傷痕
父と面談をしてから、身体に変化があった。鏡をみるのが、怖くなったのだ。
手鏡をみながら髪を梳かすこと、化粧は入院してから好きになりまた習慣でもあった。化粧は関西のお姉さんがプレゼントしてくれた『初心者のためのメイク入門』を、読んで覚えた。自分なりに顔を整えることは面白くて楽しかった。なのに、鏡をみると自身の顔が酷く不快で頭痛がしてくる。かなりしんどい。同室のお姉さんたちの退院が迫っていた。にもかかわらず、私はカーテンを閉じ、ひきこもりがちになった。彼女らは、あえて声をかけずに見守ってくれているようだった。
頭では理解したつもりだったが、身体が父とやり合ったストレスに負けそうになっていた。洗面所でも鏡越しにうつる私を見れば、歯ブラシを動かす手が止まってしまう。気味が悪かった。彼に似ている小さな目も、低い鼻も、奴の輪郭と重なる。生理的嫌悪だった。
凪いでいた気持ちが再び揺れだしていた。水上さんもすっかり様子が変わった私を心配して、
「小野田さん、きつそうやね。なにかしてほしいことがあったら、遠慮しないで言うんよ」
「水上さん、大丈夫。ちょっと疲れたんだと思う。このあいだの面談は激闘だったから」
強がった。
「無理して笑わんと。先生にも調子が悪いこと伝えとくから」
彼女は間仕切りのカーテンをそっと閉めた。
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化粧ができなくなっていった。いくら上塗りしても、父に似た面差しを変えられないのが虚しかった。
夢をみた。私は、化粧をし、可愛らしいワンピースを纏い、健一さんとデートしている。一緒にいるのが楽しくてしょうがない。遊園地に行き、ミラーハウスに入った。自分の姿が反射してたくさん複製される。健一さんと手を繋いでいたはずなのに、いつのまにか、はぐれて一人ぼっち。いくら進んでも、そこから出られない。残された不安と、鏡の中の、自分が自身をみつめている居心地の悪さに、気が狂いそうだ。
「健一さん、助けて。どこにいるの? 出てきて、助けて!」
私は、鏡を割って手から血が流れるのも構わずに、必死で健一さんを呼んでいた。
「幸ちゃん、こっちだよ」
探し疲れ座りこんだら、彼の穏やかな声が聞こえた気がした。
「ウッピー、大丈夫か?」
顔をしかめたお姉さんたちが、間仕切りのカーテンを越え、私の手をしっかり握ってくれていた。
「夢?」
呟く。
「うなされて、大声で三ヶ田さん呼んどったから何事かと思って、すっとんで入らせてもらった。落ち着きな、みんな側にいるで」
関西のお姉さんが、手のひらをさすってくれる。
「恐ろしい夢をみたの。怖くて悪寒がした。気がおかしくなりそうになった。健一さんの声が聞こえた気がして、やっと夢から脱出できたの」
彼女は、厳しい顔をして私に言い聞かせた。
「三ヶ田さんも私たちもいる。ウッピーの周りにはあんたを大切に思っている人がたくさんいるんだよ。それだけは、忘れんといてな」
彼女の思いが伝わってきて、胸が熱くなった。
「ありがとう」
深く頷いた。




