魔王と勇者が手を取り合えば、世界平和だって夢じゃない!
「私と結婚しましょう! この世界の、平和のために!」
「……………………は?」
私が片方の手を胸に当て、もう片方の手を前へと真っ直ぐに伸ばして言い放った言葉に、目の前の男、勇者は長い沈黙の後にたった一言で応えました。その様子は、心底訳が分からないといったものです。
一体、何が悪かったのでしょうか。私としては、気恥ずかしさを堪えつつもわかりやすいようにと結論から言わせてもらっただけなのですけれど。
何にしても、勇者には私の言い分を理解してもらう必要があります。そのためにも、今一度これまでのやり取りを振り返ってみましょう。
「『万象穿つ、雷龍の牙』!」
空を駆ける勇者が、広間に響くような大きな声を張り上げます。それと同時に、私を指さす勇者の左手から、雷の龍が生み出されました。雷の龍は唸りをあげ、紫電を周囲へと迸らせながらその大口を開け、私を目掛けて襲い掛かります。
「『光輝なる旋律、三重奏』!」
私が剣を一閃すれば、目の前に三枚の半透明な壁が形成されました。その壁へ、勇者の放った雷の龍が衝突します。
一枚目は容易く割り砕かれました。それでも、多少なりとも威力は減衰したようです。二枚目の壁はいくらか持ちこたえたものの、やはり雷の龍に噛み砕かれます。
しかし、龍の進撃もそこまででした。三枚目の壁に食らいついたところで力を使い果たし、龍は中空へと霧散します。
魔術同士の衝突の余波で、広間の床がひび割れました。ほんの数刻前までは、いつものように煌びやかだった魔王城の広間も、今では戦いの余波を受けて瓦礫が山と積みあがっています。後々の掃除の事を考えると、思わずため息が漏れそうになります。
そんな広間の中央やや入口寄りに、魔術で中空に浮かんでいた勇者がふわりと降り立ちました。肩で息をしている様子を見るに、疲労が色濃く見えますが、それでも勇者は雄々しく剣を構えて見せます。そうして、彼は苛立ったように声を上げました。
「先程からどういうつもりだ、魔王! 何故、反撃をしない!」
戦いが始まってからというもの、勇者が一方的に攻め立てるばかりで、私は防戦一方です。それは、何も勇者の実力が私以上ということではありません。私と勇者の実力は、おそらく拮抗しているでしょう。現に、私はある程度の余裕をもって勇者の攻撃を捌いています。もちろん、相応に疲れは溜まってきていますし、息も乱れてきてはいますけれど。
そして、勇者の問いに対する私の答えは明白です。
「戦いの前に言ったでしょう? 勇者と争う気はありません」
これは、私の本心です。
確かに私の立場は魔王で、彼は勇者。戦うことが運命だと言ってもいいでしょう。
けれど、私は思うのです。
私達、戦わないっていう道もあるんじゃない? と。
「そんな言葉、信じられるか!」
けれど、勇者は私の言葉が信用できないようです。依然として剣を構えたまま、私の動きを注意深く観察しています。
それでも、決して短くはない戦闘によって疲労は溜まっているはずです。こうして私達が戦ったところで、ただお互い疲れるだけだということは、勇者もわかってきたところでしょう。今はまだ、剣を納めるほどの切欠がないのです。
ならば、私から動けばいいのです。少し賭けに出ることになりますが、成功すれば事態はぐっと進展するでしょう。
「ほらほら、とりあえず剣を納めて? 後は話し合いで解決しましょう?」
「断る!」
「勇者が断っても、私は納めましょう。なんなら、鞘ごと放りましょうか?」
私は剣を鞘へと納めると、勇者の方へと放り投げました。剣は軽く跳ねると、硬質な音を立てて地面を転がります。そうして私は両手を上げ、無手であることを明らかにします。
それを見て、勇者は見るからに動揺を露わにしました。
「何をしている?! 剣を拾え!」
「まぁまぁ落ち着いて、一度休戦にしましょう? 勇者だって、いい加減疲れたでしょう? あ、お茶でも飲みますか?」
「何が入っているかわからないものなど飲めるか! ……おい、どうして近寄ってくる?!」
「近くに行きたいからですけど?」
「来るな!」
勇者の制止を聞き流し、私は前へと足を進めます。床に転がった剣を通り過ぎ、勇者の前へと辿り着きました。すでに、剣の届く距離です。
「休戦しましょう? それとも、その剣で私を斬りますか?」
至近距離から眺める勇者の瞳は、綺麗な翠の色をしていました。今は動揺のためか、ゆらゆらと揺らめいて見えます。
緊張に、私は一つ喉を鳴らしました。頬を冷や汗が流れ、心臓が早鐘のように打っているのが実感できます。
ここが、交渉の最大の分岐点です。勇者がその気であれば、私は容易く斬り捨てられるでしょう。私は無手で、この距離であれば魔術よりも剣の方が早いです。
ですが、この勇者の性格であれば――
「……無抵抗の相手は、斬れない」
そう言って、勇者は剣を鞘へと納めました。その姿を見て、私は小さく息を吐きます。
これで、目先の戦闘は回避することが出来ました。第一段階はクリアです。後は、言葉を尽くせばいいでしょう。
そう考える私の前で、未だ警戒した様子の勇者はじわじわと私から距離を取り始めました。
「いいだろう、一時休戦だ。日を改めるから、首を洗って――」
「待って待って!」
私は焦って声を掛けます。どうやら、勇者はこのまま帰るつもりのようです。それでは休戦の意味がありません。別の日に先送りしたところで、再び戦いが始まってしまうだけではないですか。
私の制止に、勇者は片眉を跳ね上げます。その反応を見ながら、私は言葉を重ねました。
「戦いが終わったら、私とお話しする約束でしょう!」
「そんな約束はしていない!」
勇者は覚えていないと言いますが、私ははっきりと覚えています。むしろ、勇者と話をするために、私は戦ったのですから。
魔王城へと乗り込んできた勇者と対峙し、その様子から戦闘は避けられないと悟った私は、勇者に一つ条件を提示したのです。
『私と戦った時間と同じだけ、私の話を聞いてください!』
それに対し、勇者はこう答えたのです。
『いいだろう! どの道、戦いの後に立っているのは勝者のみだ!』
確かにそう言いました。だからこそ、私は戦いを長引かせるべく、防御魔術を駆使して勇者の攻撃を防いでいたのですから。
そのことを指摘すれば、勇者は頭を抱えてその場にしゃがみ込みました。
「……言った。確かに言った……」
どうやら戦闘前に交わした会話を、勇者も思い出したようです。大方、戦闘でどちらかが命を失うから、そんな取り決めに意味はないと思っていたのでしょう。
それが、余りにも決着がつかず、私に戦う気がないということもあって、一時休戦となってしまいました。今になって、取り決めを後悔しているのでしょう。
「……安請け合いをするんじゃなかった」
「私の話、聞いてくれるますよね? それとも、勇者ともあろう方が約束を破るのですか?」
「くっ……約束したからな。いいだろう」
私が屈んで顔を覗き込めば、溜息を吐いて勇者は答えました。これで、第二段階もクリアです。
思わず微笑が零れましたが、勇者は何やら不意に顔を逸らしました。その頬に少し赤みが差しているように見えるのは気のせいでしょうか。
「それで、勇者である俺に! 魔王であるお前が! 一体何を話そうって言うんだ?」
「もちろん、魔族と人間族との関係について、ですよ」
勇者は依然として顔を逸らしたまま、目線だけをこちらへと向けてきます。それに対し、私は見せつけるように指を一本立てて見せました。
それに対し、勇者は訝しむような表情を浮かべます。
「人間と魔族の関係なんて、わかりきってるだろう? 端的に言えば、敵だ」
魔族と人間族は敵対しています。それも、どれだけ昔の事かわからないほど、長い間です。
私は、そのことがずっと嫌でした。魔族と人間族とが争って、その先に一体何があるというのでしょうか。
「不毛だって、思ったことはなありませんか?」
「不毛?」
「えぇ。魔族が人間族を殺して、人間族が魔族を殺して。殺して、殺されて。憎んで、憎まれて。そんなことをずっと続けて、私達は生きていくのですか?」
どうして魔族と人間族とは、ずっと争っているのでしょうか。両者の歴史を紐解けば、戦争以外の関係など皆無ではないですか。私達のご先祖様は、戦う以外の道を模索さえしなかったというのでしょうか。
いくらなんでも野蛮すぎるでしょう。どうして、争う以外の道を探そうとしないのでしょうか。
「元はと言えば、お前達魔族が人間の暮らす地へと侵略してきたからだろうが!」
「それは見解の相違と言うものです。私達には、人間族こそが侵略してきたと伝わっています」
「そんな訳があるか! 人間は侵略などしない!」
「そんなことはないでしょう? だって現に、人間族同士だって領地問題で争っているではないですか」
「それは……」
思い当たることがあるのでしょう、勇者が口籠りました。ですが、私は勇者と言い争いがしたいわけではありません。
きっと、人間族には魔族が侵略してきたと伝わっているのでしょう。ですが、魔族にも人間族が侵略してきたと伝わっています。大昔の事なので、当時の事を知る者は生きてはいません。お互いに都合のいい史実しか残っていないので、真実が明らかになることはないでしょう。
「どちらが先に攻め込んだかは、最早重要ではありません。それよりも、大切なのはこれからの事です」
「これから?」
勇者がわからないといった様子で首を傾げます。それに対し、「えぇ」と私は頷きを返しました。
「魔族と人間族とで争うのは、今日限りで止めませんか? 勇者だって、すべての魔族を殺すことは本意ではないでしょう? 人間に友好的な魔族だっていますし、少々野蛮な魔族もいますが、あれで意外と話せるんですよ?」
「それは、俺だって、別に好きで殺してるわけじゃない。妖精族なんかには助けてもらったこともあったし、魔王とだってこうやって話ができることはわかったが……だからって、今更手を取り合えるか?」
「無理だろう」と勇者は言います。私だって、簡単ではない道だとわかっています。きっと争い合う方が、ずっと簡単なのでしょう。ですが、それでは何も変わりません。
私は、平和な世界が見たいのです。
「勇者が私を殺しても、やがて新たな魔王が生まれます。それは、勇者が命を落としても同じ。それが世界の理です。そうやって、この世界は同じことをずっと繰り返してきました」
魔王と勇者が争って、片方、または両方が命を落とし。やがて新たな魔王と勇者が誕生し、魔族と人間族は戦い続ける。先代も、先々代も、ずっと繰り返してきました。終わりなき殺戮の歴史です。
私の言葉に、勇者は深い溜息を吐きます。
「だからって、どうしろって言うんだ。魔王が捕虜にでもなってくれるのか? 魔王の様子を見るに、捕虜になるのであればある程度不自由のない生活を送れるよう、俺からも口利きをしてやってもいいと思えてはきたが」
多少は私に対する警戒心も薄れてきたようです。いい傾向ではありますが、勇者の提案を受け入れることはできません。
「それで魔族が争いを止めるとは思えませんし、止まったとしても私が生きている間だけでしょう。私が死ねば新たな魔王が生まれ、また争いが始まります。それでは、真の平和は訪れません」
「じゃあ、どうしろって言うんだ」
勇者がお手上げだとばかりに両手を挙げます。
さぁ、ここからが本題です。
「一つだけ、方法があります」
「あるのか?」
私の言葉に勇者が驚きを露わにし、やや前のめりになります。それに対し、私は一つ頷きを返しました。
ずっと考えていた方法です。これが上手くいけば、魔族と人間族との関係はぐっと向上することでしょう。もちろん反発もあるでしょうから、それらを解決していく必要はあります。
かなり困難な道が予想されます。ですが、それを乗り越えれば、真の平和と言うものが見えてくるでしょう。
そして、そのためには勇者の協力が不可欠です。
「その方法って?」
「それは、ある種の画期的な方法です。少なくとも、今までの魔王と勇者は選ばなかった道です。もちろん、根本的な理由で選べなかった代もありますが……とにかく、前代未聞の方策と言えるでしょう。いえ、前代未聞とは言っても、それは魔王と勇者の間の事であって、世間一般では普通の事なのですよ? むしろ、ありふれていると言ってもいいでしょう。何時の時代でも脈々と受け継ぎ受け継がれ、その結果として私達も今こうして存在するのですから」
「待て待て長い! つまり……どういうことだ?」
「つまり……」
これからの事を考えると、どうしても早口になってしまいます。私は一度言葉を切り、大きく一つ深呼吸をしました。
これから話すのは、私にとって一世一代の大賭けです。先程とは別の意味で緊張してきます。心臓がバクバクと五月蠅く、手には汗が滲み、顔が熱で火照ってきました。
しかし、続きを言わなければ何も始まりません。
私は覚悟を決めると片手を胸へと当て、もう片方の手を勇者へと差し出しました。
「私と結婚しましょう! この世界の、平和のために!」
「……………………は?」
私の告白に、勇者は長い沈黙の後、一言の疑問を以て答えました。どうやら結論を急ぐあまり、上手く伝わらなかったようです。
ですが、それも仕方がないのです。異性に告白するなど、私が生を受けて初めての事なのです。多少の混乱と共に伝える順番を間違えることなど、あって然るべきでしょう。
「……結婚?」
「結婚です」
「誰と誰が?」
「私と、勇者が」
勇者の端的な問いに、私も簡潔に答えます。
それでも、勇者はいまいち理解が及ばない様子です。両腕を組み、顔を上に上げ、下に下げ。大きく息を吸い、息を吐き。それから思い切り眉を寄せ、首を傾げました。
「本気で言ってるのか?」
「怒られるかと思いましたが、意外と冷静ですね?」
「怒る以前に戸惑うわ。どうしてそうなる?」
「世界の平和のためです」
そうして私は勇者に、一つ一つ理由を語りました。
魔王と勇者の結婚。つまり、両陣営の指導者の婚姻です。魔王は言わずもがな、魔族の王です。そして勇者は庶民の間に生まれることもありますが、今代の勇者は人間族の中でも最も大きな国の王子です。
その両者の結婚が実現すれば、最早魔族と人間族とで争う理由はありません。反戦派を中心に、融和へと傾くことでしょう。もちろん結婚に反対する勢力が出てくることは間違いないでしょうが、そちらの対処をする方が終わりなき争いを繰り返すよりもずっと建設的です。
そう言った話をすれば、ようやく勇者は納得したような顔を見せました。
「なるほど、魔王の言い分は、まぁ、分かった。だが、そんなに上手くいくか?」
「難しいとは思っています。上手くいかないかもしれません。けれど、上手くいくかもしれません。終わらない戦乱の日々をただ繰り返すより、この道に賭けてはみませんか?」
決して分の良い賭けとは言えないでしょう。それでも、その先に真の平和があるのなら、賭ける価値はあると私は思うのです。
私の前で、勇者は何か考えるような仕草を取ります。
「まぁ、言いたいことはわかった。わかったが……しかし、よりにもよって魔王と結婚とか、常識的に考えて出来るわけないだろ」
「人間達だって、権力者同士で政略結婚をすることはよくあるでしょう? それと同じようなものですよ。それの、魔族と人間族版だと思っていただければ」
「そう言われれば、そうなのか? いや、何か違う気が……あれ、俺って騙されてる?」
勇者は難色を示しています。それは当然でしょう。ここは一つ、私と結婚した場合のメリットを列挙しましょう。要は売り込み、アピールタイムというものです。私は畳みかけるように口を開きます。
「私、自分で言うのもなんですが、結構お買い得の物件だと思うのです。まず、何よりも健康です。えぇ、とっても。ここ数年は風邪など引いておりませんし、体力だって先程の戦闘を振り返っていただければ十分にあることがわかると思います。そして家事全般が得意です。掃除に洗濯、お裁縫、どんなことでも任せてください。特に料理の腕は誇れると思っています。古今東西あらゆる料理を作れます。未知の料理も、レシピさえ頂ければきっと再現してみせます。子育ては未経験ですが、努力はしますし、きっといい母親に――」
「待ってくれ、わかった! 魔王の熱意は良くわかった!」
まだ話の途中でしたが、勇者に言葉を遮られます。まだ言いたいことの半分も言っていないため、私としては少々不服です。これで本当に、私の事を勇者はわかってくれたのでしょうか。
「魔王の方こそ、結婚相手が俺でいいのか? 一応教育は受けているが、正直に言って俺には戦う力しかないぞ?」
「結婚するなら、勇者がいいです」
私がはっきりとそう口にすれば、勇者は驚いたように後ろへと体を仰け反らせます。そうして一拍の後に、前のめりになって訝しむような表情を向けてきました。
「どうしてそう言い切れる。魔王とは初対面だよな?」
勇者は当然の疑問を口にしました。
確かに私と勇者は初対面ですが、私は魔王です。遠く離れた相手の事を知る方法は、いくらでもあるのです。私は正直に話すことにしました。
「会うのは初めてですが、ずっと見ていましたから」
「見ていた?」
「魔術で」
「あぁ、そういうことか……」
勇者は悟ったようにつぶやきました。
私は魔術で、ずっと勇者の事を見てきました。初めの頃は、まだ私もいつか戦う相手としか見ていませんでした。ですが、勇者の事を見ていくうちに、好ましいと、そう思うようになったのです。
漠然と考えていた、魔族と人間族との摩擦について、深く考え始めたのはその時からです。どうにか争いを止める方法はないかと、より強く思い始めました。
そうして考え思い至ったのが、勇者との結婚でした。世界平和のためと言ったのは嘘ではありませんが、私が望んでいたことでもあります。
「そうすると、後は俺の考え次第と言う事か……」
勇者が一人呟きます。
私の心は決まっています。後は、勇者が手を取ってくれるか、です。
「どうでしょう、勇者。私の手を、取ってくれますか?」
そう言って、私は勇者の方へと右手を伸ばします。勇者はすぐにはその手を取らず、観察するように見つめました。
「魔王と結婚しても、絶対に平和が訪れるってわけじゃないんだろう?」
「えぇ、否定はしません。ですがこの戦乱の時代に、一石を投じることは確実です」
平和になるという保証はできません。それでも、争いを繰り返す円環の流れを捻じ曲げるような、大きな変化をもたらすことになるでしょう。
「この手を取っても、すぐに戦いがなくなるわけじゃないんだろう?」
「えぇ、むしろ最初の頃は、理想に向けて多くの血が流れることになると思います」
きっと、私達と戦いを望む者達との間で、別の争いが生まれることでしょう。もしかすると、このまま争いを続けるよりも多くの犠牲が出るかもしれません。それでも、それを乗り越えないことには、真の平和は訪れません。
「正直に答えるんだな。こういう時って普通、誤魔化さないか?」
「欺いたところで、すぐに露見します。そんなの、信用を損なうだけですよ」
この場で嘘を吐いたところで、その場凌ぎにしかなりません。そんなことよりも、勇者には納得したうえで選んで欲しいのです。もちろん、嘘を吐いて勇者に嫌われたくないという思いもありますが。
しばらく待ちますが、勇者は動きません。やはり、無理だったのでしょう。私は目線を下げ、力なく腕を下ろそうとします。
「やっぱり、無理ですよね。すみません、今までの話は忘れて――」
私が降ろしかけた手を、勇者が力強く掴みました。反射的に顔を上げれば、勇者が輝くような笑顔を浮かべてみました。初めて正面から見る勇者の笑みに、思わず顔が熱くなります。
「魔王、お前の賭けに、俺も乗ろう」
「えっ、それって……」
そう言う意味で捉えていいのでしょうか。沈んでいた気分が、急激に上昇するのがわかります。
期待に胸を膨らませる私の前で、勇者は力強く頷きました。
「世界平和のために、結婚しよう」
あれから、どれだけの年月が経過したでしょうか。振り返ってみれば、長かったようにも、短かったようにも感じます。
ここまで来るのに、様々な困難がありました。時には言葉を尽くして理解を得て、時には私達の武力を以て騒動を収めて。
そうしてようやく、この日を迎えることが出来ました。私と勇者の、結婚式の日を。
「魔王、準備は出来ているか?」
声と共に、勇者が部屋へと入ってきます。その身に纏うのはいつもの服ではなく、純白の正装です。そのあまりの輝きに、私は思わず両手で口元を押さえてしまいました。
「勇者、格好いいです! 似合ってます!」
「魔王も、その、何だ……綺麗だ、ぞ」
私が思わず心の声をそのまま口に出せば、勇者も誉め言葉を口にしてくれました。それだけで、私の心は温かくなります。勇者は人を褒めるのが少々苦手のようですが、それでも時折こういった言葉を掛けてくれます。そんな不器用なところも、好ましいと思います。
それから二人して会場へと続く扉の前へとやって来ました。この扉の向こうでは、大勢の魔族と人間族とが待ってくれています。ずっと昔に夢見た、真の平和な世界がそこにはあります。
「勇者、ありがとうございます。あの時、私の手を取ってくれて」
ここまで来ることが出来たのは、すべて勇者のおかげです。私一人では、絶対にここまで来ることはできなかったでしょう。
私が素直な感謝の言葉を口にしたのですが、勇者は何やら考え込むような表情を見せました。不審に思って見上げれば、勇者は正面を向いたまま、目線だけを私へと向けます。
「あ~、魔王。魔王は、俺が世界の平和のために、所謂政略結婚と同じ感覚で魔王と結婚したと思っていると思うんだが」
「えっと、そうですね。それ以外にありますか?」
私は明確に勇者へ好意を抱いているが、勇者はそうではないでしょう。もちろん、様々な苦楽を共にした仲ですし、嫌われてはいないと思っています。これまでの接し方からもそれなりに好かれているとは思いますが、それでも愛情とは違うと思っていました。
「確かに俺は王子で、立場もある。だが、好きでもない相手と、結婚するつもりはないからな」
「えっ?」
勇者は言い切ると前を見つめ、私と目を合わせてはくれません。その頬には、少々赤みが差しているように見えます。
私が頭の中で勇者の言葉を噛み砕いている間に、目の前の扉が開かれました。
「面白い!」など思った方は、是非ともブックマークおよび下の評価を5つ星にしてください。
作者のモチベーションが上がります。