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39話 英雄

「《煙幕逃弓》ッ! 今だ、ヒーラー! 早く行け!」

「《ヒール》! 《リジェネ》! ダメです……もう効果は……」

「まだ戦えるウィザードは防御を重視……っと! 危ないね!」

「一度負傷者を入り口付近に集めろ! 死体はいい! おい、セリム! お前もだ!」


 五分後。

 戦況は悪化の一途を辿っている。


 自身の足で立っていられる者は、十人ほど。

 戦闘開始時と比べ、五分の一になった。

 もはや、討伐隊というより、大きめのパーティーに近い。


 尾での薙ぎ払いと、二度の《ブレス》に耐え切れず、タンクは全滅。

 そしてその背後へと雪崩れ込む《ブレス》を食らい、防御の間に合わなかった後衛は、かなりの損害を受けた。


 残っていたファイターとサポーターも果敢に戦ったが、やはりドラゴンと人間では力の差がありすぎる。

 もう、ほとんどの者が入り口付近へと運ばれている。


「サポーターが一名、アーチャーが一名、ウィザード二名、ヒーラー三名、バードに指揮官と書記官……。ガッハッハ! 勝機が全く見えてこないな!」


 その勝機の薄さに、絶望の笑いをこぼすガニミード。


 眼前には、いまだ健在の巨大なドラゴン。

 鱗にはヒビが入り、もう翼もさほど動いてはいない。

 しかし今まさに、"目の前のベガ"へ噛み付こうとしている。


「UGURAAAAAッ!」

「っと!」


 ベガは俊敏に側転し、巧みに回避。

 ガギィンっ!

 凶悪な音を立てて閉じたドラゴンの顎は、空を噛み砕く。


「ふぅ……食べちゃいたいくらい私が魅力的なのかな?」


 と、ドラゴンに冗談を飛ばすベガだが、疲労が目に見える。

 しかし、それは必然であろう。


 タンクが全滅してから一分。

 彼女はたった一人で、前衛を務めているのだ。


 しかも、相手は巨大で強力。

 横に跳ぶ程度、剣で防ぐ程度では、一瞬で死に至る。

 尋常ならざる運動神経と人間離れした反射神経を、フル動員して回避しなければならない。


 ゆえに当然。

 呼吸は既に荒い。

 肩が上下している。


 発汗量も凄まじい。

 紫の髪の毛先から、雫が滴る。

 服も、肌に張り付いて離れない。


 加えて筋肉も、そろそろ限界を迎えるだろう。


「さすがに、撤退の号令が欲しくなってきた頃かも……」

「負傷者を上の階に運び出してから、撤退を行う! ギースリンゲン殿、もうしばし耐えられよ!」


 その間にも、ヒーラーたちが、負傷者を入口の付近へと集めている。

 それを、降りてきた上の階の冒険者たちが、運び上げている。


 時間は……まだ掛かりそうだ。


「無茶言うね……って!」

「UGAAAAAAAAAAAA!」


 大気を食らったアゴを再度開き、顔面の横のベガに食らいつこうとするドラゴン。

 それを彼女は、片手でバク転してギリギリ回避。


 ──したが。

 鼻先の鱗のヒビに、腰嚢のベルトと衣服が引っ掛かる。


「これってマズいやつじゃ──」


 ──ぶぅんッ!


 ベガの身体が宙を舞う。

 しかも、空中で上下左右に高速回転させられている。


 これでは三半規管が狂う。

 天と地の感覚・自分の位置が、まったく分からない。


「《ウィンド》!」


 瞬時に出現させた風のクッションも、見当外れな場所で発生。

 ゆえに、


 どざんっ!


 背中から地面に突っ込み、そのままバウンド。

 数度跳ねながら、地面を転がる。


 そして回転が止み、ベガは仰向けになったが……


「あはは……立ち上がれないんだけど」


 背中と腰を迸る激痛に、動くことすらままならない。


 ただ美味しそうに、仰向けになっているだけだ。

 しかもベルトと服は裂けたようで、ここから食べてくださいと言わんばかりに、汗ばんだ腹部の肌が露出している。


「UGURUUUUUU……」

「いやんえっち、そんな目で見ないで……とはならないよね。生きたまま食べられるなんて、流石に勘弁なんだけど……」


 ベガは苦笑しつつも、頭だけ動かして周囲を確認した。


 まず眼前に、ドラゴンの頭部。

 一分以上も攻撃を避け続けたベガを警戒してか、徐々に、徐々にしか近づいてこない。


 付近には……手放してしまった剣と、腰嚢。

 口の捲れた腰嚢からは、毒入りの小瓶が覗いている。


 遠くでは、この隙に他の冒険者が負傷者を救出している。

 書記官だけが唯一、手元の羊皮紙に羽根ペンを走らせ、食い入るようにこちらを見ている。


「どうやら、私の死に様は後世にまで語り継がれるみたいだ、あはは。ならせめて……公爵家として相応しい死に方を」


 手を伸ばし、左手に短剣を、右手に小瓶を手繰り寄せた。

 ドラゴンは既に、五メートルほどの距離。


「これを使った私を食べたら……君はどうなるんだろうね? 死ぬかな? そうしたら、私は君と心中したことになるのかな?」


 親指で小瓶の蓋を弾く。

 中の液体を、短剣に垂らした。


 ドラゴンとの距離は、四メートル。


「あはは……。やっぱり、まだ死にたくないね……」


 剥き出しの腹に、濡れた短剣をそっと当てる。

 熱気を帯びた肌に、冷たい液体は心地よい……はずなのに。

 ……不快感しか感じない。


 ドラゴンは、あと三メートル。

 もう、間合いに入った。


「イオ……」


 それが、彼女の最後の言葉──


 ──に、なるはずだった。


「呼んだ? ベガ」


 イオ──僕が、彼女とドラゴンの間に割って入る。


 ベガは幻覚を見ているかのように、ふっと笑い、短剣を地面に置いた。


「……あはは、完璧すぎるタイミングだね」

「本当は、もっと早く来たかったんだけどね。遅くなってごめん。ここまでありがとう、ベガ」


 本当に、本当に間に合ってよかった……。


「どういたしまして。それじゃあ……特等席で拝見しようかな、イオの勇姿を」

「うん」


 僕は首を縦に振り、直後。

 腹から大声を出す。


「姉上、ウィザードの皆さん! 表面に氷をお願いします!」


 鍾乳洞に反響したその指示に、誰もが疑問符を浮かべた。

 当然だ。

 "今の段階では"意味が分からない指示なんだから。


 だけど、残ったウィザード全員の視線は僕に集まった。

 なら後は、彼・彼女らを信じるだけだッ!


「《UGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA──ッッ!!》」


 獲物との間に割り込んできた僕に怒り、《咆哮》するドラゴン。

 僕の心の"恐怖"が増幅するが、


 ポロロンロン♪ ポロロン♪ ポロロン♪


 バードがリュートを弾き鳴らし、《演奏》。

 恐怖を取り除いてくれる。


 これで……。

 これでいけるッ!


 僕は短杖を突き出し、


「《ストレージ:アウト》!」


 詠唱。


 虚無空間からドラゴンの鼻先へ、"大量の水"が溢れ出してくる!


 ザザザアァ──ッ!


 出現した洪水のような水は、滝のように地面へ流れるが、


「《アイス》! さぁ、あなた達も表面を!」

「えぇ、《アイス》!」

「おうとも、《アイス》!」


 ウィザードの氷魔法によって、表面が凍らされていく。

 そして、そこから上空へと伸び──

 氷は、"僕とドラゴンを包み込む球"を形どった。


「どう、お気に召したかな? まるで、君の入っていたであろう卵のようだよね? ……なんて」


 僕がベガの真似をして格好つけている最中にも、水は止まらない。

 氷の球の半分ほどまで、《ストレージ》の水は溢れ出た。


 その中、僕は上手でも下手でもない立ち泳ぎ。

 ドラゴンは……やはりじたばたと藻掻いている。


「だよね。君が泳げないことは、この鍾乳洞からも見て分かるよ」


 この鍾乳洞唯一の出入り口は、細い階段のみ。

 当然、ドラゴンが通れるはずもない。


 おそらく、小さな卵だった時に、ここに運び込まれたのだろう。

 なら、泳げないのは必然だ。


「それが分かれば、あとはこの水を用意するだけ。だから僕は、"泉の水を全部ストレージに入れてきた"んだ」

「GUPPU……GUPAPOO……」


 ついに氷の球の内部は、水で満たされた。

 僕は杖を仕舞い、ただ水中を漂った。


 対し、ドラゴンは初めての強制水泳に戸惑い、暴れている。

 口からは、ごぽごぽと酸素が漏れ、上へと逃げている。


 ……我ながら、よくやったと思う。

 あの絶望的な状況から、ドラゴンを溺死させようなんて、よくぞ思いついたもんだよ……。


 知識量と判断力、ね……。

 ベガが僕に求めていたもの、十分に見せられたかな……?


「──! ────!」


 氷の殻の外で、みんなが何やら叫んでいる。

 だけど、なんて言ってるかは分からない。


 僕は何をするでもなく、ドラゴンへと視線を戻した。


「GUPUU……、GU……」


 もう、口から出る酸素も少ない。

 動きも鈍い。


 ゆったりとした動作で、蒼い水の中を藻掻いている。

 氷越しに射し込む白い光の筋と相まって……美しい。


 そう感じるのは、僕の意識が薄れてきたせいでもあるんだろうか?

 これなら、呼吸を整えてから水の中に入れば良かったかな。


 でもそれだと、ベガがやられちゃったかもね。

 なら、これでいいや。

 勝ったんだし。


「…………」


 ドラゴンは──息絶えた。

 彫刻のように固まり、水中で静止した。


 同時。

 《アイス》が解除され、大量の水が流れ落ちる。

 僕も一緒に流れ落ち、地面に衝突──しない。


 お姫様抱っこされている感覚の中。

 僕は眼を開いた。


「お疲れ様、竜殺しさん」


 ずぶ濡れのベガが、ニヤっと笑っていた。

 その笑みに、僕も笑みがこぼれてしまう。


「やっぱり最後、かっこつかないなぁ……はは」

「いいや、十分すぎるくらいかっこよかったよ」


 かっこよかった、か。

 ベガにそう言ってもらえるとは。


「前にギルドで、カッコいいとか強いって言葉は僕にまだ早いって、言ってたよね? もしかして……相応しくなったってことかな?」

「んー……半分くらい?」


 そう言って、いたずらっぽく笑うベガ。


 びちゃ、びちゃ!

 と、地面を十センチほど覆う水を踏みしだきながら、


「イオ! 無事!?」

「やったな、お前ら!」


 姉上とレオンが、駆け寄ってきた。

 僕はベガの腕から降ろしてもらった。


「大丈夫かしら? 怪我は無い? 我慢してない?」

「だ、大丈夫ですから! そ、そんなに身体中触らないでくださいよっ!」

「……。……いいなぁ」

「同感だね」


 なにはともあれ。

 《彗星と極光》の四人が、こうして再び揃うことが出来てよかった。

 こうして皆と、顔を合わせて会話できるのが、なにより嬉しい。


 それに。

 ドラゴンの討伐も果たせて、本当に良かった。


「んもう、心配をかけすぎ! 今度あんな危ない事をしたら、承知しないわよ!」

「す、すみません……」


 はぐっ。

 感極まった姉上に抱き着かれる。

 僕は抱き着かれたまま、横をちらりと見た。


 力無く倒れた、赤いドラゴン。


 あれを僕と、仲間と、一流の冒険者・帝国騎士団の面々と倒せたと思うと、心に感じるものがあった。

 それは、喜びや達成感なんて言葉じゃ言い表せないほど、とてつもなく大きな感情だ。


 そして。

 その日僕は、英雄となった。


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