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先生と私  作者: 綿花音和
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小さな夢

 面談を終えて、病室に帰ってきた。同室の患者さんから挨拶される。

「お帰りなさい。先輩」

「ただいまです」

 私はこの病室で最年長だ。作業所に行っていることが多いので、同室の患者さんとは話をする機会がほとんどない。ただ挨拶はいつも交わしていた。

 お姉さんたちとの関係とは違い、深く接することはないが、年齢が近く仲良くしている少女たちを見ると心が和むのだ。憧憬というものかもしれない。


 緑のカーテンの中に入ってベッドに腰を掛ける。緊張が解けてほっとした。父を含め家族との面談を重ねるたびに傷付いてきた。なんだか、頭に出来た瘡蓋かさぶたを無理やり剥いでいるような心地だ。いじったら、悪化するのにほっておけない。

 思うに、父はもしかしたら私よりずっと生きにくさを抱えて暮らしているのではないかと。そうだとして、彼が家族に行ってきた恐怖政治を許容できるほど私は大人になり切れていない。

 

 もはや、父に謝って欲しいわけでもない。きっと、凄く嫌だけれど元々私たちは近い。自分の経験から考えると、彼は悪気なく本能的に自己陶酔することで自身を守っているのではないか? 他人の心に触れるのが怖いんだろう。自分の稚拙な精神分析をひそかに可笑しいと思ったが、案外当たっているかもしれない。

 

 作業所でウェイトレスやレジの係を任され、利用者全員での片付けにも慣れた。一通りの仕事を覚え、未来について考えるようになった。高校の卒業資格が欲しい。退院したらアルバイトをしながら、少しずつ勉強をして合格する。小さな夢。

 

 健一さんが勧める本は平易なものだけではなかった。彼を理解したいから、学ばなければ。自分のために学びたくなったのはいつぶりだろう。母に連絡して、学生時代の参考書を送ってもらおうと考えていた。

 今日も、健一さんからのメールが来た。

『幸ちゃん、こんにちは! お疲れさま。寒い日がつづくけれど体調など崩していませんか? 僕はアルバイトにもすっかり慣れて、将来について考える機会が増えています。今回のお勧めの本はね……』

 いつもように、文豪の本と最近出た新刊のタイトルが記載してあった。その本を探して読むのがとても愛おしい時間だった。人と思いを共有するのは素晴らしい喜びだった。

『健一さん、こんにちは! 私は今日も元気です。本の紹介いつもありがとうございます。あなたの考えを知りたくて、難しい部分は辞書をひきながら読んでいます』

『よかった。楽しんでくれているなら僕も嬉しいです』

 心がたんぽぽの綿毛でくるまれたように柔らかくなる。

『健一さん、私、家族面談を希望して日程を調整しています』

 やや間があり、返信がくる。


『幸ちゃん、君のことを信じています。とても芯の強い子だから。それでも心配です』

『とても怖いです。でも一人でないから。きっと先生や水上さん、これまで出会った人が助けてくれる。なにより健一さんが、私を想ってくれているから』

 正直に打ち明ける。

『離れていても心は側にあると思ってください』

 私は健一さんの丸眼鏡の奥の笑い皺を思い出していた。


  



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