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ウィザード:ファウンド・ファウンデッド  作者: スレイヴ
第一章
8/12

◇でも、塩分はちゃんと塩で調節して欲しかった

ようやくふたりは教会から動き出します


ふたりとはどのふたりか

前話までご覧になられた方ならおわかりいただけるかと!

◇でも塩分はちゃんと塩で調節して欲しかった



《1》

【なあ、ずっと神父服でいるのか?

…いや、失礼だから言うまいとは思ってたんだけど。オッサンあんた、結構くさいよ?】

薄みがかったブロンズの少年は、見上げて目を細めると、迷惑そうにそう言った


彼が見上げる視線の先には、こげ茶色ではあるが、所々白銀が混ざった髪色をした老獪が、困った貌をして歩いている

【…しょうがねぇだろうが。あの教会、見事に風呂だけねぇんだよ】


気怠げに何もない畦道を歩くのは、少年ワイズと似非神父ルーヴェント

足取りは重いながらも、彼らは小言を言い合いながら着々と目的地へと歩んでゆく


……ルヴは、ワイズの言葉を気にしたらしく、徐にすんすんとキャソックの裾を嗅ぎ

【いや、坊主の気にしすぎじゃねぇか?ほら、ビスケットのいい香りが…】


【しねぇよ!ビスケットと体臭が混ざってえも言われぬ臭さなんだよ!】

がなるワイズに、【そうか…】としゅんとした


相変わらず年甲斐もなくやけにいじらしいが、その表情を見て、さすがに申し訳ない気持ちがワイズに湧いてきた


【悪い、言い過ぎたかもしれない

オッサンも好きで臭い訳じゃないんだもんな】

神妙に謝罪するワイズに


【それ何もフォローできてねぇからな?】

と、ルヴはジト目を向けた



ふたりは、教会を出て、近くの町へ向かっていた


近くとは言っても、教会から歩くこと20キロほどの距離にある港町、ウェンズは

ルヴが買い出しをするときにしばしば行くらしい


【全く入ってないってわけでもないんだろ?

普段風呂とかどうしてるんだ、オッサン】

不潔ではあるが、身なりは最低限整っている(教会服が黒いからそう見えるだけかもしれない)ルヴの外見を見て、ワイズが言う


【そりゃあ、近くの川で水浴びしたり……】


そこまで言って、ルヴは何か思い出したらしく【あ】と漏らした


【そうだ、ウェンズにも大衆浴場があったな。数年前までは足繁く通っていたモンだが…最近は億劫で行ってねぇ

いやさマーケットから結構離れた所にあんだよ。老骨には堪えるだろ?】


大衆浴場。人々が疲れを癒しに、湯浴みをする憩いの場

なるほど汚れた身体を綺麗にするには最適だ


【いや、アンタそんなヤワじゃないだろ

というか大衆浴場って…温泉とは違うのか?】

ワイズは村から出たことがなかったため、大衆浴場については噂程度にしか聞いたことがない


【まあ、温泉は天然だからな。浴場はただのあったけぇお湯だよ

そりゃあ、温泉に入れりゃ御の字だろうがな】

無精髭をボリボリと掻きながら、ルヴはぼやく


【オレ、温泉しか入ったことない…】


【はあ?何だ坊主、お前さんそんなに裕福だったのか?】


意外なワイズの言葉に、ルヴが驚くと


【いや全然。村が所有する温泉が近くにあって。村民はそこに自由に入って良かったんだ】

ワイズは、少しだけ自慢げにそう言って


【もう、誰も入れないけどね】

と、付け加えて表情を陰らせた


悲しげに上がる口角を見かねて

【馬鹿野郎、湿っぽいこと言うなよ

……あんま気負い過ぎんな。しけた面してたら、思い出までしけちまうってもんだ】

慰めらしきことを言うルヴ


家族を喪った少年に、何かしら感じるところがあるのかもしれない


【……決めた。町に着いたら浴場に行こう

そんで、あのうるせぇ浴槽で寛いだら、適当に美味いモンでも食いに行こうじゃねぇか】

立ち止まると、少し後ろを歩くワイズの方を、振り返るでもなく、一方的にそう言ってのけた


【ありがとう、オッサン……】

ルヴの不器用な優しさを悟って、ワイズは何となく気恥ずかしくなった


【……というか、オッサンも臭い身体を洗った方がいいもんな】

と茶化して、気恥ずかしさを誤魔化すワイズ

暑くもないのにパタパタと顔を仰ぐ


その意図を見抜いてか、【そうだな】と振り返ったルヴの貌には、にやにやとした笑みが浮かんでいた


【な、何だよ】


【別に何でもねぇよ。ほれ、早く行くぞ

もたもた歩いてたら着く前に夜になっちまう】


乱暴に言って、ルヴはまたスタスタと歩きだした


教会を出たのが昼下がりだったため、彼の言う通り、冬の夜は間近に迫っていた


とは言っても、ふたりが歩き出してもう3時間ほどになる

この畦道を過ぎれば、ウェンズはすぐに見えてくるるはずだった


【今回は坊主もいるからな、いつもより多めに買い込める。期待してるぜ】

機嫌よさげに言うルヴ


【ああ。元はと言えばオレが原因みたいなもんだし…力仕事はあんま自信ないけど、頑張るよ】


【気にすんなよ。若いんだから食って当然だ。それにしても良い食いっぷりだったな】


ひゃひゃひゃ、と豪快に笑うルヴに、ワイズはほんのり赤面した



《2》

彼らが町へ繰り出す運びになったその経緯は、今朝まで遡る


……ワイズの腹の虫が鳴ってから、ルヴはポトフを作ることを提案してくれた


どうもワイズが起きてからずっと話していたのは、客人用の寝室兼医務室だったようで

そこでは調理ができないということで、ルヴに別の部屋に行こうと案内された


やたらと長い廊下を歩く


口の中に甘ったるい飴を転がしながら、ワイズはルヴの行くままについていった


ひたひたと響くふたり分の足音に、ワイズは、魔法使いに背負われていたときのことを思い出した


(あのときは目を瞑っていたから、何がなんだか判らなかったけど

こうして目の当たりにすると、やっぱり普通の教会って感じだな)


壮麗な窓から差す光が、外装に反して隅々まで掃除が行き届き、綺麗に保たれている教会の内側を照らす


(こんなに広いのに……

オッサンが、いつも掃除しているんだろうか)


外は何故だか木々しか見えない。庭なのかもしれない

しかし、外の風景がこうも鮮明に見えるのは

ピカピカに磨かれた窓のお陰に違いなかった


先行く大きな身体に、そんなマメな作業はとても似合わないけれど

魔法使いがそんなことをするようには尚更思えないから、きっとそうなのだろう


ワイズの心中を読んだかのように

【結構、綺麗にしてるだろう?中々骨が折れるんだよ、広いから】

と言う背中からは、どことなく哀愁が漂う


その理由を深く問うことは憚られて

ワイズは、飴玉を頰によけて【そうなんだ】とだけ言った


ここは、魔法使いの生家であると同時に、即ちルヴの生家でもあり

だからこそ、彼には彼なりの、思い出の守り方があるのかもしれない


それ以上深くは考えず、ワイズは何も言わないルヴの後ろを大人しく歩く


歩幅の差から、遅れがちになっていたのを糺すために、少しだけ足早になった


廊下の端にある木製の扉を開き、一瞬だけ立派な礼拝堂を通った


赤いカーペットの敷かれた中央通路

ーールヴによると、身廊というらしいーーを真っ直ぐに辿った先には、仰々しい祭壇がある


(はじめて見た…)

感動もひとしお、名残惜しくも、ワイズは素通りするつもりらしいルヴに着いて行く


先導するルヴは、案の定立ち止まらずにそのままを中央通路を横切ると

入ってきた扉の真向かいにある、同じつくりの扉を開いた


重厚な扉の先には、先ほど通ってきた道と同じような廊下があった

どうやら、礼拝堂を中心に左右対象のつくりになっているらしい


ワイズが右側を見ると、奥に何やらもう一つ扉が見えた

おそらく、逆側の、ワイズの眠っていた客間兼医務室に当たる部屋があるのだろう


そしてその部屋こそが、目的の部屋のはずだ


(……やっと着く。でも、これからまだ料理が出来上がるまでキャンディで辛抱か……腹減った)


ワイズがそんなことを思っていると

予想外にも、ルヴが進んだのは左側の行き止まりの方だった

眼前には、廊下と同じ白い壁が聳えている


【え?どういうこと?あっちじゃないの?】

右方を指差して、素直に疑問を口にするワイズ


すると、ルヴは【そっちは蔵書庫だ。まあ見てろって】と言って


ーー少し歩いて屈んだかと思うと、足元の床を引っ張り上げた


【!!】


急なルヴの行動に、声も出ないワイズ


(…床を剥がすなんて、どんだけ怪力なんだ!)と、そう言えば頭を鷲掴みにされたときも全く身動きが取れなかったと思い出し、ワイズは震え上がった


…が、剥がれた床は、無造作に落ちるわけではなく。何故か、ばたん、という音を立てて横の床に垂直に立った


【驚いたか?】

ひゃひゃ、とルヴが得意げに笑った


その様子を見て、ワイズはようやく理解する

【…隠し扉か!】


【そういうこった】


床に隠し扉があるというのことは、地下に部屋があるということで


恐る恐るワイズが覗くと、そこには錆びついた梯子が掛かっていた


【坊主、先に降りろ。この扉、閉めるのにちょいとコツが要るんだよ】


【わ、わかった】


おっかなびっくりな様子で穴に足を沈め

梯子に足が着いたことを確認して、ワイズはゆっくりと降りていった


ずり、ずり


動くたびに、靴と着ているボロ切れが梯子の錆びに擦れる音がする


梯子は地下に降りているだけあって

その音は反響するため、未知の空間に降り立つ不安感はワイズに強く作用した


ワイズは、ごく慎重に一歩ずつ踏み降り

やがて靴裏に平らな感触を認め、何とか降り切ったのだと安堵のため息をついた


何も見えない。暗い部屋だった


(あの医務室も大概暗かったけど……

あそこにいたときは夜明け前だったし…)


既に朝だというのに、やはり地下ということか、光らしい光はなく


明かりといえば、隠し扉からの光のお陰でまわりの石壁が確認できるくらいだ


【ちょっと退がって待ってろ】

上からルヴの声が聞こえてきた

どうやら、ワイズが降り切るまで待っていてくれたらしい


その心遣いにワイズは感謝して、言われた通り後ろに退がる


【わかった。ありがとう】

…と、上に向かって言おうとしたのだが


【わか】の辺りで、ワイズの言葉は切れ


ガガ、ガガガ…ガガガガガガ…

ギィィィィィィ、ゴォォン


おぞましい金属音の連続に、ワイズの心臓がどきりと鳴る


そしてワイズが【った】の部分を言うと同時に

華麗な身のこなしで


シュタッ


と、ワイズの身体スレスレの位置に

ルヴが着地した


…大事な事なのでもう一度


ルヴが、着地した


ワイズの体感では、梯子は10メートルくらいあったはずだ

その梯子を、この老獪は使わずに飛び降りたのである


【いやあ、悪い。あの隠し扉、もう古くてよ

鉄製だから、梯子と同じでだいぶ錆びてて…

だから、こうやって体重利用して無理やり蝶番を動かすしかなくてな】


あの金属音は、錆び切った扉を圧倒的物理で閉め殺した音だったらしい……誤字でなく


【本当は体力使うからあんま開け閉めしたくねぇんだけどな、この扉。えー、明かり明かり】

ルヴが暗闇の中、石壁に何かを探るような動作が朧気に見え、【あった】とルヴの声がした


ガコン、と音がして、オレンジ色の光が部屋中を照らす


【よし、じゃあ飯だな……

って、ああ?どうした坊主、素っ頓狂の再来じゃねぇか】

ひゃひゃひゃ、と笑うルヴ


立ち尽くすワイズが見たのは、キャソック越しにでも判る、膨れ上がった筋肉だった


【…うるさい】

何とか絞り出した声は、霞んでいる


少年は、下手をすれば潰れていたかもしれない自分の頭を、大事そうにさすった



《3》

明るくなった部屋に、コンソメのいい香りが充満する


台所で手際よく調理するルヴの屈強な背中を見ながら

ワイズはしっかりとした作りの木椅子に腰掛けて、ポトフが出てくるのを待っていた


【オッサン。何か、手伝えることない?】


【変な気ィ遣うなよガキが。そこで座って待ってろ】


ただ待っているだけの状況に耐えかねたワイズだったが、ルヴにそう言われて黙る


しかし、待っていろと言われても何もすることがない

ワイズは、取り敢えず部屋を見渡してみた


ほの明るいオレンジ色の照明は、部屋の中央にある灯油ランプのもののようだ


ワイズの後方にドアがあるが、恐らく寝室なのだろう

そのドアの真横に狭いスペースがあり、開きっ放しの扉から厠が窺えた


ルヴが調理をする台所の両隣には、食料棚と食器棚がある

食料棚の方には、じゃがいも、にんじん、玉ねぎなど…保存の効きやすい野菜や、パン、ジャム、チーズなどが置いてある


そして食器棚には、目算で4人分ほどの皿や銀製のカトラリーが並べてあった

……と、そこでワイズにひとつ疑問が浮かぶ


【オッサン、何でこんなに食器だけ多いんだ?魔法使いと2人で使うんだろ?】

客人が頻繁に来るのだろうか、と推測しつつ、ワイズは問うた


するとルヴは調理を止め、面倒くさそうな貌で振り向くと

【それは、家族全員分だ。親父は死んだし、俺以外まず使わねぇけどな】

と言って、調理に戻った


【なるほど…】


(触れてはいけないことに触れてしまった)

反省したワイズだったが、ひとつ引っ掛かり


【え?魔法使いもここに住んでるんじゃないのか?兄弟なんだろ?】

と尋ねる


ルヴは今度は振り返らずに

【あいつはここには住んでねぇ

……言ってなかったか?自分は旅人だ、商人だ、とかそんなこと】


記憶を探るワイズ


《僕は旅人。でも只の旅人じゃないーー》


【あー、そんなこと言ってたような……】


と、あの月の下での魔法使いの自己紹介を思い出した


それにしても、あのときの魔法使いの姿だけは神秘的だったと回顧するワイズの耳に


【……あとな、スピシールが、あいつがこの家に住むなんてこたぁ、絶対にねぇよ】

ルヴの意味深な発言が飛び込んできた


ワイズは【え?】と間抜けな声を上げる


お玉を持ち上げたルヴは、【ちょっと昔話させろや】と言うと

きっといつものようにへらへら笑ってなどいないであろうその背中で、静かに語り出した


【この教会の、前の前の神父ーー俺らの親父ーー、が死んでからどうのって話は、さっきしただろ?


前任の自殺はともかくとして、親父が死んでから、行くあてのなくなった俺たち兄弟は、ふたりで暮らし始めたんだ


……それから、何ヶ月か経ったある日のことだ

あいつは、何を思ったか、俺が仕事から帰ってきたら居なくなってた


必死に探したけど、結局見つからなくて


墓を作ろうと考えたこともあったな……まあ、それはさすがに辞めにしたが】


コトコトと、ポトフが出来上がるいい匂いがしてきた。構わずルヴは独白を続ける


【そんで、俺があいつに再会したのは、それから10年くらいしてのことだ


医者になってから、王立の病院で働いていた頃。シアパ病っつう難病の治療研究ために、俺は数少ない症例が保存してあるという大図書館の資料庫に向かった


大図書館は王都からだいぶ離れていたから、汽車を使ってな


司書らしき綺麗なおねーさんに案内されて、地下にある資料庫に行く途中

おねーさんに気さくに声をかける男がいた


肩のあたりまで伸ばした銀髪を見て、俺は殆ど確信したよ


……一応、そいつを適当にあしらったおねーさんに道中確認してみた所


やっぱりそいつはスピシールだった。ガキの頃と違って、だいぶチャラついた格好してたな】


久しぶりに弟と感動の再会をした話をするしては、その語り草は楽しそうなものではない


【そのことと、魔法使いがここに住まないことと、どう関係があるんだ?】


【まあ聞いてろ】


途中で質問してくるワイズを宥め、ルヴは話を再開した


【資料を手に入れて、戻ってきたら、スピシールはおねーさんと楽しそうに談笑してた


その笑顔だけは、ガキの頃と全く変わらねぇ。貼り付けたようだが、純粋なーーそんな笑顔で


俺は興奮を押し殺しながら、声をかけた

「あの、すみません」とか何とか言ってな


あの頃はおどおどしたてからなぁ、俺


俺を見ると、きょとんとした貌をするもんだから、俺はつい「スピシール!俺だよ、ルヴだ!ルーヴェントだよ!」って。そのまんま言ってやった


そしたら、スピシールは目を見開いて……】


…と、そこまで言って、ルヴは【ふむ】と唸ると、出来上がったポトフが入った鍋を持ち上げ、長机の上に置き


【坊主、スピシールは俺に何て言ったと思う?】

と、ワイズを見据え、尋ねた


【え……そりゃあ、「もしかして、兄さん?」みたいな、そういう……】


【残念。違う……違うんだよ、坊主】


ワイズの言葉を遮るルヴは、先刻までの頼り甲斐のある表情から一変して

まさに泣きそうな貌でそう返した


若干引き気味のワイズに構うことなく

ルヴは、熱々のポトフの湯気をもろに顔に浴びる位置で、悲しい正解をこぼす


【あいつは、俺を見て「誰だい?君」なんて抜かしやがったんだ。冗談じゃねぇ

……あいつは、本当に俺を忘れてしまっていた】


ぽとり、とポトフに何かが落ちた

立ったまま机上に手をついて俯くルヴから落ちたそれが何かは、ワイズからは窺い知れない


【それから少し話してみて判ったよ

あいつが忘れていたのは、俺のことだけじゃなかった。あいつは


ーーあいつは、家族という存在を忘れてしまっていた】


【……家族を…忘れて、いた?】


《「カゾク」ーー?》

ワイズの脳裏に、かの魔法使いの姿が映る

確かに、彼は何も判っていなかった


全能だとか、万能だとか。そんな聞こえ良いことを言っておきながら

その実、魔法使いは大切なことは知らなかった


「家族」「友達」……そして「悲しみ」「涙」

魔法使いは、そんな、知っていて当然のことを、何も知らなかった


(もしかして、魔法使いはーー)

ワイズに、とある考えが過った



ーー魔法使いは、知らなかったのではなく

忘れてしまっていたのだ

極めて不自然に、あろうことか、これ程までにごく自然なことをーー



【……オッサン、もういいよ】

このままだとポトフがしょっぱくなりそうなので、ワイズはわめく老獪をそっと席に着かせた


【すまん。取り乱した】

面目無さそうに言うルヴの目は、年甲斐もなく赤らんでいる


強く突っ込むこともできず、ワイズは【いや、いいよ】と言って


【ーー何があったんだろうな、魔法使いに】


【知らねぇよ。それが解んねぇから、あれから60年近く経つってんのに、こんなに辛いんだ】


黒いキャソックの袖を目元に当てがうと、両目の形にしみが付く


それを見せながら、【年行くとこんくらい涙脆くなる】と、唇を尖らせるルヴ


その様子に、ワイズは可笑しく思ったが

よく考えたら自分の瞼にも昨日泣きはらした跡が残っているかもしれないと思い、笑うのは辞めておいた


ルヴは上を向き、鼻をすすると

【ああ、俺かっこ悪りぃ】

と言って。再び前を向いたときには、ワイズに笑ってみせた

ひゃひゃひゃ、とは聞こえなかったが


【あー…なんだ。そう、ポトフ冷めるぞ

あと…】


と、ルヴが棚から取り出したのは

【ライ麦のパンと、俺の手作りマーマレードだ】


【わあ、うまそう……】

ルヴの嗚咽を前に言うに言えなかった感想が、遅まきながらやっと言えた


長机の真ん中に並べられた食事は、どれも質素ではあるが、最高に美味しそうだ

それも特に、2日ぶりにまともな食事を取るワイズにとってはなおさらだった


早速パンをひとつ手に取ろうとして

【……あの、オッサン。オレ、神への感謝の言葉とかわからないんだけど】


ここは教会。場に合った振る舞いは求められるはずだと、ワイズは手を止める


【ああ?いンだよそんなモン。感謝なんぞ、「うまい」って一言聞ければ十分だろうさ

それに俺、別に神父でもなんでもねぇからな

……親父の真似事なんかしねぇわけだ】


【そ、そうか…】

そう言って、ワイズは改めてパンを食べ始めた

鼻から抜ける芳醇な麦の香りが、鼻腔をくすぐり、更に食欲を増進させる


ルヴが鍋から木皿に移してくれたポトフを一口

【……うまい!オッサン、このポトフ本当にうまいよ!】


体感では、村で最後に食べたポトフの数倍、いや、数十倍美味しく感じた

絶妙な塩加減は、とてもコンソメと塩だけで出したものとは思えない


きっとベーコンの旨味だ。ワイズはそう思うことにした


【そうかよ。本当にうまそうに食いやがって…】

先ほどまでとは打って変わって嬉しそうに、ルヴは顎髭を撫でる

自分が作った料理を人に食べてもらうのは、ルヴにとって長らく味わっていない快感だった


むしゃむしゃと

本当にそんな擬音が聞こえてきそうな勢いで次々と皿を空にしていくワイズ


その様子を、向かいに座るルヴは、肘をついた格好で慈しむように見ていた


(少しだけ、昔のあいつに………似てねぇな)


一心不乱にポトフを貪るワイズに、ルヴの感傷は伝わるはずもなく


20分ほどで、ワイズは全ての食事を食べ終えた

ーー全てとは、つまり全てである


鍋いっぱいにあったポトフはもちろんのこと、机上にあったパン、お手製マーマレード

そして、食料棚にあった残りのパンやソーセージ、チーズまでも


棚に残ったのは、生の野菜と、その他調味料だけだった


【………】


【………坊主、食い過ぎじゃない?】


空の皿だけの机に、ワイズのげっぷが落ちた


【いやあ、お前さん、よく食べたな本当に】

快活に、ルヴが、ひゃひゃひゃ、と笑う


自分の家の食料がほぼ尽きたというのに、そこに厭らしい含蓄はなく

ただただ、それは気分の良い笑い方だった

しかし……


【ひー。いや俺も食っていいとは言ったけどよ……まさか本当に全部食いやがるとは!

あー、腹痛い。……ひゃひゃひゃ、ひー】


【わ、悪かったよ…でも、そんなに笑うことないだろ!】


素っ頓狂云々のくだり以来に、笑い上戸なタチを存分に発揮するルヴに、戸惑うワイズ


【……いやでもまずいな】

ふっ、と冷静な表情に戻ると、ルヴは何やら顎に手を当て思考し出し


【この間買い込んだ食料が底を尽きちまった

……仕方ねぇ、買いに行くか】

そういう言うと、やけに渋い貌をした


【買いに行くって、どこに?】

満腹のワイズが、お腹に手を当てながら尋ねる


【……この教会の外がどうなってるか、わかるか?坊主】


【……実は、魔法使いの背中にいるときは目を瞑っていたから

教会の外観をちらり見るだけはしたけど……】

「眠っていた」と嘘は吐かずに、ありのままを応える


【だよな。狸寝入り坊主だもんな、お前さん

……いいか、この教会に礼拝に来るやつが極端に少ない理由はふたつある

ひとつは、さっき話した前任の自殺についての噂による風評被害

そしてもうひとつはーー】


そこで、ひと息入れてから


【立地だ。

この教会は、最寄りのウェンズ町まで、最短でも20キロ近くかかる森の奥にある】



【おい坊主、ほれ】

と、ルヴが何かワイズに投げつけた


【おわっ……と

こ、これ、服……?】

何とかキャッチしたワイズが受け取ったものは、高級そうな紺のコートと、真っ白なシャツ。それから、ダボダボのズボンと革製のベルトだった


【いつまでもそのボロ切れみてぇな服じゃあ、町に出れねぇだろ?】


【え、町……?俺も行くの?】


【当たり前だ、食い逃げか?坊主】


そう言われて、返す言葉もなく

【でも、申し訳ないって、こんな良い服】


【……気にすんな、どれもスピシールのお古だ】

そう言うと、大きなバックパックを背負うルヴ


【すぐに出発するぞ、早く着替えろ】


【わかった……】

着替え終わって、ワイズは立て掛けてあった姿見に全身を映してみる


【わあ……】

殆どピッタリだった。ズボンは腿からはダボダボながらも、腰回り、丈と共にピッタリだ

コートとシャツは少しサイズが大きい気もするけれど、許容範囲だろう


【まあ、似合わなくもねぇな】

ルヴがニヒルに眉を上げる


【……いいのか?魔法使いのーー弟のだろ?】

勝手に着てしまっていいのかと、戸惑うワイズ


【いンだよ。上の2つに関しては買ってやったっきり着てもいねぇしな、あいつ】


寂しそうに笑うルヴの目に映るのは、あるいは弟との「もしも」の光景


【…でも、おかしいな。魔法使いってオレよりもずっと身長があった気がするけど】


【……昔は、あいつもチビだったんだよ】


そして、ふっ、と笑うルヴの目に映るのは、あるいは弟との「確かな」思い出


ひゃひゃひゃ、とは聞こえず、神父風の老獪は、どこか青年のような貌をして


【よし、出発だ】


ゆっくりと梯子に手を掛けた



《4》

ーーそして話は、冒頭に戻る


相変わらずスタスタと調子良さげに歩くルヴに、ワイズは付いていくのがやっとだった


【おい坊主、おせぇぞ

あの町は暮れを過ぎたらロクな宿が取れねんだからよ】

後ろをとぼとぼと歩くワイズにがなりたてる


へとへとになりながら

【いや、だって一回も休んでないんだぞ…?】

と、声を絞り出すワイズは、実は先ほどから食べ過ぎたツケが回って来ており

ここ一時間の間、横腹がずっと痛かった


【ったくよぉ……】

と、ルヴがワイズの方に歩み寄った。そして


【姿勢だ姿勢!歩くときゃあ、ビシッとして歩け!】

そう言うと、ワイズの曲がった背中をグイッと矯正する


【あ痛ぁ!】

反動で、そこその消化してきたとは言え膨れた腹が張ると共に、背骨が「ポキィ」と鳴った


【なんだ大袈裟な。とにかく、もう1キロかそこらで着く。大人しく歩けや】


【なあ、今絶対ポキッて言った!絶対ポキッて言ったってオッサン!】


【黙って歩け!】


ワイズの背骨の音は聞こえていなかったのか、心なしさっきよりも速く歩くルヴ


【そんなこと言われても…】

と、渋々歩き始めて、気づく

(あれ、横腹痛くない……?)


治った理由を探っても、当然ルヴのあの行動しな思い当たらず


(本当に医者なんだな……?)

最後に疑問符は依然付くとは言え

あの行為は荒療治だったのかと、ワイズは少しだけ感心した


そこからは、ワイズも普通に歩き

ふたりは、難なくウェンズに辿り着いた


【っはぁぁぁ!】

20キロもの距離を休みなく歩いた疲労感がどっと押し寄せ、近くにあったベンチに腰掛けるワイズ


【坊主、よく頑張ったな。でも立て】

ルヴは柔和な笑みを浮かべ、しかし辛辣な口調でワイズに命じる


【え?なんで?だってもう着いて……】


【座ったら脚に乳酸が溜まる。だから、すぐ歩けなくなんだよ】

何やら難しいことを言うルヴに、


【だから、もうウェンズには着いてるじゃないかよ!】

もっともなことを返すワイズだったが……


【言っただろうが、浴場はまだ先だ

まあだいたい…2キロくらいだな】



ガシャン、と、ワイズの心中で

何かが崩れる音がした

次週も男臭い回になりそうです


ただ、もう少しで可愛い女の子も登場予定ですので、懲りずにお付き合いください!

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