折れない人
私は自身に生まれた違和感に戸惑いながらも、身だしなみをふたたび気にするようになった。夢にうなされてから数日経ち、長谷川先生と面談をした。
「先生、父と面談をしてから化粧ができなくなってしまっていたんです」
不安だった。父と自分は別の人間だとわかっているはずなのに、身体は言うことを聞いてくれない。
「あなたはお父さんとしっかり向き合ったと思うよ、小野田さん。彼と向き合うのは悪いことではないし、回復から遠のいたわけでもないと僕は考えている」
「でも鏡を見るのが、辛いんです。父の面影を自分の中に見付けるたびに苦しくなります」
「僕が小野田さんと出会って一年と少しだけれど、あなたの顔を不快に思ったことはないよ。多くの人がそうだと思う」
先生が嘘を吐いていないのは明らかだった。患者に気休めを言うような医師ではない。
「父と似ているのは事実です。私の姿は醜い」
言葉に悲しみが混じる。
「ねぇ、質問をするよ。あなたは、人に対して好感と嫌悪感を抱くときはどこを見ているのかな?」
「その人の表情とか言動とかです」
「顔立ちや面差しはそんなに重要かい?」
「たしかに、パーツが整っていても好きになれない人もいます。逆に、顔の造作はアンバランスでも、その人の個性を感じ、表情などが好ましく思える経験はあります」
「容姿も大切な、人の構成要素だよ。それは美醜という単純な点では、くくれないんだと思う。例えば、持ち主の感情の動き、よく笑うとか、怒ることが多いのか威張っている人なのか。いろいろな表情が組み合わさり、人を好ましく思ったり嫌悪感をおぼえたりするんじゃないかな」
彼の考えに、いったん理解を示した。
「私、頭の中ではわかっているつもりですが、身体が受けつけないんです」
「急に切り替えられることではないさ。理解していても、精神が拒絶してしまっているから苦しいんだろう」
先生は顎に手をやった。
「どうやったら、克服できるんでしょう。ずっとこのままだったらどうすればいいのか……」
「小野田さんは体験とか経験を重ねながら、これまでも進んできたと思う。そして、さまざまな人々との出会いから影響を受けてきたんだと認めている。入院した頃とくらべ、表情が生きいきしているのは自分でもわかるんじゃないかな。今はつらいだろうけれど、この状態がずっと続くとは思えない。これから浮上するきっかけも必ずあると思うよ」
「先生、私は弱いですね」
「自分が弱いって気付いている人は、しなやかで折れない。じつは強い人でもあるんだよ。だから、焦らないでゆっくり進めばいい。自分の力で乗り越えられるはずだ」
「本当に?」
身を乗り出す。
「そうだよ、今までの経験を信じてごらん」
静かに言い聞かせるように、先生から言われた。
面談を終えると、いくぶん気持ちが軽くなった。見通しがたたないのは相変わらずだったが、楽しみもあった。
数日前、健一さんから、手紙が届いた。治療の区切りが着いたので病棟を訪れると。私に会いたいと文頭と文末に書いてあった。いつ健一さんに会ってもいいように、毎日肌の手入れをし、化粧がうまくなりたくて丁寧にメイクした。メールで連絡はほぼ毎日とっていたが、彼からの肉筆の手紙は特別嬉しかった。
健一さんも、リハビリが大変なようすだった。メールに一言労いのメッセージだけの日もあった。きっと治療が苦しいのだと思い、私も心を込め『ありがとう』と返信を送った。彼も頑張っているから、デイケアの活動や治療に真摯に向き合えた。健一さんに会えるかもしれないというだけで、待ち遠しくなってしまう。
来院は一月七日の予定だと書いてあった。




