行方不明の少女と雨の夜
午前8時頃の京王線、私は平日は基本的にそこを走っている電車に乗っている。
地方で生まれた私は、大学を卒業すると同時に上京した。それまでは東京の路線は山手線ぐらいしか知らなかったが、実際は今でも覚えられないほどにある。銀座線、中央線、小田急線…。当然の話だが路線には駅が存在する。その中でも新宿駅や渋谷駅では、電車から電車へ乗り換えるためには迷路を覚える必要があり、かつ信じられないような人混みを避けてゴールに辿り着く必要がある。
どこか聞いたが、駅の1日の利用者数を世界で順位付けすると、日本はトップ5を占めるそうだ。ある種国の文化ともいえるだろう。とても自慢できるようなものでもない気がするが。
恐らく多くの会社が午前9時頃から仕事を始めるのだろう、その時間帯の電車の混み具合といったら酷いものだ。幸せを求めて経済を回している人間たちが、自分から乗ったにも関わらず、不幸そうな顔で四角い箱に詰め込まれる。恐らく箱の中の雰囲気は出荷される家畜に近く、電車の外観は、戦争時代かつて奴隷を運んでいたトラックと相似であろう。こんなことを書いている私自身、家畜または奴隷の一部であることに変わりはないのだが。
京王線の電車の一両には、ドアが合計8つある。片側に4つずつ、その向かい側に同じように存在する。電車内のドアの上には路線図が特急や急行ごとに記載されており、私たちをいかに効率良く運ぶかを図に示してある。
路線図とドアの間には小さなモニターが2つついている。一つは到着の駅や、現時点で乗っている電車の位置を簡易的に示したもの。もう片方では、時事ネタやスポーツニュースが一定のループで流れ続けている。満員電車でスマートフォンすらまともに見れない状況だと、なんとなく退屈になるため、このモニターを何も考えずに眺める時間も多い。少しでも私たちを快適に電車内で過ごせるように心がけた、温かみのある仕組みなのかもしれないが、朝方となればすし詰めの苦痛が遥かに勝る。
その日もモニターを眺めていた。海外で野球をしている選手の目覚ましい活躍だったり、大御所にあたるような芸能人の、欲に塗れた裏の顔の報道だったりが淡々と流されていた。
ふと、私の目に止まったニュースがあった。数週間前から行方不明になっていた10歳にも満たない少女が、川沿いで遺体で見つかったという内容である。
何故目に止まったのか、今振り返るとよくわからない。しかし、ヘリコプターからカメラを向けられた川沿いの景色が映された時、無意識のうちに私は空想に耽っていた。
もし私が少女の立場に置かれていたら、最期に何を思ったであろう。救いの手を差し伸べてくれるわけでもなく、ただそこに存在している川や森を見て何を感じるであろう。空腹でそれどころの余裕ではないであろうか。
この国では自殺が問題となっているが、自身が死にたいと考え出すよりも先に、不幸にも事故に遭い命を失う人も少なくはない。少女もその1人に含まれるだろう。
含まれるだろう…この命をトータルや平均で考える価値観は冒涜にあたるだろうか。今現在すし詰めにされている人間たちは、外見こそみな特徴はないが、その内には被ることのない色があるはずだ。赤や黄などの名を付けることのできない色が。しかし第三者に色を見ることはできず、死体となった人間は、過去に死体となった人間と同じとみなされ、統計の素材とされてしまう。死を無駄にしてはいけない、という思いから統計を取っているとも考えられるが、なんとも生物感がないように感じてしまうのは私だけだろうか。
まるで世界全体を俯瞰しているような言い振りだが、私も生物から少し離れた存在の一つであることに変わりはない。それが堪らない気持ちにさせる。電車から降りた先で、いつものように感情を殺して、会社の歯車になるだけだろうに。
個人的な空想に耽るばかりで、ニュースの詳細内容は把握することができなかった。こんなことを考える私よりは明るい将来が少女にはあったのではないかと、家畜や奴隷に等しい廃れた感情を持って、またその環境に近しい場所で、次は彼女が甘い夢を見続けられる世界線で生まれ変われることを、身勝手に祈った。それが自分勝手な空想をしてしまった罪滅ぼしとも言わんばかりに。
仕事終わり、感情を殺しても疲れは生じる。つまりは殺しているつもりでも殺しきれてはいないのだろう。もしかしたら、社会に出た自分の無能さを、私は感情を殺している分作業が遅いのだと、言い訳をするための手段として利用しているのかもしれない。その場合、心理的に自己防衛しているとも取れ、根本では殺されたくなどないということになる。昔遊んでいたゲームの敵に死んだふりをして窮地を逃れるキャラクターがいた。表に見えないだけで同じことを私はしているのか。しかも平日は毎回なのだから救いようがない。
帰りは雨が降っていた。駅のプラットフォームから、自分を殺したフリのせいで疲れきった目で、なんとなく外を見つめていた。
夜の暗闇の中に、霧吹きに近い雨が降っており、プラットフォームの蛍光灯が私と夜の中間を照らしている。その景色は、少ないフレーム数で写した古い映画のようだった。自然が織りなす現実の映画を眺めていると、ふと昔のことを思い出した。地方で暮らしていた、祖母との思い出である。
祖母は私を溺愛していた。恐らく長男という点が大きいのだろう。妹や弟もいたが、明らかに私と差があった。そして家族はそれが当然であるかのように、何も言わなかった。
家ではオスのチワワ飼っていた。動物が好きな家系であり、庭には歴代のペットたちの墓が簡易的に建っている。ほとんどの方がご存知のように、犬の世話の一つとして散歩がある。うちでは基本的に、祖父母のどちらかが自ら名乗り出て犬を連れ出していた。祖母は私が暇そうにしていると、一緒に散歩に行かないかとよく誘ってくれた。
蒸し暑い夜だった気がする。地元の夏は日差しが強く、日中は人間も犬も容赦なく太陽から体力を削られてしまうため、散歩は夜と決まっていた。
祖母に誘われてチワワの散歩のために夜道を歩いており、私は右手に懐中電灯を持っていた。
なんとなく退屈していた私は、懐中電灯を左右に高速で振って、夜道を走るチワワを照らしてみた。その場面がまるで古い映画のようだったのだ。左右に振られている懐中電灯は、私から見て中心を走っているチワワを照らす。懐中電灯が左右どちらかに頭を向けているとき、中心にいるチワワは暗くてよく見えなくなるのだが、その間も走り続けている。光が中心に戻った時、少し動いたあとのチワワが照らしだされる。この流れが、まるで少ないフレーム数で見る映画のようだった。駅のプラットフォームから雨を眺めているときに、この何気ない記憶がフラッシュバックを起こしたのである。
その頃の私はまだ幼く、高速で照らされるチワワを見て楽しんだ。そして祖母に、昔の映画のようだと無邪気に笑ってみせた。祖母は本心でそう思っているのかはさておき、とても喜んで私に共感してくれた。
時おり、祖母の贔屓じみた愛情を重たく感じることがあった。いや、恐らく成人となった今でもこの感情は奥底で眠っている。妹や弟は直接は言わなかったが、露骨に差のある愛情の注がれ方について違和感を持っていたはずだ。それは妹らの口から言葉に発さずとも、臓器の内から靄のように外に出ていき、その影響で呼吸がしづらくなる不快感が私を常に襲っていた。
それから逃げるように、私は大学を卒業するとともに上京したのではないかと思うことがある。建前は、東京のほうが技術が進んでいるからそちらで学びたいというものだったが、私はそれほどに知識欲が強いわけでもなく、どちらかというと、仕事は程々にして趣味の時間に多く宛てたい主義である。であれば、技術どうこうなど気にせずに、地方でゆったりと過ごす選択肢もあったはずなのだ。
上京する際、空港まで家族は見送りに来てくれた。祖母は泣いていた。保安検査場の前でお別れをしたのだが、検査の列に並んでいる間、私は決して後ろを向いて家族を見ようとは思わなかった。むしろ、早く飛行機に乗って、靄のない呼吸のしやすい場所へ飛び立ちたい思いが遥かに勝っていた。
それから私はほとんど地元には帰らず、連絡も基本的に取っていない。呼吸のしやすい場所で移ろうとした結果、到着地は物理的に呼吸のしづらい、すし詰めの電車であったことはなんとも皮肉な話である。しかし文句を言いながらも私はそれに適応した。精神的な呼吸の難しさに比べれば遥かに簡単な問題であったのだ。
祖母はもうすぐ80歳になる。私はあと何回祖母と顔を合わせるであろうか。誰よりも愛情を持ってくれていたのは間違いなく彼女であり、私はそれから逃げた。祖母の肉体ごと重たすぎた愛情から開放された時、私は何を思うのだろうか。
朝のニュースで見た、行方不明後に遺体となった少女であれば、この愛情を受け止めることはできるのではないかと感じずにはいられなかった。