リンちゃん、異世界で友達ができる。
『楽しそうね』
ようこが釘を刺すように言った。
リンは目を細める。
ちょっとぐらい、いいじゃない。
チームが交代し、リンはコートの外から試合を見ていた。
『どこの世界でもあるものなのね』
ようこがぽつりと漏らした。
いじめ。いじめっていうほど、明確ではないか。バレーボールは、体育でするには残酷なスポーツだな、とリンは思った。久保田さんがコートにいた。いたけど、いないようなものだった。みんな、相手チームも、久保田さんのところにはボールを飛ばさない。久保田さんにとっても、それはまだ良いことのような気もした。だって、ボールが飛んだら。
そのとき、久保田さんのほうへボールが飛んだ。
俯き気味だった顔を上げ、久保田さんは手を伸ばす。ボールが手に当たると、あらぬ方向へ飛んでいく。途端に、賑やかだったコートの声がなくなる。ぽつんぽつんと、ボールだけが転がる。束の間の静寂のあと、試合が再開する。久保田さんは、俯き、ただ立っていた。しんどいだろうな。辛いだろうな。
ほかの人も失敗しないわけじゃない。みんなバレー部ってわけじゃないし。でも、特定の誰かのミスは、なぜか気まずさが漂う。触れてはいけないような。別にどっちが悪いわけでもないような気もした。何が悪いといえば、バレーが悪い。
お昼休憩になった。ヒサさんが作ってくれた弁当を広げる。
隣の席の久保田さんは、早々に席を立ち教室を出ていた。
一人ぽつんと食べていると
「ねえねえ、一緒に食べようよ」
とポニーテールの女の子が弁当片手に声をかけてきた。確か、隣のクラスの高山さん。体育だけ一緒だった。バスケ部に誘ってきた、スポーティな女の子だ。
「小山内さん、バスケは?興味ない?面白いよ!」
「え、う、うん」
「高山、小山内さん困ってるじゃん、やめときな」
とぱっちりとした目に、黒髪の奇麗な女の子が言った。同じクラスの池山さんだ、確か。池山さんは、い
つも二人の女の子と一緒にいる。なんかイケテルグループだ。
リンの机周りが賑やかになる。
「彼氏いるの?」「兄弟は?」と色々と質問される。ミャンマーの話はなんとか誤摩化しながら、でも、興味を持たれるってのはとても嬉しいことで、照れたりしながら答える。
「ミャンマーではバスケはやってるの?」「バスケ、バスケ!」と高山さんの質問はなんだか独特で偏っているけど。
目の端に、久保田さんが教室に入ってくるのが見えた。久保田さんの席には、池山さんが座っていた。久保田さんは、はっと立ち止まると、再び教室を出ていった。
『不憫ね』
時折下りてくるようこの声が、やはりリンに水を差すのであった。
今日最後の授業。男子生徒のなかには机に伏して寝ている生徒もいる。
社会の授業であった。理科や数学はもとの世界と大きく共通している部分が大きかったので良かったが、社会となるとちんぷんかんぷんである。ふと、隣の久保田さんを見た。机の下で、授業と関係のない本を読んでいる。意外と不良だな、とリンはしかし興味を持った。ノートを小さく破り、何読んでるの、と書くと、ぱっと久保田さんの前に投げた。
気づいた久保田さんが、紙を開く。シャープペンシルをもち、何やら書くと、リンに投げた。リンは、紙をひらき、文字を読む。異世界でスローライフ、と書かれている。異世界!?地球でも異世界ものが流行っているのか!?気になる。どんな異世界ものが。
授業が終り、放課後になる。クラスが散り散りになる。
「ど、どんな本!?」
リンは、久保田さんに尋ねた。
びくりと、久保田さんは後ずさる。
『偽善?』
「ち、ちがうわ!」
ようこの声に反応してしまった。
周りの生徒がリンを見る。
「あ、いや、なんでも」
ようこめ。偽善なんかじゃない。久保田さんが誰とも話していないからとか、そんな理由で話しかけたんではない。地球の、異世界の、異世界ものが、気になるのだ。
「く、久保田さん、ごめんね。ど、どんな本なのかなあって」
「え、あ、この本は」
とすうっと息を吸込み、吐くと、久保田さんは早口で話しだす。
「異世界に転生して、寂れた町を復興させる話です。流行の戦闘や魔法などのチートはなく、いや、魔法によるチートは序盤に少しありますが、ほとんどは主人公の知恵と経験で町を復興させていきます。異世界テンプレのチートもあまりなく、主人公をおっさんにしたりなどの変わり種でもなく、真っすぐな主人公が、真っすぐに町を復興させるお話です。異世界の世界観も素晴らしく、和洋折衷というか、どこか懐かしく、しかししっかりとここにはない世界を作り上げています」
「す、すごいね。こっちの異世界ものもチートが流行っているんだ」
「はい。私は、チート系はあまり好きではありませんが」
『胸が痛いわね』
本当に五月蝿いようこ。
「よ、読んでみたり、したいんだけど」
「え、ええ、いいですよ!一巻があるので、どうぞ!」
と久保田さんは、うきうきで鞄から本を取り出す。
「あ、ありがとう!」
クラスの幾人かの視線が、二人に集まっていた。久保田さんが誰かと喋っていることにか、転校生のリンがはしゃいでいることにか。
「小山内、制服ができたから、職員室にきてくれ」
大淵先生が入ってくると、そう言った。
「は、はい!また明日ね、久保田さん」
「う、うん」
と久保田さんと別れ、職員室へ向かった。
制服。ひらひらのスカート。白いシャツ。胸元のリボン。
めちゃくちゃかわいい!
「よう似合っとるでえ!」
とヒサさんが褒めてくれた。
いつまでも鏡で見ていられる。
いいなあ、これ。向こうの世界でもあればいいのに。
さて翌日より、制服を着ての登校。クラスであるが、久保田さんと話し始めてからというもの、周りの生徒はあまりリンと関わらなくなった。
「バスケ、バスケどう!?バスケ!久保田もいこうよ!見学だけでも!」
と休憩の度に来るとなりのクラスの高山さんをのぞいて。高山さんは、放課後もいの一番にリンたちのもとへとやって来たのである。
「ごめん、高山さん、今日は久保田さんに町を案内してもらうんだ」
「ううう、そっかあ。今日はバスケ無理か」
と残念そうな高山さんに、リンは「明日の放課後、行くね」と言った。
「うん!」と高山さんは明るく、部活へと走っていった。
久保田さんと教室をでる。ランニングをする生徒の一団があった。楽器の音が校舎に響いている。グラウンドからは、運動部の大きな声がした。日がありありと学校を照らす。すごい、なんだか、活気に満ちているな、とリンは思った。学校って、改めて見ると、なんだかパワーがある。
「じ、神社へは、行きましたか?」
歩きながらに、久保田さんが訊ねた。
神社。鳥居のそばにあるとかいう建物?
「ううん。まだなんだ」
「お、お寺には?」
「お寺と神社って、なにか違うの?」
「はい。お寺は仏教、神社は神道です。お寺は明確に宗教的な建物です。神仏習合により、どちらも混ざったものもありますが。各地にある神社も江戸時代に紐付けされ、まとめあげられましたが、しかし神社はもともと地域信仰によりできた場です。その昔、人々が神を畏れ、祭りをした場所。その地域の歴史にとって、とても大切な役割を果たしてたんです」
普段はあまりしゃべらない久保田さんだが、時折早口になる。そのときの久保田さんは真っすぐな目で、力強い。なんだか見ていてとても大人だなと思う。話の内容はと言えば、途中からちんぷんかんぷんなリンだが、それよりも
『ふむふむ。面白いわね』
とようこの方が興味深く聞いていたりする。
町の外れ、田園風景を歩く。小川を渡る。向こうには森が続いている。
「こちらです」
小さな鳥居があった。ヒサさんの家のそばにある鳥居よりも小さく、古い。鳥居をくぐる。小さな広場があり、その向こうに社があった。木造の、古びた建物。社の後ろには、遥か高い木々が屹立している。
「こっちで手を洗います」
鳥居の右手に水場があった。リンは、久保田さんのするように、見よう見まねで柄杓で手を洗う。
二人は境内を歩く。静かな、夕日の差す神社。リンの心に、何か高揚感があった。その正体が、リンには何かわからない。社までやってくると、久保田さんはリンに五円玉を渡した。
「ご縁があるから、五円玉がいいと言われています。賽銭箱に入れて好きなことを願います。二礼二拍一礼と言って、昔からある習わしをします。こうして」
と久保田さんが先んじて行う。
リンも真似をする。
礼をし、手をたたき、願う。何を。私は、そうだな。何かしたいこと。かなえたい夢。夢。なんだろう。私が、したいこと。
夢が、見つかりますように。
終えると、社をあとにし、二人は境内を戻っていく。
鳥居をくぐったところで、強い風が吹いた。立ち止まり、リンはふと振り返った。久保田さんも、何も言わずに立ち止まった。鳥居は、とても奇妙な形をしていた。古い、随分昔のもの。その枠の中にある神社に、夕日が差していた。さらに背後に聳える木々が、強風にさんざめいる。
なんだろう。なにが、そう感情を沸き立てるのだろう。感じる。何を感じる。私は、神社のことなんて、何も知らない。なのに、なぜ。そうか。時の流れだ。ここに、遥か昔、人がいたであろう、私がしたように、手を洗い、お礼をし、願いをかけたのだろう。そこに、人が歩いていただろう。ふと、私がいましているように、鳥居を出て神社の方を振り返ったかもしれない。そして、この建物は、背後の空に立ちのぼるほどの木々は、そのときもこうして、ここにあったのだろう。
リンは、いつまでも立ち止まっていたかった。飽きることがなかった。久保田さんも、そんなリンを思ってか、ただ無言でいてくれた。
「はあ、すごいね」
とリンは息を吐き、歩き出した。
うふふ、と久保田さんは、嬉しそうに笑った。
「久保田さんは、その、毎日同じような日でさ、なんだろう、退屈とかって、しないの?」
ふと、リンは訊ねた。
「うーん。少し、あります。でも、なら私が、なんだろう、世界を作ればいいのかなって。本当に異世界があるのかなんてわからないけど、そんなのあったとしても、それはアニメや小説の話で、行くことができるはずがない。なら、私が作ればいいのかなって」
「え!?異世界を!?」
「あ、ほ、本当に作るっていうか、ええっと、私、夢が、あって」
と久保田さんは頬を染め、少し俯く。
夢。夢!
「な、何!?教えて!」
「しょ、しょ」
「しょ!?」
「小説家に。もし、この世界に退屈を感じているのなら、自分が、小説で作っちゃえばいいのかなって。か、書いてみたりもしてるんだけど」
「すごい!すごいよ!恥ずかしがることなんてない!読ませて!」
「う、うん。ありがとう」
と久保田さんは、なおも顔を赤らめながらも言った。
本当にすごいな、とリンは久保田さんを見ていた。私とは違う。前を見て、自分から進んでいる。途端に、久保田さんが大人に見えた。