1 幸せと試練は青い鳥
壁掛けが掲げられた長い廊下の先。
天井まで達する大扉を、二人の衛兵が守っている。
「ご苦労」
「はっ」
リットの姿に衛兵たちが頭を下げた。
悠然と歩を進め、リットはつなぎの間を通り抜ける。
たどり着くは、机がいくつも並ぶ大部屋。
大きく採られた窓から光が差し込み、仕事に勤いそしむ宮廷書記官たちの手元を照らしていた。
大窓の向こう、見える木の枝陰で、瑠璃色の鳥が卵を温めている。平和な日常の一場面。
「リット様!」
職位のマントに雉の一枚羽根――三級宮廷書記官の証を着けた少年が声を上げた。作業をしていた宮廷書記官たちの手が、一斉に止まる。
「やあ、皆の衆。そんなに励むな。適度に休憩をしろよ」
「リット様もお仕事にいらっしゃったのでしょう? 休憩ではなく」
少年がリットに駆け寄る。
「まーな。ミズハの言うとおりさ」
リットが軽く肩をすくめた。くすりとミズハが笑う。高い職位を持つ割に、おどけた仕草が多い。
「お仕事のご命令がありますよ」
たった一言で、リットが眉根を寄せた。
「陛下が何だって?」
ミズハが目を丸くする。まだ何も言っていない。
「ええっと、清書です。新しく発布する王令の……」
「ふーん。ミズハがやればいい」
リットの言葉に、ミズハが激しく首を横に振った。
「とんでもない! ボクは三級です!」
「今はな。飾り文字が書ければ、宮廷書記官長に昇級を推薦してやるよ」
「本当ですか!」
ずるいぞー、抜け駆けかー、私も推薦お願いしますー、俺もー、お前は昇級したばかりだろー、働けー、お前も手を動かせー、などなど。大部屋に賑やかな声が満ちる。
「――何やら、楽しそうだねぇ」
奥の部屋から、ひょっこり初老の男が顔を見せた。
「私も混ぜてくれないかい?」
「セイザン様!」
慌てるミズハに、一同がびしりと固まる。騒ぎ過ぎたか、叱られるのか。緊張が宮廷書記官たちの間を走った。
「ああ、セイザン宮廷書記官長。ちょうど良いところに」
動じることなく、リットが言う。
「ミズハの昇級について、ご相談が」
「うん? 何かな」
「花と蔦と鳥と鹿と獅子の飾り文字を書けるようになったら、二級に上げてやってくれませんかね」
「うん。いいよ」
あっさりとした推薦に、あっさりとセイザンが頷く。
「期限は区切るかい?」
「そうですね。そのほうが楽しい」
「ちょ、ちょっとリット様。ボクの昇級で遊ばないでください!」
えー、とリットは不服そうに声を漏らした。
「俺の推薦を受けた身だぞ? 達成してみせろよ、簡単に」
「困難ですよ、五種類の飾り文字なんて!」
「じゃあ、間あいだを取って。オオルリの卵が孵るまでを期限としよう」
にこにこと、セイザンが微笑む。
宮廷書記官たちが一斉に窓の外を見た。
オオルリの雄が、卵を温める雌へせっせとエサを運んでいる
あー、とリットが呟く。
「間って、飾り文字から取りましたか?」
「鳥だけにね」
セイザンの言葉に、誰かが私物のオペラグラスを取り出した。
「――卵はまだ孵っていないようです」
別の宮廷書記官が、律儀に帳面へ記録する。
「――よし。観察役と記録役を順番で回すぞー」
「――ペアになるくじを作ったぞー」
「――おー、引け引けー」
「――昇級の合否に賭ける奴ー」
「――乗ったー」
「――支援妨害なしだぞー」
「――正々堂々、見守るぞー」
あっという間に、賭けの表が壁に貼られた。
「くっ、無駄に仕事が速い!」
同僚たちの温かな応援に、ミズハは拳を握る。
「じゃあ、リット。奥の部屋で推薦書を書いてもらおうか」
セイザンの微笑みに、リットが首を傾げる。
「あれ? 仕事が増えた……」
ため息をつきながらも、ミズハの肩を叩く。
無言の応援。
きゅっと、少年が唇を噛む。その目に揺るがぬ強い意志が宿る。
「あ、俺の名も賭け表に書いておいてくれ」
リットが宮廷書記官たちに言う。
「――もちろん、合格に」
窓の外から、オオルリのさえずりが聞こえてくる。