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短編モノ

塩が神と出会う時、青春は色づき動き出す

作者: シンG

2019.9.26 追記:なななんとっ! 拙作にFAを2つも戴いちゃいました!+。:.゜٩(๑>◡<๑)۶:.。+゜

秋の桜子さん、伊賀海栗さん、素敵なプレゼントをありがとうございました!

作品の最初と最後に貼らせていただいますので、皆さん、一緒に見ていってください~♪

(※FA=ファンアートのことです)

挿絵(By みてみん)


「はあ…………」


「なんだよ、これ見よがしな溜め息なんかついてよ」


 頬杖をつきながら漏れた溜め息を聞きつけ、隣の席に座る親友の的間まとま雄二ゆうじが声をかけてくれる。


「いや……ほら、もう3月だろ?」


「ん? ああ、そうだな。なんだ……もしかして進級した後のクラス替えのことでも心配してんのかよ」


 揶揄うような口調の雄二に対し、俺は「違う……いやそれも確かに悩みどころだけど、目下最大の悩みじゃない……」と言葉を濁した。


「んだよ、面倒くせーリアクションだなぁー。何がどう違うのか、ハッキリ言えっての。その感じだとどーせ誰かに話を聞いてほしいってな魂胆なんだろ?」


「さすが親友。そこまで俺のことを理解しているとは心強いね」


「中学からの腐れ縁だからな。あぁ、でも待てよ。このまますんなり吐かれてもつまんねーし、折角だから俺が悩みの種を当ててやるぜ」


 お前、さっき外したじゃん……。


 どうやら「クラス替え」はノーカンらしい。


 然程深く考えることなく、雄二は「んじゃ、アレだ。今、噂のヤツだろ」と言葉を続ける。


北冷ほくれいの超絶完璧超人をどう口説くか悩んでる……とかだろ!」


「んなわけあるかい! そんなことしたら投げ飛ばされるのがオチだろーが……噂通りの人なら」


「なんだよ、つまらん奴だなー……」


 この北晋ほくしん高等高校と姉妹校である北冷高等学校。一駅挟んだ向こうの校舎の1年生には高倉さんって有名人がいる――という噂は俺も耳にしたことがある。


 なんでも学校史以来の才女だそうで、天はいったい一人に何物なんもつ与えるんだってツッコみたくなるほど、凄い人らしい。美人だから相当数の告白もあったらしいけど、全て撃沈。それでもしつこく付き纏う不埒者は、まさかの実力行使で投げ飛ばされるなどなど……色々な武勇伝が北晋にも届くほどだ。


 来年から2年生に上がるから、きっと生徒会長になるんだろうなぁ――というカースト頂点への移動を自然に想像してしまうほど、雲の上の存在と言われる人だ。いわゆる"高嶺の花"って奴だな。


 ま、俺みたいな凡人には、チョモランマ頂上付近に咲く美しい花のことなんて関わりの無い話だ。


「投げ飛ばされるにしても、それって密着できるってことだろ? むしろ役得じゃん。匂いでも嗅いでこいよ。詳細なレポートを期待しているぞ」


「じゃ、お前が逝ってこいよ。喜んでその役目を譲ってやるぞ?」


「肉体的にも社会的にも、痛いのは嫌だ」


「我儘な奴めー、分かってんだったら俺にも押し付けんな…………はぁ、別にそんな遠い場所の話じゃなくってさ――」


「じゃあ近い場所? あぁ、もしかして"塩姫しおひめ"関連か?」


「………………………………」


 しまった。喋りすぎた。いや別に話すつもりだったからいいんだけどさ……こうズバリ言い当てられると、それはそれで悔しい。


「正解かぁー、結局いつもと同じ悩みやんけ。全く以ってつまらんぞ」


「確かにいつも悩んでっけど、今回はもっと深い悩みなんだよ……」


「あ、なんで?」


 純粋な疑問を投げかける能天気な親友をジト目で睨みつつ、俺は抱えている悩みを打ち明けた。


「――4月から俺ら、2年生だろ?」


「おう」


「当然、今の3年生は卒業する」


「そりゃそうだな」


「俺の所属する"漫画研究会"には、現在2年生が一人もいない」


「…………あぁー」


 雄二も答えに行きついたのだろう。視線を俺から逸らし、天井の蛍光灯を眺めながら苦笑を浮かべた。


「つまり……現1年生の"塩姫しおひめ"とお前、二人だけが研究会に残る、と」


「そう! それだよ!」


「ま、まぁ~……いいんじゃね? 塩対応がキッツイだけで、見た目はめっちゃ清楚系で可愛いんだからさ」


「……その立場も喜んで譲ってやるよ。安心しろ、今度は投げられる心配の無い相手だぞ」


「冷たい空気の刃が俺の精神をズタボロにする未来が見える。遠慮しておこう」


「………………はあ」


 分かり切った回答を前に、特に何か言い返す気力も沸かず、俺は再び溜め息をついた。溜め息つくと幸せが逃げるっていうけど、誰か逆に幸せを捕まえる方法も並べて教えてくれよ。常に不幸な場所にいる人間はどうやって幸運を掴めばいいんだ?



 ――北浦きたうら風香ふうか。通称、"塩姫しおひめ"と言われている美少女。



 美少女、イケメンが何をしても許される――なんてことはアニメや漫画の中だけの話であって、どんな可愛くて美しい子でも、性格に難がありゃ敬遠されてしまうものだ。


 塩対応の"塩"に、美少女を評した"姫"。それを繋げて"塩姫しおひめ"と陰で言われ続ける北浦は、平穏を求める俺にとって敵でしかなかった。


 平穏は何も争い事を避けることだけを指すわけではない。その環境にいかに居心地の良さを得られるか、それこそが平穏を測るための指標となるのだ。


 北浦は罵詈雑言を口にするわけでもないし、暴力を振るうわけでもない。ただひたすらに"冷めている"のだ。言葉を投げかけても「はあ」「そうですね」「良かったですね」「話は以上ですか?」などと、メールを打つ際の予測変換一回分で収まるレベルの反応しかない。


 つまり場が冷める。場が冷めるということは、その場に居辛くなるということで……結果的に俺の求める平穏はそこに存在しないことを意味する。黙っていれば可愛い子なんだから静かな分はいいんじゃない? なんて意見も過去貰ったが、一度苦手意識を持ってしまうと人間、一緒の空間にいるだけでも集中力は切れ、椅子に座っているだけの行為すらも苦行となるのだ。これがまた、かなり辛い。


 じゃあ漫画研究会を辞めりゃいーじゃんって話だけど、漫画研究会の活動自体は非常に俺の好みにマッチしているし、正直辞めたくないのが本音だ。


 そう、ただひたすらに……塩分過多なだけなんだ。高血圧になっちゃいそうだぜ。


 もうすぐ3月も終わる。


 3年の先輩たちは俺に気を遣って、卒業式の前まで部室に通ってくれているが、それも4月になれば終わり。


 なんとかして4月からの新入生を勧誘するか? 北浦自身は塩対応なだけで、別に積極的に絡んでくることはない。つまり部室に複数人で賑やかにしていれば、彼女が放つ独特の冷気も緩和されるのだ。


 しかし……新入生勧誘? いやいやいや……俺一人で?


 北浦の協力は期待できない。お願いしたところで「分かりました」とは言ってくれるだろうけど、それは俺と同行を承認しただけで、自ら新入生に声がけ・ビラ配りを手伝ってくれるとは思えない。ただただ冷気を放ち続ける無表情地蔵と共に新入生勧誘とか、どんな拷問だよ。勧誘してんのか追い払いたいのか、分かんなくなるペアじゃねぇか。


 それに……仮に勧誘が成功しても、どうせすぐに辞めていってしまうだろう。今の2年生が一人もいない理由がそれだ。同じ1年生についても言うまでもない。誰もが北浦の放つ空気に耐え切れずに去っていった。唯一、3年生だけが残ってくれたが、それもあと数日の命。


 はぁ……ほんと、なんでアイツは俺と同じ漫画研究会に入ってしまったんだ?



 ――思えば北浦との最初の会話は、最悪なものだったな。



 一年前――俺たちの入学式。成績優秀者として新入生代表の答辞に選ばれたのが、北浦風香だった。当時は超美少女が同じ学年にいるってことで、男子生徒は湧きたったものだ。情けなくも俺もそのうちの一人だったわけだけど……。


 ま、そんな欲望やら願望やらは入学式から一月程度で砕け散ることとなる。


 必要最低限の返事しかせず、この世の人間全てを虫けらのように見下しているような冷たい視線。声さえかけなければ、向こうから話しかけてくることはないけど、黙っていても彼女の"周囲への無関心"はクラス内へと伝播していた。


 クラスで一番明るい子が話しかけても、ちょっと会話が途切れた瞬間に「もう用は終わりましたか?」と事務的にぶった切る。別のクラスの男子が勇気を出して、放課後に話があると言えば「私にはありませんので」と恋心真っ二つ。そんなことを繰り返しているうちに、彼女は塩対応の代名詞として扱われるようになっていった。


 まさに"好き"の反対は"無関心"という法則を、俺たちに教えてくれた反面教師というわけだ。


 俺が彼女と初めて会話をしたのは、その後。入学して3カ月ほど経った頃だった。


 授業の合間の休み時間に、俺の描いた漫画原稿を題材に、隣席の雄二とちょっとした論争を繰り広げていた。いつもの暇つぶしの一環で、要はどの展開が面白くて何が駄目だ、みたいなことを言い合っているようなものだ。


 そんな時だ。


 俺と雄二の席の間を悠然と通り過ぎていこうとする北浦。俺は慌てて漫画の原稿を引っ込めて、彼女が通れるだけのスペースを開けようとした。しかし僅かに遅かったのか、全く歩く速度を緩めない北浦の行動に予測を見誤ったのか、原稿は彼女の肘に当たり、床に散らばってしまった。


 それだけならいい。しかし最悪なことに、北浦は僅かに身体を止め、僅かに口を開くも、結局は何も言わずに早足でそのまま通り過ぎていく。


 俺の原稿を――無残にも踏み潰していきながら。


 そこで塩対応でも「ごめん」の一言と、原稿を拾うのを手伝ってくれれば、別に何も思うこともないし、俺だって道を埋めていたことを謝っていただろう。


 けど、いくらなんでも――これはない。塩対応だの何だの関係なしに、人としてあり得ないと感じてしまった。


 一気に沸点を超えた俺は、彼女の細い腕を思いっきり掴み、気づけば怒鳴っていた。


「ふざけんな! お前、何様のつもりなんだよ! 斜に構えてねぇで、ちゃんと前を見ろよッ!」


 因みにこの「斜に構えないで、前を見ろ!」は、その時に考えていた漫画の主人公の台詞に盛り込んでいたものである。ゆえに自然と口から出てきてしまったが、後で冷静になって思い返した時、ちょっと恥ずかしい気分になったのは内緒の話だ。


 まあともかく、それが北浦にかけた俺の最初の言葉だったってわけだな。


 アイツは酷く驚いた顔をしたが、すぐに腕を払いのけ、僅かに逡巡したあとに「悪かったわ……」と言い残して、自席へと戻っていった。いや、悪いと思うなら拾うの手伝えよと思ったが、去っていく背中を止める気にはならず、雄二と二人で原稿を拾う羽目になった。


 あの一件が原因で、クラスメイトたちの北浦への印象悪化にトドメを刺した節もあるので、俺としてはかなり微妙な気持ちでもある。



 ――そして何故か。ほんとーーーーーーーーに何故か、その数日後、彼女は俺のいる漫画研究会に入部してきて…………今に至るわけだ。



 いや、マジでなんで?


 俺、さかき信一郎しんいちろうの人生最大の疑問である。



********************



 時は流れ、4月。


 最後の憩いの時である春休みが終わり、入学式も過ぎ、新しい季節の到来を喜ぶべき新学期の放課後は、俺にとって苦痛以外の何物でもなかった。


 い、胃が痛い……!


 さほど大きくない部室の中、紙を捲る音が響く。


 毎回思うんだが、漫画研究会に入部しておいて、なんでコイツはいっつもいっつも本ばっか読んでんだ?


 しかも漫画研究の資材として本棚に置いてある漫画じゃなくて、持参して持ってきている本だ。ブックカバーの所為で内容は分からないが、コイツが入部しておおよそ9カ月。毎日変わらぬ姿勢で本を読み続けている。


 ギシ、とパイプ椅子の背もたれに体重を預け、俺は窓の外を見た。


 外では早速、新入生勧誘運動が始まっており、運動部を始め、文芸部たちも熱心にフレッシュな部員の獲得に勤しんでいた。


 北晋ほくしんでは、部員5名以下の期間が2年続いた部活は廃部になる仕組みになっている。昨年度は3年の先輩がいたから問題なかったけど、この分だと俺が卒業すると同時に漫画研究会のプレートも降ろさないといけなくなるかもしれない。


 ……それは寂しいな。なんだか先輩たちを裏切るような気にもなるし。


 ちょっくら……ダメ元でも声かけに行ってみるかな。


 もしかしたら図太い神経を持つ期待の新人がどこかに埋もれているかもしれない。どうせこのまま黙っていても、北浦と二人だけの地獄の時間しか待ってないんだから、せめて行動だけでも起こすべきだろう。


 こんな空気の中、漫画を描いたり読んだりする気分にもならないし、丁度いい気分転換にもなるだろう。


 そうだ、一応俺が漫画研究会所属だっていうのを証明するために、昔描いた原稿も持っていくことにしよう。物があった方が喋りやすいしな。


「……」


 俺はおもむろに椅子から立ち上がり、武骨な戸棚に仕舞っておいた原稿の束を脇に抱え、部室の出口の方へと歩いていった。



「……どこ、行くの?」



 思わずビクッと全身が震え、驚きで硬直状態になる。


 …………………………………………………………え、は?


 今、誰か喋った?


 い、いや気のせいだよな?


 もしかしたら漫研の精霊なんてモンが部室にでも宿ったのかな、あははははっ……あは、はは……。


 パタン、と本を閉じる音が聞こえる。


 俺は恐る恐る振り返り、音の出元へと視線を移した。


 塩姫は他人に興味を示さない。自分から話しかけることもないし、視線すら向けない。それが俺の知る――北浦きたうら風香ふうかだったはずだ。


 だというのに、何故だ。


 何故コイツは本を閉じ、俺に声をかけ、椅子から立ち上がって、俺と対峙しているのだ。


「……ぁ、貴方と、二人になる……瞬間を、待っていたわ」


「…………な、に」


 歯切れの悪い物言いを前に、俺は息を飲む。


 なんだ……この視線だけで人を射殺せるほどの眼力は!? そしてまるで怒りで喉を震わせているかのような呂律の悪さ……! 肩は震え、眉毛は吊り上がり、呼吸は荒く、強く握りしめた両拳はコンクリートさえも殴って破砕できるほどの威圧感を放っている!


 部室の重力が数倍になったのではないかと錯覚するほどのプレッシャーを一身に背負う。


 ま、まさか……コ、コイツ……俺をる気か!? 二人っきりのタイミングを狙ったってことは、俺の死体を隠蔽する時間を得るため!? くっ……学年でもトップクラスの成績を残すコイツのことだ……密室を作るぐらい、ワケねぇってことか!?


「そ、そうは行くか!」


「!?」


 俺は勢いよく扉を開け、部室を飛び出ていく。


 男の俺がいの一番で逃げ出すとは思っていなかったのか、北浦は目を見開いたまま部室から追いかけてくることは無かった。


 よ、よし……大分情けないが、命より大事なものはないからな!


 部室のある3階を走り切り、勢いよく階段を駆け下りて1階までたどり着く。


「っ! どわぁぁぁぁ!?」


「きゃっ!?」


 逃げることばかりに意識を割いていたのが悪かった。


 1階の階段から廊下にかけて躍り出た俺は、角から姿を現した影と衝突しそうになり、脇に抱えた原稿を手放してでも身体を捩って避けようとした。


 しかし体育も平均値の俺は、無理な姿勢のままスッ転んでしまい、頭上から舞い降りてくる原稿を唖然と受け取ることになった。


 対してぶつかりそうになった影の主――見慣れぬ女生徒は、俺と違って運動神経が良いのか、既に回避行動に移っていて、俺が走っていた進行方向から離れた位置へと移動していた。


 は、はは……なんだかマジで俺、格好悪いな……。


 苦笑を浮かべそうになる俺に対し、女生徒はおずおずと声をかけてくれた。


「大丈夫、ですか?」


「あ、ああ……いや、俺こそゴメン。完璧な前方不注意だった……」


「いえ……何かお急ぎだったのでしょう? 気にしないでください」


 柔らかな声の主を見上げると、そこには北浦とは種類の異なる美少女が立っていた。制服のリボンの色からすると……どうやら一年生らしい。


 新入生にしては、やけに落ち着いている子……だな。


 北浦が和服が似合う美少女だとすれば、この子はドレスが似合う美少女……という印象を受けた。明るい栗色の髪に、丁寧な物腰。整った顔立ちには、ぶつかりそうになった直後だというのに、柔らかい微笑みが浮かんでいた。


 唖然としている俺を他所に、彼女はしゃがんで俺がばら撒いた原稿を拾い集めようと手を動かした。


「あ、あっ……い、いいよ! 俺が勝手にばら撒いたモンだから……あとは俺が拾うからさっ」


 慌てて彼女を止めようと腰を起こす。


 勝手に衝突しそうになった挙句、原稿まで拾ってもらうだなんて申し訳が立たなすぎる。そう思って焦った所為か、足元の原稿を踵で踏みつけ、俺は再度後ろへと転倒してしまった。


「いってぇ!?」


「せ、先輩……そんなに慌てないでください。落とされた資料は逃げはしないのですから」


「い、いや……それで慌てたわけじゃなくてなっ」


「ふふ、分かってます。あ、これ……漫画の原稿なんですね。先ほど踏んだ原稿も破けなくて良かった……」


 日向のように明るい微笑を浮かべた美少女は、俺が踏んづけた原稿を細い指先で払い、丁寧に皺を伸ばしている。


 そんな神々しい姿に危うくまた呆然と見入るところだったが、俺は首を振って、理性を取り戻した。


「だ、だからいいよっ……そこまでしてもらうの申し訳ないし」


「ふふ、二人で拾った方が早く終わりますよ? それより先輩はお怪我、ありませんでしたか?」


「え、えっと……お、俺は大丈夫だけど」


「良かったです……もし何処か痛むようでしたら、お休みになられてくださいね」


「いや……て、手伝う」


 く、くそっ……動揺して、上手く舌が回らねぇ!


 しかしなんだ……この子、めっちゃ優しくないか!? なんつーの、神対応ってやつ!? 最近、塩分過剰摂取だったからな……この子の明るさ・温かみがこの身に救う病巣を取り払ってくれるようにさえ感じるぜ!


 加えて……めっちゃ可愛いし!


 過去、北浦が拾ってくれなかった原稿を、この子は大事そうに拾ってくれる。その指先から伝わる慈愛の心に、俺は思わず頬が緩みそうになってしまった。


 ――と、見惚れてる場合じゃないな! 俺も早く原稿を集めねぇと!


「漫画、お好きなんですか?」


「え?」


 不意に再び言葉を投げられ、俺はいつもよりも高い声で返事をしてしまった。


「原稿……とても丁寧に、想いを込めて描かれているように見えます。不思議ですね、先輩とは初めてお会いしたというのに、とても漫画に熱意を持たれていることをこの原稿から感じてしまいます。それだけ……先輩の思いが強いということなんでしょうね」


「…………」


「先輩?」


「あ、あぁ……いや、なんつーか、そんなこと言われたの初めてだったから、さ。うん、いや本当に嬉しいよ。ありがとう」


「いえ、思ったことを口にしただけですから」


「そ、そっか」


 や、やべぇ……マジで高揚感が高まってきて、心臓がバックバクしてやがる……!


 俺自身、漫画は好きで描いてるつもりだったけど……こうして他人から改めて言われることで初めて――俺がどんだけ漫画が好きかっていうのが実感できた気がする。


 それは得難いもので、心が震えるほど嬉しい言葉だった。


「へ、変な汗が出そう……」


「え?」


「あ! あぁ~、いやいや、すまん、心の声が……漏れた」


「ふふっ、先輩は面白い方ですね」


「は、ははは」


 神・対・応ッ!


 互いに初見だっていうのに、全く壁を感じないし、なんていうか包み込まれるような安心感が半端ないっ! これか……これが神って奴か! 塩とは全然違うな! あっちは氷点下だし無機質だし人間味がないけど、こっちはその真逆だ! 天使と言っても過言じゃないぞ!


「先輩、廊下に飛んでしまった原稿はこれで全部だと思います」


「え!? あ、す、すまん……結局、ほとんど拾わせちゃったな……」


 鼻の下を伸ばして呆けている間に、彼女はせっせと原稿を集めていてくれたようだ。至れり尽くせりの状況に気まずく思っていると、そんな負の感情を吹き飛ばすかのように彼女は口元に指を当てて、小さく笑った。


「先輩、謝ってばかりですよ? こういう時は御礼を言ってくださると私も嬉しいです」


「御礼!? あ、そ、そりゃそうだな……ええっと、うん。ありがとうな」


「ふふ、どういたしまして、です」


 鼻頭を掻きながら、彼女から原稿を受け取る。多少皺がついてしまったが、破損は見当たらない。そのことに内心ほっとした。


「先輩、もしかして……漫画を描かれる部活動か何かに出てらっしゃるのですか?」


「え、あぁうん、そうだよ」


 俺の答えに彼女は少しだけ考える素振りを見せ、すぐに顔を上げて両手を合わせた。


「もし宜しければ……私もその部活動へ、入部してもよろしいでしょうか?」


「えっ、いいの!?」


「はい……恥ずかしながら、最近、少女漫画にハマってしまいまして。素敵な作品を読みながら『私も描いてみたいなぁ』なんて妄想を走らせることもありまして……」


 頬に手を当て、恥ずかしそうにはにかむ姿が本気で可愛い。


「いやぁ助かるよ! 実は俺、今から勧誘に出ようと思ってたところでさ!」


「まぁ! ふふ、それじゃ先輩と私は、漫画に出てくるような運命の出会いみたいなものに巡り会えたのかもしれませんね」


 おおお、俺が口にすれば恥ずかしさ満載の台詞だっていうのに、この子が言うと何も違和感も感じねぇ……! これが人徳の為せるわざなのか!


「申し遅れましたが、私の名前は神木こうのぎはるかと言います」


「あ、ああっ……俺は、榊! 榊信一郎だ! 2年生で……一応、今は部長ってことになるのかな? よ、宜しくな……!」


「はい、宜しくお願いします、榊先輩」


 おいおい、こんな可愛い子が入部してくれるとか、どんな神の采配なんだ!? 春か!? 俺にも桃色の春が到来したってことなんですかぁ!?


 しかも"榊先輩"だってよ! 先輩呼びとか初体験なんですけどぉーー! うひゃー、マジで血液沸騰しそうなぐらいアゲアゲだぜーーー!


 すげぇ……明日からバラ色の人生スタートじゃんかよぉ……ん? そういえば俺、テンション上がりすぎて、何か大事なことを忘れているような…………………………。



「なに、してるの?」



 暖かな春の陽気が満ち溢れていた空間に、氷河期が攻め入ってきた。


 ハッと階段の方を見れば、2階からゆっくりと降りてくる塩の女王。彼女の眉間には皺が寄っており、心なしか周囲が吹雪いているようにすら見える。


 というか……あの無表情の北浦が、なんでこんなに感情を露わにしてんだよ……?


 右手に抱えているいつもの本が小刻みに揺れているのは見間違いじゃないだろう。俺は知らず知らずのうちに、コイツの虎の尾を踏んでしまったのだろうか。


 ……いや普通に考えれば、さっき俺……コイツから全力で逃げてたよな。うん、まあ……さっきは部室での威圧に圧されてつい逃げちまったけど、冷静に考えて、仮に俺に何てことない用事があって声をかけただけなら、俺の逃亡は完璧な非礼に値するわけで。北浦が怒るのも道理である。


 ここは謝るべきか。謝るべきだよな。そうするのが最も無難な気がする。


「きたう――」


「――貴女、誰?」


 俺が北浦に声をかけるよりも早く、北浦は神木さんに言葉を投げていた。まるでナイフのように尖った声色に、思わずヒエッと背筋が伸びる。


「あ、私は神木遥と申します。今年、北晋ほくしん高等高校に入学しました一年生です」


 しかし神対応代表の神木さんは、南極ペンギン並みの防寒耐性を得ているのか、笑顔で自己紹介をして、深々と頭を下げた。


「……私は、北浦風香よ」


「北浦先輩ですねっ! あの、もしかしてなのですが、北浦先輩も榊先輩と同じ部活に所属しているのですか?」


「それを聞いてどうするの」


「あ、実は私も榊先輩と同じ部活に所属することになったのです。なので北浦先輩ももし同じ部活の方でしたら、是非きちんとご挨拶をしたいなと思いまして」


「っ……いらない、わ」


「あ、あの……北浦先輩? もしかしてどこか体調でも悪いのでは」


「う、うるさいわ……」


 なんだ。


 何が起こっている?


 あの北浦風香が……会話をしている?


 神木さんの放つ太陽の光は、固く閉ざされた塩湖すらも溶かすと言うのだろうか。


 しかしそれを考慮しても、北浦の様子があまりにもおかしい。気付けば俯き、肩を震わす北浦。結構酷い突っぱねを受けたはずの神木さんは、そんなことを気にもせず、北浦の体調の心配をしている。


 ふと、北浦の手の力は弱まったのか――彼女が持っていた本が、指からすり抜けて落ちてしまう。



「あっ!」



 らしくない慌てぶりを見せた北浦は、すぐに本を拾い上げようとするが、同時に右足も前に出てしまい、足元の本を蹴っ飛ばしてしまう。……俺の方へ。


 コイツは身体能力も化け物染みていたはずなんだが……一体全体、どういうこと?


 そんな疑問を浮かべつつ、さすがに足元まで滑ってきた本を無視するほど、俺の心は冷え切ってはいない。過去、原稿を無視された経緯はあるも、俺が仕返しにやり返す――というのは嫌だ。だから俺は北浦の本を拾い上げて、彼女に返すことにした。


「あ」


 しかし、拾い上げる前に俺が摘まんだブックカバーがズレ、中の本だけが再び床に落ちてしまう。どうやら落下の衝撃などでブックカバーが外れかかっていたようだ。


 気のせいか、塩姫とも呼ばれた冷徹の美少女が、視界の端で口元に手を当て、あわあわとしているような姿が見えた気がしたが……まあ絶対に気のせいだろう。


「ん?」


 中の本を拾い上げ、思わずそのタイトルに目を寄せる。


 横にいた神木さんも一緒に覗き込み、その小さな口でタイトルを読み上げた。



「――仲直りの秘訣?」



 本の正式なタイトルは、こうだ。



『絶対成功! 口下手なアナタもこれなら出来る! 有名心理学者が綴る仲直りの秘訣10箇条』



 …………………………………………仲直り?


 誰と? 誰が?


 え?


 え~っと、この本って誰のモンだっけ?


 あ、そうだ……北浦のだ。


 それじゃ仲直りの片方は、まあ……北浦だよな。


 ん、北浦は誰と仲直りするんだ?


 アイツが誰かと喧嘩なんて……するはずもない。喧嘩が起きるほど、コミュニケーション力なんか無いだろ。あるとしたら…………俺の原稿の一件ぐらい……で。


「え?」


 そういえば……アイツが漫画研究会に入部したのって、俺が怒って数日後の話……だよな。


「え?」


 入部した理由……仲直り……口下手…………塩対応……………………お、おや?


 俺はそ~っと顔を本から離し、再び北浦へと視線を向けた。


 そこに居たのは。


 塩姫として多くの生徒を震撼させた冷血さは――微塵もなく。


 顔を真っ赤にし、目尻には涙を浮かばせ、綺麗に整った顔を羞恥で歪ませた…………可愛らしい生き物がいた。



「にゃあああああああーーーーーっ!」



 誰の声!? とツッコむ暇もなく、北浦は俺から本を奪い取り、それを胸元に抱えると、一目散に走り去っていった。


 速っ!? さすが運動神経抜群の脚力!


 あっという間に見えなくなった背中を見送り、俺は本を持っていた態勢のまま固まった。


「え、えっと……」


 同じくして状況を掴めない神木さんだが、彼女の方が一歩引いていた分、冷静なのだろう。困ったように苦笑を浮かべながら、遠慮がちに声をかけてきてくれた。


「その……詳しい事情は存じませんが、少女漫画チックな何かが起こっていることは理解いたしました」


 少女漫画……うん、なんだ。確かに北浦や神木さんを主役にすれば少女漫画チックなんだろうけど……俺を主観に考えると、アレだ。少年誌でよくある青春恋愛漫画的な展開でもあるよな。


 ………………え、俺、それの主役なの? 自信ないんだけど。モブの方が性に合ってるんだけど。


「榊先輩っ」


「ハ、ハイ……」


「私、これからの部活動が何だかとっても楽しみになってきました!」


「ソウデスカ……」


「あ、あの……私、お二人の意思を尊重しつつ、応援をしたいと思ってますのでっ」


「……」


 だ、駄目だ……さすがに北浦ショックが大きすぎて、神木さんの力を以てしても正気に戻れない。というか、気の所為かもだけど、神木さん……少女漫画の話になった瞬間、神対応力が減衰してない? 俺の思い違いだよね? これから先、神木さんの力なくして、俺……どういう顔して部室行けばいいか、ぜんっぜん分からないからね!? 北浦と二人で部室なんかに籠ったら数秒で逃げ出す自信があるよ!? 神木さんだけが頼りだよ!?


 ああ……いかん、人任せはいかん……。


 これは俺と、多分だけど……北浦だけの問題なんだから。


 でもマジか……まさかあの"塩姫"が、あの日のことをずっと思い悩んでいて、俺に謝ろうと……仲直りしようと考えていたなんて、誰が考え付く?


 くそ……アイツの真っ赤になった顔が頭の中から消えねえぞ……!


 俺まで顔が熱くなってきたじゃねーか! なんなんだよ、まったくよぉーーーっ!




 ――まあ、なんだ。


 一人じゃ絶対にキツイから、神木さんに場の空気を取り持ってもらって……それで、北浦に、謝ろう。


 俺も、お前のことを勝手に決めつけて、誤解してたって……。互いに悪かった部分を吐き出して、認めて、消化して……。


 その後のことは、それからだ。



 俺たちのスタートは、そこで漸く――始まるような気がする。


 先のことは誰にも分からないけど、少なくとも……神木さんに出会う前までに感じていた絶望感は微塵も残っておらず、代わりに次へと進む階段を見つけた――そんな気がしたんだ。



 こうして、塩対応と神対応が交錯し、強烈なインパクトによって動き出した歯車は、俺たちの青春という"ちっぽけ"で"とても大事な"時間をゆっくりとゆっくりと……回していくのであった。



挿絵(By みてみん)


※序盤登場の「北冷の超絶完璧超人」は、拙作「完璧超人生徒会長・高倉先輩に、成り行きで壁ドンしてしまいました」のヒロインと繋がってます( *´艸`)


【北浦風香のちょっとした裏話】

彼女は小学生のころ、男子から髪を掴まれたり、執拗に追い掛け回されたりと嫌な想いをしたことがあります。(男子の方は、小学生あるあるの行動です)

その頃から彼女は少しずつ人間関係に嫌気を覚えてきます。


中学生のころは逆に優しくしてくる男子がいて、小学校の時の経験との乖離もあってか、彼女はその男子に惹かれていきます。しかしその男子は中学生ながら最悪なプレイボーイで、そのことが露見した時、彼女はひどく裏切られた気持ちを抱き、本格的に人間嫌いに発展します。

(しかもその不貞を訴えたところ、彼が囲っていた他の女生徒からも何故かバッシングを受け、女性に対しても不信感を覚えます)


そして両親は中学二年生のころに離婚。母親は彼女のことに顧みることなく仕事に専念し、誰も彼女を"見る"ことがなくなります。

彼女は彼女で、他人が嫌になり、意識を切り離すことで自分を守り、世の中を渡るための知識と体力さえ身に着ければ後はどうでもいい……という思考に偏っていきます。

で、出来上がったのが"塩姫"ですね。

鮮明な彼女は自分自身が、前を見ず、斜め下を見ながら歩いていることを自覚しながらも、そうせざるを得ない世の中が悪いと決めつけ、そのまま突き進みます。


そこで主人公との一件があり、奇しくも「斜に構えないで、前を見ろ!」という言葉と、彼女を真っ向から"見て"叱ってくれた主人公の姿が鮮明に彼女の中に残り、僅かに残った「他人への関心・愛情」が灯り始めます。でも凝り固まった自身のスタイルをすぐに改善することができず、この作品の時まで行動に移せずにいる……というのが彼女のバックグラウンドになります(*´▽`*)


ここら辺を本編に入れると長すぎるし、一人称だと難しいので、あとがきにて補足させていただきましたm( _ _ )m

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― 新着の感想 ―
[良い点] 暮伊豆さんにすすめて頂き読みに参りました。 面白かったですー、ニヤニヤしました(๑˃̵ᴗ˂̵)
[良い点] もう男の子の対応の感じが好み。塩対応も新入部員(名前を覚えるのが苦手)も個性があって読んでて楽しかったです。
[良い点] ある333の人のとこから来たらすごく面白かった(´・ω・`) 「にゃあああああああーーーーーっ!」www これは今後(があれば読者と)神木さんがこっそりにやにやしながら2人をつついて眺める…
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