第121話 不協和音
実験を終えた後、俺は痛む体にむち打ち、壁を支えにしながらネメシスたちのいるところへ向かっていた。何年経っても、この体の痛みは慣れないものだ。
「あのスーツ男にはああいったけど」
正直、状況は芳しくなかった。何年も経っているのに、ネメシスたちを助けるどころか、奴らを倒すための力すら身につけていない。このままじゃ何もできずに終わる。
「くそ。もっと力をつけないと」
また薬でも盗んでいきたいところだが、警備が異常なほどに硬く、黒い翼も自在に出すことが出来ない。そんな状態で警備を突破するのは至難だろう。ネメシスたちはいつ死んでもおかしくない状況にある。一刻も早く力をつけないといけないというのに、今は口だけになってしまっている。
「……はあ。どうすれば良いんだか」
「質問。何をため息を吐いてるのですか? 問題発生?」
声のした方を振り向くと、ほんのり紫がかったピンク髪を肩まで伸ばした少女、テルネがいた。俺たちと同じように番号の書かれた真っ白な服を着ていた。人形のように整った綺麗な顔で、妙な話し方で話しかけてくるのが特徴だ。彼女は研究所で過ごすうちに知り合った仲である。部屋は違うが、こうして会うたびに話をしたり、彼女の居る部屋に行って遊んだりしている。そうするとなぜかネメシスが殺意を持った目で睨んでくるが。
「ここを壊すための方法を考えてた」
「把握。私に出来ることがあったら何でも言って。あなたのためなら、私たちは全てを捧げられる。滅私奉公」
「全てって……俺はまだ何もできてない口だけ人間だぞ。そんな俺にどうしてそんなことを」
「返答。あなたには強い意思がある。何がなんでもやりとげるという強い意思が。それに、色々と努力してるのも知ってる。翼でヴァルキュリアの奴らに攻撃したり、コントロールしたり。信じる理由はそれで十分と判断。でも、無理はしないでほしい。まずは自分の体優先。それが一番大切。だから、休めるときはしっかり休む。休息大事」
「……そうか。ありがとう」
俺はそう言って、彼女の頭を撫でる。
「快感。あなたに撫でられると、心がポカポカする。大変満足」
無表情で言ってはいるが、どこか嬉しそうにしてる。
「ありがとうな。お前のおかげで元気出たよ」
「安堵。それは良かった。これから何かあったら私に相談。いくらでも元気づける。元気注入」
「おう。頼りにしてる」
「あらあら。2人して脱獄の相談かしら?」
いきなり声がしたかと思ったら、ネメシスが後ろから抱きついてきた。その瞬間、テルネは俺から少し離れ、彼女を見る。無表情ながらもその目は睨みつけているようにも見えたが、気のせいだろうか。
「驚愕。いきなり現れましたね。」
「ふふふ。私はカイツを見つけたら背後から抱きしめる習性があるの。覚えておきなさい」
「困惑。それはただの変態では?」
「失礼ね。 ただのスキンシップよ」
「理解。そういうことにしておきます。それより、私たちに何か用ですか?」
「別に。あなたたちが秘密トークしてるから気になっただけよ。カイツ、あなたも罪な男よね。その蜜がなんでもかんでも引き寄せるから、私の取り分も減ってしまう。だからこそ、その蜜を独占したくなる。他の虫どもが採れないようにしたい」
「? 何を言ってるんだ。ネメシス」
「ただの戯言よ。気にしないで。それより、あなたは早くどこかに行ったら? あなたも今から大変でしょう。準備しておかないと」
そう言うと、彼女は手の力を強めた。まるで、俺を逃がさないようにするかのように。
「……納得。確かにそうですね。カイツ、私はこれで失礼します」
そう言ってテルネは去っていった。すると、ネメシスは嬉しそうに俺と肩を組む。腕に当たる柔らかい感覚は無視した。下手に意識すると顔が赤くなるし、彼女にからかわれそうだと思ったから
「ふふふ。ようやく2人っきりになれたわね。カーイツ」
「ネメシス……お前」
「? どうかしたの。カイツ」
「……いや。なんでもない。部屋に戻ろう」
そう言って俺たち2人は部屋に向かって歩いていく。ネメシスが少しだけいつもと違うように見えたが、俺はそれを気のせいだと判断した。
2人で歩いてる中、彼女が話しかけてきた。
「ねえ、カイツ。最近、私を見てどう思う?」
「どうって……まあ、相変わらず美人だよ。優しいし、一緒にいて心が落ち着く」
「ううん……嬉しい答えだけど、少し違うのよね」
「? どういうことだ?」
「私が魅力的に見えるか聞いているのよ。女として見てるかどうか」
ネメシスはそう言うと顔を近づけ、俺の頬を撫でながら言った。
「あなたが私をどう思ってるか気になるの。ちなみに、私はあなたのことを愛してるわ」
「えっと……俺も好きだよ。愛してる。ずっと一緒に居たいと思ってる。そのためにも、ここをぶっ壊してみんなと逃げるんだ」
「……みんな、ねえ。カイツはニーアたちのことも大切に思ってるのよね?」
「当たり前だ。あいつらやネメシスがいない生活なんて考えられない。死んだほうがマシだ」
「……そう。そうなのね」
彼女の表情は、どことなく闇を帯びていたような気がした。けど、すぐに明るくなり、笑顔で俺に抱きついてきた。
「ふっふっふ〜。あなたの匂いを独占できるのは夢みたいね。最高の気分だわ」
「相変わらず抱きつくのが好きだな」
「ふふふ。あなたに抱きつかないと私の生命力は低下してしまうからね。これは命を繋ぐために必要なことなの」
「よくわからん理屈だが、お前が満足ならそれでいいか」
その後、彼女は30分ほど抱きついたままであり、部屋に戻ったのはかなり遅くなってしまった。
「おい。なんで姉さまの体から、カイツの匂いがここまで濃く匂うんだ。そもそもなんでここまで帰ってくるのが遅かった」
「う〜ん。2人でいちゃらぶしてたからかしらね〜」
「チッ……腹立たしい女だ。油断も隙もない」
「ねえパパ。パパって私のこと愛してくれてる?」
「当たり前だ。お前とこうして触れ合うのは心が落ち着くし、大好きだ」
「そっか。私もパパのこと大好きだよ! いつか結婚しようね!」
「そうだな。お前と結婚するのも、悪くないかもしれないな」
俺は彼女の頭を撫でながらそう言った。
「チッ……羨ましいわねえ。私ともいつか結婚してくれたりするのかしら?」
「複数人と出来るなら、したいな。みんなと一緒に暮らすのは凄く楽しそうだし」
「……はあ。やっぱりそう言うわよね。ニーアは今の発言どう思う?」
「……ま、浮気者の発言と言った感じじゃないか? 普通なら許せないと思うが、まあカイツだからな。それに、カイツが色んな人と結婚するのも面白そうだし」
「ふん。思ってもないことを言うのが得意なのね。吐き気がする」
「別に嘘を言ってるわけではないのだがな」
ニーア達は険しい顔で何やら話をしていたが、その内容を聞き取ることは出来なかったし、そもそもネメイツを撫でるのに集中して聞こうとも思っていなかった。
「ふへ~。ぱぱに撫でられるのすっごく良いね。落ち着く」
「そうか。それは嬉しいな」
「ぱぱー。いつまでも一緒にいようね~」
「ああ。俺たちはいつでも一緒だ」
夜。俺は珍しく寝つけず、部屋の中で本を読んでいた。
「眠れないのか。カイツ」
本を読んでいると、ニーアが声をかけてきた。
「ああ。なんか寝れなくてな。この本を読んでいたんだ。なんでも、兄と妹との物語らしい」
「ほお。私にも見せてくれないか?」
「良いぞ」
俺が了承すると、彼女は俺の隣に座って本のページを見る。俺が読んでいる本は心優しくて穏やかな性格の主人公と主人公の妹が様々な試練や苦しみを乗り越えて行きながらやがて結ばれる物語だ。最後は2人は駆け落ちし、自分たちを知らない遠くの島で幸せに暮らすというものだった。俺たち2人は静かに読み続け、最後まで読み切った。読み終えた頃にはかなり時間が経過していたようで、時計の針は3時間近く進んでいた。
「良い物語だな。これ。お兄ちゃんと妹の恋愛が素晴らしかった」
「ああ。2人の物語に引き込まれたし、最後も凄かった。恋愛というのはよく分からないが、それでも感動したよ」
「……なあ、兄様」
いきなり彼女にそう呼ばれて困惑してしまい、何を言えば良いか分からず混乱してしまった。彼女の顔を見ると、顔が真っ赤になっていた。
「ニーア?」
「すまない。この物語の2人みたいな関係になりたいと思って……つい」
「ははは。ニーアにそう言われるの、なんだか嬉しいな。兄様って呼ばれるの初めてだし、新鮮な感覚だ。これからもそう呼んでほしい」
「……頑張る。えっと……兄様は、この2人みたいな生活をしたいと思うか?」
「そうだな。俺たちを知ってる人がいないような島で暮らす。そんなことが出来たらきっと楽しいだろうな。まあ俺たちの場合はネメイツとネメシスや俺たち。その他にも何人もいるから、2人で生活というのは出来ないけどな」
「もし、1人しか選べない時が来たら、兄様は誰を選ぶんだ?」
「そんな時来てほしくないけど……多分、誰も選べないと思う。俺はみんなと一緒にここを抜け出して平和に暮らしたい。誰1人欠けることなくな。もし誰か欠けたりなんかしたら、俺は発狂するだろうな」
「……ま、兄様はそう言うだろうと思ったよ……やはり、色々壊れてるんだな」
「? 何か言ったか?」
「何でもない。私はもう寝るよ。おやすみ」
彼女はそう言って俺の頬にキスをした。
「!? ニーア」
「ふふ。物語を読み直して考えておけよ。私が兄様にキスした意味を」
彼女はくすくすと笑いながら寝るところへ行った。
「キスの意味……か」
キスというのは親愛の意味や愛を伝える行為だと思ってたけど、それ以外にも意味はあるのだろうか。
「……頑張って調べてみるか」
ネメイツ達に聞くのはダメな気がするし、この本や似たような恋愛の本を読んで彼女の言った言葉の意味を理解するとしよう。