リンちゃん、失敗したりする。
「そうです。私は、別の世界から、来ました」
リンが観念し、白状すると、老婆の顔が一転ばあっと明るくなる。
「ほいやほいや!成功したんじゃな!ひゃひゃひゃひゃひゃ!こっちに来られい!」
と店そっちのけで、同じ敷地の教会へ連れられる。教会といっても外面だけで、中はがらんどうの、ちょっと天井の高い一室であった。その部屋の真ん中には、謎の幾何学模様があった。これは、まさか、魔術式。
「研究に研究を重ね、はや30年、とうとう、異世界より人を招き入れることに成功したんじゃな、あたしは!」
「へ?」
「あたしが書いた魔法式じゃ!しらんうちに発動して、あんさんが来たんだろう!?」
リンが戸惑っていると、
『そういうことにしておきなさい』
とようこの指示が。
「え、ええ、そんな感じで」
有頂天になる老婆を横目に、リンは小声でようこに訊ねる。
「どうなの?あの魔術式」
『記号自体は、こっちの世界と地球が昔合流があったときのものを使っているわね。だけど、組み合わせが見事に正反対というか、1ミリも魔力が発動しない組み合わせよ。逆に奇跡ね。なんとか取り入って泊まらせてもらいなさい。もとの世界のこと、魔法道具のことや魔法の使用は出来る限り隠しなさい。あとあと面倒になるといけいない。ちょっとご飯を買ってくるわ』
「ちょ、ようこ」
無責任な。
小躍りする老婆は、やがて落ち着くと、自らの魔術式について語りだした。実際は発動していないのだけど。そして、もとの世界はどんなところかとリンに問うた。実はもとの世界と地球とでは、景観や服装とかはだいたい同じなので、リンから伝えることはたいしてないのだけど。ようこの言われた通り、魔法関連の話は極力避けた。
「ほうほう」
と興味深く聞いている老婆に、魔法関連の話を避けるのは少し胸は痛んだ。他の人に別の世界からきたことを知られてはまずいと伝えると、「そりゃそうじゃろな!あたしは他言はせんよ!」と老婆は胸を叩いた。悪い人ではなさそうだな、とリンは思った。10日ほどで帰ることも伝える。
「10日か。短いなあ。でも、ご飯も部屋も用意するで、安心しい」
老婆は、にっかりと笑った。コーヒーとタバコでくすんだ歯を出して。かわいらしく、優しくて、強い人だな、となんとなくリンは思った。
老婆は藤野ヒサと言った。教会のような建物は、魔術で別世界から人を召還するのにそれっぽいからと建てたらしく、全く宗教的なことはしていないらしい。建設時周囲から反対がでたが、押し切ったとか。団子屋は実家をついだとのこと。両親を比較的早くに亡くし、好きなことをしようと魔法に傾倒、はや30年。昔は本を書いたりもしてた。20年ほど前に書いた売れなかった小説が最近になってカルト的人気になっているらしい。地球でも現在異世界転生ものの小説や漫画が流行っているらしく、ヒサさんの書いた本がその先取りだったのではないか、と話題になったとか。
「そろそろ店込む時間や。まあゆっくりしとき」
とヒサは、リンを部屋へ案内すると、団子屋の方へ向かった。
部屋は教会の奥の一室であった。窓からは裏庭が見えた。壁の隅にある棚には、大量の本があった。地球にある魔法関連の本らしかった。本当に勉強家なんだな。それでできたのがチンプンカンプンな魔術式だったっていうのは、あれだけど。疲れはあるけど、眠くはない。まだ別世界にきたことへの興奮があるんだろうか。いや、不安かもしれない。でも、特に今地球で、この部屋でやることはない。団子屋か。ご飯も部屋も提供してもらって、何もしないってのはやばいよね。でも、私に勤まるかな。バイトとかしたことないし、まだまだ知らない世界だし。お金の事だってわからない。失敗して、迷惑かけちゃうかもしれない。
『純粋な人ね』
ようこの声が突如脳内に響く。
「うん」
と返した。
何かを飲み込む音。
「何食べてるの」
『団子』
団子は、もとの世界にもある。寮のそばに老舗のお菓子屋があるのだ。ふと思い出す。そこの娘さんが私と同じ年くらいで、店のお手伝いをしていたな、と。
バイトなんて考えないで、お手伝いと考えればいいか。うん。
リンは立ち上がった。
『どこへいくの?』
「ヒサさんを手伝ってくる」
反論がくるかと構えたが、『いい心がけね』とようこは言った。
リンは頬を緩めると、団子屋のほうへ向かった。
昼過ぎの団子屋。テーブル席が二つ、どちらも埋まっている。主婦らしき二人が談笑し、同じテーブルで小さな子どもが二人団子を頬張っている。もう一つのテーブル席では、老夫婦が、静かに団子を食べていた。もとの世界でもあるような、何気ない光景だった。でもなぜか、リンにはぼわっと浮き上がって見えた。まるで映画のワンシーンのように。
リンの手伝い志願を「ええのにゆっくりしときい」と言っていたヒサさんだが、リンが自分でも驚くほど手伝わせてほしいというので、根負けした。
「会計はあたしがするで。注文受けた団子をこの透明な入れ物に入れて輪ゴムでとめてもらおかな」
団子の種類は5種類ほどなので、覚えるのは容易かった。持ち帰りに並んだお客さんに、ヒサさんが注文
を聞く。
「みたらし3つや」
ヒサさんに言われ、リンは透明な入れ物にみたらし団子を入れる。
「せや。そんな感じでいいで」
とヒサさんはにっかり笑った。
「ありがとうね」
と買い物帰りの、すこし小太りの主婦は、団子と買い物袋片手に去っていく。誰と食べるんだろうか。帰って、一人で全部食べるかもしれない。
「次は、みたらしひとつ、あんこひとつや」
「はい!」
とリンは、みたらしとあんこを透明な入れ物に入れる。
「ああ、リンちゃん、種類が違うときは入れる容器わけなあかんで」
「あ、す、すみません!」
失敗した。そりゃそうだ。あんことみたらしが互いに引っ付いてしまっている。ヒサさんが、新しい団子を別々の容器に入れ、お客に渡す。
「すみませーん、お会計お願いします」
とテーブル席で食べていた主婦が、立ち上がった。
「はいのはいの」
とにこにこと、ヒサさんは、お会計に向かう。
持ち帰りの客が、一人外で並んでいた。黒髪の、メガネをかけた女性であった。私は、どう対応することもできない。リンは、手持ち無沙汰のまま、きょろきょろ周りをみることしかできなかった。
「あなた」
メガネをかけたその女性が、鋭く言った。
「は、はい!」
とびくりと、リンが反応する。
「はいなはいな、なんの団子にしましょ」
とお会計を終えたヒサさんが、急いで戻ってきた。
メガネの女はその鋭い語調を弱め
「みたらし二つで」
と言った。しかし、女は、なおも立ち尽くすリンをちらちらと見ている。何か、してしまったのだろうか。リンに不安が募る。
「リンちゃん、みたらし二つや」
ヒサさんに言われ、リンは「は、はい!」と急いで容器を用意しようとして、落としてしまう。
「ご、ごめんなさい」
「ゆっくり、慌てんでいいで」
ヒサさんの優しいことばが、リンには少し痛かった。
お会計を済ませ、メガネの女は歩き出した。
「大丈夫や。ゆっくり、ゆっくりな。テーブルの席、片してくれるか」
とヒサさんは言った。テーブル席の湯のみやお皿を洗い場に持っていく。台を拭く。
店内の客は老夫婦だけになった。台を拭きながら、リンはため息をついた。やっぱり私って、ダメだな。ふと、外に目がいった。さっきの、メガネをかけた女性が、道の向こうにいた。そのそばで、しゃがんでいる小さな女の子が見えた。後ろ姿だけで、顔は見えない。メガネの女性は呆れたようにその女の子をじっと待っていた。女の子はてんで動こうとしないのである。何かがひょっこり跳んだ。虫か、何かが。女の子は、ようやく動き出した。女性も、はあ、と息を吐くと、歩き出した。リンはその光景をなんとなしに見て
いたが、湯のみを落としそうになり、「あ、あっと」となんとか掴んだ。
「大丈夫かい?」
ヒサさんが、心配そうにリンを見た。
「は、はい」
とリンは手伝いに戻った。