はかり柳
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは、小さいころに「観察すること」にはまったことはなかった?
アリとか水槽の魚とか、電気で動く機械のピストンや回転運動とかさ。気になると、その場からぜんぜん動かず、くぎづけになっちゃって。
まあ、少し大きくなってくると、これがゲーム屋店頭のデモ画面へうつっていって、ずっと近くで粘り始める。親と一緒に買い物へ行ったとき、待たされる場所といったらゲームコーナーが定番だったもんね。
同じことをし続けても飽きがこない理由。いろいろと考えられるけれど、それが子供だったら、物事に対して知らないことが多すぎる、てのが大きいと思う。
仕組みを知らず、起こりうる可能性を知らない。だから目の前にあることを純粋に受け入れられ、なおかつ自分で想像を膨らませていけるからこそ、飽かずにいられるんだろうな。
そのおかげで、たいていの人は気づかず、出会えないままの現象に出会えるのも、子供のときのことが多いのかも。
僕の父が子供のころの話みたいなんだけど、聞いてみないかい?
父は小さいころ、しつけ代わりにたくさんの怪談話を聞かされていたらしい。
父本人は、脅しめいた怖い話に、さほどびびることはなかったらしくてね。生き死にとかけが人が出てくるような話じゃなきゃ、自分でその真偽を確かめたいと、つねづね思っていたらしい。
当時の父が、一番関心を寄せたのが「はかり柳」という怪談だ。
内容はかの「おいてけ掘」の話とほぼ同じ。堀の近くに生える柳の木は、堀と地上の両方の様子をうかがう、見張り役である。
もし地上の人間が堀の中より、魚を取って帰ろうとすると、その柳の枝葉が手のように伸びる。はじめは肩を叩き、次には腰をおさえて、犯人を引き留めんとするが、それを無理に振り払って逃げようとすると、今度は首へ巻き付く。
魚を手放すまで、その責めが緩むことはないらしく、堀の魚たちの数は、柳によって厳正に守り抜かれる。そうしてバランスを取るさまが、「はかり」の名を冠する由来なのだとか。
父親としては、首を絞めてくるという点でグレーゾーンな言い伝え。
けれど程度を誤らなければ、問題はなし。そもそも自分が味わわなくても、誰かがしでかしてくれたのを、この目におさめることができれば、それでいい。
おあつらえ向きに、父親の家から数百メートル離れたところに、かつてのお城のお堀が残っている。某大名の小城だったというそれは、観光ガイドの一角に名前を連ねることもあり、休みの日などはそこそこ人の出入りがあった。
幅数メートルの水掘には橋がかかり、その四つ角を守るように、背の高い柳が枝を垂らしている。きっとあれらが「はかり柳」なのだと、幼い父親は信じて疑わなかったらしい。
少し考えれば、自分の知っている言い伝えなど、他の人だって知っていておかしくない。ならば堀に表立って、いたずらを働く奴など現れないだろう。
それでも父親は学校帰りに、休日に。自分の時間が許す範囲で、堀より少し離れたところから、柳を観察していたのだとか。
やがて夏を迎え、花火大会が行われることになる。
一年の中、子供がおおっぴらに夜も出歩ける貴重な機会。一緒に花火を見ていた友達と別れた後、父親はまた例のお堀のそばへ来ていた。
お祭りも併せて催されていたためか、はっぴや浴衣姿の人がちらほら見られる。その人たちの目から避けるように、父親はお堀の裏手、塀が近い建物の影に身を隠していた。
明るいところでじっと見られているのを悟られたら、動く人も動くまい。くらいところからこっそりのぞき見るのが定石だ。
堀の水の中には、以前から黒い肌をした鯉たちがいる。ひしめくほどでないにせよ、ひょいと顔を向ければ、いつでも数匹は目に入るほどだ。
「早く誰か手を出さないかなあ」と、父親が待機し出して、5分がたち、10分が経っていく。
別に現行犯逮捕などに興味のない父親の視線は、一心に自分の手近な柳へ注がれていたみたいだね。
それからしばらくして、少し風が吹いてくる。
さわさわと柳のてっぺんが騒ぐのにつられて、垂れる枝たちも一緒に身を震わせ出した。
父親の髪もつられて吹かれ、目にかかる前髪を指で抑えながら、風が止むのを待つ。そうしておとなしくなったとき、先ほどから見張っていた柳は妙に傾いていたというんだ。
元の姿を真っすぐ立っているとしたら、右肩を大いに下げた形になる。不格好にずれたかつらのように見えて、父親は少し笑ってしまう。
しかしよくよく観察してみると、柳は完全に止まってはいなかった。
大きく下がった右部分の枝の何本かは、長ほうきのようにずりずりと、地面をこすっているんだ。もう、風も止んでいるのにさ。
にわかに訪れた変化を、父親は冷静に見やっていた。
じっとしていたハムスターが、ふと動いて回し車の中で走り出すのを見るのに、似た心境だったらしい。
土を掃き清めるような動きをしていた枝先は、やがておとなしくなる。けれど本当にじっとしていたわけじゃなかった。
上部を見やると、それぞれの枝はアーチを描きながら、おおいにたわんでいた。空へ橋を架けるかのようなその形は、魚と釣り手の力にさらされ、引っ張られ合う竿のよう。
ぎぎぎっと、きしむ音さえこちらの耳へ届き出したものの、ほどなく枝たちは一斉に、ぽんと枝先を地面から宙へ放り投げる。
軽々と空を拭うと、今度は先ほどとは正反対。左の肩ががっくり傾き、その枝先は堀の中へと突っ込んでいく。
元よりさほど重くないのか、あまり音を立てずに落ち込んだ枝の先を、父親はのぞきにいけなかった。
怖さよりも驚きが先に来て、その場でぽかんと一部始終を見届けていたらしい。
堀へ落ちる左手、天へと振り上げる右手。
横から見れば一直線に傾いた枝は、ほどなく淡い青色の光を帯びていく。
もっとも高い右の枝先から、砂か石のようにぽろぽろこぼれる光の粒たちは、そのまま真っすぐ枝を伝って、堀の中へと注がれる。
いささかの音も立たない。ただただ静かに、光たちは枝を染めながら、その身体を滑り落ちていく。
じっと見守る父親の前で、やがては枝の光も薄れだす。
すると今度はさかさまに。
堀の左手、空へ浮き。空の右手、地へ着いて。
傾きとともに、一挙に立場を逆にした左手たる枝たちには、何匹もの鯉たちが食らいついている。
驚いているのか、鯉たちは最初、自らの尾ひれをぶるぶる左右へ揺らし、抗議するかのような姿勢を見せていたらしい。
それもつかの間。
くわえる枝の先から、今度は藻かコケかと思う緑色の粒が漏れ出すと、とたんに鯉たちの暴れが消えていく。
先ほどとはあべこべに、左から右へこぼれていく緑の粒は、枝を伝ってどんどん地面へ注がれる。だけども当の地面へ着けば、光はたちまち消えていった。
何分、いや何秒ほどか。
緑の粒が途切れてしまうと、柳はまたガクンと手を下ろす。
今度は水平。最初に父が見えていたように、左右の手はまた同じ高さへ。
砂利振り上げて、立つのは右手。鯉振り下ろし、止まるは左手。
鯉たちもまた枝を離れ、とぷん、とぷんと堀の中。
そこからはもう、柳とその周りが動くことも、音を立てることもなかったらしいんだ。
それ以降、父親が柳の妙な動きを見ることはなかったらしい。
ただ、堀に足りないものを地上から。地上に足りないものを堀の鯉から。
それぞれつぎ足していったあの姿こそ、「はかり」といえるんじゃないかと、父親は感じたらしいね。