第36話 水面下で動く者たち
side カイツ
俺は書類を書き終えた後、イドゥン支部長から偽熾天使に関する書類を貰い、空き部屋で実体化したミカエルと一緒に読んでいた。しかし、結果はあまり芳しくなかった。独自の言語を話すみたいな情報はないし、人間がどのようにして偽熾天使になるのかも分からなかった。
「わかってはいたけど、あまり有益と思えるものはないな。ミカエル。アレウスが喋ってた変な言葉のことなんだけど、何か知ってるのか?」
「あれは別の世界の言葉じゃよ」
「別の世界の言葉? それってこの前のヘルヘイムのような?」
「ああ。アースガルズと呼ばれる世界の言語じゃ。ちなみに、妾もアースガルズ出身の精霊じゃ」
「そうなのか。初めて知った。めちゃくちゃ衝撃の真実だな」
「そこまでか? まあ、今まで教えとらんかったからの。教える必要もないと思っておったし」
「にしても、なんでアレウスがそのアースガルズとかいう世界の言語を話せてたんだ?」
「それは分からん。あの言語はそう簡単に覚えられるものじゃないんじゃがな。そもそも普通の人間には喋れんし」
「え、そうなの?」
「ああ。アースガルズの言葉は、この世界で表現することができぬからな。奴が喋ったときも、よくわからん言葉になっとったじゃろ?」
「確かに。じゃあアレウスはなんでそんな言葉を」
「まあ確実に言えるのは、あの偽熾天使とやらに何らかのトリックがあるってことじゃな」
偽熾天使。一体あれはなんなんだ。アレウスをあんなふうに変貌させたり、わけのわからない化け物を生み出したり。それに、あれは何か異質だ。ゴブリンや幽鬼族とは何かが違う。異様な感じ。
「というか、お主がまっさきに考えて解決すべきなのは、偽熾天使ではなく、そこにいる女子のことじゃと思うんじゃが」
「そうだよな。そっちも解決しないといけないよな。何なんだあれ。ギルドにいたときもあんなのは見たことないし。ミカエルは何か知らないか?」
「全く分からん。1つわかるのは、あれがとんでもなく強いということくらいじゃな。お主、第2開放を使っておったのに、あれに反応出来なかったじゃろ?」
そうだ。俺は第2開放を使っていたのに、彼女のスピードを目で追うことすら出来なかった。あの時は彼女が甘えるように来てくれたから良かったけど、もし殺す気で向かってきてたら、俺は確実に死んでただろう。てか、あれは何がきっかけに起きたんだ。メリナの推測だと、極度のストレスが原因と言われてるけど、それを確かめるすべはない。あったとしてもやるのは論外だが。
「ま、あの状態の奴はお主に懐いとるようじゃし、そこまで深刻に考えることもないと思うぞ」
「そう……なのかな」
「うむ。それに、あれだけの力を持つ奴じゃ。戦いの助けになると思わんか?」
「……そうだな。あれだけの実力があれば、かなり助かる」
「じゃろ。じゃから深刻に考える必要などないない。もっと気楽に考える方が良いぞ」
彼女はそう言いながら、俺の頭を撫でる。やはり、彼女に撫でられるのは気持ちいい。心が穏やかになる。
「あんまり気楽すぎるのも良くないと思うけど……そうだな。深刻に考える必要はないかもしれない。ありがとう、ミカエル。少し心が楽になったよ」
「うむ。それなら良かったわい」(とは言ったものの、あんまり気楽に考えることはできんな。もしあの女子が敵になるようなら、そのときは妾が殺す。カイツにそんな重荷を背負わせるわけにはいかんからな)
調べ物を終えて部屋を出ると、リナーテが部屋の前を通りかかる。
「お、カイツじゃん。調べ物とか報告書作成は終わったの?」
「ああ。リナーテは何を?」
「私は町の復興や人々の避難が終わって、一休みしにきたところ。もうーほんっとに疲れた。怪我人どもや上司がピーチクパーチクうるさいしさ」
「お疲れ。色々と大変だったんだな」
「ほんとよー。もう大変すぎてクタクター」
彼女はそう言いながら俺にもたれかかってきた。
「ふいー。カイツの体って良い匂いするよねー。くんくんくんくん!」
「人の匂い嗅いでんじゃねえよ変態!」
そう言って突き飛ばすと、彼女は不機嫌そうな顔をした。
「ぶー。変てこ耳女にはさんざん嗅がせたくせにー。なんで私は拒絶するのー」
「アリアだ。そんなふうに呼ぶな。彼女のときは引き剥がせなかっただけだ。引き剥がせるならちゃんと引き剥がす」
「ほんとにー? あんたって妙にあいつに甘いみたいだからねー。匂い嗅がれてもそのままにしときそうだわー」
「みんなそれを言うんだよな。アリアに対して甘いだのなんだの。そんなに甘いか?」
「超超超甘いよ! 私の血液の200倍くらい甘いよ!」
「なんでお前の血液と比べてんだ。もっと何かあっただろ」
「私の血液と比べるのが一番分かりやすいと思って。それよりあの変てこ耳女は何してるの? 寝てるの?」
「変てこ耳女じゃなくて……アリアです」
後ろからした声に振り向くと、アリアが壁にもたれながら現れた。
「アリア! もう大丈夫なのか?」
「はい。私、避難所で気絶してみたいで。すいません。仕事を全然こなせなくて」
「気絶? アリア。今までのこと覚えてないのか?」
「今までのこと? 何の話ですか?」
この感じだと覚えてないな。いや。そもそも彼女の性格だと、あんだけくっついてたこと覚えてたなら、俺に対してぎこちなくなるはず。ということは本当に覚えてないということ。
「そうか。まあ気絶してたなら仕方ない。次頑張るとしよう」
「はい。本当にすいませんでした」
「そんなに謝らなくて良い。それより、何か食べに行こう。ちょうどお昼だしな」
「はい。食べに行くです」
彼女は少しフラフラとしながら、俺と一緒に歩いていく。リナーテは、彼女に聞こえないよう、小声で俺に話しかける。
「カイツ。これ結構やばいことだと思うけど。彼女、あの獣姿になったことを覚えてないって」
「分かってる。彼女に関しては、早急に何とかする。このままなあなあにしておくほど、俺だって馬鹿じゃないさ」
「それならいいけど。とりあえず、私の方でも色々調べておく。なにか分かったら連絡するわ」
「ありがとう。助かるよ」
「これくらい普通。ライバルに対して情報収集するのは当たり前のことよ。そのライバルがあんたに危害を加えそうなら尚更情報収集する必要があるし」
「? ライバルって何の話だ?」
「……こっちの話。あんたは関係ない」
「……そうか」
気になることはあるけど、関係ないと言われたらこれ以上追求するわけにはいかない。俺はそう考えて追求するのをやめた。
「そういえばカイツ。あんたが叩き潰したいって奴らは見つけたの? 確か……ヴァルキュリア家だっけ?」
「いや。まだ手がかりも見つけられてない。だが必ず見つけて叩き潰す。奴らを倒さない限り、俺は前には進めないんだから」
「そっか。カイツ、なにかあったらすぐに私に言ってよ? あんたのためなら、火の中でも水の中でもつきあってやるんだから」
「ありがとう。もしものことがあったときは、頼りにさせてもらうよ」
俺はリナーテとひそひそ話をしながら、アリアと一緒に食堂へ向かった。この会話内容をアリアに聞かせるわけにはいかないからな。余計な心配かけさせたくない。
「うあ……ここ……はー!?」
偽熾天使による騒動が終わった後、アレウスは牢屋の中で目を覚ました。体は鎖でがんじがらめにされており、指一本動かすことすら出来なかった。牢屋の中は腐臭が漂っており、吐き気がするほとだ。
「な、なんだよ!? この鎖! 一体何がどうなってる!」
困惑している彼のもとに、一人の団員が現れた。
「ようやく目を覚ましましたね。えっと、アレウスさんでしたっけ?」
「誰だお前! なんでこんなことをするんだよ!」
「なぜこんなことをって。あなたが偽熾天使だからですよ。おまけに普通の人間から偽熾天使になったという前代未聞の存在。そんな奴はがんじがらめに拘束するのが当たり前です。ただでさえ、偽熾天使は謎の多い化け物なのですから。」
「フラウドなんたら? 何の話をしてんだ! てかさっさと開放しろ!」
「申し訳ありませんが、それは出来ません。あなたは人類に害をなす化け物であり、偽熾天使のことを知るための貴重な研究材料。開放するなど論外です」
「ふざけんな! こんなことをしてただで済むと思ってんのか! 俺が本気を出せば、こんな拘束なんざ」
「ああ。鎖を破壊することはおすすめしませんよ。そうすれば、あなたの体に刻んでる爆発魔術と毒魔術で、ろくなことにならないでしょうから」
彼は、団員から言われたことに驚くしかなかった。団員が言っていることが本当だとすれば、自分は何もできないモルモット同然。嘘かどうかを確かめるために、鎖を破壊することは出来ない。もし本当だとすれば、自分は爆発魔術と毒魔術で即死してしまうのだから。
「なんで……なんで俺がこんな目に。なんで俺がこんな目に合ってんだよ! モルペウスーーー! 俺は願いを叶えられるんじゃなかったのか! 全然願いを叶えられないじゃないか! ふざけるなあああああ!!」
彼はここにいないものに対し、泣き叫びながら憎悪を叫ぶも、その声は届くことはない。彼に許されたのは、牢屋の中で一生を過ごし、騎士団の研究用モルモットとして生きることだけだった。
偽熾天使による破壊の痕が残るルライドシティ。その高い建物の屋上で、黒いフードを被った小さな人が立っていた。
「あーあ。偽熾天使が全滅しちゃったのだ。まあいいのだ。今日は古代の神獣やらカイツやら面白いものが沢山見れたし、データも十分に取れて非常に満足なのだ。にしても」
その者は懐から望遠鏡を取り出し、遠くの方で歩いているツインテールの女性を見つめる。
「彼女。とっても気になるのだ。試作品の段階とはいえ、僕特性(特製)の偽熾天使を圧倒。魔力も異質だし、ただの人間じゃなさそうなのだ。ちょっくら調査のために」
『いつまで油を売っているつもりだ。モルペウス』
その者が独り言を話してる最中、どこからか声が響いた。そして、後ろの何も無い空間が、水面が波打つように歪み、そこから1人の男性が現れた。右半分が黒、左半分が白い髪という不思議な髪色をしていて、肩まで伸ばしている。膝下まである黒い布を羽織っており、その下には何も着てないように見える。
「ぶー。めんどくさいのが来たのだ」
「偽熾天使のデータ取りが終わったら、即座に帰ってこいと言っただろう」
「ちょっと待ってほしいのだ。僕は調べたいことがあるのだ」
「待たない。我々にはやることが多いのだ。貴様の個人的な調査に付き合う暇などない。早く行くぞ。あっちの方では、状況がかなり動いてるからな」
「ぶー。分かったのだ」
フードを被った人はふてくされながら彼についていき、水面が波打つように歪む空間へ向かう。彼がそこに入り、その者がその空間の前に立つと、町の方を振り返った。
「カイツ・ケラウノス。また会える日を楽しみにしてるのだ。ついでに、古代の神獣様ともまた会ってみたいのだ。どうもカイツに懐いてるようなのだし」
その者はその言葉を最後に、空間の中へと姿を消した。その一部始終を、ツインテールの女性、クロノス・アンジェリアは見ていた。
「なるほど。あれが今回の騒動の黒幕ですか。ずいぶんと醜い魂でしたね。次会ったときは完膚なきまでに叩きのめしたいです」
彼女はそう言いながら、ウェスト支部に向かって歩いていく。
「奴らはカイツ様を狙っている。なら私がすべきことは1つ。カイツ様を全力で守ること。それが私の使命なのだから」




