40話 叙爵
「うわあぁーん! マズいよぉーっ!」
夜の帝都を、夜会服姿でダッシュする僕。
はたから見れば、何事かと思うだろう。
簡単だ。
遅刻しそうなのだ。
「変な意地張らずに、僕もランベルク家へ一緒に戻れば良かったぁーっ!」
今夜、姉上は一度ランベルク家に帰宅した。
そのため僕は、支度やら家事やらに手間がかかり……今に至る。
白い眼で見られないためにも、出来れば遅刻は避けたいんだけど……
「んあ? イオ!? おーい、イオ、お前なにやってんだー!」
後方から、聞き慣れた声が投げられる。
走りながらも振り返ってみれば、
「レオン! や、やぁ!」
リザードに曳かれる乗り合い式の馬車──乗合竜車に乗るレオンが、車体の横から身を乗り出していた。
「遅れるぞ! おら、掴まれよ!」
レオンは手を伸ばす。
リザードの足は僕より速く、竜車が僕を追い越そうとしたところで、
「よいしょっと!」
レオンの手を掴み、そのまま竜車の中に跳び乗った。
「ありがとう、レオン」
「いいってことよ。主役が来ねぇと始まらねぇだろ?」
夜会服姿のレオンは、にっと笑った。
僕もそれに笑って返したのだが……引き攣った笑みだったと思う。
乗客が僕に向ける、『なんやこいつら……』みたいな視線が痛かった……。
十分後。
目的地である"王宮"には、難なく辿り着いた。
衛兵の許可を貰い、壮麗な入口を抜けて、長い廊下を進むとそこは、
「うひょー……すげぇなぁ……」
豪華絢爛な会場だった。
高い天井にはシャンデリアが吊るされ。
壁には細かすぎる金細工の装飾。
机には、料理の数々が並べられ。
ドレスや燕尾服の男女が、それを囲って優雅に談笑している。
「俺、場違い甚だしいかもな……」
「大丈夫だから。ほら、行こ」
レオンと共に僕は、会場の奥へと歩む。
奥までたった五十メートルほどの距離なのに、信じられないほど進めない。
めちゃくちゃ声を掛けられるのだ。
「おぉ! 竜殺しの英雄の登場だ! 各々方、あちらをご覧くだされ!」
「どんな剛勇無双の者が来るかと思えば……あらまぁ、こんな可愛らしい子だったのね!」
「どうだ、こっちで一杯飲まないか? 伯爵も、君の話が聞きたいそうだ!」
「これが舞踏会であれば、一曲お誘いしたのだけれどもね。代わりに、食事でもどうかしら?」
様々な人から声を掛けれら、足を止められる。
そのたびに愛想笑いと適当な返事で返すのだが、
「なにこの波状攻撃……」
次から次へと、絶え間なく人が話しかけてくる。
中には、
「お久しゅうございます、イオ・フィン・ランベルク様」
「おぉ、これはこれは。ランベルク侯爵家が四男のイオ? でしたかな。よもや貴殿がドラゴンを狩るとは」
「父君も、さぞ鼻が高いことでしょうな。ランベルクの名声も、うなぎ上りというもの」
「ねぇ、イオ君。是非、娘とお会いになっていただけないかしら?」
見知った顔もいるわけで。
そうした人に褒められると、すごく恥ずかしくなってくる……。
それに、彼・彼女等は僕の事をまだ、ランベルク侯爵家の四男として捉えている。
今の僕は、ただの冒険者の平民だっていうのに……。
「失礼つかまつる、皆様方。道を開けてくだされ」
覚えのある声が人混みを掻き分け、僕の目の前にやってきた。
頭一つどころか二つ飛びぬけた長身。
夜会服を着てもなお、盛り上がった肉体。
立派な赤い髭の彼は──ガニミード兄上。
「三日ぶりであるな、イオ。調子はどうだ?」
「健康そのものですよ」
「ふむ、喜ばしい限りだ。して、姉上の件であるが……」
兄上は片手で髭をしごき、空いた手で僕の肩に手を置いた。
「此度は我が輩の負けだ、男らしく認めよう」
「なら、今後は──」
「諦めたわけではない。欲しいものは全て手に入れる、それが我が流儀なり」
それだけ告げて、兄上は人混みへ戻っていった。
だけど。
代わりに姉上が、その人混みからやってくる。
「こんばんは、イオ、レオンさん」
白い肩と胸元を露出した、青いドレス。
大胆かつ優美なそれに身を包んだ姉上は、普段より一層美しい。
周囲の注目の視線が、僕から姉上に移ったくらいだ。
「こんばんは、姉上。たいへんお似合いですよ」
「ありがとう……と言いたいところだけれど、タイが曲がってるわよ。それで謁見するつもり?」
姉上の手が僕の喉元へ伸び、タイの位置を整えてくれる。
なんだか、妙に羨ましそうな視線が多い気が……。
「……これでいいわね。さぁ、こっちよ」
ガニミード兄上が開いた人混みの道を進む姉上。
その後ろに、僕らはついていった。
「それで、姉上。……ベガは?」
王宮内に入って以降、一度も目にしていない。
まぁ、これだけ広いし。
それに、王家の次に偉い三大公爵家だから、人付き合いやら社交辞令やらで忙しいのかもしれない。
「会ったわよ、ついさっき。確か……バルコニーのほうにいるはずね。でも、挨拶は後にしておきなさい」
「はい。先に、やらなくちゃいけませんからね」
僕らは人混みを抜け、開けた場所に来た。
この大広間の最奥、"皇帝"のいる玉座だ。
「私達はここで見ているわ。安心して、堂々と胸を張っていなさい」
「そうだぜ、イオ。頑張れよ、噛むんじゃねぇぞ」
二人は、最奥に臨む人混みの最前列で、見守ってくれる。
最前列には、ダンジョンでお世話になった一流冒険者や、ガニミード兄上、そしてマルテオ兄上の姿もある。
……そうだ。
彼等に、見せて、聞かせなくちゃいけないんだ。
僕の行動・発言を──
意を決して、一歩前に踏み出す。
眼前には、ハーフエルフの皇帝陛下。
人間でいう、五十代くらいの男性だ。
僕は玉座へ進み、皇帝陛下はその玉座からのっそりと立ち上がる。
そして、僕は玉座の目前で辿り着いたところで。
恭しく、ひざまずいた。
「このような場を設けていただき、恐悦至極に存じます。──我が名はイオ。"元"ランベルク侯爵家が四男。クラン《彗星と極光》のクランリーダーを務めております」
姓を無い名乗り。
元、という発言。
周囲の人達が、ざわつき出す。
しかし皇帝陛下は、そんな事は気にしない。
「……よろしい。面を上げよ、イオ」
「はっ」
「これよりこの者に、竜狩りの栄誉を授ける」
ドラゴンを狩ったことでも貰える報酬は、『金貨千枚と男爵の爵位』だ。
陛下は、傍らの宰相が持っている羊皮紙にサイン。
手で宰相に、下がるよう促す。
「金貨千枚は余の名義で、しかと送った。さて、叙爵の件であるが……」
金貨はともかく、爵位は断る者が多い。
ドラゴンの討伐者が子爵以上であった場合、序列が下がってしまうからだ。
そのため。
叙爵してもらうのは、既に男爵の者か、爵位の無い平民がほとんど。
中には、皇帝陛下への忠誠心から、序列が下がるのを承知の上で、あえて男爵の地位を貰う者もいる。
僕は、
「お願いしたく存じます」
深々と頭を下げた。
「まさかあの者、侯爵の地位を捨てるとは……。見上げた忠誠心であるな」
「この帝国に十とない侯爵家から、千はある男爵家へと、自ら落ちるなんて!」
「あんな小さかったイオ君が、こんなにも立派になって……うぅ……」
周囲の反応はどれも、好意的なものばかりだ。
"皇帝陛下への忠誠心からランベルク家を捨てた"、と思ってくれているのだろう。
……予想通りだ。
いちおう、兄上に勘当された旨を陛下に告げて、ランベルク家の名声を失墜させる、という手法もあった。
しかしそれでは、姉上や母上の名にまで泥を塗ってしまう。
ランベルク家の看板を傷つけず、僕が成り上がれる基盤を作る──
僕のこの行動は、その最適解と言えよう。
実際、皇帝陛下も、どこか嬉しげだ。
苦い顔をしているのは唯一、マルテオ兄上くらいだ。
その表情を横目でちらっと見た姉上が、勝ち誇ったように笑みを湛える。
「素晴らしいわ、イオ。姉として誇らしい限りよ」
パチパチパチ。
と姉上は拍手。
その拍手は伝播し、いつの間にか会場中が賞賛の拍手を送ってくれる。
マルテオ兄上も……仕方なしに手を叩いた。
そうして巻き起こった、割れんばかりの拍手喝采。
皇帝陛下もご満悦の様子。
「イオよ。お主のような臣民を持てたこと、余も誇りに思う」
「もったいなきお言葉にございます」
チャキッ。
陛下は、腰の剣を抜く。
「では、お主には男爵の地位、そして──ドラコーンの姓を授けよう」
剣が、ひざまずく僕の肩に乗せられる。
「イオ・フィン・ドラコーンに、神々の祝福があらんことを」
肩から剣が外された。
同時に僕は、ドラコーン男爵家の始祖・イオとなった──
「さ、今宵は存分に楽しむがよい。イオの求むるものなら、なんであろうと用意しよう」
「それでは、帝国と皇帝陛下の永遠の繁栄を注文してもよろしいでしょうか?」
「はっはっは、抜かしおる! その大胆さ、嫌いでないぞ、はっはっは! ささ、早う行って参れ! 主役が来ぬでは、宴席も盛り上がりきれまい!」
「はっ」
再度頭を下げ、踵を返す。
人混みに戻る……直前で。
マルテオ兄上が立ち塞がった。
「おめでとう、イオ。ランベルクの名に恥じぬ叙爵であった」
なんて心の籠っていない『おめでとう』なんだろうか……。
「ありがとうございます、兄上。陛下より賜った爵位ですので、ご期待に沿えるよう、序列を着実に上げていきたいと思います」
「ほぅ……具体的には?」
「元いた家を越すほどに」
「……ッ」
マルテオ兄上は、表情を崩さないよう努めるが……少しばかり、口の端が歪む。
僕の発言はつまるところ、『ランベルク侯爵家を追い越す』という事。
それを、次期当主候補の目の前で宣言してやったのだ。
「……励むといい。ではな」
ここは公衆の面前。
兄上は、厳しく責めることも怒ることもせず、立ち去った。
周囲には、陛下への忠誠心に篤い弟と、それを励ます兄の構図に見えていただろう。
その実、弟が宣戦布告し、兄が怒りを抑えていたとも知らずに……。




