繰り返して、やさしく撫でる。
まこと昇天の境地だ。
単純明快に、幽無姫の技量が巧みすぎる。稲妻とて稲伯公との間にもう第三子を産んだ経験があり閨事の技量を誇っていたが、幽無姫の指先に触れられると生娘に返った気分にさせられる。
「あ、幽無様、お戯れを……!」
「そう、たわむれ。これしき、ほんのたわむれ、そうでしょう?」
ずぶりと親指を、白毛のふかふかと生えた獣耳の内側へと挿入されてしまう。
ちらりと盗み見ても、幽無はどこか楽しげでこそあれ口角を上げて明確に笑ったりはしていない。
「ん、くぅ……」
「あなたはわたし。わたしはあなた。同じ千年狐狸精の御霊を分けた九尾の狐……」
幽無姫はデリケートな獣耳のふさふさの中をいじりまわしながら、いたずらげに物語る。
稲妻は刺激的すぎてとても話に集中できる状態でないが、その言葉は、すっと心の奥底へ届く。
「その昔、妲己は死して魂を三つに分かち飛散させた――。三つの魂魄はすべて揃うことはなくとも、時おりこうして互いに惹かれ合い、すれ違うことがある。でも、その魂魄がまた同じひとつの器に集うことはない。これまでも、これからも、三つのまま」
「それは、どうして……?」
「魂魄が幾度生まれ変わろうと、その一生涯のたびに、己の魂魄よりも恋しい相手を見つけている。天地開闢の時代から息づく完全なる千年狐狸精としての復活を、その時その時の愛する人とたわむれることに夢中で後回しにしつづけている。堕天の悦楽に比べれば、昇天の誉れも霞む」
幽無の指先と言葉に心が溶かされてしまいそうになる稲妻。
しかし稲妻は最後の一線、踏みとどまる何かを心中に抱いていた。幽無と、分かたれた魂魄とひとつに戻りたいという根源的欲求より、彼女が物語るように、確かにより強い意志がある。
稲妻はゆらりと立ち上がって、名残惜しくも幽無の愛撫から逃れた。
「幽無」
あえて呼び捨てにする。千年狐狸精の三分の二として接するならば、二者は対等である。
稲妻は冷ややかに笑って、嘲笑ってみせた。
「わたしはあなた。あなたはわたし。そう申せども、今生のうちにひとつの器に戻らぬというのであれば、それはつまりお互い道を違えているということ」
「そう、わたしはわたし、あなたはあなた」
「さすれば、この稲妻を呼びつけた理由は他にある。あなたがわたしならば、そのはずだが?」
「それはそう」
座して涼しげに見つめ返してくる幽無のことを、稲妻は虚勢も込みで、立って見下ろす。
幽無の目的。
傾国の悪女が企むならば、それはもう、歴史の転換点を左右する事柄だと稲妻は察した。
「周は滅びる。幽王と我が子も殺される。そうなる運命を辿ることを、まずあなたに教えます」
「……やはり、そうなるか」
「遊牧民の犬戎族を引き連れた申侯公の反乱によりいずれ周は滅びることになる。天より仰せつかった今生のわたしの天命が果たされる時がやってきたのです」
「天命……、三皇五帝の差し金か」
三皇五帝とは何か。
古代中国の歴史において、天地開闢や人類創世にまつわる神々や聖君のことだ。
かつて蘇妲己は殷王朝を滅ぼすために天より遣わされた。
その三皇五帝の天命に従い、殷の紂王を魅了して悪行三昧を重ねることで殷周革命を誘発した。
であるならば今、周の幽王のとなりにある幽無にも周王朝を滅ぼす密命があるのは必然だ。
新たな歴史の転換点を刻むために、幽無は無笑の姫君としてこの生涯を費やしてきたのだ。
「幽無、あなたは愛する者達を、歴史の贄に捧げるというのか」
稲妻は寂しげに言葉した。同じ魂魄の分かたれた存在なれば、その悲しさは己のものに等しい。
一説に、蘇妲己は殷の紂王を破滅に誘いつつ、とても深く愛してもいたとされている。
三皇の女神は、その愛し愛されるさまや地上の贅沢と悪逆非道を堪能する好き勝手ぶりに嫉妬してしまい、自ら命じておきながら「やりすぎた」と妲己を見放して手を切ってしまった。
しかし今また都合よく、天の遣いとして幽無に周王朝を滅ぼさせる天命を与えたのは神々ゆえの傲慢であるが、今度は女神の嫉妬を買わぬよう、幽無は慎ましくあった。
幽無は笑わずにいた。
それだけのことで、酒池肉林の贅沢な宴や残虐非道な処刑を乱発した訳ではなかった。
なにより、幽無は愛する王へ笑顔を見せることがなかったので、女神の嫉妬を買わなかった。
「愛すればこそ、せめて、逃れ得ぬ滅びの時まで尽くしてあげたい。あなたを呼んだ理由のひとつは、そう、ただ単純明快に、幽王陛下のお喜びになるさまを見たかった……。それだけのこと」
「……その一助になれて、光栄です」
稲妻はあえて臣下の妻として、これに答えた。
幽無は天高くを見上げながら言葉する。
「……わたくしがあなたを呼びつけた最後の目的は、我が幼き娘をひとり、匿ってほしいのです。天命も、幽王陛下と太子の命を散らせることは定めても、歴史に名を残さぬ小娘ひとり見逃してくれるはず。千年狐狸精の魂分かつあなたにならば、陛下とわたくしの子を預けられる」
「幽王様の、お子を……」
「見返りに、あなたの望みをひとつ、わたくしにできることであれば叶えて差し上げましょう」
「……かしこまりました、であれば……」
こうして幽無と稲妻、ふたりの九尾の狐は密約をかわした。
今生、ふたりは二度と会うことがなかった。
◇
申侯は、遊牧民の犬戎族と連合を組んで周の王都を襲撃した。
外敵の襲来に対して本来は狼煙により各地の周辺諸侯に出陣の知らせが届き、その総戦力さえあれば、強大な連合軍によって長年続いた周王朝が滅びるはずはなかった。
しかし、援軍は来なかった。
幽無のせいである。
ある時、招集の狼煙を間違えて上げてしまった現場の失敗によって、各地の周辺諸侯の軍勢は何もないのにあわてて駆けつけてしまったという大騒ぎがあった。
何千人、何万人という人間たちがあわてふためき空転するさまを見て、幽無は大笑いしたという。
幽王がはじめて目にする、愛する女の掛け値なしの笑顔。
幽王はこれに味をしめて、たびたび嘘偽りの狼煙をあげては周辺諸侯の軍勢を呼び寄せて、幽無姫の笑うさまを望んだという。
しかしやがて周辺諸侯は愛想を尽かし、狼煙をあげても駆けつけることはなくなった。
ついに申侯と犬戎の連合軍がやってきた時、もはや幽王のために駆けつける味方はいなかった。
いわば古代中国版、オオカミ少年だ。
紀元前771年、こうして幽王と周王朝は滅んだ――とされている。
しかし、これは史実としてはあまりに伝説めいている。
周という国家の終焉を、幽王ただひとり、そして幽無姫のみが原因だとしているのは大げさだ。
そして愚かな王ならば臣下が反逆するもやむなしという論法にも作為性がある。
じつは周王朝の衰退は幽王の代よりずっと以前より、周辺諸侯の強大化という王個人の資質とは無関係な原因が大きく、狼煙のことがなくとも滅亡の条件はもう整っていた。
筆者の考えるに、これは『歴史は勝者が作る』の典型ではないだろうか。
西周が滅んだ後、幽王の実子にして申侯の孫、廃嫡されたはずの太子・宜臼が擁立されて東に遷都、紀元前770年、東周が成立する。
これより先は春秋戦国時代という長き群雄割拠の世に移り、やがて秦の始皇帝による中華統一までつづく長き戦乱の世へと移ろっていく。
西周を滅ぼし東周を成立させた申侯にとって、その反逆行為は正当化されねばならない。
廃嫡された太子の正当性を主張しつつ、いかに幽王は暗愚で死すべき男であったかを強調する。
そうしなければ、遊牧民の犬戎族によって西周の都を蹂躙、略奪や暴虐の限りを尽くしたという後ろめたい行いを精算して、東周の支配を確かなものにすることは難しかった。
その辻褄あわせとして、諸悪の根源として幽無という悪女のせいだとしたのではないだろうか。
歴史の故事に倣えば、周の武王が殷の紂王を討ったことになぞらえたかったのだろう。
狼煙の伝説もまた、いくらか事実であったとしてもだ。そもそも周辺諸侯たちに申侯と犬戎族との大戦争に犠牲を払ってまで衰えた周王朝のことを守る価値があったかといえば、否だろう。つまりは、狼煙のせいで馳せ参じることができなかったという“言い訳”があれば、周を見殺しにした者たちには立つ瀬ができる。
こう考えれば、かねてより孤立した周王朝を、周辺諸侯が結託して滅亡に追いやりつつ、不義理不忠の誹りを受けずにいられるとても都合のよい作り話ではないかと推察できる。
笑わない悪女の伝説は、歴史の勝利者たちがでっちあげたのだ。
そもそも幽無という悪女の出自は「千年前、夏王朝の時代にあらわれた竜神の吐いた泡を宝箱に封じる。これを周の時代に開けたところ、泡は一匹のトカゲになり、宮女の腹に宿る。生まれてきた女の子は不吉だとして捨てられる」とはじまる。
実在した人間の出自としてはあまりに幻想的すぎる上に、様々な伝説を統合すると千年前の竜神の泡から生じつつ四百年前の九尾の狐の転生体であるという支離滅裂なことになってしまっている。
しかし、幽王は実在する。
そして幽王が愛した寵姫が必ずやいたはずだ。正妻であった申后を退け、太子を廃嫡、申侯を激怒させてまでも愛したかった何者かがいたはずだ。
傾国の美女伝説のモデルになってしまった何者か。
後世の人々は、そして筆者は、彼女の魅せる幻影に今こうして想いを馳せている。
◇
奇書「助六経」に記された小国「稲」の命運は周王朝の終焉と共に尽きたとある。
おそらく紀元前771年より少し前に、稲国の正室、秋穂姫は死去している。
彼女の死後、ついに稲妻は稲伯公の正室の座につく。
稲妻は女だてらに一国の宰相かのように政治に口を挟み、権勢を振るうようになる。
女狐宰相様の誕生だ。
【挿絵:女狐宰相 稲妻】
この功罪について、助六経にはとくに記述がない。一方、後世の解釈は大きく分かれている。
己の権力を誇示すべくまるで君主そのものに成り代わったかのように横暴に振る舞い、たびたび臣下を処罰するよう進言して、残忍な処刑を行ったという妖狐としての稲妻像がここに現れる。
逆に、稲伯公の一助となるために懸命に働き、だれかに嫌われるような役割を自ら率先してこなしたことで処罰を受けた臣下に誹謗中傷を受けたとする善狐としての稲妻像も根強い。
いずれにせよ、稲伯公は妻の行いを咎めることはなかった。
妖狐であれ善狐であれ、稲妻のことを稲伯公は一心に好いていたとされる。
稲妻は夫のみならず、稲伯公の嫡男、亡き秋穂姫の息子にもとても愛情を注いでいた。これを亡き秋穂姫への忠誠とみるべきか、男子を産めなかった稲妻が権勢を保つための策略とみるべきか。
とかく、ここに至り、稲妻は稲国のナンバー2の地位を確立した。
紀元前771年、周王朝滅亡の年。稲国滅亡の年。
犬戎族が襲来する。彼らは西北の民だ。
これまで筆者は少々彼らを悪しざまに語ってきてしまっているが、犬戎にも言い分はある。
周王朝は中期、朝貢を犬戎に納めさせつつ、その領土を征服するという活動に出ている。
犬戎族の詳細にはよくわからない点もあるが、ひとつ言えるのは、彼らにも王都を襲い、略奪と殺戮を行うだけの積年の恨みがあった。
中華思想というものは中国大陸中央を天下の中心と考えて、外縁をより劣り、遅れた蛮族だと捉える傾向にある。古代中国史における異民族はしばしば蛮族としてのみ記されるものだ。
しかし犬戎を擁護したところで王都を荒廃させ、略奪と殺戮を行ったことは事実であろう。
犬戎の魔手から逃れるべく、王都の市民たちは各地へと散る。家や財産、家族を失った難民が王都から周辺国へと溢れかえったことだろう。
ここからがさらなる地獄だ。
急激な難民の発生は大きな混乱を産む。誰にでも自分の生活があるので、困っている人がいても身を切って助けるにも限度がある。周辺国は対応に苦慮させられた。
幸い、稲国は小国とはいえ実り豊かな地、前年の豊作もあって受け入れるだけの蓄えがあった。
好意的に解釈するならば、こうなることを予期していた稲国はかねてより備蓄準備があり、それは稲妻のおかげであったかもしれない。
しかし流入したのは難民だけに終わらず、さらなる略奪を望む犬戎までも迫ってきた。
強大で貪欲な犬戎に稲国の小さな武力では独力で勝てる道理はなかった。
「幽王陛下を見殺しにした俺のツケがまわってきたというわけだ……」
「されど、あきらめるよう具申したのはわたしです」
「決断したのは俺だ、稲妻。俺は最後まで務めを果たす。……お前は子供達を連れて、逃げろ」
落城は近い。
稲伯公は遠方に陣取る犬戎を高楼から見やって、力なく言葉する。
稲妻は彼に寄り添って、名残惜しそうに背に抱きつくと、しかし力強く言葉した。
「わたしはこの国に瑞兆をもたらすケモノ。そしてこの国に破滅をもたらすバケモノ。どちらともつかず、願い、呪われて今に至ります。……わたしはこの国を滅ぼすことに決めました。稲国はもう、これで終わりにしましょう」
「お前が何をせずとも、もう、この国は……」
「いいえ、犬戎の土足に踏み荒らされて、惨たらしく国が滅ぶのではありません」
白昼の雷光が瞬いた。
「わたしは……」
雷鳴が轟き、稲妻の言葉をかきけした。
女狐は妖しく笑っていた。
◇
奇書「助六経」には事の顛末をこう記してある。
紀元前771年、稲国は隣国「香」《ほん》に併呑されて消滅する。
稲妻は三人の娘のいずれかを香国に嫁がせ、稲国の実権をより大きな隣国に売り渡した。
差し迫っていた犬戎の襲来をこの政略結婚により防ぐことに成功するも、長年続いてきた稲国の歴史はここに途絶えることになった。
その香国もまた春秋戦国時代の流れのうちに消えて、大国「楚」《そ》の一部となっていく。
なお、申侯の乱を起こした申国もまた同時代初期のうちに「楚」に併呑されて消滅する。
こうして巨大なる時代のうねりの中に稲国は消えていった。
この年、また次の年、またまた次の年も、戦火を逃れた稲の地にはたわわに秋穂が実ったという。
香国との併呑にあたって稲伯公は権勢を失い、稲妻と離縁、隠居した。しかし数年後に病没する。
秋穂姫の嫡子は継ぐ国を失ったが、香国に仕えてよく働き、その子孫は楚国の名家となった。
稲妻の三人の娘については詳細な記述に欠けるが、いずれかの娘が香国の君主の正室として迎え入れられているので、稲伯公と稲妻の血筋は香国へと引き継がれている。
まことしやかに現地では、我こそは稲伯公の子孫なりと名乗る地元の名士もいるのだとか。
その子孫曰く、稲妻の行いは英断だったという。
しかし今でも稲妻のことを邪悪なる妖狐だったと物語る一族もいる。香国の子孫だ。
「あの性悪狐は娘を嫁がせた上で先王を誘惑した。親子二代で香の一族をひっかきまわして、半ば一族を乗っ取ったんだ! 長年連れ添った夫と離縁してすぐにだぞ! 信じられるか!」
稲国を併呑したはずの香国を、いつしか稲妻の血筋が支配するようになった。
これをして、稲妻は魔性の女狐、稀代の悪女だというわけである。
客観的事実を列挙すれば、終始、稲妻は立身出世を重ねて権力の座に近くあったのは事実だ。
そして政敵を葬るために権謀術数や妖術を駆使したというエピソードが真偽不明いくつもある。
悪狐伝の終わりに、稲妻は勇士によってついぞ正体を露わにして討伐されたとある。
この勇士が誰かは多岐にわたり、大多数が「うちの先祖はあの妖狐を討ち滅ぼしたんだ! すごいだろう!」と家格の箔付けに用いられている。
香国の先王をたぶらかし、后を呪った悪狐稲妻を勇士が打ち倒したという英雄譚だ。
この時、絶命する間際に暴れ苦しんだ稲妻が落とした落雷によって、大岩が真っ二つになった。
この稲妻石に今も悪狐稲妻の怨念が眠るとして、地元の観光スポットとして親しまれている。
筆者も立ち寄ってみたが、ああしてスマホ片手にSNS投稿に夢中の若者に囲まれてしまっては稲妻の怨霊とてゆっくりと寝ていられないだろう。
あるいは存外、退屈せずに済んでいるやもしれない。
一方、善狐としての稲妻は晩年、離縁した稲伯公が病没するまでこっそり会いにきていたという。
正しくは、香国の先王の寵姫としてではなくて、ただの野狐としてだ。
この場合、稲妻は先王にこそ仕えるものの、あくまで離縁した稲伯公を慕っていたとされる。
稲伯公の子供達や一族の便宜を図るために、なるべく有利な立ち回りができるよう努力する。そのために稲伯公とは離縁して独り身になったのだ。
それでも稲伯公のことを恋しく想い、弱りゆく彼を看取るために野狐に化けて忍んで会った、と。
あるいは見捨てられた稲伯公が単なる野狐を稲妻だと夢想したのやもしれない。
「稲妻、歌ってくれ。舞ってくれ。今年の秋穂も実るように」
くぉーん、くぉーん。
演劇「雷光鞭」の最後の一幕は、こうして夕焼け空の下、隠居先の農家の庭先にて、ぴょんぴょこと跳ねる狐を眺めながら静かに息を引き取っていく稲伯公の退場を以って、終劇となる。
【挿絵:稲国黄昏の秋穂】
九尾の狐は瑞獣なりや。
筆者はいずれであれ、この興味深い伝説の悪女たちに魅了されてやまない。
古代中国史という壮大な歴史のどこかに隠れた稲妻や彼女らの九つある尻尾をひとつでも見つけたならば、あなたもぜひ追いかけてみてはいかがだろうか。
ただし、ゆめゆめお忘れなきように。
彼女らを愛する者は常に破滅の運命と隣り合わせだったということを。
お読み頂きありがとうございました。
お気に召しましたら、ぜひ評価(☆)やブックマーク等をよろしくおねがいします。
まえがきにありますように、本作はフィクションと史実・実在伝承要素を織り交ぜているため少し解説します。
作中の史実、実在の伝承は主に「蘇妲己」「玉藻の前」「幽王」「幽無」「申侯」「犬戎」(機種依存文字回避を兼ねて名前を変更しています)にまつわるものです。
フィクション要素は「稲国」「稲妻」「助六経」「雷光鞭」「香国」等です。
あたかも実在する伝承かのように物語る作品でしたので、古代中国史に詳しい人でなければどこからどこまでが本作の創作かわかりづらいと思いますので、ここに明記させていただきます。
今回は「獣人春の恋祭り」という素晴らしい企画に出会い、着想と執筆の機会をいただくことができました。他の同企画作品も個性的なものが多くケモいです、ぜひよろしくおねがいします。
自作は二作
「狼の恩返し ~ノケモノ木こり乙女が婚約破棄して魔女に呪われた白狼王子に恩を売りつける話~」(異世界恋愛)
「F.S.ダブルフォックス」(SF空想科学)
も投稿しております。
なお、当方のケモい作品は過去長編作「〆サヴァ 冒険者ギルド開業記」や「ケモ奥方は仇討ちをあきらめたい」がございます。
ケモおかわり! という方はこちらもどうぞ。