◇恐れずは一輪の花のみ
しばらくふたりの会話にお付き合い下さい
◇恐れずは一輪の花のみ
《1》
無限の綺羅星と透明な海原の、狭間の丘。そこに佇むは、瘦せぎすの銀髪と、ボロボロの少年
ふたりの会話を、一輪の咲きかけのチューリップだけが、てのひらで聞いている
《「世界のどこかにはねー」》
男の手から、一枚、花びらが落ちた
◇
【…流星の…魔法使い…?】
男の仰仰しい口上に暫し怯んだ少年は、その部分を復唱した
記憶の切れ端。ミーナの言葉を、また思い出した。悲しみは枯れちゃいなかったが、彼は割り切って思考を再開する
(流星の魔法使い…ミーナが言ってた、そうだ、間違いない。実在したのか…?)
いかめしい表情で固まる少年を見て、男はやれやれというように
【おや、あれだけ派手に自己紹介してあげたっていうのに、もしかして疑ってる?嫌だなぁ、仕方ない、改めて証拠を見せて…】
【いや、いい】
【へ?】
男は豆鉄砲でも食らったような顔をした
【い、いいよ、証拠は。判る。状況から鑑みて。これが夢じゃないのなら。お前が魔法使いだっていうなら、筋が通る】
少年の頑とした物言いに、男は目をくりくりさせて、【そうかい】とだけ言った
少年は、その実、納得はしていなかった
炎が立ち消えたのは、偶々強い風が吹いただけかもしれない
飛行?ーー跳躍かもしれないがーーしていた時間、もしかしたら自分は気を失っていたのかもしれないし、その間にあの火災現場から移動させられたのだとすれば、大の男の力だ、何の不思議もない
ただひとつ、自分が着ていたボロ切れが一部消えていたことについては、多少強引な説明が必要になりそうだが
こじつけで自分の理解から外れないように一連の現象を考え下すのは簡単だった
しかし、少年は男の、魔法使いの言葉を信じてみることにした
肌を裂くような天空の風の感触は、気を失っている間の夢にしてはリアル過ぎたこともある
ただ、何より、彼は。
最愛の人の、彼女の言葉を、疑いたくなかった
(あの言葉を覚えてなかったら、こんな自分の常識の範疇を超えること、オレは信じてなかっただろうな)
ボロボロの体を奮い立たせ、なんとか自力で立ち上がる。そして、体感で自分がこの魔法使いに連れてこられたであろう方を向いた
僅かにも炎熱を感じることはなかったが、少年は代わりに、寒空に一等輝く真っ赤な星を見た
【あの星はもう少しで流星に成るよ】
魔法使いが、隣でそんなことを呟いた
少年にとってそんなことはどうでも良かったが、その言葉は、涙が出そうなくらい含蓄あるものに聞こえた
《2》
少年は魔法使いが魔法使いだと信じた。そして新たな疑問を抱き、魔法使いに尋ねる
【じゃあー】
【君は?】
ーと、魔法使いが言葉を遮った。どうもこの銀髪の男、人の話を聞かないきらいがある
【んん、君なんか今、「コイツ人の話聞かないな」みたいなこと思ったでしょ。酷いなぁ、それはお互い様じゃないか】
この魔法使い、まさか人の心が読めるだろうか
【いやいや、さしもの僕だって、人の心は読めないよ?ただ、そんな貌をしてたから】
…そんな表情をしていたらしい
それはそれで、なんだか見透かされているようで腹が立つ
というかさっきから全然本筋と外れているような気が…
【カナシミについては後で教えてもらうとしよう。それよりも今は、君の名前が知りたい。
ほら、僕も名乗っただろう?僕はスピシール!じゃあ、君は?】
すかさず見透かしたようなことを言う魔法使いを横目に、少年は思考する
(名前か…)
新月の夜ほど真っ黒な眼に反して、やけに気さくに話す魔法使いを見やる
改めて微妙な不信感は拭い去れないかったものの、律儀な少年は、名乗られたら名乗り返すのも筋だと思った
そして、ひとこと、自分の名前を告げる
【ワイズ。オレはワイズだ】
【そうかい、ワイズ!なんだか賢そうな響きじゃないか!君にぴったりだ】
自分の名前を、そして自分を褒めてくれた魔法使いに、ワイズは少し気を良くした
(案外、悪い奴でもないのかもな。まあ、そのワイズってたぶん綴りが違うけど…)
【じゃあ、カナシミについて教えてくれ】
悪い奴ではないかもしれなかったが、むしろちょっと都合が良すぎる奴だった
いったん自分の興味が解消されると、文脈は彼の中で突如リセットされるらしい
【いや、お前なぁ…】
勝手な魔法使いの質問に答えてやるのはしゃくだったが、自分にも魔法使いに訊きたいことが山ほどあったので、ワイズは質問に手っ取り早く答えてしまうことにした
【悲しみってのは…】
【うんうん】
魔法使いが期待の眼差しでこちらを見る(ハイライトがないので分かりづらいが、その辺は雰囲気だ)
出会って幾ばくかの人間(魔法使いって人間なんだろうか)にこうも見つめられると、少々照れ臭いというもの
【…悲しみってのはだなぁ…】
【うんうん】
少年が気恥ずかしさを誤魔化しながら適切な言葉を探っている間に、魔法使いは、思い出したかのようにバックパックから何やら取り出した
月明かりを頼りにようやく捉えると、それはメモ用紙だった
右手に持っていたチューリップを浮かせ(浮かせ!?)、魔法使いはどこからか高級そうな万年筆を出現させ、軽やかに構えた
(えっ、メモとか取るのかよ…そこまでするか?…少々話しづらいんだが…)
浮遊するチューリップに驚愕しながらも、束の間、魔法使いだし、この程度は…と、ワイズは多少麻痺してきた感覚で事態を飲み込んだ
むしろ、物体浮遊の不可思議への驚きよりも、道聴塗説たる流星の魔法使いにも、妙に人間臭いところがあるんだなぁ、などという他愛もない発見に耽ってしまった
ワイズはまとめ上げた言葉を、構えられたメモ用紙を意識しつつ、面映ゆい気持ちで告げ…
【まあ万能の僕にはこんなのいらないんだけどね!】
ポイッ
無慈悲にメモが宙を舞う
【じゃあ何でメモ出したんだよ!】
久方ぶりに、ワイズの咆哮が悲しみとは別の方向で轟いた
【嫌だなぁ、ジョークじゃないかジョーク!ウィザードジョークさ、なはは】
物体浮遊の魔法はかけられなかったようで、憐れなメモ用紙は敢え無く草むらに落ちた
全く拍子抜けもいい所である
ワイズはまたしても出鼻を挫かれた思いで、キッと魔法使いを睨め付けた
(さっきから何がしたいんだこの男は…)
いかにも可笑しそうに笑う魔法使いに、ワイズは不服そうに顔をしかめる
【おいおい、そんなに怒らないでくれよ。だからほんの冗談だってば】
依然へらへらと笑う魔法使いは、続けてこう付け加えた
【さて、坊や…もとい、ワイズ君の少年らしい表情が見られた所で、改めてカナシミを僕に教えてくれよ】
(…少年らしい…表情?)
ふと魔法使いの言葉に引っかかるものがあり、ワイズはその謂われを探った
そこでワイズは、これまで自分は全てを喪った悲しみと、突然現れた魔法使いへの猜疑心で一杯だったことに気づく
これほど小気味よいやり取りをしたのは、思えば村が燃え始めた2日前以来だ
こんな食わせるような演出をそれとは思いたくないが、紛れもなく、ワイズの膠着した心は、魔法使いの腹立たしいユーモアによって、弛緩していた
(もしかしてオレのためにわざと…)
【ほぅら、早く!時間なら腐るほどあるけど、僕はせっかちなんだ】
ワイズは声に出してもいない前言を撤回した
《3》
【悲しみっていうのは、感情だよ
お前も人間だろうし、わかるだろ?楽しいとか、嬉しいとか…そういう感情の、その、仲間?だよ
例えば、嫌な事があったり…大切な人が怪我したり…死んだり…さ、そういう時に感じる感情。そんで悲しいと涙が出てくるわけで…】
ワイズは、思いつく言葉で、出来る限り簡潔に「悲しみ」を説明してみせた
(うーん、いざ説明してみると意外と的を射たこと言えないもんだな…
そもそも悲しみが何かなんて考えたこともないっていうか。悲しいは悲しいだしなぁ)
先の説明も、脱線気味だった一連のやり取りの陰で、割と苦戦しながら捻り出したものだった
(こんなんで伝わるかなぁ…)
目を細めて別な説明を模索する中、ちらりと前を見やると、そこには困惑の権化のような顔をした魔法使いがいた
【いや全然わかんない】
案の定、魔法使いには全然伝わっていなかったようである
やっぱりか…と、次なる説明を捻り出そうと思索を巡らせる
【でも、嬉しいとか、楽しいってのは、わかるんだよな?】
【うん、勿論!】
【じゃあ、お前はどういう時にそう感じるんだ?】
【まさに今さ!】
は?と、思わぬ返答に戸惑うワイズに、魔法使いは興奮気味に言い放った
【今だよ!全知であるはずの僕が、知らない事を知るこの瞬間、最高だろう?あとはそうだね、ここ数十年は流星探しが専らの楽しみだ】
魔法使いは興奮冷めやらぬ様子でまくしたてる
彼の感覚はとても理解できなかったが、ワイズは何となく、理解できたような振りをした
魔法使いの虚ろな瞳には、この先永遠に続く退屈への嘆きが見え隠れしている、そんな気持ちがしたのだ
(魔法使いだもんな、そりゃ一介の村人のオレなんかには到底解らない趣味趣向のひとつやふたつ…)
【ならよ…そうだ!流星が見つからなかったら…悲しくないか? 】
これだ!ワイズは、図らずも咄嗟に出た逆説的な質問に、手応えを感じた
【流星は見つかる…手に入るよ。もう僕は、既に流星をふたつ持っている】
毅然と応える魔法使いに一瞬たじろぐ
【そ、そうか…でも、たまには見つからないなんてこともあるだろう?】
が、ワイズも、ようやく掴んだ、このよくわからない説明会を解決する糸口を離すまいと、諭すように問うた
すると魔法使いは、やれやれわかってないなという貌で、
【当然あるさ、でもね、だからといってどうということはない
重要なのは必ずしも流星そのものだけじゃないんだ
遥かな旅路に新たな出逢い…流星探索は大前提だけど、あくまで目的の範疇を出ない。つまりね、見つからなかったとしても、それはそれで僕の旅は大いに面白いものなのさ!】
そんな、魔法使いの得意げな貌が、彼に悲しみを理解させるにあたって大きな弊害となっていることに、本人は気づく様子もなく
(これは…)
極端なポジティブ思考と言えば、それまでだろう
何事も悲観せず、ただひとつの目的にとらわれないその生き様は、或いは美徳であり、確かにその意味では「彼は悲しみとは縁遠い思想を日常的に抱いている」人物でしかないのかもしれない
ーただ、ワイズはそんな意味以上の、何か不穏な前提を見逃している気がしてならなかった
言葉に詰まるワイズを見かねたのか、魔法使いは自らカナシミの手がかりを探るように、確認する体で続ける
ワイズには、心なしか、その漆黒の目が爛々と、不気味に光っているように見えた
【えーと、カナシミは感情なんだよね。それは解ったよ。でも、嫌なことがあったときは自分で解消すればいい話だし、人が死ぬのは…動物なんだから当然じゃないか!そこにー】
そこに感情を挟む余地なんてないだろう?
魔法使いはそう言って、うーんとかいやとか唸りながら、ワイズをそっち退けに悩み出した
(ああ…やっぱり)
…瞬間、ワイズの顔は色を失い、そしてその時点で彼は、この男に「悲しみ」という概念を説明するのは不可能だと悟った
見逃していた前提に、遅まきながら気づく
《「魔法使いは何でもできるんだって」》
ー本当に何でもできたが故に、全てが自分で事足りたとすれば?
だからこそ、愛が、夢が、友が、血がー
ーその全てが、彼にとってそもそも必要でなかったとすれば?
《「カゾク…トモダチ…んー、××と××みたいなモノかな……やっぱわからないな」》
ならば、その結論は
(この男には、喪いたくないものが、ひとつも無いんだ)
ここに来て、彼は、おそらく初めて
「悲しみを知らない」眼前の魔法使いを、途方もなくおぞましい者として、心の底から畏れた
依然悩む素振りをする魔法使いの夜色の瞳に、幻のような星空が映った
次回もよろしくお願いします
あとコメント下さい!勉強にさせていただきます!