18話 救出
もちろん、テレーズの部屋は覚えている。
三階の突き当りだ。
僕はそこに着くなり、ノックも無しに扉を開けた。
「テレーズ、いる!」
そう叫ぶと、答えはすぐに返ってきた。
「いるわよ。ふぁ~……」
眠そうに欠伸を漏らすテレーズ。
起きたばかりなのか、寝間着姿だ。
鏡に向かって、金の髪を梳いている。
彼女は振り向きもせず。
鏡に移る僕に目を合わせる。
「……逆に聞くけど、"元"婚約者のイオがなんでいるの? 下が騒がしいのと、何か関係があるの?」
「大アリだよ! でも、それを話す余裕は無い! いいから逃げよう、テレーズ!」
しかしテレーズは動かない。
敵の襲撃よりも、寝癖を気にしている。
彼女は、中貴族の出身。
しかも、ごく普通の令嬢だ。
小貴族のように、身を粉にして働いたことはない。
大貴族のように、命を狙われることはない。
僕やベガのように、冒険者の道を選んだわけでもない。
危険とは程遠い人生を歩んできた。
事態が理解できていないのも、仕方のないことだ。
なら……。
僕は無言で彼女に近づき、その肩を掴んだ。
「失礼するよ、テレーズ」
そのまま肩を引き寄せ、足を持ち上げ──お姫様抱っこ。
冒険者として鍛えた身体で、テレーズを軽々と抱え上げた。
「……えっ? い、イオ……やっ、ちょっと急にどうしたの……?」
唐突にお姫様抱っこされ、状況が飲み込めていないのだろう。
困惑気味のテレーズ。
僕は彼女の瞳をじっと見つめ、
「僕は君を守る。それ以外は何一つ分からなくてもいい。だけど、それだけは信じて」
と、告げると同時。
「……《エクスプロードエレメント》」
階下から、詠唱が聞こえた。
無論、その魔術が何であるか僕には分かる。
"大気を爆発しやすいものに変換する"魔術だ。
それ自体には、あまり意味は無い。
だけど、火をそこに放つと大爆発が起きる。
その魔術の詠唱が階下で聞こえたって事は……
「家ごと爆破するつもりか……」
これじゃあ、階下には逃げられない……!
一階へ降りて玄関から脱出するより先に、爆発に巻き込まれる!
なら、どうすれば。
答えは一つしかない。
「テレーズ、掴まってて」
「え、えぇ……!」
彼女は僕の首に腕を回す。
「もっと強く」
「わ、分かったわ、イオ……っ!」
目を瞑るテレーズ。
これでもか、と言わんばかりの力で僕を抱き締める。
胸の柔らかい感触が押し当てられるけど……そんな事を気にする余裕はない。
「《ウィンド》」
僕は風魔術で窓を開くと……そこへ駆けた!
覚悟を決める。
テレーズをしっかりと抱き寄せる。
奥歯を噛む。
そうしてサッシに足を掛け、窓から外へと跳び出た──
「《ファイア》」
直後、背後で大爆発。
内側から破裂したように、家は吹き飛ぶ。
ギリギリのところで、僕は窓から脱出することに成功した。
だが、熱風が背を焦がす。
叫びたいほど熱い。
飛び散ったレンガが刺さる。
泣きそうなほど痛い。
だけど、テレーズは無事だ。
祈るように目を瞑っている。
「第一関門は突破……ッ! 問題は、ここから……」
ぶわりっ!
浮遊感。
内臓が持ち上げられたような感覚がする。
下を見れば、石畳が遠い。
当然だ。
三階から跳び出したのだから。
さて、問題はここからだ。
おそらくだが、僕の両脚の骨は粉々になる。
三階から落下して、無事なはずがない。
着地と同時に回転し、衝撃を和らげることはできない。
それは、テレーズが傷つく。
風魔法も無理。
相当に繊細な魔術操作でないと、僕がバランスを崩すだけ。
そうなると、今度は頭から地面に突っ込みかねない。
「やっぱり、両脚を犠牲にするしかないか……っ!」
突入前に掛けた《プロテクテイク》の効果が、まだ残っているだろう。
足は犠牲になるが、そこまでだ。
別に死にやしない。
足二本でテレーズが助けられるなら、安い買い物だッ!
そう信じ、僕は腹をくくった。
だが直後。
どぼんッ!
僕とテレーズの全身は水に包まれた。
否、水の中に突っ込んだのだ。
「ごぽぽ……ッ」
水のクッションによって、落下の衝撃が緩和された。
僕の足は砕けることなく、優しく地面に着地した。
どうやら僕とテレーズは、巨大な水の球の中に跳び込んだようだ。
とは言え、僕が窓から跳んだ時にはまだ無かった。
つまり、誰かがこの水の球を作ってくれたのだ。
そう考えたと同時。
ばしゃァんッ!
水は球は崩壊し、石畳に広がる。
ずぶ濡れの状態で、立ち尽くす僕。
同じくずぶ濡れで、お姫様抱っこされたテレーズ。
僕らの目の前では、
「怪我は無いかしら? イオ、それと……"元"婚約者さん」
買い物袋を持った"姉上"が、短杖を振っていた。
「あ、姉上!? ど、どうしてここにっ!?」
「お買い物に街を歩いてたら、法定速度を越えたリザードが走っていてね。誰が乗っているんだろう、って見たら、イオだったから心配になって追いかけてきたのよ」
と言いながら姉上は、僕の背後へ回った。
眉根を寄せると、短杖を傷口に構える。
「《ヒール》。……イオ、休んでいなさい」
自分では見えなかったけど、そんなにも酷い傷だったんだろうか。
「治してくれてありがとう、姉上。……テレーズを頼めますか?」
僕はテレーズを地面に降ろした。
「聞こえなかったのかしら、イオ? 休んでいなさい」
「……それじゃあ、僕はベガとレオンの援護に行ってきますね」
テレーズを任せ、僕は歩き出す。
視線は先は当然、崩れた家の向こう。
瓦礫の散らばった裏路地で、戦闘が繰り広げられている。
「これ以上忠告しても無駄そうね。まったく、冒険者なんてやってるから、そんなにも頑固になるのよ」
「すみません、姉上」
「帰ったら、嫌というほど説教するわ。……絶対に帰りなさいよ」
「はい」
左手は短杖を握り締め。
右手でブロードソードを抜き。
「《アクセラレート》」
瓦礫の山を走り出したッ!




